やっぱり猫がすき!!

~家猫、外猫、猫ばなし♪♪♪~

14日経過。捜索打ち切り。

2011-06-16 | 外にゃん



                   


昨日で、2週間。
しかくちゃんが姿を見せなくなって14日が経ちました。


飲まず食わずで、猫はどのくらい生きられるか?
と、先日、先生に訪ねたら、

家猫で1週間。

野良ちゃんは、
その子の状態、年齢、元気度によるけど、
風邪ひいたなら、薬飲まずにじっと過ごして治るのに
2週間はかかる。
嘔吐もするかもしれないし、
その子の体力次第。

それ以上はもう厳しいな…

との見解でした。


この2週間、しかくちゃんの生活範囲であろう周辺を
名前を呼んで歩いていたけど、
夕方、暗くなってきてからでは視野も明るくないし、
気づけてないのかも、とも思い、
夕方前の、明るいうちに探して歩いてみたりもした。

桃山台駅周辺は、緑地が多く、
マンションの裏手にも竹林がある。
夜だと見えなし、マンションの裏手は気になっていたので、
立ち入り禁止(恐らく)の竹林を上がってみたけれど、
応答はなく、姿も確認できなかった。


2週間をリミットに呼び歩いていたけれど、
日にちが迫るごとに、涙で声がつまってしまう。
昨日は、「呼んで歩くのも今日が最後だよ」
という思いをこめて、涙も余計にでたけど、
心をこめてしかくちゃんの名前を呼んだ。

応答はなかった。

しかくちゃんの好きなモンプチ、ジューシーチキン缶。
これが最後のご飯置かな。
ひと缶開けて帰ってきた。
(翌朝、お片づけしました)


必ずしも事故とは限らない。
しかくちゃんと出会ったのは2006年の3月頃だったと思う。
それまで何年生きてきたのか、朝、お昼の行動を私は知らない。

何度か昔、朝、夜ご飯の付近を歩くしかくちゃんを見かけたことがあるくらい。
もしかしたら、他にも通っていたお家があったかもしれない。
もしかしたら、どこかでお家の子にしてもらえたのかも、
だといいな…
だったらいいな…


そんな淡い希望も持つものの、
しかくちゃんがいない、という現実がたまらなく寂しいし、やっぱり悲しい。


あまり死んでしまったような気がしないのだけど。
もし、そうならきっと夢出て来てくれると思うから。
きっとお別れを言いに来てくれると思う。
まだ夢には現れない、しかくちゃん。

それかすでにずっと私のそばにいてくれてるから、
そんな気がするのかな。


しかくちゃんはすっかり私の生活の一部でした。
私の一日の締めくくりはしかくちゃん。
しかくちゃん中心。


しかくちゃん達のご飯を毎日持って通勤。
休日遠出で遊びに行くときも。
仕事帰りに、映画や友達と会うにも、いったん地元に戻り、
しかくちゃんにご飯。
熱が出て仕事を休んでも、しかくちゃんのご飯は休まない。

一日でいちばん大切な用事を済ませた、くらいの充足感。
ほっとする。
大変なときもあったけど、しかくちゃんのおかげで
この5年、私の生活は充実していたのだと思う。

たかが野良猫でしょ?
どうしてそこまで一生懸命になるのか?
と、興味のない人にとっては、
「あ、よく見かけるよね~、あの猫」、
あるいは、いてることすら気づかない程度のことなんだろうけど。

私にとっては、大きな存在だった。
「私がご飯をあげなくちゃ!!」
と、自分の役目に思ったからだろうな。

使命というと大げさだけど、
言われてするものでなく、自分で自発的に行動する。


使命は与えられるものではなく、自覚するもの。
だからこそ充実感に満ちている。



だからか、今はなんだか一日が尻切れトンボ。
一日を締めくくるものが無くなってしまった。

いるはずのしかくちゃんの場所が物足りない。
私の中では、しかくちゃんがいて完成する風景。
寂しいよ、しかくちゃん。


1か月もして、ひょっこり姿を現してくれたら嬉しいな。


5年間、私の生活を満たしてくれて、元気をくれて、
ありがとう、

しかくちゃん。