魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

酒と巨乳と男が女で・・・

2012-11-18 09:03:55 | 旅行

 愛媛県に入って、最初のお寺、第四十番札所観自在寺には5時前に到着した。すばやく納経を済まし、ご朱印を頂く。
本堂前には「弘法大師御自作の御宝印守を是非お受け下さい」とある。近くにいたお遍路さんに何の事か尋ねてみると、お寺の発行しているパンフレットを渡してくれた。それによれば、
 弘法大師は山中で修行をしていたおり、1本の霊木を見つけた。大師はこの木で本尊に薬師如来、脇仏に阿弥陀如来と十一面観世音を一木一刀で刻み、本堂に安置した。
霊木の残りで船形の南無阿弥陀仏の名号を彫り、その宝判に人々の病気平癒を祈願したと言われている。
 この宝判が現存しており、これを押し写した晒木綿が「御宝印守」だそうで、これを病人の患部にあてがい「南無大師遍照金剛」と七回唱えるとご利益があるとの事。
このお遍路さんによれば、医者に見放された多くの病人に奇跡が起こっているという。
 私の母方に、あわや両眼失明か、両足切断かと危ぶまれている糖尿病の叔父がいる。随分とお世話になった。せめてものお礼にと買って帰った。
(後日談として、この日から数年経つが、おじは相変わらず糖尿病に煩わされてはいるが、目も見え自分の足で歩いている。もちろん、的確な医療の賜物であることには間違いないが、有り難い力を感じずにはいられない。)
 ここ御荘町には、道の駅がある。案内板を見れば南レク御荘公園なる一大レジャー施設がある。スライダープールに遊園地、展望公園、動物園、ロープウエーと町を囲むように遊び場が展開している。失礼な話だが、どこかの大都市の近辺に在ってもおかしくないような近代施設である。正直、驚いた。
子供らにはかわいそうだが、もう陽が傾いている。パスである。
駅舎に入れば、お土産コーナーの魚などは、磯物も多く、高知とは案配が違う。そうかここはもう、南宇和海で対岸は九州の大分県である。時期になれば、みかんを始め柑橘類がところ狭しと並ぶらしい。
 近所のスーパーで、閉店前半額惣菜を仕入れる。道の駅に帰ってみれば、車野宿に最適と思っていた角地を、怪しいキャンピングカーが占拠していた。
車のボディのそこかしこに、「各種占い」、「霊降し」、「恐山」、「巫女」、「困り事相談」とか殴り書きしてある。この類に関わってろくなためしはない。
 一番離れたところに、バタンコ88号を止めた。
さて、夕食のお時間である。子供らはサンドイッチやから揚げ、私はと言えば、はまちのカマの塩焼きにおにぎり、これに冷えたお大師さんの水が良く合う。久々の和食に涙が出る思いだ。
こんなに美味しいものが、半額で頂けるとは、日本の経済システムは案外、貧乏人にやさしいのかも知れない。
今日はさして汗もかいてないので、風呂はなし。駅のトイレで体を拭く、これでもけっこうサッパリとする。
後部座席を整理して寝床を造り、百円ショップで新たに入手したゴザをひけば、なんとなく涼しげだ。
 女性用トイレから、鬼嫁と子供らが帰ってこない。先に寝てしまおうと思ったが、例のキャンピングカーの事もあり、様子を見に出てみれば、人の心配をよそに、自動販売機のまえで、黒いネグリジェらしき服を身にまとったタテヨコ同サイズの雪だるま体型で森久美子似の女と、大話をしているのは吾が配偶者で、その横で柳ユーレイのような華奢な男に缶ジュースを買って貰っているのは、まごうことなく、吾が被保護者達であった。
 ならべくなら、あまり他人と関わらずに、質素にマスターベイトな人生を、過ごしたいと思っている今日この頃の私である。
ここはひとつ、一家の主としてけじめをつけてやろうと勇んでいる私に、鬼嫁が
「お父さん、シャワー使わせて頂いたのよ」
 と標準語でのたまうではないか、
「おどさも、さわー、つげえ」
 と黒い森久美子が何か言ったのだが、エスキモー語みたいで頭に???が無数に回転してる。
「よかったら、ご主人もシャワーをどうぞ」
 性別不明の柳ユーレイが、取り次いでくれた。
 私はすぐさま一家の主から従に、逆下克上を演じてみせ、なに恥らうことなくシャワー室の人となった。
近くで、ヒュー、パンパンと、ミニ花火の音がしてきた。巫女さん以外は、外に出たようだ。
 夏とはいえ、便所の水道とは違い、温かいシャワーは、やはり心地よかった。その上、巫女さんが、冷蔵庫でキンキンに冷えた缶ビールまで、どんぞ!ときたではないか。
ここ数年禁酒していたのだが、他人の金とあれば、遠慮をしないのが心ある肝臓病患者とゆうものだ。
久しぶりに飲むビールは、日照り続きの滝へ、再び洪水が押し寄せたように飛沫を上げながら喉を鳴らし、一気に胃袋へと落ちた。バシャーンと音が響き、アルコールが毛細血管の端々へしみわたるのが、レントゲンを見ているように分かる。
脳の質量はそのままに、重量が半分になったように感じるのは、酔うてきたとゆうことか。視界がぼやけてきた。
山頭火が私の飲み残しのビールを手にニヤリと目で笑う。

