「綾部…… さとみ……」
さゆりがつぶやく。
「そうだ!」アイが答える。「それで、何の用なんだ?」
「邪魔をするな……」さゆりはアイを睨みつける。可愛らしかった声は低くくぐもったそれに変わる。イヤな臭いが強くなってくる。「邪魔をするなぁぁぁ!」
さゆりが一喝すると、さゆりの髪が逆立ち、目尻が吊り上った。アイに向かって強烈な風が吹き付けた。
「……何だ、こりゃあ?」アイは戸惑い、信吾に振り返る。「おい、これはどうなってんだ!」
「分かんねぇけど、ヤバいって!」信吾は叫ぶ。「とにかくよ、そこから逃げろ!」
「逃がさん!」
さゆりの低い声が響く。と、さゆりは両腕を高く差し上げた。それをアイに向かって勢い良く振り下ろす。
「うわあっ!」
アイが悲鳴を上げた。振り下ろされたさゆりの手から衝撃波が打たれた。それを胸元に受けたアイは吹き飛ばされ、コンクリート製の屋上の床に転がった。
「邪魔をするなぁぁ!」
さゆりは再び腕を振り上げ、振り下ろした。転がっているアイを衝撃波が打つ。アイは床を転がった。更にもう一撃が放たれた。アイはさらに転がり、信吾の足元まで来た。
「おい、アイ!」信吾が呼びかける。うつ伏せたまま返事が無い。「おいってばぁ!」
さゆりは信吾に振り返った。少し距離はあったが、吊り上った眼は黒目が無く真っ赤で、口の両端も裂けて吊り上り、尖った歯が覗いているのが見えていた。子供の頃漫画で見た地獄の鬼を思い出した信吾だった。
さゆりはふらりと身を揺すった。と、次の瞬間、信吾のすぐ前に立っていた。
「失せろ! 邪魔をするなぁぁ!」
地の底から響いてくるような声でさゆりは言い、信吾を睨みつけた。
「へ…… へへへ……」
信吾は豹変したさゆりを見ながら、正気を失ったように笑い、気を失ってしまった。
さゆりは動かなくなったアイを見る。
「綾部、さとみ……」さゆりはつぶやく。「邪魔をするな……」
ベンチがゆっくりと浮き上がり始めた。さゆりの背よりも高く浮かび上がったベンチは、ゆらゆらと揺れながらさゆりの方へと漂ってくる。
ベンチは倒れているアイの真上で止まっている。さゆりはじっと倒れているアイを見下ろしている。さゆりの口元が残忍な笑みを作る。ベンチが一段高く浮き上がった。ベンチをアイに叩きつけるつもりのようだ。
「……お待ちよ」
伝法な言い方の女の声がした。さゆりは声の方を向いた。
洗い髪をそのまま長く垂らした遊女風ななりの若い女が立っていた。豹変しているさゆりを見ても顔色一つ変えない。それどころか、負けん気の強そうな笑みを浮かべて、さゆりを見返している。
「楓……」
さゆりがつぶやく。
女は元は繁華街に巣食う主を取り巻く四天王の一人の楓だった。だったと言うのは、もう過去の話だからだ。
以前は、繁華街の主の持つ怨念が周囲に碌でもない霊たちを呼び寄せ、繁華街は悪の巣窟のような状況だった。そのように集まった霊の中で飛び抜けて凶悪で邪悪な四体の霊が四天王を名乗っていた。その中の一人が楓だった。
豆蔵やみつの活躍で四天王は楓以外が消え失せ、さとみによって主は改心し、イヤな雰囲気だった繁華街も健全なものへと生まれ変わった。棲み家を奪われた楓はさとみを恨んでいた。
しかし、楓はその後、百合恵との付き合いによって大人しくなり、恨みを捨てていたのだが……
「そこのお嬢ちゃんはさとみじゃないよ」
楓は言いながら袖手(作者註:両腕を反対側の袖に入れた姿の事で「しゅうしゅ」と読みます)のままで、うつ伏せているアイの傍まで行き、膝を追って屈みこむ。
「この娘は、アイって言ったかな? さとみはもっと、ちんちくりんで寸胴でぷにぷにでぺちゃぱいだよ」
楓は言うと、自分の言葉がおかしかったのか、くすっと笑う。
「綾部さとみではないのかえ……」さゆりは舌打ちをする。豹変した顔が元に戻った。「じゃあ、何故さとみと名乗ったのだ?」
「さあねぇ…… でも、この娘、さとみといっしょにいたねぇ」
「なんだってぇ!」さゆりが再び豹変した。髪が逆立ち、冷たい風とイヤな臭いが興る。「じゃあ、こやつはさとみの仲間か!」
「まあ、そう言えるかもねぇ……」楓は袖手のままで立ち上がる。「どうするんだい?」
アイの真上で止まっていたベンチがふわりとまた高く上がった。さゆりは豹変したままの表情を楓に向ける。
「分かるだろう? 坊主憎けりゃ袈裟までも、だ」
「やめときなよ」楓が言う。「ここで変に騒ぎを起こすと、校長室の時みたいに、変なじじいが出て来やがるから。あのじじい、かなりのヤツだったねぇ…… それに、さとみを守っているばばあどもも出て来るかもだよ」
「……取り巻きの霊共は捕まえたんだがな」
「それだけで、十分効いているよ」
ベンチは床に音を立てて転がった。
「そう、それで良いよ。後は向こうの出方を見ようじゃないか」
楓は笑う。さゆりは姿を消した。楓もその後を追うように姿を消す。
つづく
さゆりがつぶやく。
「そうだ!」アイが答える。「それで、何の用なんだ?」
「邪魔をするな……」さゆりはアイを睨みつける。可愛らしかった声は低くくぐもったそれに変わる。イヤな臭いが強くなってくる。「邪魔をするなぁぁぁ!」
さゆりが一喝すると、さゆりの髪が逆立ち、目尻が吊り上った。アイに向かって強烈な風が吹き付けた。
「……何だ、こりゃあ?」アイは戸惑い、信吾に振り返る。「おい、これはどうなってんだ!」
「分かんねぇけど、ヤバいって!」信吾は叫ぶ。「とにかくよ、そこから逃げろ!」
「逃がさん!」
さゆりの低い声が響く。と、さゆりは両腕を高く差し上げた。それをアイに向かって勢い良く振り下ろす。
「うわあっ!」
アイが悲鳴を上げた。振り下ろされたさゆりの手から衝撃波が打たれた。それを胸元に受けたアイは吹き飛ばされ、コンクリート製の屋上の床に転がった。
「邪魔をするなぁぁ!」
さゆりは再び腕を振り上げ、振り下ろした。転がっているアイを衝撃波が打つ。アイは床を転がった。更にもう一撃が放たれた。アイはさらに転がり、信吾の足元まで来た。
「おい、アイ!」信吾が呼びかける。うつ伏せたまま返事が無い。「おいってばぁ!」
さゆりは信吾に振り返った。少し距離はあったが、吊り上った眼は黒目が無く真っ赤で、口の両端も裂けて吊り上り、尖った歯が覗いているのが見えていた。子供の頃漫画で見た地獄の鬼を思い出した信吾だった。
さゆりはふらりと身を揺すった。と、次の瞬間、信吾のすぐ前に立っていた。
「失せろ! 邪魔をするなぁぁ!」
地の底から響いてくるような声でさゆりは言い、信吾を睨みつけた。
「へ…… へへへ……」
信吾は豹変したさゆりを見ながら、正気を失ったように笑い、気を失ってしまった。
さゆりは動かなくなったアイを見る。
「綾部、さとみ……」さゆりはつぶやく。「邪魔をするな……」
ベンチがゆっくりと浮き上がり始めた。さゆりの背よりも高く浮かび上がったベンチは、ゆらゆらと揺れながらさゆりの方へと漂ってくる。
ベンチは倒れているアイの真上で止まっている。さゆりはじっと倒れているアイを見下ろしている。さゆりの口元が残忍な笑みを作る。ベンチが一段高く浮き上がった。ベンチをアイに叩きつけるつもりのようだ。
「……お待ちよ」
伝法な言い方の女の声がした。さゆりは声の方を向いた。
洗い髪をそのまま長く垂らした遊女風ななりの若い女が立っていた。豹変しているさゆりを見ても顔色一つ変えない。それどころか、負けん気の強そうな笑みを浮かべて、さゆりを見返している。
「楓……」
さゆりがつぶやく。
女は元は繁華街に巣食う主を取り巻く四天王の一人の楓だった。だったと言うのは、もう過去の話だからだ。
以前は、繁華街の主の持つ怨念が周囲に碌でもない霊たちを呼び寄せ、繁華街は悪の巣窟のような状況だった。そのように集まった霊の中で飛び抜けて凶悪で邪悪な四体の霊が四天王を名乗っていた。その中の一人が楓だった。
豆蔵やみつの活躍で四天王は楓以外が消え失せ、さとみによって主は改心し、イヤな雰囲気だった繁華街も健全なものへと生まれ変わった。棲み家を奪われた楓はさとみを恨んでいた。
しかし、楓はその後、百合恵との付き合いによって大人しくなり、恨みを捨てていたのだが……
「そこのお嬢ちゃんはさとみじゃないよ」
楓は言いながら袖手(作者註:両腕を反対側の袖に入れた姿の事で「しゅうしゅ」と読みます)のままで、うつ伏せているアイの傍まで行き、膝を追って屈みこむ。
「この娘は、アイって言ったかな? さとみはもっと、ちんちくりんで寸胴でぷにぷにでぺちゃぱいだよ」
楓は言うと、自分の言葉がおかしかったのか、くすっと笑う。
「綾部さとみではないのかえ……」さゆりは舌打ちをする。豹変した顔が元に戻った。「じゃあ、何故さとみと名乗ったのだ?」
「さあねぇ…… でも、この娘、さとみといっしょにいたねぇ」
「なんだってぇ!」さゆりが再び豹変した。髪が逆立ち、冷たい風とイヤな臭いが興る。「じゃあ、こやつはさとみの仲間か!」
「まあ、そう言えるかもねぇ……」楓は袖手のままで立ち上がる。「どうするんだい?」
アイの真上で止まっていたベンチがふわりとまた高く上がった。さゆりは豹変したままの表情を楓に向ける。
「分かるだろう? 坊主憎けりゃ袈裟までも、だ」
「やめときなよ」楓が言う。「ここで変に騒ぎを起こすと、校長室の時みたいに、変なじじいが出て来やがるから。あのじじい、かなりのヤツだったねぇ…… それに、さとみを守っているばばあどもも出て来るかもだよ」
「……取り巻きの霊共は捕まえたんだがな」
「それだけで、十分効いているよ」
ベンチは床に音を立てて転がった。
「そう、それで良いよ。後は向こうの出方を見ようじゃないか」
楓は笑う。さゆりは姿を消した。楓もその後を追うように姿を消す。
つづく
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