初めからのことを思い出すな。
昔のことを思いめぐらすな。
見よ、新しいことをわたしは行う。
今やそれは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。イザヤ書43:18~19
ヨハネは弟子たちを送って尋ねさせた。
「来たるべき方は、あなたでしょうか。」
イエスはお答えになった。
「行って見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」マタイ11:2~5
(ローズンゲン日々の聖句10/13;月)
昔のこと、以前のことを思い出さなくていいとおっしゃるのですね。父と呼ばれている方が。
私たちは悔んだり、後悔したり、嘆いたり、自分を責めてみたりするのですが。
今までのことの延長線上のことではなく、全く新しいことを父と呼ばれている方はして下さっているというのですね。
その預言されていた新しいことが起こり始めたとき、イエスを「罪を取り除く神の小羊」と世に紹介しバブテスマのヨハネは、捕えられていた牢獄から弟子を遣わして尋ねさせたのだそうです。
「あなたではなく、ほかのだれかを待つべきでしょうか」と。
イエスの答えは単純でした。
「行って、見聞きしていることを報告しなさい。目の見えない者が見るようになり、
足のなえた人が歩きだし、ライに冒されている人がいやされ、
耳の聞こえない人が聞こえるようになり、死人を生き返らせてもらえ、
貧しい人たちに喜びのニュースが伝えられている。」と。
このようなしるしと奇跡によって神から遣わされた方と示された方が、自ら捕えられ、何の抗弁もしないで十字架に架けられるままになって下さったのですね。天の万軍の見守る中、私たちに代わって、私たちが受けるはずの死刑を受け切って下さったのだそうです。
ローマ兵により、わき腹から槍で突き刺され、死んだことを確認されたイエスは、過越しの祭りの安息日が始まろうとしていたので、議員、アリマタヤ出身のヨセフが自分のために掘っておいた墓に、急いで葬られたのだそうです。が、3日目、日曜日の早朝、死者の中から復活され、私たちも復活する初穂となって下さったのですね。
イエスは、40日にわたって、何度も弟子たちに現れ、ある時には500人以上の人に現れて、ご自分が復活したことを実証されたうえで、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で天に帰って行かれたのだそうです。
そして、天に帰られたイエスが、約束のとおりに、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を私たちに派遣され、この方によって父である方の御思いが私たちの心に来るようにして下さったのですね。
今、私たちは、生まれた時からの私を改善、改良していく道ではなく、全く新しい生き方、聖である霊と呼ばれる方によって、父と呼ばれている方と思いを一つにし、心を一つにし、父と呼ばれている方がしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです。
その新しいこと、私たちにも起こるのですね。今日も。
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