志穂 つぶやかないで、いってみよう。

日々の出来事を書いていきます。

発熱

2011-10-24 08:02:43 | Weblog
昨日の朝から、関節痛と寒気を感じていたんですが、
昼前からついに発熱…

37.5℃、一番高かった時で37.5℃。
「38℃以下なら平気!」という人もいますが、
結構しんどかったですね。

夕方になり、熱も下がってきて、
今朝は完全に下がっていました

風邪の症状は無くて、最近忙しいことが多かったので、
疲れが出たんだなあ。。。と思いました。

同時に「あーもう若くないのね…
と思いました。

寝込んでる間に家事を色々やってくれた夫。
どうもありがとう

グリーンカレー

2011-06-30 09:30:41 | Weblog
タイのグリーンカレー、久しぶりに作りました。



ココナッツミルクを入れて作るので、ちょっと白っぽくなってますが、
かなり濃い緑色のペーストを使って作ります。

普通のカレーより早くできますし、手軽にエスニックを味わえます。
ペーストは、輸入食品屋さんとかで売ってます。
ココナッツミルクは、最近はどこのスーパーでも見かけます。

タイカレーは、レッド、イエロー、グリーン、とあるので、
今度はレッドかイエローを作ろうかなあ、、、と思います。

ありゃ~(汗)

2011-06-03 10:26:58 | Weblog
気づいたらもう6月。
全然季節感を感じないけど6月。

一つ前のブログを見たら…
ありゃ~ドラマ「おひさま」で、
真知子さんが父親に無理やり連れて行かれる話を書いてる

連れ戻しのあと、陽子は師範学校に行き、真知子は
許嫁と連絡が取れず、許嫁の実家で暮らして、
陽子と真知子は「4年ぶりの再会」ってことになってます。

そのあと、また一気に急展開するんですけどね

師範学校、2年間通うので、少しは師範学校での様子とか
出てくるのかなあ~と思ってたら、ほんの数秒出てきただけでした。。。
ちょっと残念。

陽子はそば屋の和成と結婚して、新しい人生のスタート。
どうなることやら~

レジスタンス

2011-05-13 15:08:51 | Weblog
最近、NHKの朝ドラ「おひさま」に、ちょっとはまって見てる。

井上真央さん演じる、須藤陽子が主役で、時代は戦前。

多くの女性たちは、自分の人生を自分で決めることは許されず、
親が決めた学校へ行き、親が決めた相手と結婚し、
結婚したらしたで、今度は夫が決めたことをし、
そして、老いては子供(息子)に従うのが当たり前の時代。

私の悪い癖なんだけど、もうね観ててね
 「そんなバカ親父、ぶん殴っちまえ~!」
って思ったり、
 「ああ、この人は産まれてくるのが50年ばかり早かった…
  今の時代だったら、相当な活躍をしただろうなあ。。。」
とか、ドラマにすっぽりはまってしまう。

そりゃ、今の時代でも、父親が威張り散らしてる家庭もあるし、
親が決めたルートを歩まざるを得ない人もいる。

今日は、劇中に出てくる、安曇野で一番の金持ちのお嬢様
で親友の真知子が、親が決めた許嫁との結婚が嫌で、
陽子の家に逃げてきたものの、父親に連れ戻される、
っていうお話。

トイレに立てこもって、最後まで抵抗を続ける陽子と真知子。
同じころ、もう一人の親友の育子は、家出同然で東京へ旅立つ。
父権社会への小さな小さなレジスタンス。


でも、ふと考えたら、今の日本にも「父親が決めたことが全て」
っていう家庭もあるだろう、と思った。

「戦後、強くなったのは、女性とストッキング」
って、良く言ったもんだなあ、って思う。
でも、強くなるには時代の流れもあるけれど、
女性一人ひとりが、理不尽なことと戦ってきた結果が、
今の日本なのかなあ…って思う。

私は幸いにも、親から人生を決められることも無かったし、
今もそれは無い。
「おひさま」を見てると、女性たちは一つ一つのことと戦いながら、
地位を高めていったんだなあ…って思う。

