魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

夜明け前、裸の女が空に輝く

2012-11-18 09:14:43 | 旅行

 魚屋の朝は早い。いつも、3時頃には目覚める。体に滲みついた習慣は、旅先でであっても変わらないらしい。
穏やかな早朝の太平洋、遠い水平線のありかは、星明りがしないあたりだろうか。
ひと際あざやかに輝くのが、モーングスター、「金星」 いつも、魚市場に向かう軽トラのフロントガラス越しに、見る本当に明るい星だ。
深夜放送でもよく話題に出る。英語ではビーナスだと解説していた。なぜヌードモデルが金星なのか、西洋人の考えることはよく分からない。
この辺りにも弘法大師の伝説がある。
彼は十九才のとき、室戸岬のある洞窟「御蔵洞」で、求問持法を修行していた。足を組み、ひたすら虚空蔵菩薩の真言を、繰り返し唱える荒行のことだ。日々が、己との戦いである。
そんなある早朝、大師の口に、明星が飛び込んできて、彼は悟りをひらく。
その間、大師が目にしていたものは、海と空だけであった。これにちなんで、以後、「空海」と名乗る事になったと言う。
もしも、この明星が金星であったなら、西洋の「美の女神」が、大師の口に飛び込んで彼は悟りを開いた、となる。
高知県は修行の道場だと、ガイドブックに書いてある。こんな不謹慎な連想しか出来ない中年男は、何をどう修行すれば、悟りが得られるのであろうか?
虚空より、声がする。
「昔から、バカは死ななきゃなおらないというてのう・・・」
 うっすらと、俳句お化けの山頭火があらわれた。
「まだ死ぬ訳にはいきませんがな、幼子残して・・・ ところで、さんチャン、せっかくです、あんたこの夜明け前、俳句になりませんか?」
 
