私の日記

フジファブリックとの美しき日々! 芸術とえんぴつと志村くん。あたりまえなことを言いたい!

志村くんの音楽がもっと聴きたい!!!

2021-06-19 14:46:00 | 日記

フジファブリックのファンです。
サラリーマンやっとります女子です。

志村くんの創る音楽を、
その先をもっともっと
聴きたいと毎日毎日思います!!!


本当に聴きたい!!!


だって全部、本当に良い音楽なんですもん!!!

もっとたくさんの人が彼の音楽、
フジファブリックの音楽を聴いてほしい。

そうすれば、みんな何か創り始めるのではないかと思う。
例えば、とても面白いドラマとか映画とか本とかあったとして、それが終わってしまったときの寂しさとか無力感を感じるとします。そうしたら、その先が見たくなってストーリーを描くようになるんではないかと思う。描くことでその寂しさがどうにかどこかに行くような気がする。

だから、彼の創った音楽を聴いて、その音楽にレスポンスするしかないと思って、私は今でも音楽を作る。彼のように上手くは到底作れないが、その音楽に彼の声を重ねて頭の中で再生する。

少し、心が救われる。

何かを創ることは楽しいです!

もっともっと、先が聴きたかったなぁ、と思います。
ここまでの気持ちにさせてもらえるのは、フジファブリックだけ。志村さんの音楽だけ。

創造したい気持ちを掻き立てられる。彼は本当にすごいです。

いつもいつも先頭を走っている!





金曜日

2021-06-19 02:57:00 | 日記

仕事終わり、職場の仲間と飲んだ。

会社での悩みを話す。
どうしても落ち込みそうになる。
根本はずっと、解決しない。
うつむきがちな頭。下を向いてしまう。

そんな中、何が救いかっていう話をした。
それは関わっている人からの何気ない言葉たち。

聞いてもらって気持ちが軽くなった
とか
安心した
とか
自分が関わることで言われる言葉が

とても救い。ありがとうございます という気持ちでいっぱいになる。

これまで仕事だと思っていた仕事ほど、実は仕事ではなく、何気なくやっていることが本当の仕事だったりするのだなと思った瞬間。


吉本ばななさんの「おとなになるってどんなこと?」にあった一節↓

なにをするために人は生まれてきたかというと、私は、それぞれが自分を極めるためだと思っています。
人がその人を極めると、なぜか必ず他の人の役に立つようになっています

と。

フジファブリックの志村くんも、
ミュージシャンであった傍ら、MCでの彼の言葉に勇気づけられたり、
日記に心洗われたり、もちろん音楽が多くの人を救っていると思うが、
本業の他にも実はとても大きな役割が隠れていたように思う。これは本当にすごいことだ。彼が担っていたのは単に音楽家としての役割だけでない。人を勇気づけたら前に進む強さをわけること だったかもしれない。

志村くんのこと考えながら思ったのは
私たち、サラリーマンだけれど
ミュージシャンと同じような感じな気がして嬉しい ということ。
ミュージシャンは作った音楽に対する反応。
サラリーマンは日々の業務とか、行動に対する反応。それら反応が他者から返ってくる。

根本は同じなのかな と。

やっぱり人は一人で生きてはいかれないから、他と関わる。その中で人に見えないところで他にとって役に立つ人になる。無理しなくても、ゆるりと生きているだけで、存在の意味を見出せたりする。

そういうことを、忘れずにいたい。

やっぱり私たち、誰かの記憶に残りたいから、がんばらずにはいられない。





赤黄色の金木犀

2021-06-19 02:28:00 | 日記


2009年10月4日
札幌PENNY LANE24での
赤黄色の金木犀 ライブ映像を見ている

生での演奏を聴いたことがないから、
こういうライブ映像が、本物の音をたどる頼りになる。

赤黄色の金木犀
本当に良い曲。もうそれだけ。
わびさび日本系。秋だなぁと
感じさせる趣がある。
どうしてこれを、ロックが表現できたのだろうか。
本当に、すごい。


一つの音が一本の線になって、
何層にも重なって 一つのメロディを紡いでいる。

心地よい。心地よい。


自分で作ったものは、
いつか心の支えになる

そんな音たち

裏切らないもの
残るもの

古ぼけてしまわないもの

そういうものを表している



希少性と資本社会、それから私

2021-06-17 22:31:00 | 日記


芸術家になりそこねた
サラリーマン女子です。

幼い頃から、どうにか人と違う人になりたくて、アーティスティックな人に憧れていた。今もそういう節がある。だからフジファブリックの志村くんを大尊敬しているわけで。
社会に出てサラリーマンになると、その個性はいらなくなる。少し抑えないといけなくなる。

