朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

愛する大きさに現れるのだそうです。赦された大きさが。

2013-07-24 23:28:00 | 聖書から
神よ、

私を憐れんで下さい、

御慈しみをもって。



深い

御憐れみをもって、

背きの罪を

ぬぐって下さい。

詩篇51:3
 





イエスの言葉:

この人が

多くの罪を赦されたことは、



わたしに示した

愛の大きさで

分かる。





赦されることの少ない者は、

愛することも

少ない。

ルカ7:47




(ローズンゲン日々の聖句7/25;木)






罪を

拭い去って下さるのですね。

あの方は。




正義を

押し通すのではなく、



憐れみを

両立させて下さったのですね。



御子である方を

人間として

人の世に生まれさせ、



この方を

処刑することで、



私たちを

処刑済みと

みなして下さったのだそうです。




けれども、

私たち、

自分の赦していただくしかない

「背き」、「的はずれ」の認識は

人、それぞれなのでしょうね。



少し、

赦してもらえば大丈夫だと

思っている人。





丸ごと、

全部、

赦していただかなければ

立ちようのない者だと

分かっている人。




赦してもらっていると思う

大きさが、



赦してもらった

感謝の大きさの違いになって

現れるのだそうです。





イエス様を

食事には招いたが、



サンダル履きでほこりまみれになった

足を洗う水までは

出さず、



頭に油を塗ることも

しなかった人と、



泣きながら、

イエスのうしろで

御足のそばに立ち、



涙で

イエスの足を濡らし、



髪の毛で

ぬぐい、



御足に

口づけして、

足に

香油を塗った

「罪深い女」と言われていた

女性と。




多く

赦されている者は、



多く

愛する者と

なるのだそうですね。



今日も。




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