けさもよい日の星ひとつ

 よみ終えると、やさしく菅笠に手を添え、うすく消え去った。さすがの山頭火も朝は句が軽妙だ。日が昇るまでしばらく句の余韻を楽しんだ。
 朝陽が強く射しだすと、子供らがもぞもぞと目覚めてくる。
狭い車内ではあるが、お構いなしに、寝返りのうちまくりで、半身を窓に張り付けて、普段では見られない寝像を、携帯のカメラにおさめる。
朝陽とほぼ同時に起床とは、つくずく子供とは自然に素直なものだ。
我が家では、家計簿の項目に治療費が認められていないので、虫歯になれば食費が圧迫され、エンゲル計算が複雑になる。
よって朝晩の歯磨きは、3度の飯と同じくらい重要な習慣となっている。
今朝も近くに、公共水場が見当たらないので、ペットボトルのため水で口をすすぐ。
何事においても、優先順位の低い私はいつも最後だ。子供らは、いちご味の歯磨き粉を愛用している。我々は安物のホワイトライオン。
あわれ、口の中は、クールミントガム3枚と、ストロベリーガム半枚を、いっしょに噛んだような具合だ。今日は爽やかで、ほんのり甘い一日になるのだろうか。
 昨日、日和佐のスーパーで買った見切り品の菓子パンで、軽く朝食をとり、国道55号線を三十分ばかり走行し、室戸スカイラインを這い上がれば、第24番札所最御崎寺に到着。
 納経所が開くまで間があるので、境内や付近を散策する。あら懐かしや、ユースホステルがあるではないか。
以前、二十歳をすぎてしばし、自転車に乗って、そこかしこ、ウロウロしていた頃、ここにも確かに来たはずだが、ユースにはただ泊まっただけだ。思い起こせば、あの頃も白装束のお遍路さんが大勢いた。
当時の私はと言えば、お遍路さん達を見て、この機械文明華々しい現代に、時代錯誤もはなはだしい。などと軽視していたように思う、つくづく若さとは、おろかさでしかなかった。
ならば、今はどうか? 
とりあええず一家は構えたものの、家族で親の家に寄生し、年金のおすそ分けに与かり、生活保護申請の一歩手前、という情けない身上。
お遍路ユニホームさえ買えない貧乏人のくせに、八十八ケ所を、四苦八苦しながら廻っている。青年老い易く、アホ治り難し。とったところか。
 早くもセミがジジージンジジジと鳴き始めた。久しぶりに昔を思い出し、今の惨状を想えば、情けなくなる。
朝から、元気にはしゃいでいる子らとは別に、本堂に向かう。ろうそくを灯し、線香を供え、手を合わせ、手順どおりにお経、御真言を唱え、最後にお願いごとをする。
「どうか、世間並みの生活が出来ますように・・」
 熱帯樹林も入り混じった道を抜けて、室戸市内のにある二十五番札所津照寺に向かう。
駐車場の位地がよく分からないので、漁港にバタンコ88号を止めて、歩いてお寺に向かう。嗅ぎ慣れた魚の匂いが鼻をくすぐる。潮の香りは瀬戸内海より、さっばりした感じだ。
ここ室戸は遠洋漁業基地。お寺はかなり急な石段を上がり、港を見下ろす小高い丘にある。
その昔、弘法大師は不慮の災難に遭う漁民を救うため、航海の安全と豊漁を願って、高さ1メートルほどの延命地蔵菩薩を刻んで本尊にし、このお寺を建立した。
江戸時代に土佐の大名になった山内一豊が、室戸沖を船で航行中に、暴風雨に遭難したとき、ここの本尊が、僧に化身して甲板に現れ、船の舵を取って殿様の危機を救った。
この故事に由来して、ご本尊は別名「楫取地蔵」として漁業関係者の篤い信仰を集めている。奉納してあるミニチュア地蔵をみると、わが広島県からの奉納もかなりあった。
 次の金剛頂寺へも二十分弱で到着。ここのご本尊は薬師如来、前にも書いたが、特に病気治癒で有名な仏様である。
お寺を廻ってみて感じたのは、寺というものは、今のように、お墓の管理を主にするところではなくて、社会的インフラの不十分な昔は、お寺は病院であり、学校(寺小屋)、役所(戸籍等)、修行道場、郵便局、警察、裁判所、公民館等の総合公共施設だったようである。
小規模な集落ほど、いろいろと兼務していたような傾向がある。だから、その土地とちの各お寺は、昔がいっぱい詰まった歴史の玉手箱だ。
もちろん、ある史実を正確に把握しようとすれば、虚飾などを十分にふるいにかける必要はあるが、別に歴史学者ではないのだから、そんな事をしたら面白くもクソもない。例えばこのお寺にも不思議な伝説がある。
 金剛頂寺は、大同二年(八〇七年)に平城天皇の勅願によって弘法大師が創建した。
その折、大師はご本尊の薬師如来を手彫りしたが、この尊像は完成と同時に自ら堂の扉を開いて鎮座したという。
事実なら、弘法大師は偉大なる宗教家、芸術家であると同時に、ミスターマリックや引田天功をも、はるかに凌ぐ、マジシャンでもあった事になる。
私などは、こうした言い伝えを聞くと、「うそだ」と決め付けるより、なぜ、木像に命を吹き込む必要があったのかと、想像を巡らすが、こんな事を思うのは不謹慎で罰当たりなことなのだろうか?
 そこで懲りずに、もうひとつ。ここ高知県は天狗伝説も多く残る所である。一説によれば、天狗の正体は、太平洋で難破した白色紅毛碧眼人が、黒潮の流れに乗って、土佐の海岸に漂着したものだという。ジョン万次郎が外国船に助けられた事実を考えれば、十分にあり得る事だ。
なんとも、ヨーロッパのクロマニョン人の末裔と、北京原人の流れをくむモンゴロイドの土佐の領民がここで、未知との遭遇をしていたのである。
西洋の方々はともかく、この辺りの人は、現代人がエイリアンを見たとしたぐらい、さぞかしブッタマゲタことだろう。
 天狗の正体はクロマニヨン人だったのだ。
 さてさて、朝が早かったせいだろうか、眠くなってきたので、次の27番札所神峯寺までは、鬼嫁にハンドルをまかす。ついでにこの雑文の筆もまかして、少し横になろう。それでは、ミセス鬼嫁様ヨロシク・・・



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