 よい宿でどちらも山で前は酒屋で

「おめ、どこさの、ぼずだ?」
 この巫女さんは本物だ。霊体が見えている。しかし、山頭火は東北弁が苦手らしく、そそくさと消えた。
しかし、なぜ、うちの者達が、見知らぬ怪しげな彼等と、親しくしていたのか。
 話の発端はこうだ。鬼嫁がで子供らの体を拭いていると、近くにいた、この巫女さんがシャワーを使えと勧めてくれたらしい。返事をする前にわが子らは、珍しいスタイルの車に飛びついたと言う次第。
 気が付けば、わがお遍路チームは、花火も終わり、たいそうなアメリカンモーターホームの客人となっており、発電機から供給される電力でエアコンが効いた、広々ダイニングでお茶を頂いていた。
ビールは鬼嫁に取り上げられた。子供らはハゲナントカと言う、普段は見るだけのアイスに噛り付いている。こんな味を覚えてしまってはとても困るのだが・・・
 さて、この巫女さんだが、聞くところによると、別に営業活動をしなくても困らない程度に、東北地方ではそこそこの占い師兼霊能者であるという。
何故、お遍路をしているのかと問えば、横浜の兄の子が性同一性障害で引き篭りになり手を焼いていたので、軽い催眠術のようなもので暗示をかけて、自然豊かな四国に連れ出し、遍路で自分を、見つめ直させているのだ、との事だ。
 なるほど、遍路の事情は人それぞれだが、この密なる車内空間。私はどうも落ち着かない。と言うのも持病の一つである「胸の谷間条件反射症候群」の発作がでてきた。
もう、女性であればだれかれなく、胸元に目がいくのである。超高齢者であれ、Aカップであれ、マネキンであれ、チンパンジーであれ、鬼嫁であっても、パブロフ家の犬となり、目のやり場が固定してしまう。ときには舌を出しヨダレさえ出す始末だ。
欲情に端を発し、恐いもの見たさが入り込んできている始末だ。
情けないが、色気は遠い昔に卒業した黒巫女さんの、ホルスタイン的巨乳のあたりを、視線が阿波踊りをし始めた。やばい、と思っていると見透かしたように声がかかる。
「あれま、どしょもねえ、おやじだ、どこさめてる」
「すいません、バカな男のサガです・・・」
「なーも、恥じる事ネ、人間なら自然な事だ、男が女を、女が男を気にかける、当然だ。すかす、道理ばかりでねのも、この世だ。この甥っ子見てみれ、おどこの体におなごさへいてるだ。親の考え方せめえだも、引き篭もってしまつただ。魂だってまちがえて、へいる事もあるものな。」
「それじゃ、性同一性障害は病気ではなくて、霊的な事だったのですか?」
「医者に尋ねれば、病気になる。霊能者だら、ま、そゆことっだ。これに聞いてみれ」
「あの、本当に男の体に入った女性なんですか?」
 やはり、低い声色ではあるが、女の語り口で答えてくれた。
「本当のところは分からないのですが、叔母の話を聞いて納得するところがあるんです。それに、お寺の方に、お話をして頂いたら、昔からこんな事けっこうあったらしんです」
「え、世の中がややこしくなった末の、現代病かと思ってました」
