かめよこある記

~カメもタワシも~
To you who want to borrow the legs of a turtle

最上階の男 The man who lives on the top floor

2017-08-03 16:15:51 | かめよこ手のり文庫
 揺れている。
 尋常じゃない揺れだ。完全防音のはずの部屋に忍び寄る風の音。
 目が覚めた私は、この部屋に入居して以来感じた事のない恐怖を覚えていた。
 リビングに行きテレビをつける。
「現在、A市では停電区域が多岐にわたっており・・・」
 女性キャスターロイドが神妙な面持ちで告げている。
 いつもならガラス張りの窓一面に広がっているはずの夜景が今日はなんと寂しい事か。
 部屋の情報モニターのアラームが鳴った。
 「当館のエレベーターは現在停止しております。復旧するまで、しばらくの間お待ちください。尚・・・」
 さっきから、こんな自動アナウンスばかりが繰り返し流れている。
 どうするというんだ? ここは地上119階だぞ。
 何かあった時に、どうやって逃げるというのだ? エレベーターもなしに高齢の私に下まで階段で降りろというのか。
 屋上にはヘリポートが設置されていて、非常時には最上階の居住者から優先的に乗せてくれるのだと、説明を受けた。
 無論、この強風では使用する事は出来ない。
 この部屋を選ぶくらいだから高所はもちろん慣れっこだ。しかし、この異常な揺れが私の深く眠っていた恐怖の感覚を掘り起こしていた。
 そして、私は、ある事を思い出していた。
 入居する際、この部屋の販売担当者に説明された・・・。私は、それがある部屋の片隅を見ていた。
 非常脱出用パラシュート。
 「これは、本当の最後の非常手段ですから。まあ、ほぼほぼ100%ないことですからね。あくまで装備品を形式的に説明させていただいているものでして・・・」
 担当者は、顔にうっすらと笑いを浮かべて話した。
 私も話半分に聞いていた。というか、この最上階の部屋に入居出来る喜びに気がはやっていて上の空というところだった。
 担当者は、これ以上話すのが恥ずかしいとでもいうように最後に念を押した。
 「当館は何重にも安全対策がされており、まず、これを使う事はありませんから・・・」
 そう、そのはずだったのだ。しかし今現在、観測史上未曾有の超巨大な台風がこの街を襲っている。
 建物全体が、まるでコンニャクのようにユラユラ揺れている。そして、私は、そのテッペンにいるのだ。
 免振機構が効いてはいるのだろうが、さすがに本能が恐怖を感じない訳にはいかなかった。
 ひっきりなしに聞える唸る風の音。まるで、この建物を集中的に痛めつけているように吹き付けている。
 この部屋に入ってからも台風は何度か体験している。しかし、揺れという揺れを感じた事はなく、その静けさに感心していたくらいだった。
 しかし、今回は何かが違う。以前、来たヤツとは別物、まるで怪物だ。
 (確か使う時は、あの窓を突き破るんじゃ・・・)
 気がつくと私は、収納ボックスを開け、パラシュート本体を出し、説明が書かれたシートを読んでいた。
 「月1回は装着訓練をしてください・・・か」
 目で文面を追ってはいるが、頭が入り込むのを拒んでいた。
 そればかりか関係のない事ばかりが頭の中に入り込んでは消えていくのだった。
 ひと月ほど前、今日香がこの部屋を訪ねてきた。
 私が、このところアプローチを重ねてきた女だ。
 「なんだ。君か・・・」室内に彼女の3D映像が映し出された。ふん。容姿だけは悪くない女だ。
 「こんな素敵な部屋に住んでいたのね。言ってくれればよかったのに」
 「今頃なんの用だい?」
 「えっ? 冷たいわね・・・」
 「いや。今から出かけなきゃならないんでね。何もないなら今日のところは・・・。すまない」
 「そう・・・」
 彼女は帰っていった。
 散々つれない態度をとっていたのはそっちではなかったか。おそらく私が存外に裕福であり、この最上階に住んでいると誰かから伝え聞いて様子を見に来たのだろう。私の内面の魅力に気づかず、タワマンになびくような女に興味はない。
 しかし、恐怖の中にただひとりきり。今更ながら後悔していた。
 間接照明の薄暗さが今はうすら寂しさを一層深めている。
 誰でもいい。誰かそばにいれば、何かいい考えが浮かぶのではないか?
 パラシュート? そんなバカな事を! もっと他の方法が・・・。そう、この最先端の住居に住む者に相応しい紳士的な方法が・・・。
 彼女に電話してみようか? 何をいまさら・・・。
 それとも別れた妻か。いやいや海外で暮らしている娘・・・。
 誰も彼もが私からは、はるか遠く離れている。
 私は、部屋に備え付けられた執事型ロボット「C2G」を見た。この異常事態の中にあっても、人の機嫌を損ねない程度の微笑を浮かべている。
 待てよ。それともこれは、子供の頃よく見たあのドッキリなのか? そうだ。昔から娯楽番組でよくある古典的なやつだ・・・。
 そうだ。まさか高層ビルの最上階からパラシュートで脱出だなんて・・・、そんなバカな事があるか。
 富も名誉もあるいい歳をした男がパラシュートをつけ、いよいよガラス窓を突きやぶろうとしたその時、派手な蝶ネクタイのレポーターが部屋に突入、そして取り押さえられる。
 掲げられたプラカードには「ドッキリ成功!!」の文字。
 あっけにとられた私は、「ちょ、ちょっと待ってくださいよ・・・」と困惑した表情という訳だ。
 なるほど。いかにも一般視聴者受けしそうな絵面ではないか。
 最新のビルの最上階に私が入居したのを早速聞きつけてきたのだろう。
 そうか。これは壮大なドッキリなのだ。地下では、番組制作スタッフが何某かの大がかりな方法で建物をわざと揺らしているのだろう。ご苦労なことだ。
 巨額のスポンサー料を使って、なんと馬鹿げた事を・・・。
 今どき、映画にしろバーチャル映像にしろ、とても作り物とは思えないほどリアルに出来ているものだ。
 そうか。この私をそんな大がかりな仕掛けで笑い物に・・・。
 私は、部屋の中を見回した。すぐ見破られる位置にカメラを仕掛けるなどという、そんなヘマはしないと思うが・・・。
 パラシュートの説明シートを読んでいる私を見て、大勢の見知らぬ人々が笑っていたに違いない。
 富裕層の滑稽な姿をあざ笑おうといういかにも庶民の喜びそうな企画ではないか。
 やはり誰かに電話してみよう。その中に仕掛け人のひとりがいるかも知れないし、それならば、うっかり言葉の端にボロを出すかも知れない。
 私は、C2Gに声をかけた。
 「電話でございますか。どちらにおかけいたしましょう」
 C2Gが、品のある初老の男性の声で尋ねてきた。

