昼休み、さとみは保健室にいた。さとみだけではない。朱音としのぶ、麗子、松原先生もいた。
いつも昼休みに集まり合う『百合恵会』だったが、一番に来るアイが来ない。どうしたのかと皆で話している所に松原先生が来て、アイが保健室にいると知らされたのだ。一番に駈け出したのは麗子だった。
保健室のベッドにはアイが寝かされていた。ベッド横の丸椅子には麗子が座り、目に涙を浮かべながら、アイの手をしっかりと握っていた。もう一つある丸椅子には、呆けた表情の友川信吾が座っていて、ぼうっと定まらない視線でアイを見ていた。
「で、何があったんです?」
松原先生が、保健室の姫野先生に訊く。大柄で恰幅の良い姫野先生は両手を白衣のポケットに突っこんだまま立っていた。
「昼休みに屋上に上がった生徒が見つけたんですよ」パーマのきつい髪をごしゃごしゃと掻き回しながら、姫野先生が答える。趣味は歌と言うだけあって、声は綺麗なソプラノ系だ。「二人が倒れていて、そのそばにベンチが転がっていた。一方はアイ。この娘、色々と有名だからすぐに分かった。もう一方の彼君(姫野先生は信吾をあごで示す)は、クラスメイトがたまたまそこに居て分かった」
「ベンチが転がっていたって……」松原先生がイヤな顔をする。「まさか、アイが彼君(松原先生も信吾をあごで示す)をベンチで殴りつけたとか? いや、待てよ。だったら、アイが気を失うわけが無いか…… まさか、彼君、アイと闘って勝ったとか……?」
「いや、それは無いですねぇ」姫野先生が笑う。「共にそう言った外傷はなかった。彼君はなんだか大きなショックを受けたようです。ここに運ばれて来て、すぐに気がついたものの、何やら女性の名前を繰り返していましたからね」
「ほう……」松原先生は信吾を見る。「……君、落ち着いたかい?」
信吾はちらと松原先生を見るが、すぐに視線をアイに戻した。
「まだショック中か……」松原先生はぽりぽりと頭を掻く。「……で、アイはどうなんです?」
「擦り傷がありますね。屋上の床を転がったと言うか、転がされたと言うか……」
「転がっただけで、気を失っちまうんですか?」
「いや、だから、転がされたって言う感じです。胸の所に何かぶつかったような跡がありましてね、突き飛ばされたんじゃないですかねぇ」
「分からないんですか?」松原先生が言う。「あのアイを突き飛ばせるヤツなんて、この学校には居ないでしょうからねぇ…… とすれば学外者がアイと喧嘩を……」
「それは何とも言えませんわ。本人に聞いてみないと……」
松原先生はアイを見る。さとみたちは心配そうな表情でアイを見ていた。
「どうだ、綾部。何か思い当る事ってないか?」松原先生はさとみに訊く。「なんたって、アイはお前の舎弟だからなぁ……」
「いえ、それは分かりません……」さとみは松原先生を見る。「ただ、アイは最近は大人しかったです。わたしがもう喧嘩はダメって言ったら『分かりましたぁぁ!』って返事をしていたから……」
「そうです」しのぶが割って入る。「アイ先輩、もう不良は卒業だって言ってました。……ね、かね?」
「ええ、言ってました」朱音がうなずく。「今は百合恵さんの様な、強くて優しい素敵な女性になりたいって……」
「そうか……」松原先生はため息をつく。「じゃあ、何があったって言うんだ?」
また最初の疑問に戻ってしまった。
さとみも内心で大きなため息をついていた。
校長室で黒い影と闘った際、さとみの仲間が全員失われてしまったからだ(弱冠一名残っているが、さとみの眼中には無い)。その時に知り合った霊能者の片岡や、守護してくれている祖母の霊たちの話だと、失われたのではなくて何処かに囚われているとも事だったが、すぐ傍に居ないのであれば変わりはなかった。
……こんな時、豆蔵がいてくれたら「じゃあ、ちょいと調べてみやす」って、すぐに動いてくれるだろうなぁ。さとみはそう思っているうちに悲しくなってしまい、ぽろりと涙をこぼしてしまった。
「……どうしたの?」
姫野先生がさとみに声をかけた。
「いえ…… 何でもありません、大丈夫です……」
さとみは答えて涙を拭った。
「アイちゃんの傷は大した事無いわよ。ただ、それ以上に精神的なものが大きかったみたいねぇ。……そこの彼君のようにね」
姫野先生は、まだぼうっとしている信吾を、あごで示して言った。さとみは改めて信吾を見た。信吾の周りに灰色の薄い靄がまとわりついている。そのせいで少しぼうっとしているようだ。靄は徐々に晴れてきてはいるものの、まだ時間が掛かりそうだった。……みつさんがいたら、こんな靄なんか一刀両断してくれるんだけどなぁ。そう思うと、また涙がぽろりとこぼれた。
