このような記事を何回も書いたような気がする。
『何でもないこの瞬間が、一生記憶に残りますように…』
これの意味というのをイマイチ自分でもよく分かっていなかった。
まあ、『小さな感動を皆に伝えたい』というのが本音なんだけど。
というか、今回何故こんなこと書いたのか。
今日、ネットサーフィンをしていたらとあるブログにたどり着いた。
興味本意でそのブログを拝見した。
…
気づいたら、1時間経っていた。
そして、自然と涙が流れていた。
そのブログはボクの心に何かを訴えていた。
いや、ボクだけではない。
このブログに感銘を受けた人は沢山いるはずだ。
凄かった。
まるで一つの物語のようだった。
以下、内容を示す。
ブログの主は、2匹の動物を飼っていた。
しかし、ブログのメインは動物の話ではなく、本人の話だ。
ブログの始まりは、主の地獄からのスタートだった。
世間から逃げた主、ネトゲ廃人になり、家から出なくなった。
さらに、ネットから抜け出せなくなった主は、人格も分からなくなっており、それは自分の知らない『もう一人の自分』だった。
物語は、『そこから抜け出すために始めたブログ』からスタートする。
ブログは読んでいるだけで心が痛くなる内容ばかりだった。
よく見かけた言葉は『死』『苦』。
うつ病になり、何度も何度も『死のう』と考え、何度も何度も乗り越えてきた。
そんな中、飼っていた動物が1匹天国に旅立った。
主は自分が情緒不安定の状態の中、ペット達の世話を凄く頑張っていた。
それゆえに、苦しい中、残されたペットを一生懸命愛でた。
いつしか、主のブログから『死』『苦』の言葉が消えた。
残されたペットを一生懸命に愛でる記事が増え、何より記事には『楽』『嬉』『幸』という言葉が増えた。
しかし、残されたペットが病に倒れ、闘病生活をおくることに。
それでも主は、『生きて』と一生懸命世話をした。
しかし、そのペットは永眠した。最期は主の腕に抱かれながら天国へ昇っていった。
そのブログの中に『ペットを育てる。それだけ。それだけしかない。それだけが心のよりどころ。どうか一日でも長く生きて…』(脚色、略あり)
と書かれていた。
世間を遮断し、うつになり、ネットに逃げ、人格が狂い、自殺を考えた主が、『ペットを育てる』という一つのことに頑張り、命の貴さを知ったのだ。
このブログは、ペットが亡くなった記事で一度更新が止まっていた。
最後の記事に書かれていたことは、ここでは詳しく言えない。
言うなれば、『新たなスタート』
最後に書かれていた言葉は
『ペットと歩いてきたこのブログは今日で最後。主の病気は、愛するペットが持って行ってくれたと信じている。このブログを、愛するペットに捧げる』(脚色、略あり)
だった。
これは一つの物語だ。
ボクはそう思う。
他人との比較はあまり好きではないが、これを読んだあとで、自分のブログは一体何だwwと思った。
ブログって何だろう?
何の為にネット上にアップするんだろう?
答えはそれぞれだから、特にこれ!ってのはないのだろうが。
まあ、とあるブログに感銘を受けたという話にすぎない。
ただ、そのブログはとても素晴らしいものに間違いはない。
ちなみにそのブログには続きがあり、新たにブログを作り、そちらで毎日更新しています。
気になった人はどしどし聞きにきちゃって下さい。
『何でもないこの瞬間が、一生記憶に残りますように…』
これの意味というのをイマイチ自分でもよく分かっていなかった。
まあ、『小さな感動を皆に伝えたい』というのが本音なんだけど。
というか、今回何故こんなこと書いたのか。
今日、ネットサーフィンをしていたらとあるブログにたどり着いた。
興味本意でそのブログを拝見した。
…
気づいたら、1時間経っていた。
そして、自然と涙が流れていた。
そのブログはボクの心に何かを訴えていた。
いや、ボクだけではない。
このブログに感銘を受けた人は沢山いるはずだ。
凄かった。
まるで一つの物語のようだった。
以下、内容を示す。
ブログの主は、2匹の動物を飼っていた。
しかし、ブログのメインは動物の話ではなく、本人の話だ。
ブログの始まりは、主の地獄からのスタートだった。
世間から逃げた主、ネトゲ廃人になり、家から出なくなった。
さらに、ネットから抜け出せなくなった主は、人格も分からなくなっており、それは自分の知らない『もう一人の自分』だった。
物語は、『そこから抜け出すために始めたブログ』からスタートする。
ブログは読んでいるだけで心が痛くなる内容ばかりだった。
よく見かけた言葉は『死』『苦』。
うつ病になり、何度も何度も『死のう』と考え、何度も何度も乗り越えてきた。
そんな中、飼っていた動物が1匹天国に旅立った。
主は自分が情緒不安定の状態の中、ペット達の世話を凄く頑張っていた。
それゆえに、苦しい中、残されたペットを一生懸命愛でた。
いつしか、主のブログから『死』『苦』の言葉が消えた。
残されたペットを一生懸命に愛でる記事が増え、何より記事には『楽』『嬉』『幸』という言葉が増えた。
しかし、残されたペットが病に倒れ、闘病生活をおくることに。
それでも主は、『生きて』と一生懸命世話をした。
しかし、そのペットは永眠した。最期は主の腕に抱かれながら天国へ昇っていった。
そのブログの中に『ペットを育てる。それだけ。それだけしかない。それだけが心のよりどころ。どうか一日でも長く生きて…』(脚色、略あり)
と書かれていた。
世間を遮断し、うつになり、ネットに逃げ、人格が狂い、自殺を考えた主が、『ペットを育てる』という一つのことに頑張り、命の貴さを知ったのだ。
このブログは、ペットが亡くなった記事で一度更新が止まっていた。
最後の記事に書かれていたことは、ここでは詳しく言えない。
言うなれば、『新たなスタート』
最後に書かれていた言葉は
『ペットと歩いてきたこのブログは今日で最後。主の病気は、愛するペットが持って行ってくれたと信じている。このブログを、愛するペットに捧げる』(脚色、略あり)
だった。
これは一つの物語だ。
ボクはそう思う。
他人との比較はあまり好きではないが、これを読んだあとで、自分のブログは一体何だwwと思った。
ブログって何だろう?
何の為にネット上にアップするんだろう?
答えはそれぞれだから、特にこれ!ってのはないのだろうが。
まあ、とあるブログに感銘を受けたという話にすぎない。
ただ、そのブログはとても素晴らしいものに間違いはない。
ちなみにそのブログには続きがあり、新たにブログを作り、そちらで毎日更新しています。
気になった人はどしどし聞きにきちゃって下さい。