 「あら? お父さん。どうしたの? 珍しいわね。突然、こんな時間に・・・。
  あっ、そうだ。そっちは今、台風が来てるんだって? 大丈夫?」
 その時、突然の「ドン!」という大きな音に窓の方を見た。
 窓に何かが張り付いていた。薄暗い部屋の中、それが何かわかるまで、しばらく時間がかかった。
 それは大きな虎だった。大の字になって、こちらを見ていた。そして、そのままズルズルと下に引きずられていった。
 よくある敷物だったのだろうか? それにしては重厚感があった。
 いずれにしても、あんなものが一体どこから・・・。ここから近い動物園にしたって、ここから数十Kmは離れている。
  そして絶えず、そこかしこから聞こえてくる音。この建物全体が、まるで打楽器になったかのように・・・。
 「どうしたの!? 何、今の音?」
 「い、いや大丈夫。何でもないんだ。新しい部屋に引っ越したのは話していたな。
  いい眺めだぞ。最新鋭の設備だから、台風の影響もさほどでもないんだよ」
 「そう。安心したわ。今年は無理だけど、来年の夏あたり、そっちに行こうかと思っているから」
   「そうか。久しぶりに孫の顔も見たいしな。楽しみにしているよ」
 考えてみれば、もう海外に住んで長い娘が、この国のテレビ番組に関わっているとは考えにくい。
 まさかテレビ局だって外国に住んでいる娘まで巻き込んだりはしないだろう。
 「来年か。そうか、楽しみにしているよ」
 通話を終えて、私は再びC2Gをみつめた。
 