「私もごく少数の特別な病気かと思っていたのですが、調べてみると、様々な症例や段階があり、同性愛者と混同されたり、また区別のつかないタイプがあったりとややこしいんです。
でも昔は障害とかではなくて、個性と捉えていた様な風があり、時代とか地域によつては、うまく社会になじんでいたそうです」
「そうするとやはりなんですか、男の体でも女なんだから、男を好きになる訳ですか?」
「はい、私の場合はそうですが、聞いた話では、同じケースでもレズビアンの方はまた違うそうです。また、それとは逆に、女の体に入った男の魂が同性愛者である事も」
「もう、そうなったら、なにがなんだか、ここはどこ?私はだれ? みたいなもんですねぇ」
「ええ、ほんとうにそうなんです。だからある程度、自覚してくるとパニックになるんです。私もそうでした。
だから外に出るのが恐くて引き篭もっていました。今では叔母に感謝していますが、騙された様に、連れ出され時には戸惑いましたが」
「そんなんで、よくお遍路、続きましたねぇ」
「叔母の一言でした。仕事柄、沢山の方々の相談に応じてきた経験からでしょう。私は自分の体が、違うと感じたように、色々な人が、職場が、結婚相手が、はてには社会が、違うのではと、悩んでると言うのです」
「それはなんか違和感の様なものですか?」
「変な例えですけど、みんながサッカーをしているそのグランドで自分だけが野球をしている様なおかしな感覚・・・」
「私もそんな感覚はしょっちゅうですよ、浮まくりでよく嫁に、叱られてます」
「そこで、叔母の言うには、誰でも内容や程度の差こそあれ、この違和感みたなものと折り合いをつけていかねば、世渡りはままならないらしいんです。
このお遍路で、叔母を介して様々な立場の人と知り合いました。自分だけが特別に変なのではないと、思えるようになってきました」
「あなたは、もう折り合いがついたのですか?」
「いえ、折り合いをつけると言うより、私はサッカーグランドで野球をするのではなく、野球がしたいなら、それをする仲間のいる野球場へ行こうと思っています。
そして、お腹がへれば、レストランに食事に行けばいいことで、そこではサッカー選手であろうがプロレスラーであろうが、お金を払って食事をしている限りは、誰一人として違和感を覚える事はないでしょう。
犬がフォークとナイフで、ステーキを食べていたら変ですけど、所詮は人間同士のことですから」
 と、穏やかに微笑む。確かに私は女性と話をしている。なにかこじつけた様で、意味不明なたとえ話だが、吹っ切れた様子は見てとれる。
 子供らが眠気をもよおしてきたので、では、このあたりでと、失礼した。
それにしても、我がバタンコ88号よ。豪華キャンピングカーから帰れば、百円ショップで、贅沢かと、迷いつつ買ったゴザの香りが侘びしいではないか。
留吉があんなお車が欲しいとねだる。残念ながらダイソーには、そんなもん売っていない。久しぶりに飲んだアルコールのためか、私はすぐさま夢の坂道を転がり落ちた。



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