「……会長……」心配そうな声をかけてきたのはしのぶだった。「大丈夫なんて言ってましたけど、大丈夫には見えませんけど……」
「のぶったら、何を言ってんのか分からないわよ」朱音が言う。「……会長、どうしたんですか? 知らない男子生徒を見て泣くなんて?」
「……いや、何でも無いわ」
さとみは笑みを浮かべてみせる。それが痛々しいものに見えた朱音としのぶの二人は顔を見合わせ、不安な顔付きになる。
「あっ! アイ!」
麗子が大きな声を出した。
皆がベッドを覗く。
アイがうっすらと目を開けたのだ。
つづく
いつも昼休みに集まり合う『百合恵会』だったが、一番に来るアイが来ない。どうしたのかと皆で話している所に松原先生が来て、アイが保健室にいると知らされたのだ。一番に駈け出したのは麗子だった。
保健室のベッドにはアイが寝かされていた。ベッド横の丸椅子には麗子が座り、目に涙を浮かべながら、アイの手をしっかりと握っていた。もう一つある丸椅子には、呆けた表情の友川信吾が座っていて、ぼうっと定まらない視線でアイを見ていた。
「で、何があったんです?」
松原先生が、保健室の姫野先生に訊く。大柄で恰幅の良い姫野先生は両手を白衣のポケットに突っこんだまま立っていた。
「昼休みに屋上に上がった生徒が見つけたんですよ」パーマのきつい髪をごしゃごしゃと掻き回しながら、姫野先生が答える。趣味は歌と言うだけあって、声は綺麗なソプラノ系だ。「二人が倒れていて、そのそばにベンチが転がっていた。一方はアイ。この娘、色々と有名だからすぐに分かった。もう一方の彼君(姫野先生は信吾をあごで示す)は、クラスメイトがたまたまそこに居て分かった」
「ベンチが転がっていたって……」松原先生がイヤな顔をする。「まさか、アイが彼君(松原先生も信吾をあごで示す)をベンチで殴りつけたとか? いや、待てよ。だったら、アイが気を失うわけが無いか…… まさか、彼君、アイと闘って勝ったとか……?」
「いや、それは無いですねぇ」姫野先生が笑う。「共にそう言った外傷はなかった。彼君はなんだか大きなショックを受けたようです。ここに運ばれて来て、すぐに気がついたものの、何やら女性の名前を繰り返していましたからね」
「ほう……」松原先生は信吾を見る。「……君、落ち着いたかい?」
信吾はちらと松原先生を見るが、すぐに視線をアイに戻した。
「まだショック中か……」松原先生はぽりぽりと頭を掻く。「……で、アイはどうなんです?」
「擦り傷がありますね。屋上の床を転がったと言うか、転がされたと言うか……」
「転がっただけで、気を失っちまうんですか?」
「いや、だから、転がされたって言う感じです。胸の所に何かぶつかったような跡がありましてね、突き飛ばされたんじゃないですかねぇ」
「分からないんですか?」松原先生が言う。「あのアイを突き飛ばせるヤツなんて、この学校には居ないでしょうからねぇ…… とすれば学外者がアイと喧嘩を……」
「それは何とも言えませんわ。本人に聞いてみないと……」
松原先生はアイを見る。さとみたちは心配そうな表情でアイを見ていた。
「どうだ、綾部。何か思い当る事ってないか?」松原先生はさとみに訊く。「なんたって、アイはお前の舎弟だからなぁ……」
「いえ、それは分かりません……」さとみは松原先生を見る。「ただ、アイは最近は大人しかったです。わたしがもう喧嘩はダメって言ったら『分かりましたぁぁ!』って返事をしていたから……」
「そうです」しのぶが割って入る。「アイ先輩、もう不良は卒業だって言ってました。……ね、かね?」
「ええ、言ってました」朱音がうなずく。「今は百合恵さんの様な、強くて優しい素敵な女性になりたいって……」
「そうか……」松原先生はため息をつく。「じゃあ、何があったって言うんだ?」
また最初の疑問に戻ってしまった。
さとみも内心で大きなため息をついていた。
校長室で黒い影と闘った際、さとみの仲間が全員失われてしまったからだ(弱冠一名残っているが、さとみの眼中には無い)。その時に知り合った霊能者の片岡や、守護してくれている祖母の霊たちの話だと、失われたのではなくて何処かに囚われているとも事だったが、すぐ傍に居ないのであれば変わりはなかった。
……こんな時、豆蔵がいてくれたら「じゃあ、ちょいと調べてみやす」って、すぐに動いてくれるだろうなