コーイチと京子が林谷について行くと、和服の老婦人は社長や重役を始め、他の会社のおエライさんたちと談笑していた。
小柄ではあるが、立ち居振る舞いがかくしゃくとしていて、それでいて品が良く、肌つやも若々しく、結った髪も黒々としていた。……どこかで見たことのある人なんだけど、どこだったかなぁ。まさか、アパートの近所ではないよなぁ…… コーイチが考え込んでいると、ポンと肩を叩かれた。
振り返ると、西川がいて、その後ろに印旛沼、清水、林谷と続いていた。
「これで営業四課がそろったな(岡島はふくれっ面をして、周りを取り囲む人たちの一員になっていた)。じゃあ、ちょっと挨拶をしておこうか」
西川は言って、談笑中の老婦人とおエライさんたちを見ていた。話が終わるのを待っているようだ。
西川の視線に気づいて、老婦人は目顔で挨拶を送ってきた。西川も頭を下げた。話が一段落して、老婦人はつと西川の方へ歩み寄った。
「林谷さん」コーイチが小声で林谷に言った。「あちらの方、どこかで拝見したお顔なんですけど、思い出せないんです。……どなたでしたっけ?」
「おいおい、コーイチ君」林谷が呆れたような表情をした。「冗談のつもりかい?」
「そうじゃないわよ」清水が割って入る。「幼なじみの京子ちゃんの他は何も見えないのよ、うふふふふ」
「京子さんも良いけどね」印旛沼も話って入る。「うちの逸子も忘れないでくれよ。あんな嬉しそうな娘を見るのは初めてだ」
「……さあ、おしゃべりはそこまでにしよう!」
西川は言って、老婦人の方へ顔を向けた。
「本日は御足労頂き、誠に有難う御座います。営業四課一同、心からお礼申し上げます、夫人」
「あらまあ!」老婦人は目を大きく見開いて西川を見つめ、それから、袂で口元を隠して、くっくっくっと忍び笑いをした。「そんなに改まった挨拶、あなたらしすぎて、かえって面白いわね」
「そうですか? でも、来てくださるとは思いませんでした」
「本当は主人と一緒にと思っていたんだけど、仕事が忙しくてね」
「大変なお仕事をなさってますから、当然ですよ」
「……あのう、西川課長……」コーイチが西川のスーツの裾を二、三度軽く引っ張りながら、申し訳なさそうな声で言った。「こちら、お見かけしたことはあるんですが、どうしても思い出せないんです……」
一瞬、その場が凍りつくように感じになった。
「ば、馬鹿!」叫んで飛び出してきたのは岡島だった。「お前、ふざけるにも、程ってもんがあるぞ!」
岡島はコーイチの前に立ち、周りの人たち(特にこの老婦人に対して)自分の存在を強くアピールするように、身振り激しく話し出した。
「こちらは、倉井総理大臣の奥様で、大女優と謳われた木林美津子様だ! 西川課長の父方の伯母上に当たる方だ! そんな事も知らないで、良く日本人がやってられるな、ええ、おい。お前こそ外国に行った方が良いんじゃないのか? あ、それだと、日本の恥を世界にさらす事になっちまうか!」
話し終わると、岡島は勝ち誇ったように腰に手を当て、やや反り気味になっていた。
「あらまあ」倉井夫人は岡島を呆れ顔で見ながら言った。「何もそんなに大きな声で、しかも同僚の方を罵る事はないんじゃないかしら?」
夫人の一言で、周りから失笑が漏れた。岡島はうろたえた様子で、周りをきょろきょろと見回していた。京子と逸子は顔を見合わせ、声を出さずに「ねぇ~!」をそろえていた。夫人はコーイチの方に顔を向けた。
「でもあなた、良い度胸ね」それから西川に名前を尋ねた。「コーイチさんとおっしゃるのね。これだけの中で、あんな質問が良く出来たものね」
「はあ…… すみませんでした」コーイチは頭を下げた。「でも、知らないことは知らないんですから、知るようにしないと知ることができないわけなんです」
「そうね。『きくは一輪の花、きかざるはみざるいわざる』って言うものね。コーイチさん、気に入ったわよ」
夫人はそう言って楽しそうに笑った。そして、西川に言った。
「あなた、ダンスを見せてちょうだいな」
「すみません、もうやってしまいました」西川は言った。「営業四課は芸達者ぞろいなんですが、みな一通り披露してしまいました」
「それは残念ね。でも、私のわがままで二度も披露してもらうのは迷惑ね。ま、もう少し他の方たちとお話でもさせてもらうわ」
「ちょっと、Moment!」
綿垣社長が言いながら出て来て、手にしたワイングラスの中身をきゅーっと飲み干した。
「まだ一人残っているよ」社長は言って、コーイチを指差した。「You、コーイチ君、君の出番だよ」
つづく