育子が叫んだ
 「女性たちよ、よき人生を!」
そう思っていた人たちがたくさんいたと思う。


戦前の学制だと、女子は女学校(普通は5年制)を卒業したら、
殆どの女子生徒は進学をせず、結婚したり、
花嫁修業に家の手伝いをしたりした。

進学できる道もかなり限られていて、師範学校に行くか、
東京の女子大に行くか、私立の女子専門学校(今でいうと「大学」にあたる)
に行くか・・・それくらいしか無かった。

一部の私立大では、男子学生だけでなく、
女子学生を受け入れてはいたものの、
そんなところに入ることを許されるのは、
親がよほど新しい考えを持っているとか、
そういう、かなり特殊なケースだったと思う。


私の祖母は90歳になるけれど、戦前は「お嬢様」だった。
(当然、戦後何も無くなったので、ゼロからの再出発)
女学校を卒業したら、早稲田に行きたいと思っていたらしい。
(早稲田は女学生も受け入れていた、数少ない私大)

けれど「お嬢様」が早稲田に行くなんてとんでもない時代、
反対されて、押し切られて「実践女子専門学校(今の実践女子大)」
に進学し、親同士が決めた相手と結婚した。

幸いにも、祖母と祖父(他界)は、親が決めた相手ではあったけれど、
とても仲が良かったらしい。
祖父が病弱だったので、祖母は小学校の教員免許を取得して、
定年まで小学校教師をしていた。


今は、私も含めて「何をやりたいんだかわからない」
「やりたいことが無い」という人が多いと思う。
あまりにも選択肢が多すぎて、選べないのだと思う。

人間の心って、難しい、ホントにそう思う。

帰って行った家族

2011-04-25 12:47:39 | Weblog
気が付いたら10日も経ってました
毎日ブログを更新できる人って、やっぱりすごいと思います。

東京の天気はかなり不安定で、晴れて暑いと思ってたら、
夕方から急に雨降って寒くなったり。
もしかしたら、日本全国「変なお天気」なのかもしれませんが。

実家の家族は、南相馬市に戻っていきました。

まだ放射線の問題や避難の問題など残ってますが、
教会の2回に家族だけで避難、という生活が1か月続き、
疲れきってイザコザも増えました。

体育館の、まるっきりプライバシーゼロみたいなところに
避難している方々のことを思うと、家族で1室、というのは
とても贅沢なことかもしれません。

ただ、長年、自室を持ち、家族での共同生活が無かった
父、弟たちは、耐えられなかったのかもしれません。

また南相馬市に地震が来て、今度は体育館に避難…とならないことを
切に祈ってます。

福島の災害廃棄物処理

2011-04-14 10:51:00 | Weblog
東日本大震災(←正確に名前が決まってないので、アチコチで呼び方が異なる)
が起きてから、約1か月。

東北で被害を受けた人たちの多くは、避難所暮らしです。
家に戻りたくても、原発のすぐそばだったり、
家を津波で流されてしまったり。

どんなにボロかったり狭かったりしても、
やっぱり、自分の家が一番落ち着くよね。

ところで、福島の倒壊したエリアから、瓦礫の山の撤去作業が始まってますが、
その瓦礫の処理について、川崎市長が申し出たところ

  市民から苦情の電話が殺到…2000件以上

だそうで。

昔から、ホームレスの収容施設を作る計画が出るたびに
市民から散々苦情が出て、そのたびに住民との話し合い…
などがあって、それこそ川崎市は

  「たらい回しにされた最後の地」

みたいになってることが多いので、
住民の感情もわからなくはないです。

ホームレスに関しては、今回もまぐれ(?)で4期目当選した、
都知事が数年前に「浄化作戦」とか言い出して、
ホームレスを強制的に追い出した結果、
多摩川を超えてホームレスが川崎側に避難してきたのが大きな要因なんですが。
(↑自分のトコ、東京だけ安全ならOK、って考え方 < 都知事)