 「あら、あなた? どういうつもり?
  あなたと私は、もうきっぱり縁を切ったはずよね。
  もう連絡を取り合わないって約束じゃなかったかしら。
  間違い電話なら、もう切るわね。
  さよなら」
 とりつく島もなく電話を切られてしまった。これが、かっては40年以上連れ添った相手だろうか。
 はたして前からこんな具合だったのだろうか? 何か不自然に冷たい。
 人間とは、こうも変われるものだろうか。そうか・・・。あまり長く話していてはボロが出てしまうものな。
 ますます怪しいぞ。ドッキリは入念にという訳だな。
 どこかで、また大きな音がした。何かがぶつかり合う音。地に足がついた感じがしない。私は、続けざまC2Gに声をかけた。

 「何? よく電話してこれたわね。
  今、こっちだって台風で大変なんですから」
  そうか。台風自体は嘘ではなく現実に起こっているのだ。台風を使った、どうも大がかりな仕掛けらしいぞ。
 「うちの方は、あなたのとこみたいに最新の設備じゃないから、結構被害が出ているのよ。
  大丈夫かですって? 今頃、ワイン片手に最上階から下界の住民が右往左往するのを眺めているんでしょ。
  冷やかしならやめてちょうだい。ほんと嫌なひとね」
 「いや、そうじゃないんだ。こっちも案外揺れがひどくて。なんていうか心細いんだよ。」
 「どうやらもう私にした仕打ちをもう忘れたみたいね。どこまでバカにしたら気が済むのかしら」
 切れた。やはりそうだ、そういう事なのだ・・・。
 私は最後、C2Gにこう尋ねた。
 「本当の事を教えてくれ。これは、その・・・いわゆるドッキリではないのかね?」
 「残念ですが、そのような質問には私は答えかねます」
 C2Gは慎み深く、そう答えた。
 わからなければ、わからなくてもいいから、何か気の晴れるようなジョークでも言ってくれないものだろうか・・・。
 そういえば、昔子供の頃、家が貧乏で家族が狭い部屋で川の字になって寝ていた。
 親父のいびきがうるさくってね。将来、絶対いびきをかく大人になんかならないぞって思ったものだよ。
 ところがどうだい。いつしか大人になって気づいてみると、自分もいびきをかいているんだ。
 そしたら、いびきもそんな悪者じゃないよな?なんてね。勝手なもんだよ。
 そうさ、今じゃ、この最上階で、大いばりでいびきをかいてるさ。
 それを疎ましく思ってくれる誰かもいやしないがね・・・。
 
