9月27日、鹿児島市の宝山ホールにおいて、歴史作家 桐野作人講演会「黒田官兵衛と島津氏」が開催され、往復はがき又はインターネットで応募した人で満員でした。
講演は13時30分から始まり、前半はパワーポイントを使って、黒田官兵衛が豊臣秀吉の軍師として、毛利氏などの軍をまとめて、九州で島津氏と対戦した、城や古戦場跡の写真等を使って解説されましたが、島津氏が黒田官兵衛の戦略に敗れた様子などが理解できました。
後半は参加した全員に前もって配布された講演会資料をもとに、第1次の戦い:秀吉の九州陣と第2の戦い:九州版関ヶ原について詳しく説明がありましたが、資料3頁の地図で、天正15年(1587)3月~の豊臣軍の進撃の様子や、「九州の関ヶ原」時の東軍と西軍の様子などを理解することができました。
また、知られざる黒田・島津両家の友好関係なども残された資料をもとに説明されましたが、資料11頁には、第25代「島津重豪」12男の「齊薄」(桃次郎)が黒田家の養子となり、黒田家の当主になって、名前を官兵衛と改めたことは、黒田家と島津家のつながりの深さを示すエピソートとして印象に残りました。
約2時間の講演の後に、質問の時間が約30分あり、秀吉の九州陣で島津氏が現在の領地を安堵されるまでの経緯など多くの質問出され、講師は丁寧にそれに答えていました。
講師の桐野作人氏は鹿児島県出水市出身で「関ヶ原 島津退き口」など多くの著作があり、鹿児島には6回も講演に来ておられるだけあって、講演内容は資料の解説を中心に進められたので、より詳しく内容を知ることができました。
講演中は撮影禁止のため、開演前の会場の様子と配布された資料をクキャンして添付しましたので、興味のある人は参考にしてください。
宝山ホールの掲示板
講演開始前の会場(講演中は撮影禁止)
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