MIKIハウスはあばばいぜ!!

60才を期に松阪市の南西の地に田舎暮らし+野菜作りの隠れ家を作った。週末田舎暮らし実践家の独り言。

聖の青春\聖地巡礼⏩大阪市福島、

2017-01-22 20:57:59 | 日記
1月10日の十日戎の記事で書いたが、今回の大阪遠征の目的のひとつに、将棋の
故村山聖九段の聖地巡礼があった。
昨日末に大崎善生著のノンフィクション小説【聖の青春】が映画化されたため、
特集で映画の出演者が村山聖九段の生活の場であった大阪市福島区の思い出の地、
を紹介する番組を観た。
将棋は、坂田、大山、升田、谷川、羽生など時代の有名人くらいしか知らなかった
が、村山聖というプロ棋士が、タイトルは取れなかったが、幼少にネフローゼを患い、
病院で覚えた将棋にのめり込み、名人に
なりたいという目的を達成するため突っ走り、29才と言う若さで現役のまま癌で亡く
なったという、壮絶な生き様に感動した。
映画のは見てなかったが、まず、本屋に走り年末に読破した。
年を取って涙もろくなったが、本を読んでいて、涙が止まらなかった。
対羽生との戦績通算6勝7敗。羽生が最も恐れた男と言われたが、対局の後は必ず高熱が
出て、1週間は寝たきり生活。12度の不戦敗と言う記録が蟻ながら、A級年をトップグル
ープに在席したのだからすごい。
関西将棋会館の奨励会会員時代、師匠の森信雄七段と過ごした福島区の界隈、JR福島駅
ガード下のいつも行っていた更科食堂で村山聖の好物焼き魚定食も食べた。
生活していた前田アパートは行けなかったが、将棋会館で村山聖の大局観と書かれた扇子
を買って帰った。
プロになってから、毎年将棋年鑑に書く今年の目標を【生きる】と書いたというエピソード
病魔に冒され、死期を意識しながらひたすら名人を目指していた、切ない村山聖の
気持ちが痛々しくおもわれ

今宮戎神社十日戎

2017-01-13 17:45:22 | 日記
今から7年前、大阪の淀屋橋で仕事をしていた時、会社の商売繁盛、安全祈願で
はじめて今宮戎に行った。【商売繁盛で笹持ってこい】とにぎにぎしくお囃子が
鳴り響く境内に人が殺到して、お目当ての福娘に笹飾りをつけてもらう。
福娘は、聞くところによると、大阪中の何千人もの候補者から、飛びきりのべっぴん
さんが選ばれるそうだ。
美人の福娘のところには、カメラマンの人だかり。
最近は、グローバル化して外国人の福娘も人気だった。
参道には、えべっさん、七福神、お多福のを飾った、熊手、ザル、などの
お飾りが何種類も並ぶ。9~11日まで大阪
兵庫、京都など関西を中心に十日戎で盛上る。

2017.1.10~11in大阪

2017-01-13 12:05:11 | 日記
昨年暮れに、大阪の友人とから大阪で新年会をやろうと誘われており、いつにするか、
ついでに何をしようかと考えていた。
何気なくテレビを見ていて、突然その答えが見つかった。
それは、昨年映画化された、大崎某氏が書いた、プロ棋士村山聖九段のノンフィクション
小説【聖の青春】であった。平成10年8月8日に亡くなったのでもう18年経過している。
それでも名人羽生善治が最も恐れた男、東の天才羽生に対して西の怪童村山と言われた
男の壮絶な生き様は今でも多くのファンがおり、村山の聖地巡礼なることが行われたりと
その後のドキュメンタリーで放送されていた。
ガッンと頭をたたかれた気がして、これは行くしかないと思った。
おりしも1月に10日は十日戎、そして以前新聞記事で読んで絶対行くぞと決めていた
、大阪在住のパワフルなバリトンサックス🎷奏者浦ちゃんの店、デイドリーボウにも行くこととした。
贅沢メニューの一泊二日の日程は以下のとおり。
⬛今宮戎神社に十日戎参り
⬛昼に昔お世話になった知人と昼食
⬛バリトンサックス🎷奏者浦ちゃんに会いにデイドリーボウに行く
⬛大阪勤務時代の先輩と夜新年会
⬛翌日、福島の将棋会館、更科食堂と村山聖九段の聖地巡礼
それぞれの思い出はこのあと個別に書くこととしたい。

三重県の偉人野呂元丈

2017-01-13 07:54:48 | 日記
年末のある日、多気町の山間部をドライブしていて、偶然【元丈の里】という館を訪れた。
名前は聞いたことがあったが建物に入るのははじめてだ。
バンプには、三重県出身で江戸時代八代将軍吉宗に御殿医として登用された、薬学を極めた
三重県の偉人とあった。
名を野呂元丈というとのこと。
現役を退いてから、故郷に帰り、自分でたくさんの薬草を育て上げ、研究を続けたそうだ。