与一から出て来た生き物の記録

奇妙な生き物。早朝の自宅ガレージ奥の「与一」の中から、様々な働きをする者たちが生まれています。その有様と効能の記録です。

そらの物語 「要の偈」・2 「9話~16話」

2010-10-19 03:02:47 | そらの物語 「要の偈」


Beginning.  there  mey  have  been  love  .  but  and  overcom  the  difference  "sound  of  life"  and  is  the  "language  of  soul"  and  the  "story  of  joy"


 


そらの物語


Version  Of  Abstracton


要の偈 



「美しいかがみ」


9話 「大調査」


10話 「なっちゃん」


11話 「Hiたかおデビュー・1」


12話 「Hiたかおデビュー・2」


13話 「京阪電車」


14話 「6号効果」


15話「春の夜長」


16話「清滝とうげ」


 



私たちの仲間の一人 「おがた」


彼は「与一」発足直後の 


私たち生き物の生成システムが まだ不完全な時に


「不具合」のかたまりとして誕生した 大型で静かな生き物だ


そんな彼の大きな「尻」から 恐ろしいファイルが出てきたのである


「月の者」が生まれた” という事実が記されたファイル


ここから私たちの「大調査」は始まり その初日に「そら」と出会った


(第9話 「大調査」)



 


 「大調査」の進展は


 「和解マン」が起こしてくる 不可解な出来事によって進み


「そら」と「斎元」の恋の進展によって 確信に迫っていく


これは”連動”しているとしか思えないのである


私たちは”意味”を探し、見つけ出す「生き物」であると言っても良い


その為 「そら」の思いつきまかせの適当発言の一つ一つにも


”連動”の可能性を感じるのだ


私たちは 私たちの極悪な形状により 


人々を驚かす事のないように 「設定」をしている


「見えない設定」である


 それなのに出し抜けに「そら」には 「設定」を無視するように


私たちを目視し その「設定」自体をおかしくしてしまうのだ


「そら」の何が 「大調査」の何と”連動”しているのかはわからない


(第9話・第10話 「なっちゃん」)


 


オレハ /  電車ノキップノコトッテ / ナンヤ ワカレヘン


こう何度も言っていたのが 「わからん子のふり」だったのか?


と言う程に すんなり切符の購入に成功した「そら」


これは ローソン袋に入れられた「Hiたかお」のエスコートが


「そらの波長」と上手くかみ合ったからか 


もしくは「何度か経験があるのだけれども 覚えていない」からか


よくは わからない


ただ この時ローソン袋から出れないままの「Hiたかお」は


薄いローソン袋の向こうに感じる 「そら」の身体の熱さから


”電車に乗れた” という喜びと 静かな興奮を感じ


たまらなくうれしくなった


こうした小さな出来事の一つ一つが 


恐らく何かと”連動”しているのだろう


( 第11・12話 Hiたかおデビュー ・ 第13話 京阪電車 )



 


「そら」の”性”は 始まった


 14歳とは おおむね そんな年だ


「そら」の初体験は 「えびす」メンバーの「ネコ」だった


「そら」は 簡単に空気に流される事が多く 主体性が欠落しているのか


”流されるがまま”の事が多い


「酔いどれ」の「ネコ」にとって 「そら」のきれいな肢体は


中性的な愛らしさに満ち満ちて 触れてはならぬ”禁止”の欲望を誘発する


私たちはSEXに関して 人間の持つ 


様々な魅力的な”部位”を心得ている


その上で 多様なパターンで反応する 官能的な”部位”の中でも


「瞳」と「ことば」ほど セクシャルな”部位”はないと感じるのだ


「そら」の持つ 何ら曇る事のない 濡れて光る「瞳」は


「ネコ」の”禁止”の感覚を狂わせてしまう


何れにせよ この時の


「そら」と「ネコ」との”情事”において 「愛」は生まれなかった


しかし 「そら」が自然体でつくる ”ちぐはぐ”なエロチシズムは


男女間に発生するタイプの「愛」を飛び越えて


人間という「生き物」としての「愛情」を


発生させる効力を持つ


 この事を「えびす」メンバーの「1号」と「カイ」は


「6号効果」と呼んで 尊んだ


(14話 「6号効果」 ・ 15話 「春の夜長」 ・ 16話 「清滝とうげ」) 



それにしても「そら」の言動は ことごとくバランスに欠ける


それは 「いびつなのに良く映る鏡」といった具合に


ちぐはぐな喜怒哀楽が ちぐはぐさを増す毎に


対する人々の「優しい感情のみ」を 強く大きく映し出し


対する人々の「何かを大切にしたい」という 強い欲求のみを


 強く大きく映し出す


それは 「そら」ではない


「そら」に対する”人”であり


「そら」に対する全ての「者」の中に である


 



 


「そら」は


 そうした”肝心の意味”において


ただ 「いびつなのに良く映る鏡」だと 言ってしまっても良い


私たち「生き物」の全員が


 ”「そら」の守護”を 強く強く誓願するのは


まさに この為である


 



 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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