 
 これまでも数々の震災にも見舞われ、これからも大地震がかなりの高確率で予想されているというのに、それでもなお、人々は都市部に集中し、高層建築をつくり続けている。これで本当に、未来、自分たちの子孫のことを考えているといえるのだろうか。愚かだ。そして、私はその突端に住んでいる。
 私はパラシュートを付けていた。この付け方であっているのだろうか。なにか紐が絡まっているようで不安なのだが。
 部屋の中は、さっき落雷があって以来真っ暗だ。
 揺れはますますひどくなっていくばかり。ガラス窓の向こうはあらぬ物体が飛び交い、稲光が、やけに煌びやかでありながら極めてエコなショーを繰り広げている。
 1枚のガラス窓をみた。この窓だけは非常用として、内側からの衝撃に割れやすくなっているのだという。
 この強風の中、パラシュートで? バカな。それこそ危険極まりない。そんな事はわかっている。すべてが、はじめから矛盾していたのだ。
 思えば、あの担当者からして仕掛け人だったのだ。真面目な顔をして可笑しな事を言う男だと思ったものだ。今にも吹き出しそうなのを必死で我慢していたのだろう。
 しかし何にせよ、私がガラスを突き破る前には、レポーターが入って来て止めてくれるのだから身の心配はない訳だ。
 逆を言えば、私がただ何もせずに、こうしていたら何も進まないのだ。そしてこのドッキリは終わらない。
 今、視聴者は固唾をのんで、なかなか行動を起さない私をみてイライラしながら待っているはずだ。
 笑い物になるのは癪だが、現に今も既になってしまっている訳だし、ネタ晴らしの後、寛大な対応をすれば、おちゃめな面もある富裕層という事で、かえって私の株もあがるというものだ。
 そこまでわかっていて期待に応えないというのは、それはそれで大人気ないというもの。
 何も知らないフリをして、彼らの期待に応え、逆に彼らを最後まで騙し通してやろうじゃないか。
 人を楽しませるのは大変だ。バカにならなくては。私が、一歩を踏み出せば、このバカバカしい茶番は終わるのだから。
 これがドッキリであることに疑いの余地はない。わたしは気づいてしまったのだ。彼ら番組スタッフは間違いをおかした。そう、あのガラスに叩きつけられた虎だ。あんなものが空を飛ぶわけがない。ここは地上119階だぞ。過剰演出というやつだ。いつだって、彼らはやりすぎる。
 それにしても、意は決しているはずなのに、この胸の高鳴りは何なのだろうか。私はごくりと唾を飲み込んだ。
 ふと「C2G」が視界にはいった。そういえば、さっきから身動きひとつせず、やけに静かだった。だが、よく見れば、その体は小刻みにカタカタと不自然に揺れている。
 「そうか。オマエも震えているのか。でも、もう心配ない。もうすぐ終わるさ」
 そして、いよいよ前方の窓ガラスを見据え、石のようにズシリと重い片足を一歩前に踏み出した。
 
 台風は過ぎ去ったようだ。
 昨夜の物音が嘘のように静かだ。恐怖でなかなか寝付けなかったのだが、いつの間にか睡魔に負けてしまったらしい。
  ニュースアプリを起動すると、可愛げのある優しい感じの女性音声がニュースを読み上げた。
 「ニュースをお伝えします。
  台風89号は全国で多くの被害をもたらしました。
  台風が去った今日、路上でパラシュートをつけた男性が倒れているのが発見されました。男性は全身打撲により既に死亡。
  プレシャス&ゴージャスタワー最上階に住むA氏とみられ、部屋の窓ガラスが割られており、A氏はこの台風の悪天候の最中の昨夜未明、部屋からパラシュートを付け、この窓ガラスを突き破り、飛び降りた可能性もあるとみられています。階下の住人が自室のガラス窓に一度叩きつけられた男性らしき姿を目撃しており、現在もあらゆる観点から捜査が続けられている模様です。
  尚、このパラシュートは非常時脱出用として、高層階の部屋に備えつけられているものではありますが、悪天候時には絶対に使用してはならないと注意書きがされていると、このビルの管理会社は説明しています。更に、部屋に備え付けられていた執事型ロボットC2Gは、災害時には救助用ロボとして作動するはずでしたが、なんらかの不具合により正常に動作しなかった可能性があり・・・」
  「金持ちの中には、本当おかしな奴がいるもんだね。まったく気がしれないよ。」
 「そうね・・・」
 今日香は、淹れたてのブラックコーヒーを一口飲みこんだ。
 

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