不要の丸太を知人が取りに来てくれる
風呂の燃木にするため
子供の頃は木を燃やしてお湯にする風呂だった
どういう仕組みになっていたかは忘れたが
ぬるいときは誰かを呼んで木を追加してもらった
あれから半世紀が経ち
世の中は劇的に変った
なにもかも便利になった反面
失われていった物も多いだろう
竈を作りたいと知人に言ったら
賛成してくれた
竈で飯を炊き、煮物をする
そういえば「最近の女の子は米を炊くときの水加減も知らない」と
ベテラン支援員が嘆いていたけど
「しまねこさんは知ってますか?」と言われて
「竈で炊くときの水加減ですか?だいたい解ります」と言うと
「そうじゃなくて炊飯器の目盛りに合わせて炊くのを知らないんです」
と驚いた表情で話していた。
時代だな
そういう時代がやってきたのに
自分たちは生きてきた過去の価値観で判断する。
私は新しい価値観を受け入れられずに
自分の殻の中だけで生きたいと思っている
どうやったって話が合うわけが無いw
若い彼ら彼女らのおじいさんと同じくらいの歳なのに
同じような立場で同じような仕事をしている
その中では私など遺物に過ぎない
灰になった木の燃えカスが、かろうじて温もりを残している
だが風呂の燃木の燃えカスには
よく猫が入って温まっており
灰だらけになって出てきたっけw
私にも何かを温めるくらいの想いは残っている
その残りが冷え切ってしまわぬように大切にしたいと思っている