オリンピック開催に黄色信号が灯った。
医療現場から悲鳴が上がったようだ。
現在、コロナ感染拡大により、医療現場は逼迫しきっているのは、報道でも多くの人達が知っている。
その逼迫の要因が「人手不足」のようだ。
「病床が確保できても、そこで働くスタッフが足りない」
とテレビでも、医療関係者が叫んでいる。
しかしながら、ここにきてオリンピック委員会から、看護師500人の確保要請が看護師会に送られたようだ。
これ、発表する事なのだろうか?
うがった見方をすれば、
「看護師が集まらないから、オリンピックを中止せざるを得ない」
という言い訳を、準備しているようで、気分を害したのは僕だけではないような気がする。
もちろん、医師会にもそれなりの要請が出されているだろう。
両団体とも、「ダメなものはダメ」「無理なものは無理」とハッキリ伝えて欲しい。
それによって、看護師会や医師会が悪者になる事は無いと思う。
逆に、出せる余裕があるなら、出して欲しい。
オリンピックが開催できるのであれば、やって欲しい。
アスリートの為ではない。
やれば、日本の力を内外に知らしめる事が出来るし、それよりもスポーツは見ていて楽しくなれる、元気になれる大きな力を持っていると考えられるからだ。
国民も、今は「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろ…」と思っている人が多いと思うが、始まってしまえば、無事に終わってしまえば、「やっぱり、やって良かったよね!」という思いが少なからず生まれてくるだろう。
一番嫌なのは、中止の決断をする為に、どこかに「悪者」を作ろうとするやり方だ。
責任の在り所を、違う場所に持って行こうとする態度が、そもそもスポーツの精神の基本である「正々堂々」とはかけ離れている…と言うより真逆に思う。
開催に関して、入場者の人数の決定は6月にするとの発表があった。
入場者数が決まっていないのに、医療現場の要請なんて出来るのだろうか?
観客の安全は勝手にしてくれという事なのだろうか?
無観客の場合、医療スタッフは全て、関係者の為に集められる人たちだが、観客を入れて開催するのなら、その観客分の医療スタッフも必要となるのは、誰が見ても明らかだ。
そうなった場合、更に追加の要請が出る事が考えられる。
全てにおいて「先送り」の状態で、要請だけはしてくる。
もし、医療関係以外の原因で、オリンピックが開催できなかった時、応えてくれた医師や看護師さんたちは「何のために自分を犠牲にしたのか…」という思いでいっぱいになるだろう。
不確定要素が多すぎる中での要請に応えられなかったとしても、それを誰が責める事ができるだろうか?
僕もオリンピックを楽しみにしている国民の一人だ。
出来る事なら、自分が産まれた年に開かれた、「昭和39年東京オリンピック」の再来を見てみたい。
しかしながら、このコロナ禍で限界を越えて頑張ってくれているだろう、医療現場の方々に、これ以上の負担をかけ、「過労死」などという最悪の結果が産まれてしまった時、責任は誰が取るのだろう?
要請したオリンピック委員会なのか?
それとも、応えた医師会や看護師会なのか?
ここでも責任のなすりあいが見えてしまう…
と言うより、もしもの時に失った命は、誰が責任を取っても戻ってこないのだ。
医師会も、看護師会、オリンピック委員会も、よく考えて答えを出して欲しい。
政治判断で、中止を決定した時、その判断をした政治家は、ここまで延々と結論を伸ばし、国内や世界を混乱させた責任を取らざるを得ないだろう。
それは、政治家生命を失いかねない事だと思う。
民意を天秤にかけて、「今」を計っているのかも知れない…
「法律」という縛りの中で、難しい判断になるとは思う。
しかしながら、その「法律」の中で、国民は生きているのだ。
総理大臣だろうが、知事だろうが、現行の法律には逆らえないのが、法治国家が法治国家である所以ではないのか?
国や地方自治体の「長(トップ)」になるという事は、大きな権力を手に入れると同時に、大きな責任を負うという事なのではないだろうか?
ナゼ、国(総理大臣)は「●月●日までに、全国で感染者が●●人を下回らなければ、オリンピックは開催できません」と発信しないのだろう?
ナゼ、都知事は「●月●日までに、東京都及オリンピック会場がある都道府県で、●●人以下の感染者数にならなければ、東京オリンピックは中止します」と発表しないのだろう?
7月には開会式が迫っているというのに、それに振り回されている市民も大勢いるというのに…
政局やご自身の進退ばかりを考えてないで、しっかりとしたリーダーシップを発揮して欲しい。
具体的な数字や案を出す段階に来ていると思うし、それによって国民が真剣に判断する時が来てると思うのは、僕だけなのだろうか…?