小柄ではあるが、立ち居振る舞いがかくしゃくとしていて、それでいて品が良く、肌つやも若々しく、結った髪も黒々としていた。……どこかで見たことのある人なんだけど、どこだったかなぁ。まさか、アパートの近所ではないよなぁ…… コーイチが考え込んでいると、ポンと肩を叩かれた。
振り返ると、西川がいて、その後ろに印旛沼、清水、林谷と続いていた。
「これで営業四課がそろったな(岡島はふくれっ面をして、周りを取り囲む人たちの一員になっていた)。じゃあ、ちょっと挨拶をしておこうか」
西川は言って、談笑中の老婦人とおエライさんたちを見ていた。話が終わるのを待っているようだ。
西川の視線に気づいて、老婦人は目顔で挨拶を送ってきた。西川も頭を下げた。話が一段落して、老婦人はつと西川の方へ歩み寄った。
「林谷さん」コーイチが小声で林谷に言った。「あちらの方、どこかで拝見したお顔なんですけど、思い出せないんです。……どなたでしたっけ?」
「おいおい、コーイチ君」林谷が呆れたような表情をした。「冗談のつもりかい?」
「そうじゃないわよ」清水が割って入る。「幼なじみの京子ちゃんの他は何も見えないのよ、うふふふふ」
「京子さんも良いけどね」印旛沼も話って入る。「うちの逸子も忘れないでくれよ。あんな嬉しそうな娘を見るのは初めてだ」
「……さあ、おしゃべりはそこまでにしよう!」
西川は言って、老婦人の方へ顔を向けた。
「本日は御足労頂き、誠に有難う御座います。営業四課一同、心からお礼申し上げます、夫人」
「あらまあ!」老婦人は目を大きく見開いて西川を見つめ、それから、袂で口元を隠して、くっくっくっと忍び笑いをした。「そんなに改まった挨拶、あなたらしすぎて、かえって面白いわね」
「そうですか? でも、来てくださるとは思いませんでした」
「本当は主人と一緒にと思っていたんだけど、仕事が忙しくてね」
「大変なお仕事をなさってますから、当然ですよ」
「……あのう、西川課長……」コーイチが西川のスーツの裾を二、三度軽く引っ張りながら、申し訳なさそうな声で言った。「こちら、お見かけしたことはあるんですが、どうしても思い出せないんです……」
一瞬、その場が凍りつくように感じになった。
「ば、馬鹿!」叫んで飛び出してきたのは岡島だった。「お前、ふざけるにも、程ってもんがあるぞ!」
岡島はコーイチの前に立ち、周りの人たち(特にこの老婦人に対して)自分の存在を強くアピールするように、身振り激しく話し出した。
「こちらは、倉井総理大臣の奥様で、大女優と謳われた木林美津子様だ! 西川課長の父方の伯母上に当たる方だ! そんな事も知らないで、良く日本人がやってられるな、ええ、おい。お前こそ外国に行った方が良いんじゃないのか? あ、それだと、日本の恥を世界にさらす事になっちまうか!」
話し終わると、岡島は勝ち誇ったように腰に手を当て、やや反り気味になっていた。
「あらまあ」倉井夫人は岡島を呆れ顔で見ながら言った。「何もそんなに大きな声で、しかも同僚の方を罵る事はないんじゃないかしら?」
夫人の一言で、周りから失笑が漏れた。岡島はうろたえた様子で、周りをきょろきょろと見回していた。京子と逸子は顔を見合わせ、声を出さずに「ねぇ~!」をそろえていた。夫人はコーイチの方に顔を向けた。
「でもあなた、良い度胸ね」それから西川に名前を尋ねた。「コーイチさんとおっしゃるのね。これだけの中で、あんな質問が良く出来たものね」
「はあ…… すみませんでした」コーイチは頭を下げた。「でも、知らないことは知らないんですから、知るようにしないと知ることができないわけなんです」
「そうね。『きくは一輪の花、きかざるはみざるいわざる』って言うものね。コーイチさん、気に入ったわよ」
夫人はそう言って楽しそうに笑った。そして、西川に言った。
「あなた、ダンスを見せてちょうだいな」
「すみません、もうやってしまいました」西川は言った。「営業四課は芸達者ぞろいなんですが、みな一通り披露してしまいました」
「それは残念ね。でも、私のわがままで二度も披露してもらうのは迷惑ね。ま、もう少し他の方たちとお話でもさせてもらうわ」
「ちょっと、Moment!」
綿垣社長が言いながら出て来て、手にしたワイングラスの中身をきゅーっと飲み干した。
「まだ一人残っているよ」社長は言って、コーイチを指差した。「You、コーイチ君、君の出番だよ」
つづく
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