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玉川上水の旧水路(笹塚編)

2004-12-20 23:54:46 | 東京散歩
 1600年代に入り、幕府は江戸の人口増による水不足から、神田上水に続いて「玉川上水」をつくりました。神田上水と玉川上水が世に言う江戸の二大上水です。

三代将軍家光の時代に、幕府は玉川庄右衛門と清右衛門兄弟に命じて、彼らの提案になる上水の建設に踏み切り、1653年4月に着工しました。
多摩川から江戸に水を引くもので、川沿いの羽村から四谷大木戸まで総延長は43㎞に及ぶ開渠をわずか8ヶ月で完成させました。水道の完成は1654年6月となります。

 参照ページ「http://www005.upp.so-net.ne.jp/wanatra/8wwjapan.htm


 の玉川上水ですが、今でも上流に行けばその名残を残しているのですが、都心部に近づけばその姿は消え、埋め立てられたり緑地公園になっていたりするのですが、都心で見る事が出来る貴重な「玉川上水旧水路」がココ(撮影地点)です。
 この辺りには水路はなくなってもその上に緑地公園の遊歩道があり、それなりに散策出来る貴重な場所です。

大宮八幡宮

2004-12-13 23:57:59 | 東京散歩
 東京の重心に位置するため、「東京のへそ」と呼ばれ、広大な神域から「多摩の大宮」と称される「大宮八幡宮」は東京都杉並区大宮にあります。
 社伝によると第七十代後冷泉(ごれいぜい)天皇の天喜年中、奥州に乱が起き、征討の勅命を受けた鎮守府将軍源頼義がこの地にさしかかると、八条の雲が棚引き、源氏の白旗が翻ったかのように見えたと言う。
 これを奇瑞とした源頼義が乱平定後の1063年、京都の石清水八幡宮より分霊を勧請したのが御鎮座の縁起だそうです。

 大宮八幡宮の祭神は「応神天皇と両親である仲哀天皇・神功皇后」なのです。応神天皇の出生の件によるものか、「子育て・厄よけ八幡」としての信仰があるようです。
 全国の八幡宮の総本宮といえば「宇佐神宮」なのですが、同じ八幡宮でも、祭神は微妙に違うものなんですよね。
 宇佐八幡についてはココを参考にしてもらうとして、応神天皇は本当に仲哀天皇の子であったか??
 仲哀天皇は誰に殺されたのか??
 そして祭神である応神天皇は一体誰の子だったのか???
 大宮八幡宮のパンフレットには
  応神天皇は仲哀天皇・神功皇后の御子であり、三神は国土開拓や海外との交流など我が国の礎を築かれた神々である。
 ことに三韓から筑紫への凱旋まで耐えて応神天皇の出産を果たされた神功皇后、母の体内に有る時から御神威を発揮され胎中天皇と称された応神天皇
 こうした親子三神の固い絆により、強く丈夫な子が生まれ育つという信仰が強く子育て八幡と讃えられる

 
 というわけらしいですが・・・・
 三韓から筑紫への凱旋まで耐えて応神天皇の出産を果たされた
 というのは、「腹に石を巻き付けて出産を遅らせて海を渡り」そして三韓征伐を成し遂げたらしいですし神功皇后が身籠ったのは仲哀天皇が亡くなった後であり、そのへんの辻褄を合わせるために「腹に石を巻き付けて出産を遅らせ」ってことにしてるわけで・・・・

 なんてツッコミどころは満載なのですが、まぁそんな事は深く考えずに全国津々浦々にある八幡宮を訪れてみてください。
なにげなく見ている神社や、近所の神社の祭神っていうのも、ちょっと調べるとわりと楽しいものですよ。
 まぁ、そんなわけで、大宮八幡宮は子育て、厄よけの神様??ってことで・・・・

お茶の水

2004-11-20 23:50:09 | 東京散歩
 お茶の水の高台から見る紅葉ってわりと好きでして、今日は仕事の合間にその紅葉写真を撮りにお茶の水に行ったのですが、それよりも今回はちょっと珍しい写真が撮れたのでそれを紹介。
 そもそもお茶の水と言う地名は
 「この地から湧き出る水がお茶の水として利用されたから」
 と、まんまなわけではありますが、今も水が湧き出ているのかどうか定かではありません。
 でも、JRの電車から眺めるお茶の水の風景って、一瞬自分が東京に居るのを忘れさせてくれるくらい綺麗なんですよね。
 線路の横を平行に流れる神田川、その神田川沿いの崖には鬱蒼と樹々が茂り僕の中ではかなりオススメの名所です。
 特に紅葉時期は・・・。
 と説明しましたが、紅葉写真は次回に載せるとして、今回の写真はJR線の下を走る地下鉄「丸ノ内線」の電車。
 オレンジ色の電車がJR中央線の電車。ちょうどお茶の水の駅に停車中。
 そして銀色のボディに赤いラインの入っている電車が地下鉄「丸ノ内線」の電車なのですが、地下鉄なのにこの部分だけ川を渡る一瞬だけ地上に出るわけです。しかも、その真上にJR線があり、真下は神田川という狭いスペースに。
 ちなみに、丸ノ内線はその他にも2ヶ所地上に出ます。
 
