羽鳥音のテキトーな航海

艦これ他アニメイベントへの参加、登山、キャンプ等を趣味に持つ羽鳥音のテキトーなやつ。

ブログの意味∬

2011-01-06 22:07:09 | インポート
このような記事を何回も書いたような気がする。

『何でもないこの瞬間が、一生記憶に残りますように…』

これの意味というのをイマイチ自分でもよく分かっていなかった。

まあ、『小さな感動を皆に伝えたい』というのが本音なんだけど。


というか、今回何故こんなこと書いたのか。



今日、ネットサーフィンをしていたらとあるブログにたどり着いた。


興味本意でそのブログを拝見した。




気づいたら、1時間経っていた。

そして、自然と涙が流れていた。



そのブログはボクの心に何かを訴えていた。

いや、ボクだけではない。

このブログに感銘を受けた人は沢山いるはずだ。


凄かった。

まるで一つの物語のようだった。


以下、内容を示す。



ブログの主は、2匹の動物を飼っていた。

しかし、ブログのメインは動物の話ではなく、本人の話だ。

ブログの始まりは、主の地獄からのスタートだった。

世間から逃げた主、ネトゲ廃人になり、家から出なくなった。

さらに、ネットから抜け出せなくなった主は、人格も分からなくなっており、それは自分の知らない『もう一人の自分』だった。

物語は、『そこから抜け出すために始めたブログ』からスタートする。

ブログは読んでいるだけで心が痛くなる内容ばかりだった。

よく見かけた言葉は『死』『苦』。

うつ病になり、何度も何度も『死のう』と考え、何度も何度も乗り越えてきた。

そんな中、飼っていた動物が1匹天国に旅立った。

主は自分が情緒不安定の状態の中、ペット達の世話を凄く頑張っていた。


それゆえに、苦しい中、残されたペットを一生懸命愛でた。

いつしか、主のブログから『死』『苦』の言葉が消えた。

残されたペットを一生懸命に愛でる記事が増え、何より記事には『楽』『嬉』『幸』という言葉が増えた。

しかし、残されたペットが病に倒れ、闘病生活をおくることに。

それでも主は、『生きて』と一生懸命世話をした。

しかし、そのペットは永眠した。最期は主の腕に抱かれながら天国へ昇っていった。

そのブログの中に『ペットを育てる。それだけ。それだけしかない。それだけが心のよりどころ。どうか一日でも長く生きて…』(脚色、略あり)

と書かれていた。

世間を遮断し、うつになり、ネットに逃げ、人格が狂い、自殺を考えた主が、『ペットを育てる』という一つのことに頑張り、命の貴さを知ったのだ。

このブログは、ペットが亡くなった記事で一度更新が止まっていた。

最後の記事に書かれていたことは、ここでは詳しく言えない。

言うなれば、『新たなスタート』

最後に書かれていた言葉は
『ペットと歩いてきたこのブログは今日で最後。主の病気は、愛するペットが持って行ってくれたと信じている。このブログを、愛するペットに捧げる』(脚色、略あり)

だった。




これは一つの物語だ。

ボクはそう思う。

他人との比較はあまり好きではないが、これを読んだあとで、自分のブログは一体何だwwと思った。

ブログって何だろう?

何の為にネット上にアップするんだろう?

答えはそれぞれだから、特にこれ!ってのはないのだろうが。


まあ、とあるブログに感銘を受けたという話にすぎない。

ただ、そのブログはとても素晴らしいものに間違いはない。

ちなみにそのブログには続きがあり、新たにブログを作り、そちらで毎日更新しています。


気になった人はどしどし聞きにきちゃって下さい。