今日は、
映画「犬と猫と人間と」を観てきました。
稲葉恵子さんという一人の猫好きおばあさんが、
「不幸な犬猫を減らしたい」という思いで、
飯田基晴監督に制作を依頼し、生まれたドキュメンタリー映画です。
映画の中で、小学生の子供たちが近所の空き地で産まれてしまった
子犬の世話をし、里親探しをしている。
自発的に行動している。
自分たちのおこずかいでフードを買い、里親が決まればみんな
それまでの苦労が報われた喜びと、
可愛がってきた情と、別れの悲しさ。
でもやっぱり嬉しさとで涙を流している。
「他者を思いやる優しい気持ち」
映画で、長年保護活動に携わってきた年配の獣医さんが語っていた。
犬猫をかわいがろうという気持ちは、平和な世でないと生まれない。
自分が満たされてるからこそ、そのような気持ちの余裕が生まれるんだ。
かいつまんで、そのようなことを言われていた。
日のあたるいい面だけでなく、負の面も十分に見てこられている。
実際、戦時中~戦後の日本では人間自身が食べていくのに必死で、
犬猫はぜいたく品扱い。
「犬納」
お国のために犬を差し出しましょう。
しなければ非国民。
食肉として、皮洋品として、、、
私の知らない昔の日本。
そういえば、私も小学生時分に体当たりの里親探しをしたことがありました。
いまではあり得ない
当時、すでに1匹猫がいて(これが我が家の初代、たまチャン。歴代うちの子たちの紹介はまた別の機会に)
団地住まいだったし、子供心に2匹目は無理だろうと思い、
かといって見つけた子猫をほっとけなくて、
一緒に見つけたお友達と2人、
「飼い主を見つけよう!!」
と、最寄りの駅前に子猫を抱いて行った。
ただただ、子猫のお家を見つけたい、飼い主さんを見つけてやりたい、
その一心で。
純粋だったなぁ、、、と我ながら今にして思う。
見ず知らずの通り過ぎる大人たちに、
「猫、飼ってくれませんか??」
「猫、飼ってくれませんか??」
と必死に声を掛けまくった。
断り続けられる中、若いお姉さんが(20代半ばくらい?)
「ん、、、」
と少し考えて、
「いいかな、、、」
と、そのまま抱いて連れて帰ってくれた
かれこれ25年も昔の話になってしまった。
長生きして、20年生きたとしてももう寿命をまっとうしているだろう。
きっと大事に可愛がってもらえたと思う。
そう信じられる。
ワクチンも、検査もしてなくて、病気の有無もわからない。
今のご時世、自分が拾ったのでなければ、そんな状態で里親を見つけるのは困難だろうし、反対に「里親詐欺」が横行する現代、通りすがりの見ず知らずの人に猫を託すなんて考えられない。あり得ない。
時代だなぁ。
先の子犬の里親探しの子供たちに話は戻しますが、、、
子犬を見つけて「かわいそう」とただ同情だけで終わらずに、
自分たちで行動を起こした子供たち。
優しさと同情は違う。
「かわいそう」と思う気持ちは優しいのではない。
あくまでも「同情」だ。
感じることができるのは、もちろんすばらしい。
そう感じて実際行動に移したことが「優しさ」なのだ。
行動するには勇気がいる。
強さと、優しさは背中合わせ。
真に優しい人は心強く行動していける人であり、
真に強い人はどのような場面でも、周囲に優しさを示して行けるのだと思う。
人間の幸、不幸は自分の心の持ちよう次第。
犬猫の幸、不幸は人間次第。
行政はすぐには動かない。
だから自分の周りから変えてゆこう。
あの子供たちのように。