 と、鉄道マニアじゃなきゃ楽しくないネタでしたかね・・・・(^_^;
 運良く電車が通過する時(しかもJRの電車も停車中という最高の場面)に居合わせたのでこっちの写真を紹介しちゃいましたが・・・

 ちなみに写真に見える緑色の鉄橋部分が秋葉原。お茶の水駅からでも歩いて行けます。
 撮影地は「聖橋」というのですが、その橋名の由来は「写真の左側に湯島聖堂、右側にはニコライ堂があり、それを結ぶ橋」という意味で公募の中から選ばれました。

神保町、今昔

2004-11-18 23:55:04 | 東京散歩
 神保町は仕事でよく行く場所です。
 本の街としてわりと有名で古本屋や新刊本屋さんがたくさんありますが、裏路地に入ると書店さん相手の本の問屋さんがあります。
 昔、まぁ昔と言っても5年くらい前まではホント、都会の中心なのに古い建物が軒を並べ、古い建物の本の問屋さんがいっぱいあったんですよ。
 しかし、都心の一等地ってことで都市再開発となり、今は高層ビルが建ち、ホントに昔の面影は一部分しか遺っていません。
 自分が通い慣れた街が変貌するのって、仕方ないとは言え、やはり淋しい気持ちもあったので、再開発前、建物が取り壊される前に写真を何枚か撮りました。
 
 そんなわけで写真を見ていただきたいのですが、撮影地はほぼ同じ、誤差1,2mしかないはずですが、写真でみるとまるっきり違う土地のように思えるでしょ。
 建物が壊されただけでなく、細い道で区画されていた街に二つの大きなビルが出来ちゃって、まるで別世界のようになってしまいました。

 しかし、それを言ったら「お台場」なんて昔はホントーに何もなくて、今の姿なんて想像すらしませんでしたよ。
 機会があれば、何もなかった頃のお台場の写真も掲載します。

江戸東京たてもの園

2004-10-24 23:14:49 | 東京散歩
 江戸東京たてもの園に行って来た。昨日、万世橋について調べていたら、昔、万世橋にあった交番がこの「江戸東京たてもの園」にて移築、展示されてあるというのを知ったのが行くきっかけではあったが、実は自分のホームページにあるコーナー「satの東京散歩」にてこの「江戸東京たてもの園」を紹介したいって思いが1997年のホームページ開設時からあったので7年越の念願叶ったわけでもある。
 東京都小金井市、小金井公園内にある江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に開園した野外博物館です。敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの、27棟の復元建造物が建ち並んでいます。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。

 詳しくは自身のホームページにて後ほど紹介するとして、実はこの園内は映画「千と千尋の神隠し」の参考になり、作中のの中心となった「湯屋」のモデルとなった銭湯「子宝湯」があることで、劇場公開後にこの「江戸東京たてもの園」も人気となった経緯があります。

 で僕もこの子宝湯の見学をしたわけですが、どうせ銭湯内を写真撮影するなら、普通に服着て撮っちゃダメだろう・・・という思いが脳裏に当然のごとく過ったため、急いで服脱いで撮影。
 いったい誰のためのサービス精神かって訊かれたら、「自分自身の自己満足っしょ」と思う。そこの部分は最低限のお約束のような気がします。
 しかし、その場に居た人に「湯加減どうでした?」って訊かれたよぉ、恥ずかしかったけどそういうギャグ言ってくれる人はノリが良くて助かったけど、そのお父さんの子供は脅えてたよ。変な人に関わっちゃダメだって本能で悟るように逃げてたよ・・・・
 まぁ、反面教師って事でゆるしてね(^_^;

万世橋駅の名残(赤レンガ)

2004-10-23 18:54:34 | 東京散歩
 秋葉原から神田川を万世橋を利用して渡ると、赤レンガの高架があります。
 それが昔の「万世橋」駅の名残。
 明治45年に東京駅や日銀旧館を設計した有名な辰野金吾がその駅舎を作ったのですが、残念ながら1943年に中央線が東京駅まで延長され万世橋駅はルートから逸れてしまった(お茶の水・神田駅が出来た)ために廃駅となり万世橋高架橋のみが現存するに至っています。
 万世橋高架橋の上、電車に乗っていれば見る事が出来るのですが、わずかにホームの名残はあります。
 写真を見ていただければ不自然なアーチ間のレンガは、後にレンガで埋め固められたモノ。

 また、この万世橋駅は実は地下鉄駅もあり、1930年に浅草-万世橋間に地下鉄が走っていたのだが、翌年に廃止された経緯もあります。

 

