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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1573)私的岩手通史の旅 第155回(南北朝時代の岩手 第1幕)

2013年02月10日 | 私的岩手通史の旅
 遂に、千葉県でもスギ・ヒノキの花粉飛散が観測されました。昨年12月23日にも触れましたが、その時の予報どおり早目の飛散となっています。引き出しの奥に眠っていた花粉対策グッズを取り出し、空気清浄機もスタンバイしました。それでも昨年と違う環境下での花粉症との格闘(毎年一方的敗北ですが)は辛い日々になりそうです。



第155回 南北朝時代の岩手 第1幕(紫波町 高水寺城跡)

 私的岩手通史の旅は岩手県に戻ります。1333(元弘3)年、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は天皇親政を目指しましたが武家政治を望む御家人と対立、2年後の1335(建武2)年、御家人だった足利尊氏は御醍醐天皇に反旗をひるがえし、諸国の御家人との主従関係を築き勢力を拡大しました。いわゆる南北朝時代の始まりです。

 同年8月、足利尊氏は南朝側(後醍醐天皇側)であった北畠顕家(きたばたけあきいえ)や八戸南部氏をけん制するため、斯波家長(しわいえなが)を奥州管領に任じました。奥州管領とは室町時代の陸奥国を治めた役職名です。斯波家長は鎌倉時代後期の御家人である足利家氏(いえうじ)の四代後にあたります。家長の代となってから斯波氏を名乗ったとされています。

 前振りが長くなりましたが、斯波家長が居としたのが本日ご覧いただく「高水寺城(こうすいじじょう)」です。


(高水寺城のあった小山 -紫波町二日町 2009/01/09-)

 高水寺城跡は国道4号線が紫波町を南北に走る東側の小高い山頂にあり、東西60メートル、南北120メートルの広さを有しています。春は桜の名所として賑わうそうですが、私が訪れたのはご覧のとおり真冬でしたので、誰一人いませんでした。


(高水城御殿跡 -同上-)

 南北朝時代というのは足利尊氏側の北朝と後醍醐天皇側の南朝との争いで、日本史年表を見れば京都や九州での戦いばかり記されていますが、東北でも北朝側の家長が奥州探題として、南朝側の北畠顕家(5回前に登場)が陸奥守兼鎮守府将軍としてそれぞれおり、南北朝の代理戦の様相を呈していました。

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2011/02/10の一品・・・875)私的岩手通史の旅 第59回
2010/02/10の一品・・・640)白河だるま市2010 前夜祭
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