いと高き方よ、
私は喜び、誇り、
御名をほめ歌おう。詩9:3
マリアは言った。
「私の魂は主をあがめ、
私の霊は救い主である神を
喜びたたえます。」ルカ1:46~47
イザヤ書42:5~9
イザヤ書32:1~8(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句12/20;木)
ダビデ王が「あなた」と呼んだ天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、
いと高き方なのですね。
私たちも、この方に「あなた」と呼びかけ、
この方を喜び、誇り、御名をほめたたえます。
まだ男を知らない身でありながら、
天使長の一人、ガブリエルから、
「御覧なさい。
〔聖である霊〕と呼ばれる方があなたの上に臨み、
いと高き方の力があなたを覆います。
あなたはみごもって男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、
いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼に
その父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、
その国は終わることがありません」
と告げられたマリヤ。
急いで、山地にあるユダの町の
親戚のエリサベツを訪ねたのだそうです。
そして、夫ザカリヤも、エリサベツ自身も老齢で、
子を産めなかったにもかかわらず、
神によってバプテスマのヨハネを身ごもり、
すでに6か月を過ぎているエリサベツと、
お互いの身に起こった
天の神、主の御業を確認し合ったのですね。
そしてマリヤは言いました。
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」(新改訳)、と。
天の神、主は、
「女の子孫」(創世記3:15)として
この、処女であるマリヤから生まれる男の子について
預言して言われています。
「天を造り出し、
これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
その上を歩む者に霊を授けた
神なる主はこう仰せられる。
『わたし、主は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、
国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主(「『わたしはある』という者」)、
これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、
すでに(預言したとおりに)起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたに聞かせよう』(イザヤ 42:5~9新改訳)。
また言われます。
「見よ。
ひとりの王が正義によって治め、
首長たちは公義によってつかさどる。
彼らはみな、風を避ける避け所、
あらしを避ける隠れ場のようになり、
砂漠にある水の流れ、
かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。
見る者は目を堅く閉ざさず、
聞く者は耳を傾ける。
気短な者の心も知識を悟り、
もつれ、どもる舌もはっきりと早口で語ることができる。
もはや、しれ者、愚かな者が高貴な人と呼ばれることがなく、
ならず者が上流の人、貴い人と言われることもない。
高貴な人は高貴なことを計画し、
高貴なことを、いつもするようになる」(イザヤ32:1~8)、と。
多くの預言のことばは、
そのことばのとおりに実現しました。
しかし、まだ、これからのこと、
イエスが三度目に来られる時のことも言われています。
そして、今は、
〔父である神〕は、
私たち一人一人を通して
御思いを実行しようとしておられるようです。
イエスを通して来られる
〔聖である霊〕と呼ばれる方により、
一人一人を通してしようと思われる御思いを、
一人一人の心に置き、書きしるして。
私たち、その御思いについて行って、
マリヤのように、その実現を見、
神を喜び、
御名をほめたたえながら歩ませていただけるのですね。
イエスが二度目に来られるその日まで。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
私は喜び、誇り、
御名をほめ歌おう。詩9:3
マリアは言った。
「私の魂は主をあがめ、
私の霊は救い主である神を
喜びたたえます。」ルカ1:46~47
イザヤ書42:5~9
イザヤ書32:1~8(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句12/20;木)
ダビデ王が「あなた」と呼んだ天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、
いと高き方なのですね。
私たちも、この方に「あなた」と呼びかけ、
この方を喜び、誇り、御名をほめたたえます。
まだ男を知らない身でありながら、
天使長の一人、ガブリエルから、
「御覧なさい。
〔聖である霊〕と呼ばれる方があなたの上に臨み、
いと高き方の力があなたを覆います。
あなたはみごもって男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、
いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼に
その父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、
その国は終わることがありません」
と告げられたマリヤ。
急いで、山地にあるユダの町の
親戚のエリサベツを訪ねたのだそうです。
そして、夫ザカリヤも、エリサベツ自身も老齢で、
子を産めなかったにもかかわらず、
神によってバプテスマのヨハネを身ごもり、
すでに6か月を過ぎているエリサベツと、
お互いの身に起こった
天の神、主の御業を確認し合ったのですね。
そしてマリヤは言いました。
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」(新改訳)、と。
天の神、主は、
「女の子孫」(創世記3:15)として
この、処女であるマリヤから生まれる男の子について
預言して言われています。
「天を造り出し、
これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
その上を歩む者に霊を授けた
神なる主はこう仰せられる。
『わたし、主は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、
国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主(「『わたしはある』という者」)、
これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、
すでに(預言したとおりに)起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたに聞かせよう』(イザヤ 42:5~9新改訳)。
また言われます。
「見よ。
ひとりの王が正義によって治め、
首長たちは公義によってつかさどる。
彼らはみな、風を避ける避け所、
あらしを避ける隠れ場のようになり、
砂漠にある水の流れ、
かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。
見る者は目を堅く閉ざさず、
聞く者は耳を傾ける。
気短な者の心も知識を悟り、
もつれ、どもる舌もはっきりと早口で語ることができる。
もはや、しれ者、愚かな者が高貴な人と呼ばれることがなく、
ならず者が上流の人、貴い人と言われることもない。
高貴な人は高貴なことを計画し、
高貴なことを、いつもするようになる」(イザヤ32:1~8)、と。
多くの預言のことばは、
そのことばのとおりに実現しました。
しかし、まだ、これからのこと、
イエスが三度目に来られる時のことも言われています。
そして、今は、
〔父である神〕は、
私たち一人一人を通して
御思いを実行しようとしておられるようです。
イエスを通して来られる
〔聖である霊〕と呼ばれる方により、
一人一人を通してしようと思われる御思いを、
一人一人の心に置き、書きしるして。
私たち、その御思いについて行って、
マリヤのように、その実現を見、
神を喜び、
御名をほめたたえながら歩ませていただけるのですね。
イエスが二度目に来られるその日まで。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)