新宿駅の供養碑

2004-10-15 23:09:45 | 東京散歩
 新宿駅のホーム内に供養碑が建っていて、あの供養碑はいったい何を供養するための碑なのか??
 って、ずーっと気になっていんですよ。
 もしかして、駅が出来る以前に何かこの地であって、駅が出来てからもその「地」であるホーム内に供養碑を遺したのか、または駅を作る時に事故でもあり、それを供養するための碑か、ひょっとしたら作業員が保守点検をしている最中に事故が過去にあり、それを供養するための碑かも・・・
 と、いうわけで新宿駅に問い合わせて訊いてみましたら
「そんなのありましたっけ??でしたら、人身事故で亡くなった方を供養するための碑じゃないですかね?」
 との回答。
「・・・・・ないですかね?」と何とも頼りない答えなので、それが本当に正しい解答かどうか僕自身納得してませんが、まぁ言われてみれば、人身事故で亡くなった方のための供養碑っていうのは想像つきませんでしたが、一番あり得る話だよなぁ・・・・
「じゃあ、その碑はいつ出来たのですか?」と訊くと・・・・
「さぁ・・・・・」との返事。
 お前、自分が働く駅の事くらい、もっと知っとけよ
 もしくは、そういう事に詳しい人に電話かわってくれるとかさぁ・・・・が、電話代わってくれと言う前に電話を切られてしまった。
 いつも、謎があると電話で問い合わせてみる手段をとっていて、毎回納得いく答えを頂いていた経験から、今回も期待していたわけですが、そんなわけで正しい答えなのか半信半疑であり、詳しい情報を得る事なく終了。
 まっ、でも、人身事故に関わる碑っていうのは間違いじゃないと思い掲載。
 
 誰か詳しい方いましたら情報お待ちしてます。(^_^;

学習院開校の地

2004-10-13 23:45:11 | 東京散歩
 某出版社に本を仕入れに神田錦町に行き、出版社が入居しているビルを探すべく周りを歩いて徘徊している時に偶然見つけたもの。
 「学習院開校の地」の記念碑。
 学習院は現在目白にありますが、この神田錦町2-9が発祥の地だったんですね。
 まぁ僕は学習院とはぜんぜん無縁なのですが・・・・
 それでも偶然記念碑を見つけた事が嬉しくて記念に撮影。
 どうやら学習院は明治10年10月に神田錦町にて開校したようです。
 
 この近辺は会社などが入居しているビル群なのですが、ふと目をやるとこんな風に記念碑があったりして、何の知識もなく探検がてら散歩すると意外なモノを発見するっていうのも楽しい遊びかもしれない。

千代田区清掃事務所三崎町中継所

2004-10-12 13:15:29 | 東京散歩
 水道橋にあるゴミの集積所(中継所)、神田川を利用して船舶にてゴミを東京港中央防波堤外側埋め立て所に運んでいるのですが、川を利用してゴミを運ぶという珍しい所です。
 確かに東京=江戸は川(運河)が多く水の都市という面もあり川を利用してゴミを運ぶという手段はこの都市ならではだと思います。
 江戸時代の事は分かりませんが、この中継所が出来たのは昭和6年4月の事。
 都内にはこの他に川を利用してゴミを運ぶ場所は全部で5ヶ所。
 この水道橋にある中継所もその一つで、正式には「千代田区清掃事務所三崎町中継所」と言い、昔は「ゴミ・し尿」の運搬をしていたのですが、現在は不燃ゴミを運んでいます。
 集められるゴミの内訳は「千代田区が1/3、文京区が2/3」です。不燃ゴミのうち鉄などは溶かした後に再利用され、プラスチックなどは高熱で溶かし、砂の状態にした後に埋め立てに使うそうです。

日本銀行旧館ライトアップ

2004-10-10 22:25:19 | 東京散歩
 日銀旧館ライトアップが今日から始まり、10日の今日はその記念式典が18時から開幕、19時からは特設舞台で能が行われました。
 入場は無料でしたが、鑑賞するために、まず午前11時から現地で先着500名に配られる整理券を手に入れるのですが、10時20分に到着した時でもまだ150番目、余裕で整理券を手にする事が出来ましたが、この整理券を貰ってもまた17時開演時に良い席を確保するために16時40分にまた日銀に行きました。
 おかげで良い席で見る事が出来ました。
 記念イベントは「能とライトアップの夕べ」
 国の重要文化財に指定された日銀旧館の前庭、特設会場にて消防の木やりや日銀福井総裁らの挨拶の後に能の披露。演目は「羽衣」でした。
 能を観たのも初めてで、それなりに貴重な体験をいたしました。
 途中、開演待ちをしている時に雨がパラパラと降ってきた時はどうなるかと心配してましたが、何とか最後まで降らずに無事に記念式典を終える事が出来ました。

 しかし、能を演じてくださった方々、あの救急車のサイレンやら駐車場のベルの鳴り響く悪環境の中で本当に有り難うございました。
 ライトアップの写真はホームページの「東京散歩」のコーナーに後ほど掲載します。