今日も午前中から、うだるような暑さだった。
朝から鳴き続けるせみの声は、ずっと聞いていると気が遠くなりそうだ。
今年は、大地震の影響で、せみの鳴かない地域もあるらしいと、インターネットで話題になっているようだが、大阪のせみは、今日も朝から鳴き続けている。
せみの鳴き声は、なつかしい記憶を呼びおこす呪文のようだ。
聞き続けていると、小学校のころの夏休みの思い出が、ぼんやりと浮かんでくる。
ラジオ体操の歌声や、夕方、水をまく母の声がよみがえる。
あのころは、うんざりするほど一日が長かったような気がする。
それに比べて、最近はあっという間に一週間が過ぎていく。
騒音のようなせみの声は、聞き続けているとだんだん、何も聞こえていないような錯覚にも、おちいる。
ああ、水をまいたあとの、地面の匂いって、こんな感じだったなぁ。
音の記憶と、匂いの記憶が交差する。
不思議と、記憶の鎖は、パズルのように思いがけないもの同士を、つないでいるようだ。
普段、思い出しもしない、そんな風景に、そっとため息をついてみる。
扇風機の風は生暖かく、うなじを汗が伝う。
長い髪をアップにしていても、後れ毛が汗に絡まる。
暑いなぁ、でも、一人で午前中からクーラーかけるのって、どうして気がとがめるんだろう。
世間は、省エネ・節電が声高に叫ばれている。
電力が不足する日が来るなんて、誰が想像出来ただろう。
スイッチを押せば、リモコンを操作さえすれば、何でも出来るのが当たり前の世の中に、私たちはすっかりなれてしまっていたのだから。
いつの間に、こんな風になってしまったのだろう。
夏休みの午後は、昼寝の時間だった。
居間の電気を消し、窓や玄関を開け放して、畳の上に母や妹と転がる。
枕がわりに、二つに折った座布団が、首にざらざらと当たっている。
そういえば母は、季節が変われば、座布団のカバーを掛け換えていた。
夏用の麻のシャリシャリした座布団カバーの感触が、子供の私には不思議だった。
扇風機が時々カチッと音を立てて首を振り、母がゆっくりと団扇を扇いでいた。
昼寝の出来ない私は、いつもぼんやり目を開けて、腹の上のタオルケットを引っ張ったり、ぬるい風に揺れる蛍光灯のひもを眺めたりしていた。
あの時も、せみの声がしていた。
真昼の暑い時間は、せみも鳴くのを止める。
夕方、少し風が出てきたころから、また、せみは鳴き始めるのだ。
せみの声がするころには、昼寝の時間も終わり、また、夏の一日の続きが始まるのだった。
あのころの時間は、本当にゆっくり流れていたような気がする。
思い出して、床に転がってみる。
椅子とテーブルの生活になって、床は、転がる場所ではなくなってしまった。
だが、案外、悪い感じはしない。
フローリングに敷かれた夏用のマットの感触が、少しだけ畳に似ていた。
あっついなぁ。
そう思って寝返りを打った時だった。
・・・誰?
突き刺すような、視線を感じる。
誰なの?
家人は、出かけたはずだ。
この家には、今は、一人のはずだからと、油断していた私は、緊張感に包まれた。
どこからの視線なんだろう。
寝転がった姿勢からは、見渡せる範囲が思った以上に少ない。
だが、
間違いない。
誰かが、
私を、
見ている。
冷たい汗が、背中を伝った。
こういうときに、動くべきか、じっとしているべきか。
判断がつかない。
少なくとも、床に転がっているのは、あまりにも不利だ。
だが、動くきっかけが見つからない。
息の詰まるような緊張感に、心臓がドキドキと脈打つ。
どこ、どこから来るの?
