お前たちは立ち帰って、生きよ。エゼキエル書18:32
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、
真理に基づいた
正しく清い生活を送るようにしなければなりません。エフェソ書4:24
ヘブル書10:32~39
イザヤ書8:16~23(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句12/4;火)
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は言われます。
「それゆえ、イスラエルの家よ。
わたしはあなたがたをそれぞれの態度に従ってさばく。
――神である主の御告げ――
立ち帰って、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。
不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。
こうして、新しい心と新しい霊を得よ。
イスラエルの家よ。
なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。
――神である主の御告げ――
だから、立ち帰って、生きよ。」(エゼキエル18:30~32)、と。
それで、〔父である神〕は、
自分の力では立ち帰ることも、
そむきの罪、自分の「的外れ」を放り出すこともできない私たちのために、
〔御子である神〕を人間イエスとして、私たち人間の歴史の中に派遣し、
この方がおよそ33歳の頃、
この方を、神に背いた者、神に呪われた者として、
十字架刑で処刑してくださったのだそうです。
そして、私たちをイエスに合わせられた者、
イエスと一つになったものと見なし、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
そのうえで、
死んで葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださって、
受け入れる者が、
今までの自分を死んだものとして放り出し、
この、新しく来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるようにしてくださるのだそうです。
人を欺く情欲によって滅びていく古い人を、
すでに死んでいるものとして脱ぎ捨て、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
心の霊において新しくされ、
真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、
新しい人を着た者に。
そして、天に帰られたイエスが、
二度目に来られて、
私たちのからだも、一瞬にして、霊のからだ、復活のからだに変えられ、
天に引き上げられ、
いつまでもイエスとともにいるようになる(Ⅰコリント15:51~53、Ⅰテサロニケ4:16~17)、
その希望によって生きる者に。
「もうしばらくすれば、来られるべき方が来られる。
おそくなることはない」(ヘブル10:37)のだそうですから。
私たちは、恐れ退くのでもなく、
他の教えに通り過ぎるのでもなく、
ここにとどまり、この方に望みをかける(イザヤ8:17)のですね。
「わたしの義人は信仰(真実)によって生きる」(ハバクク2:4、ヘブル10:38)のですから。
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)
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神にかたどって造られた新しい人を身に着け、
真理に基づいた
正しく清い生活を送るようにしなければなりません。エフェソ書4:24
ヘブル書10:32~39
イザヤ書8:16~23(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句12/4;火)
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は言われます。
「それゆえ、イスラエルの家よ。
わたしはあなたがたをそれぞれの態度に従ってさばく。
――神である主の御告げ――
立ち帰って、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。
不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。
こうして、新しい心と新しい霊を得よ。
イスラエルの家よ。
なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。
――神である主の御告げ――
だから、立ち帰って、生きよ。」(エゼキエル18:30~32)、と。
それで、〔父である神〕は、
自分の力では立ち帰ることも、
そむきの罪、自分の「的外れ」を放り出すこともできない私たちのために、
〔御子である神〕を人間イエスとして、私たち人間の歴史の中に派遣し、
この方がおよそ33歳の頃、
この方を、神に背いた者、神に呪われた者として、
十字架刑で処刑してくださったのだそうです。
そして、私たちをイエスに合わせられた者、
イエスと一つになったものと見なし、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
そのうえで、
死んで葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださって、
受け入れる者が、
今までの自分を死んだものとして放り出し、
この、新しく来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるようにしてくださるのだそうです。
人を欺く情欲によって滅びていく古い人を、
すでに死んでいるものとして脱ぎ捨て、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
心の霊において新しくされ、
真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、
新しい人を着た者に。
そして、天に帰られたイエスが、
二度目に来られて、
私たちのからだも、一瞬にして、霊のからだ、復活のからだに変えられ、
天に引き上げられ、
いつまでもイエスとともにいるようになる(Ⅰコリント15:51~53、Ⅰテサロニケ4:16~17)、
その希望によって生きる者に。
「もうしばらくすれば、来られるべき方が来られる。
おそくなることはない」(ヘブル10:37)のだそうですから。
私たちは、恐れ退くのでもなく、
他の教えに通り過ぎるのでもなく、
ここにとどまり、この方に望みをかける(イザヤ8:17)のですね。
「わたしの義人は信仰(真実)によって生きる」(ハバクク2:4、ヘブル10:38)のですから。
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって。
今日も。
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