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バタンコ88号に戻れば、昼飯時である。ロープウエーに、ご満悦のわがお子様達は、快くマクドナルドを断念してくれた。
もしマックまでとなれば、徳島市まで引き返すはめになっていた。ロープウエー料金は怪我の功名か。
道すがらのコンビ二で、カップ麺に湯をもらい、この真夏に熱々をすする。子等よ、これも修行ぢゃ。なんとも、修行とは貧乏人に好都合である。
第22番札所=白水山 平等寺 医王院=は阿南市の南にあ
ここの本堂には、ギブスやそれに類似した医療器具が、数多く見られる。少し奇異に感じるが、これらは四国遍路で健康を回復した人々が、奉納したものらしい。
寺院には、なぜここにお寺が建立されたのか(これを縁起と言うらしい)、この説明が必ずある。例えば、ここの寺伝には・・・
「この寺の名は、お大師さまがすべての人が幸福になれるように、又、すべての人を救済できるように、「平等寺医王院」とつけられたと言われています。
お大師様がこの地を訪れた時、空に五色の瑞雲がたなびいて、その中に金色に輝く梵字が現れました。
大師が祈ると、その梵字は薬師如来の尊像に変わりました。そこで、大師さまはさっそく祈祷に使う水を求めて、井戸を一つ掘られました。そこからは乳のような白い色の霊水が湧き溢れました。
この水で身を清めた大師は100日間修行した後、薬師如来を刻み、堂宇を建立して安置しました。
この像が平等寺の本尊となっています。お大師さまの掘られた井戸は、鏡の井戸と呼ばれ、今もどんな日照りのときでも枯れることなく湧き出ています。
この水は、万病にきく弘法の水としてお参りの人から崇められ、訪れた人々は汲んで帰られるそうです。」
と、ある。
私などは、それで怪我や病気が治るのなら、病院や医者は要らない、と思ってしまうが、あたりのお遍路さんの立ち話を、聞くともなく窺っていると、
「病は気から」と昔から言うように、現代医学でも「プラシーボ効果」なるものがあり、その物自体は本来何の効果もないものであっても、その効果があるものと思いこむことによって、体が自らその効果を体内で作り出す現象のことらしい。
例えば、お年寄りや精神病の患者が、不眠に悩んでいるとき、医者や薬剤師が、その人に普通のビタミン剤(催眠効果無し)を催眠剤だと言って飲ませると、まるであたかも催眠剤を飲んだかの様に、その患者さんはぐっすり眠ることが出来る。と、言うものらしい。
ある種の暗示効果だろうけど、妙に納得してしまった。
私達も八十八ケ所を回り終える頃には、壮大な催眠術にはまり込んでしまうのだろうか?小心者としては、少々不安がよぎるが・・・
さて、いよいよ、阿波1国すなわち、徳島県は残すところあと1ケ寺。海亀の産卵で有名な日和佐町にある第23番薬王寺。厄除けで有名なお寺だそうだ。
ここは、国道55号線沿いにあり、JR牟岐線日和佐駅も近く、おまけに「道の駅」があり、歩いて3分、さらにこの道の駅には、無料の「足湯」があるではないか。
足湯とは名ばかり、深夜、誰もいなければ、私にとっては、手湯、胴湯、顔湯、玉湯などいかようにも変化しうる。
さっそく、臨時家族安全保障理事会を開催し、深夜の無料温泉ツアーの決行を、3対1で可決したが、女を捨てきれない鬼嫁が「拒否権」を発動し、プランはオシャカになった。どこでもスーパーパワーはかくも醜く、そして強引だ。
せっかくの、道の駅なので、小用,大用、水補給、試食品あさり、自動販売機の釣銭ポケットチェックをマニュアルに従って行い、どうせ今夜は足摺方面で、風呂は無理だろうとの結論から、足湯につかりまくるが、いかんせん人が多い。
おちおちゆつくりと、風呂にも浸かれないと、周囲のオバハン達と肯きあい、理不尽にも、無料の公共施設にけちをつけから、お参りを済ませた。
陽も傾きかけてきたので、本日はこの街でスーパーの売れ残り惣菜を安く買い、軽い夕食をとる。
土佐浜街道を、足摺岬を目指し南下した。小一時間ほどで宍喰という所を抜けて、高知県東洋町に出た。
もうしばらく、走ってみようと頑張ったが、眠気には勝てず、道ばたのパーキングエリアにバタンコ88号を止め、寝支度をする。
ペットボトルの水で歯磨きを終え、車のライトを切った。あたり一面墨を流したような闇につつまれる。
聞こえてくるのは、太平洋の波音だけ。打ち寄せては、引いていく、ザーザー、ザーザザアと・・・
やがて目が慣れてくると東の空に、こうもり傘に、針で無数の穴を開けて、内側からお日さまをのぞいた具合の、きらめく、星星いちめんの夜空・・・夜が暗いと、星はこんなにも明るいのか・・・
電気のおかげで、夜が明るくなりすぎたのではあるまいか。
現代人の生活感覚の異常や精神の乱れ、不可解な事件事故。もしかしたら、地上の夜が必要以上に、明るくなりすぎたのではあるまいか。
美しくもミステリアスな星空を眺めていると、神様や仏様がいたって何の不思議もない気がする・・・
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