・・・う~ん、やっぱりサスペンス作家は、無理みたい。
話が、まとまらないや。 ← 途中放棄の言い訳(笑)
と言うことで、鋭い視線をお届け。
じ~。。。
じとぉ~。。。
じぃぃぃぃ。。。。
注目。。。。。
一人で家にいると、ストーカーされます。
二匹に。
う、うれしいんだけどね。。。
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朝から鳴き続けるせみの声は、ずっと聞いていると気が遠くなりそうだ。
今年は、大地震の影響で、せみの鳴かない地域もあるらしいと、インターネットで話題になっているようだが、大阪のせみは、今日も朝から鳴き続けている。
せみの鳴き声は、なつかしい記憶を呼びおこす呪文のようだ。
聞き続けていると、小学校のころの夏休みの思い出が、ぼんやりと浮かんでくる。
ラジオ体操の歌声や、夕方、水をまく母の声がよみがえる。
あのころは、うんざりするほど一日が長かったような気がする。
それに比べて、最近はあっという間に一週間が過ぎていく。
騒音のようなせみの声は、聞き続けているとだんだん、何も聞こえていないような錯覚にも、おちいる。
ああ、水をまいたあとの、地面の匂いって、こんな感じだったなぁ。
音の記憶と、匂いの記憶が交差する。
不思議と、記憶の鎖は、パズルのように思いがけないもの同士を、つないでいるようだ。
普段、思い出しもしない、そんな風景に、そっとため息をついてみる。
扇風機の風は生暖かく、うなじを汗が伝う。
長い髪をアップにしていても、後れ毛が汗に絡まる。
暑いなぁ、でも、一人で午前中からクーラーかけるのって、どうして気がとがめるんだろう。
世間は、省エネ・節電が声高に叫ばれている。
電力が不足する日が来るなんて、誰が想像出来ただろう。
スイッチを押せば、リモコンを操作さえすれば、何でも出来るのが当たり前の世の中に、私たちはすっかりなれてしまっていたのだから。
いつの間に、こんな風になってしまったのだろう。
夏休みの午後は、昼寝の時間だった。
居間の電気を消し、窓や玄関を開け放して、畳の上に母や妹と転がる。
枕がわりに、二つに折った座布団が、首にざらざらと当たっている。
そういえば母は、季節が変われば、座布団のカバーを掛け換えていた。
夏用の麻のシャリシャリした座布団カバーの感触が、子供の私には不思議だった。
扇風機が時々カチッと音を立てて首を振り、母がゆっくりと団扇を扇いでいた。
昼寝の出来ない私は、いつもぼんやり目を開けて、腹の上のタオルケットを引っ張ったり、ぬるい風に揺れる蛍光灯のひもを眺めたりしていた。
あの時も、せみの声がしていた。
真昼の暑い時間は、せみも鳴くのを止める。
夕方、少し風が出てきたころから、また、せみは鳴き始めるのだ。
せみの声がするころには、昼寝の時間も終わり、また、夏の一日の続きが始まるのだった。
あのころの時間は、本当にゆっくり流れていたような気がする。
思い出して、床に転がってみる。
椅子とテーブルの生活になって、床は、転がる場所ではなくなってしまった。
だが、案外、悪い感じはしない。
フローリングに敷かれた夏用のマットの感触が、少しだけ畳に似ていた。
あっついなぁ。
そう思って寝返りを打った時だった。
・・・誰?
突き刺すような、視線を感じる。
誰なの?
家人は、出かけたはずだ。
この家には、今は、一人のはずだからと、油断していた私は、緊張感に包まれた。
どこからの視線なんだろう。
寝転がった姿勢からは、見渡せる範囲が思った以上に少ない。
だが、
間違いない。
誰かが、
私を、
見ている。
冷たい汗が、背中を伝った。
こういうときに、動くべきか、じっとしているべきか。
判断がつかない。
少なくとも、床に転がっているのは、あまりにも不利だ。
だが、動くきっかけが見つからない。
息の詰まるような緊張感に、心臓がドキドキと脈打つ。
どこ、どこから来るの?
・・・う~ん、やっぱりサスペンス作家は、無理みたい。
話が、まとまらないや。 ← 途中放棄の言い訳(笑)
と言うことで、鋭い視線をお届け。
じ~。。。
じとぉ~。。。
じぃぃぃぃ。。。。
注目。。。。。
一人で家にいると、ストーカーされます。
二匹に。
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