そういう人生の中で今、昔を思い返すと、自分の生き方は希少性を求めて他者と違うということを売りにして自分に価値を生み出そうとしていたなと思う。幼少期からお買い物も大好きだった。資本社会にどっぷりと浸かった私なりの、生き残り方だったのかなと思う。果たして生き残れかたかは別として。いや生き残れなかったな。


他者との協業が求められる現状の業務でまたしてもその希少性は必要なく、他者と同じところに落ちつくということが最善解でもあるということを感じている。希少性は時に自分勝手である。他を振りまわし、自らもまた振り回される。だからこそ、必要な希少性を見極めつつ、希少な普遍性を求めたい。




やっと終わった木曜日

2021-06-17 22:13:00 | 日記

木曜日、やっと終わりましたね!
ということばが一番に出てきた。。🤣

もし志村くんだったら、
一日が過ぎるのは早い。体が二つあったらもっとすごいことできるのに!」
というようなことを日記に残すのだろうか。

とにもかくにも、あと一日で金曜日。またお休みがやってきます❣️たのしみだ。


志村氏がやっていたことは、本質は、
サラリーマンと変わらなかったのだなとふと思った。
むしろそれ以上のことだ。
彼のやってきた新しい挑戦は、
社内でする挑戦とそう変わらない。
とても勇気のあることを、彼はしたんだ。そういう奇跡を音楽から感じる本日の夜です。

私はまだまだだ。
仕事終わり、冒頭で想像した彼が言いそうなことを言えるようにがんばろうと思います。もっともっと、自分が日々することに夢中になりたい。


最近、一年前の我が身を振り返ると、頑張ってなかったなということが、本当にたくさん出てくる。他のことをがんばって、向き合うべき人や事柄から目を逸らして逃げていた。最近そのことで他者に迷惑をかけたなとやっと気がつき反省した。最低限、生きる中でのマナーがあるはずである。サラリーマンの掟。それを破った気がする。失った信頼を取り戻すのは難しい。


最近読んでいる本で「外部化」という言葉があることを知った。費用の外部化、内部化というような商学の文脈で使われる言葉でもあるようだが、その本の中ではミュンヘン大学の社会学者シュテファン•レーセニッヒという方が使った言葉として紹介されていた。意味は、何か良いものを生み出そうとした時に生じる代償を遠くに転嫁して、解決したように見せかけること。でも結局外部が問題をかかえる。まさにそれだなと思った。自分の問題の中核部分を外部に転嫁することで、自分の問題点、苦しさをどこかに投げ飛ばす。逃げることで、一時的に外部に負担がかかる。投げ飛ばしたものは結局いつかまた、自分の元へ戻ってくるのだけど。そういうことをしていた。逃げていた。結果自分に跳ね返ってきた。

そんな反省点もありつつ、業務をしながら今日考えたことは、走りながら進んでいくしかないなということ。嫌な自分も抱えて走るほかないということ。そして、他者とのコミュニケーション、アサーション、コーポレーション。。。アサーションにものび太、しずかちゃん、ジャイアンって種類がある。理想はしずかちゃんとされる。私はのび太かジャイアンのどちらか。極端なんです。他者に寄り添いつつ、自身の主張もちゃんとできるようになりたい。


社会人って

何が正解なのか。

わからない!

悩んでしまうが、
歩きながら楽しみながら進んでいこうと思う。

YOLO! =You Only Live Once.
(英語つかうの、たのしい!)
一度きりの人生ですよね!
過ちから見えた反省点をこれからちゃんと改善しながら、来年はそのことが過ちとならぬよう、精進していきます。



今宵の写真は志村くんの残したことばのなかで、好きな言葉の一つです!

がんばるぞーっ
おーっ!