朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

草は枯れ、花はしぼむ。神の言葉は永遠に立つ。

2015-04-01 23:17:06 | 聖書から
慰めよ、
わたしの民を慰めよと、

あなたたちの神は言われる。イザヤ書40:1





もう用意ができましたから、

 おいでください。ルカ14:17





            (ローズンゲン日々の聖句4/2;木)






 「慰めよ。慰めよ。」と天の神、主は言われるのですね。
「その労苦は終わり、その咎は償われ、
すべての罪に引き替え二倍のものを受けた」と。




 永遠の昔から、天地が造られる前から、
父と呼ばれている方と共におられる御子と呼ばれている方が
人となり、人の世に来られて、
自ら進んで十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。
全人類の罪の罰を一身に背負って。




 この方が十字架の上で、
「すべてが終わった。完了した。」と宣言されたとき、
私たち、人間の罪に対して、御子である方の命という代価を支払われ、
充分な償いが完了したのだそうです。




 それで、招かれる何の資格もない私たちにも、
「もう用意ができましたから、さあ、おいでください。」と、
天の祝宴に招きの声をかけていただいているのだそうです。

 必要な手続きは、全部、天の神、主の側で済ませて下さっているので、

このまま出て行けばいいようになっているのだそうです。






 また、逆のこともあるのだそうですね。
御子イエスの死によって用意は全部出来ているので、
私たちの側で、聖である霊と呼ばれるもう一人の助け主に、
「さあ、おいでください。私の内に。」と声をかけていいのだそうです。




 「来て、私の内に働いて、背くばかりの私の心を一新して、
父である方が私について思っていらっしゃることを
私の心の思いに書き付け、願わせて、
私があなたがたと一つ心になるようにして下さい。」と(エゼキエル36:26~27、ヨハネ17:21)。
今日も。










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救いも栄光も力も神から来るのですね。私たちからでるのではなくて。

2015-04-01 00:28:43 | 聖書から
我らの神、主をあがめよ。
その足台に向かってひれ伏せ。
主は聖なる方。詩編99:5

ハレルヤ。
救いと栄光と力とは、私たちの神のもの。黙示録19:1

        (ローズンゲン日々の聖句4/1;水)


 天で大群衆がこのように神に賛美を献げているのだそうです(黙示録19:1)。
その中にはモーセとアロンも、預言者サムエルもいるのだそうですね(詩編99:6)。
彼らは主を呼び、主は彼らに答えられたのだそうです。赦しをもって。

 イエスによる贖いが完成している今は、
聖である霊と呼ばれる方が主のさとしとおきてとを私たちの心の思いに書き付け、
私たちの願いとして下さるので、
私たちもこの聖である霊と呼ばれる方の導きについていく者としていただき(ガラテヤ5:25)、
この天の大群衆の賛美の中に加えていただけるのだそうです。
 救いも栄光も力も、私たちから出てものによるのではなく、
イエスによって派遣された聖である霊と呼ばれる方によるのですから。
 その時を望みながら、詩と賛美と霊の歌とをもって互いに語り合い、
主に向かって心から歌い、賛美しながら、御霊に満たされていくのですね。
今日も。
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