この年で業務処理に追われ、遂にプログラムの作成を考えざるを得なくなる等で掲載しているが、8月からの新業務基幹システムの導入に従い、私も部下の女性の負荷も予想以上に増えている。但しこれを何を持って理解して貰えるかが難しいところである。
親会社の元部署の幹部の人達に説明しても、無意味ではあるが、昨日会社の社長と打ち合わせをした。根本的な仕事(と言うか評価)に付いての違いが、初めて露呈したが、それは既に私も気づいてはいた。
簡単に言えば、オーバーフロー状態でも、残業が多くないと言う事はオーバーフローではないとの認識と言う事になる。つまり、当人の努力と才能をどう評価するかと言う根本的な所に、行き着く。
私が社会に出た最初の会社でもこの議論があり、結局結論を見ないままだったが、毎回この議論をしていた気がする。
- 私の持論:同じ仕事であれば、定時内で済ませられる人間と、例えば3時間の残業をしてその仕事を済ませられる人間は等価である。
つまりは対価は同じであると言う理論である。
残業しても、仕事の成果は同じだから給料も同じという考え方である。
従って、評価は同じである。定時で終了できる人間が、更に多くの仕事をするかは別問題であり、残業をしなくても、別に問題はない。
逆に、定時内に同じ仕事が出来ない人は、残業をしなければ、別の人より評価(つまり対価)は悪いと言う事になる。
- 一方、昔の会社の人には、定時内或いは、それより短時間で仕事を処理できるのだから、サボっていると言う理論の方もおり、評価はその優秀な人程低くなる考え方である。
- もう一つの考え方であるが、これが最も私が嫌う考え方であるが、残業を多くする人間ほど、カンバっていると評価する考え方である。これには仕事をさせる上司の管理能力の問題もあるが、仕事の優劣を付け、無理・無駄を極力排除して効率的に部下を動かすのが、上司の責任であると考える。
従って無駄な(或いは無意味な)仕事をさせたりして、その結果残業が増える事は、あってはならないと考えている。
しかし、実際は、この無理や無駄の仕事が多く、且つ残業をしているのが頑張っている証明みたいな風潮が多い。
最も残業代を稼ぐ為に、無駄な仕事も引き受けたりする輩も多いとは思うが・・・。
結局何が言いたいか?
営業のノルマを考えてみれば、簡単な事なのだが、対価は時間ではないと私的には考える。私も昔の会社で、営業の仕事をしていた事があり、ノルマを達成すると、殆どの場合は喫茶店でノンビリしていた時代もあった。最も逆の場合も有った。寝ずに常に仕事の事を考えて、家でも仕事をしていた。
昔、同じ部署にいらした上司が、一日一時間しか仕事をしないと公言され、他の人の一日分を一時間で処理すると豪語され、通常パソコンでゲームをされていた。
結局、対価とはその仕事に対して与えられる物ではないが(結果)、それを残業時間で測ろうとする事はナンセンスと私的には、思うがこれは仕事によってなかなか難しい事、上司の考え方や見方(評価)によっても異なる為、どう解釈するかが最大の問題でもある。
昨日余計な相談毎を社長にした事によって、私の部下に余計なプレッシャーがかかる事がない事を祈るが・・・。
その前に社長に電話するか、有休で休みにしているが最悪出社して、根本の問題を伝えておかなければならない。部下の女性の問題ではなく、社長の問題ですよと!
つまり私の上司は社長であり、その女性の部下は私の部下だが、社長が望む残業をやってまでもフォローして欲しい営業の部下は私の管理下ではない。従って、今の部が、私が責任者であれば、全て受けるが、そうはなっていないでしょう?
営業の部下と営業技術の部下の上司は誰ですか?部の責任者は社長でしょう!と言う事を明確にした上で再度話をしないと、事は収まらないと考えているが、今日朝起きれたら、社長に電話しよう・・・。
<追加>
結局昨日の晩知り合いと飲んで、帰宅が遅くなった事もあり、社長へ電話する事は出来ず、出社する事も出来なかった。昼前まで寝ていたと言う事だ。
嗚呼ー情けない。毎日体力がなくなっていく気がする。
さて、昨日知り合いと飲んだ話の中で、酷い話をまた聴いた。上記の人の評価にも関係するが、所詮個人の気に入る気にいらないがそのベースにあるのは間違いない。つまりどんなに優秀な人で有っても、チョットした事で、逆鱗にふれ干されてしまう等と言う事が実際におきているとの事。元部門の組合問題発生と人事のずさんに呆れるでも掲載したが、またあきれる事をやっていると思ったが、やはり幹部と言えども所詮人間だと言う事なのだろう。
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