魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

托鉢と貴重品ロッカー

2012-11-18 09:05:04 | 旅行

 長かった土佐路も今日で終わりにしたい。朝食もそこそこに、亜熱帯植物の茂る細い道を足摺岬へと急ぐ。
こんな時に限り、子供は自然現象を起こす。幼子と旅をしていれば、排泄問題はついてまわる。下痢気味の留吉のうんちが洩れそうなのだ。
近辺にトイレはなさそうだし、道は狭くワゴン車では止めづらい。非常手段にでる。鬼嫁が百円携帯トイレを息子の肛門あてがう。
留吉が力んだその時、カーブで車が揺れた。あわれ鬼嫁は、留吉の下痢便シャワーを浴びるはめとなった。
 車内では、かすかなオナラでも耐え難い、ましてやこの状況である。暑いなどとは言っておれない。エアコンを止め、窓を全開にして走行する。
鬼嫁が何とか事後処理をおえた頃、バタンコ88号は第三十八番札所金剛福寺の駐車場へは入った。近くに公衆便所があり汚れ物を軽く水洗いした。
 一段落する間もなく、またもや、大問題が発生した。
わがお遍路チームでは、参拝セットは私が管理し、賽銭巾着は小春が、金剛杖の置き忘れ防止係りは留吉、そして、貴重品(保険所、通帳、現金、カード)バックは鬼嫁が管理している。一番大切な、これが見当たらないのだ。
 「私達は旅費を無くしましたので、お遍路は三十八番までで終わりました。では、ごきげんよう。」では済まされない。これからの、日常生活さえままならなくなる。
 鬼嫁は私に渡したと言い張る。やはり、わが脳内にはドイツ人医師アルツハイマーが徘徊し始めたのだろうか。それとも、うんこ博士のご高説により、記憶回路が5次元にワープしたのだろうか?
ここで鬼嫁をなじれば、犬も食わないバトルが始まり、お互いに、これまでの些細な失態や不満を掘り返し、=重箱の隅を爪楊枝でほじくり合戦=が延々と続き、日が暮れてしまうのは、経験上、火を見るよりも明らかである。
 とりあえず、冷静になるために、参拝を済ませてから、対策を練ろうと提案し、了承を得る。
さすがに、足摺岬は土佐を代表する景勝地である。境内にはお遍路さんに混じり、大勢いの観光客でにぎわっている。
本堂前で、小春と般若心経をデュエットするも、人が多すぎて目立たず、ここでは、お接待の対象にはならなかった。
私一人、納経所に並んで順番を待っている所に、小春とお地蔵さんに賽銭を上げていた鬼嫁が、賽銭袋からなにやら、鍵を出しながら、勝ち誇って凱旋して来た。
 おぉぉぉ、あれは昨夜の風呂の貴重品ロッカーの鍵ではあるまいか。
そうだ、鬼嫁からかばんを預かり、めったにそうしないのだが、昨夜は貴重品ロッカーなるものに納め、キーを小春の賽銭袋の中に入れておいたのであった。こうなった以上、負け誇って、ひたすら侘びをいれる。
 駐車場に帰る途中に道端で、尺八を吹きながら托鉢をしている中年遍路がいた。世の中には物好きな人がいるものだ。と、感心しながらバタンコ88号に乗り込む。
早速、昨夜の温泉まで引き返すべく、キーを回しエンジンをかけ、メーターを確認すれば、ガス欠寸前である。ガソリンスタンドに行くべく、皆から小銭を徴収する。小春の賽銭袋と合計しても、493円しかない。
 お札やカードは全て貴重品バックの中だ。なんとなく嫌な予感がして、鬼嫁を振り返れば、さっきの尺八おじさんを指差している。
過去にホームレスの経験があるとは言え、懸命に、私は物好きな人間ではないと、事細かに例を挙げて説明するのだが、いかんせん、今回の騒動の原因は私にあった。
かくして私は、夏の昼近い、照りつける日差しを浴びながら、自家製の遍路シャツに身をくるみ、左手にカップヌードルの空カップ、右手にお経帳もち、スキンヘッドもそのままに、尺八おじさんの横に立ち、般若心経を読みながら、生まれで初めて托鉢なるものをするはめになった。
 尺八男は遍路笠をかぶり、足元にドンブリを置いて、目を閉じて演奏している。結構いい雰囲気で、こちらの方には通りすがりに小銭を入れて行く人もいる。
私はと言えば、客に相手にされない特売をやっているようなもので、情けなくてしょうがない。俺オレ詐欺にでも、手を染めた気分だ。
手にした、カラのカップヌードルから、こびりついた残り汁の、腐臭が、より、いっそう、私を情けなくする。
行きかう人々の、不審者でも見るかのような視線が、日焼けした素肌頭に痛い。
家族はと言えば、物陰からこちらをうかがっている。鬼嫁の奴、サクラぐらい出来ないのか!子供らはオモチャの奪い合いで、ケンカを始めたみたいだ。
 仏像相手にではなく、通行人相手に、お経をあげるのである。必然的に小声になり、うつむきかげんで、まるで萎んだテルテル坊主である。
渡る世間は鬼ばかりだ。おばさんの顔が皆、泉ピン子になっている。ますます縮こまり、もう、蚊の泣くような声で般若心経をつぶやいていると、横の尺八さんから声がかかった。
「頭を丸めておられるが、ご出家か」 
「いいえ、私は魚屋です。床屋代にも事欠いておりまして、遍路中ですが、財布を・・」
「目を閉じておやりなさい」
 そうだ、こうなれば、ヤケのヤンパチ、日焼けのナスビである。居直るしかない。先輩の助言に従い目をつむると、周囲は尺八の音と雑音だけになり、気は楽になったのだが、いかんせん、般若心経は暗記していない。
仕方なく覚えている部分だけ、重複しないように、アレンジして唱えていると、雑音にまじり、かすかに笑い声も聞こえる。明らかに、小ばかにされている。
限界である、いくら恥知らずとはいえ、これ以上は無理だ、交番で訳を話し、お金を借りようと目を開けたところに
「父さん、トメがオモチャを取った・・」
と、小春が泣き叫んで、とびついてきた。すかさず、何を思ったのか横の先輩が
「おぅおぅ、これは財布を落とした魚屋さん、逃げた女房を探してしての遍路も大変じゃ・・・」
 聞こえよがしに、言うものだから、渡る世間の鬼はいっせいに、仏に変身し始めた。
まず、最初に、お婆さん遍路が小春の頭を撫でながら、五百円玉をくれたのを皮切りに、家族ずれやら、カップルまで、足を止めてくれ、周囲に人だかりができ、「やれ、我先に」現象が生じた。
3分も待たないうちに、お札もちらほらと、カップヌードルは小銭であふれかえった。
「やれやれ、気取った笛も、泣く子にはかなわんわい。あんた、いい修行をしなさった」
 などとつぶやきつつ、尺八遍路は軽く会釈して去った。
 計算したら一万円以上もあった。軽油満タンにしてお菓子を買ってもお釣りが来る。昔から三日やったらやめられないと言う修行?を身を持って理解した。
 土佐中村まで引き返し、無事に貴重品バックとご対面した一行は、国道56号線を西に宿毛を目指す。
高知県最後の札所、第三十九番延光寺を珍しく何事もなく参り終え、南国土佐を後にし、かわいい峠を一つ越えて、伊予は愛媛県へと入った。



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