大相撲が再び世間を賑わせており、遂に春場所中止という事態に至りましたが、一連の報道を見てプロ野球「黒い霧事件」の頃の4コマ漫画を思い出しました。オチは「相撲は大丈夫か?」というものでしたが、数十年を経てかような次第となり、著者はさぞかし嘆いていることでしょう。
第56回 前九年合戦 第1幕(盛岡市 前九年地区)
前回、国見山廃寺跡をご覧いただいた際に、9世紀半ばから11世紀半ばまでの約200年間、大きな出来事があまり無いと申しましたが、この間にそれ以前から勢力のあった首長達が没落し、鎮守府胆沢城の権威を背景にした新興首長が現われてきました。その代表が「安倍氏」であり、この安倍氏と朝廷の戦いが1051(永承6)年から1062(康平5)年まで続いた「前九年合戦」です。この後に続く「後三年合戦」も含めて「奥州12年合戦」とも言うそうです。
故宮脇俊三氏に言わせれば、前九年合戦は「その発端にいたる経緯は複雑怪奇、解釈もさまざま(平安鎌倉史紀行)」だそうです。私も「前九年の役」と「後三年の役」という名前は知っていても、そのあらましは南部藩士となって「炎立つ(高橋克彦著)」を読むまで全然分かっていませんでした。同書の全てが史実という訳ではありませんが、教科書丸暗記の弊害ですね。
前九年合戦の舞台は県南から盛岡市までの岩手内陸一帯ですが、最後の激戦地となった盛岡市には「前九年」という地名があり、バス停や道路標識にその地名を見ることができます。

ところで私が学校で学んだ時は「前九年の役」でしたが、故宮脇氏は「役ではなく乱と名づけるべきなのである(同書)。」と述べています。氏に言わせれば「役」は外国との戦いではないかと。そういえば「西南の役」も「西南戦争」と言うようになっていますね。
前九年地区はこの辺りです。
2010年02月07日の一品・・・637)私的岩手通史の旅 縄文時代2
2009年02月07日の一品・・・447)栃木散歩 宇都宮市(雪の県都)
2008年02月07日の一品・・・172)栃木散歩 小山市(小山評定)
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第56回 前九年合戦 第1幕(盛岡市 前九年地区)
前回、国見山廃寺跡をご覧いただいた際に、9世紀半ばから11世紀半ばまでの約200年間、大きな出来事があまり無いと申しましたが、この間にそれ以前から勢力のあった首長達が没落し、鎮守府胆沢城の権威を背景にした新興首長が現われてきました。その代表が「安倍氏」であり、この安倍氏と朝廷の戦いが1051(永承6)年から1062(康平5)年まで続いた「前九年合戦」です。この後に続く「後三年合戦」も含めて「奥州12年合戦」とも言うそうです。
故宮脇俊三氏に言わせれば、前九年合戦は「その発端にいたる経緯は複雑怪奇、解釈もさまざま(平安鎌倉史紀行)」だそうです。私も「前九年の役」と「後三年の役」という名前は知っていても、そのあらましは南部藩士となって「炎立つ(高橋克彦著)」を読むまで全然分かっていませんでした。同書の全てが史実という訳ではありませんが、教科書丸暗記の弊害ですね。
前九年合戦の舞台は県南から盛岡市までの岩手内陸一帯ですが、最後の激戦地となった盛岡市には「前九年」という地名があり、バス停や道路標識にその地名を見ることができます。

ところで私が学校で学んだ時は「前九年の役」でしたが、故宮脇氏は「役ではなく乱と名づけるべきなのである(同書)。」と述べています。氏に言わせれば「役」は外国との戦いではないかと。そういえば「西南の役」も「西南戦争」と言うようになっていますね。
前九年地区はこの辺りです。
2010年02月07日の一品・・・637)私的岩手通史の旅 縄文時代2
2009年02月07日の一品・・・447)栃木散歩 宇都宮市(雪の県都)
2008年02月07日の一品・・・172)栃木散歩 小山市(小山評定)

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