話がそれちゃったけど、テレビで連日報道されてるような
あの瓦礫の山を撤去しようとしたら、
たぶん、福島県内だけでは処理できないでしょう。

でもね、思うんです。
苦情申し出た川崎市民の方々、自分たちが被災・被ばくして、
瓦礫の山の撤去を受け入れてくれるところが無ければ、
当然のように怒るでしょう。

結局

 「自分が安全だったら、それでいい」

って思いは、誰もが持っていると思います。
でも、どこかが受け入れなきゃならない。

それを忘れてはいけないと思います。

ヒートテックインナー

2011-04-07 12:38:36 | Weblog
すっかり春ですね。
土曜は雨らしいですが・・・

前回からだいぶ日数が経ってしまいました。
実家メンバーが東京にやってきた後も、
実家がらみでドタバタがあったり…

最近、洋服を入れてる衣装ケースがやたらにパンパンになってきたので、
整理して、要らないのは処分しようかと、作業を始めました。


そしたら、ユニ●ロのヒートテックインナーが、出てくる出てくる…
一体、どれだけ買い込んだか…と、自分に嫌気がさしました

必要と思われるのは、全体の3分の1で、他は処分しました。
衣装ケースの中もすっきりして、無理やり押し込まなくても
引き出しが閉まるようになりましたww


春は色々とやることがあります。
冬モードから春夏モードへ、というのもありますが、
一番重要(?)なのが

  ゴキブリ退治対策・・・

春先に仕掛けておかないと、夏に出てくる可能性大です。
大嫌いなゴキ…(好き、って人はあまりいないと思いますが)
ゴキが出ると夜中でも絶叫してしまうので、早めに対策です

東京へ

2011-03-22 03:03:43 | Weblog
突然「東京へ避難します」というメールに、ビックリの私

そういや、福島に引っ越すと決めた時も、
突然メールが来て「福島に引っ越します」って
書いてあったわ。。。

緊迫した状況だと、即決断する母親ですが、
毎度いきなり聞かされる私は「はぁ~…」って感じです

前の実家の近くに、母親が所属してたバプテスト教会があります。
(母親が洗礼を受けてクリスチャンになった教会でもあります。)
その教会が、受け入れてくれるというので、
母親所有の小さめのワゴンに荷物を積んで、
家族4人&犬1匹が東京に向かいました。

ニュースでも騒がれてるガソリン不足ですが、
福島県内で「県外へ避難する」というと、
目的地までのガソリンを入れてくれる、
という話を、先に避難した知り合いから聞いたそうで…

結局は、東京までのガソリンを入れてもらえなくて、
走れるところまで走り、給油してまた走り…

朝8時に出発して、夕方に教会に到着。
当日は、疲れきっているようだったので、
翌日に教会に会いに行くことにしました。

薬の受け渡し

2011-03-22 02:59:00 | Weblog
翌日、母からメールが来て、東京に居た時に主治医だった先生に
何とか1カ月分、薬を出してもらえないか?と書いてありました。

すぐに主治医のところに電話してお願いしたら、
ドクターはOKしてくれました。

でも問題は

  「どうやってその薬を渡すか?」

宅配便や郵便はストップしてますし、
電車は途中までしか走ってないし、
夫に車の運転(車持ってないからレンタカーだけど)を
してもらっても、現地は通行止めになっているので入れません。

郡山まで母が行くので、郡山まで来てくれないか?
というような話をしてたんですが・・・

母親側にキャッチホンが入ったので一旦電話を切ったら、
直後にメールが来て

  「東京に避難する」

と、書いてありました

薬の不足

2011-03-22 02:52:32 | Weblog
先の日記で、大地震により、福島県の実家の周辺が被害を受けた、
という話を書きました。

実家は福島原発から20~30km圏内にあるそうで、

   「屋内退避勧告」

が出まして、一日中ず~っと家の中。

外に出られないので、イライラとストレスはたまる一方


「放射能を浴びると怖いから」と、救援物資は来ず、
たまたま、地震の直前に食料の買い出しに行ったので、
食事は困らないものの、問題は病人と薬。

実家には病人がおりまして、ある意味、
薬が無いと命が危ない場合もありまして…
でも、その薬が残り2日分。。。

母親が隣の相馬市まで行き、総合病院で
何とか2週間分の薬を貰ってきましたが、
2週間が過ぎた後は、たぶん総合病院に行っても
薬は無いと思います。

それくらい、被災地では薬が不足していました。