医療現場から悲鳴が上がったようだ。
現在、コロナ感染拡大により、医療現場は逼迫しきっているのは、報道でも多くの人達が知っている。
その逼迫の要因が「人手不足」のようだ。
「病床が確保できても、そこで働くスタッフが足りない」
とテレビでも、医療関係者が叫んでいる。
しかしながら、ここにきてオリンピック委員会から、看護師500人の確保要請が看護師会に送られたようだ。
これ、発表する事なのだろうか?
うがった見方をすれば、
「看護師が集まらないから、オリンピックを中止せざるを得ない」
という言い訳を、準備しているようで、気分を害したのは僕だけではないような気がする。
もちろん、医師会にもそれなりの要請が出されているだろう。
両団体とも、「ダメなものはダメ」「無理なものは無理」とハッキリ伝えて欲しい。
それによって、看護師会や医師会が悪者になる事は無いと思う。
逆に、出せる余裕があるなら、出して欲しい。
オリンピックが開催できるのであれば、やって欲しい。
アスリートの為ではない。
やれば、日本の力を内外に知らしめる事が出来るし、それよりもスポーツは見ていて楽しくなれる、元気になれる大きな力を持っていると考えられるからだ。
国民も、今は「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろ…」と思っている人が多いと思うが、始まってしまえば、無事に終わってしまえば、「やっぱり、やって良かったよね!」という思いが少なからず生まれてくるだろう。
一番嫌なのは、中止の決断をする為に、どこかに「悪者」を作ろうとするやり方だ。
責任の在り所を、違う場所に持って行こうとする態度が、そもそもスポーツの精神の基本である「正々堂々」とはかけ離れている…と言うより真逆に思う。
開催に関して、入場者の人数の決定は6月にするとの発表があった。
入場者数が決まっていないのに、医療現場の要請なんて出来るのだろうか?
観客の安全は勝手にしてくれという事なのだろうか?
無観客の場合、医療スタッフは全て、関係者の為に集められる人たちだが、観客を入れて開催するのなら、その観客分の医療スタッフも必要となるのは、誰が見ても明らかだ。
そうなった場合、更に追加の要請が出る事が考えられる。
全てにおいて「先送り」の状態で、要請だけはしてくる。
もし、医療関係以外の原因で、オリンピックが開催できなかった時、応えてくれた医師や看護師さんたちは「何のために自分を犠牲にしたのか…」という思いでいっぱいになるだろう。
不確定要素が多すぎる中での要請に応えられなかったとしても、それを誰が責める事ができるだろうか?
僕もオリンピックを楽しみにしている国民の一人だ。
出来る事なら、自分が産まれた年に開かれた、「昭和39年東京オリンピック」の再来を見てみたい。
しかしながら、このコロナ禍で限界を越えて頑張ってくれているだろう、医療現場の方々に、これ以上の負担をかけ、「過労死」などという最悪の結果が産まれてしまった時、責任は誰が取るのだろう?
要請したオリンピック委員会なのか?
それとも、応えた医師会や看護師会なのか?
ここでも責任のなすりあいが見えてしまう…
と言うより、もしもの時に失った命は、誰が責任を取っても戻ってこないのだ。
医師会も、看護師会、オリンピック委員会も、よく考えて答えを出して欲しい。
政治判断で、中止を決定した時、その判断をした政治家は、ここまで延々と結論を伸ばし、国内や世界を混乱させた責任を取らざるを得ないだろう。
それは、政治家生命を失いかねない事だと思う。
民意を天秤にかけて、「今」を計っているのかも知れない…
「法律」という縛りの中で、難しい判断になるとは思う。
しかしながら、その「法律」の中で、国民は生きているのだ。
総理大臣だろうが、知事だろうが、現行の法律には逆らえないのが、法治国家が法治国家である所以ではないのか?
国や地方自治体の「長(トップ)」になるという事は、大きな権力を手に入れると同時に、大きな責任を負うという事なのではないだろうか?
ナゼ、国(総理大臣)は「●月●日までに、全国で感染者が●●人を下回らなければ、オリンピックは開催できません」と発信しないのだろう?
ナゼ、都知事は「●月●日までに、東京都及オリンピック会場がある都道府県で、●●人以下の感染者数にならなければ、東京オリンピックは中止します」と発表しないのだろう?
7月には開会式が迫っているというのに、それに振り回されている市民も大勢いるというのに…
政局やご自身の進退ばかりを考えてないで、しっかりとしたリーダーシップを発揮して欲しい。
具体的な数字や案を出す段階に来ていると思うし、それによって国民が真剣に判断する時が来てると思うのは、僕だけなのだろうか…?