奉公先で、4月2日に行なわれる入社式のお知らせが回ってきました。バブル社員の身には想像つかない厳しい就職戦線を乗り越えた20数名が、夢と希望を抱いて奉公先の一員となるわけですが、この先夢と現実のギャップや自分を取り巻く環境に幾度も悩むことでしょう。私も幾度そんな理由で「辞めよう」と思ったことか・・。1枚の案内文を見てちょっと振り返ってしまいました。
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数日空きましたが「旧足尾町歩き」の再開です。銅山全盛時の赤倉地区から更に渡良瀬川に沿って北上します。5分程歩いた右手に「龍蔵寺(りゅうぞうじ)」というお寺が建っています。
龍蔵寺の歴史は銅山開発よりはるかに古い710(大宝元)年とされ、後に慈覚大師が再興したと伝えられています。その後日光との縁が深まり、現在は輪王寺の末寺となっています。

(龍蔵寺本堂 -旧足尾町愛宕下 2012/02/26-)
この龍蔵寺には、足尾銅山の坑夫や廃村となった渡良瀬川上流の旧松木村や旧久蔵村、旧仁田元村の無縁仏が祀られています。境内には墓石らしき物が山のように積まれていましたが、それがそうなのでしょうか?はっきりしませんが、探し求めて墓所をうろつくのも変なので、本堂に一礼して辞去することにしました。
山のように積まれた墓石の脇には比較的新しい句碑が建っていました。詠み人は分かりませんでしたが、いい句だなぁと思ったのでここでお披露目します。
「燕来る 鉱山より古き寺一宇」

(龍蔵寺境内から見た精錬所大煙突 -旧足尾町本山 2012/02/26-)

2011/03/13の一品・・・お休みでした
2010/03/13の一品・・・671)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 玉泉寺)
2009/03/13の一品・・・お休みでした
2008/03/13の一品・・・206)栃木散歩 二宮町(桜町陣屋跡)

数日空きましたが「旧足尾町歩き」の再開です。銅山全盛時の赤倉地区から更に渡良瀬川に沿って北上します。5分程歩いた右手に「龍蔵寺(りゅうぞうじ)」というお寺が建っています。
龍蔵寺の歴史は銅山開発よりはるかに古い710(大宝元)年とされ、後に慈覚大師が再興したと伝えられています。その後日光との縁が深まり、現在は輪王寺の末寺となっています。

(龍蔵寺本堂 -旧足尾町愛宕下 2012/02/26-)
この龍蔵寺には、足尾銅山の坑夫や廃村となった渡良瀬川上流の旧松木村や旧久蔵村、旧仁田元村の無縁仏が祀られています。境内には墓石らしき物が山のように積まれていましたが、それがそうなのでしょうか?はっきりしませんが、探し求めて墓所をうろつくのも変なので、本堂に一礼して辞去することにしました。
山のように積まれた墓石の脇には比較的新しい句碑が建っていました。詠み人は分かりませんでしたが、いい句だなぁと思ったのでここでお披露目します。
「燕来る 鉱山より古き寺一宇」

(龍蔵寺境内から見た精錬所大煙突 -旧足尾町本山 2012/02/26-)

2011/03/13の一品・・・お休みでした
2010/03/13の一品・・・671)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 玉泉寺)
2009/03/13の一品・・・お休みでした
2008/03/13の一品・・・206)栃木散歩 二宮町(桜町陣屋跡)
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