久しぶりに証明写真機を利用したのですが、最近はサイズだけでなく「美肌モード」「美男子モード」といったメニューもあるのですね。そんなメニューは必要なかったのでノーマルで撮影したのですが、出てきた証明写真のシートには「この写真は一切加工していません」という証明書が付いていました。
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私的成田街道の続きです。麻賀多神社を過ぎると、県道138号線は下り坂となり、その坂の途中で左手に供養塔がありました。一番大きいのは出羽三山の供養塔で1830(文政13)年建立と刻まれていました。その左の石柱には「馬頭観世音菩薩」とあり、こちらも文政年間の建立でした。
観光ナビの木柱がもたれかかる姿は、ちょっと残念です。
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(一番左は詳細わからず・・-酒々井町酒々井 2020/01/05-)
このあたりは下がり松と呼ばれ、酒々井宿の端にあたり、印旛沼に向かって視界が開けます。1830(天保元)年に村人が茶屋を開いて以降は、成田山への参拝客で賑わい、景勝地として江戸時代から明治にかけて多くの浮世絵や紀行文等に描かれたそうです。
説明板には1864(元治元)年に歌川広重に描かれた「下総印旛ぬま」が添えられていましたので、現在の風景と並べてみました。当時の旅人はこの風景を見ながらひと息ついたのでしょうかね?バイクや車で幾度も通っていた道ですが、ここから筑波山まで見えるとは初めて知りました。
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(150年の比較 -同上-)
更に下ると、宗吾霊堂入口交差点に至ります。旧成田街道はこの交差点を直進しますが、私的成田街道は左折し宗吾霊堂を経由して成田へ向かうことにしました。左折すると歩道が狭くなり、すれ違う車との間隔が狭くなり少々緊張します。この区間を歩く人は珍しいでしょうからドライバーも「おっ!」と思うかもしれません。
下り続けた道は登り坂となり、京成電鉄を跨ぎます。橋のすぐ北側は京成酒々井駅です。以前は構内踏切を持つ小さな駅でしたが、今は橋上駅舎となっています。最近かと思ったら、もう四半世紀経つのですね。
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(霊堂入口交差点と京成酒々井駅 -同上-)
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私的成田街道の続きです。麻賀多神社を過ぎると、県道138号線は下り坂となり、その坂の途中で左手に供養塔がありました。一番大きいのは出羽三山の供養塔で1830(文政13)年建立と刻まれていました。その左の石柱には「馬頭観世音菩薩」とあり、こちらも文政年間の建立でした。
観光ナビの木柱がもたれかかる姿は、ちょっと残念です。
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(一番左は詳細わからず・・-酒々井町酒々井 2020/01/05-)
このあたりは下がり松と呼ばれ、酒々井宿の端にあたり、印旛沼に向かって視界が開けます。1830(天保元)年に村人が茶屋を開いて以降は、成田山への参拝客で賑わい、景勝地として江戸時代から明治にかけて多くの浮世絵や紀行文等に描かれたそうです。
説明板には1864(元治元)年に歌川広重に描かれた「下総印旛ぬま」が添えられていましたので、現在の風景と並べてみました。当時の旅人はこの風景を見ながらひと息ついたのでしょうかね?バイクや車で幾度も通っていた道ですが、ここから筑波山まで見えるとは初めて知りました。
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(150年の比較 -同上-)
更に下ると、宗吾霊堂入口交差点に至ります。旧成田街道はこの交差点を直進しますが、私的成田街道は左折し宗吾霊堂を経由して成田へ向かうことにしました。左折すると歩道が狭くなり、すれ違う車との間隔が狭くなり少々緊張します。この区間を歩く人は珍しいでしょうからドライバーも「おっ!」と思うかもしれません。
下り続けた道は登り坂となり、京成電鉄を跨ぎます。橋のすぐ北側は京成酒々井駅です。以前は構内踏切を持つ小さな駅でしたが、今は橋上駅舎となっています。最近かと思ったら、もう四半世紀経つのですね。
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(霊堂入口交差点と京成酒々井駅 -同上-)
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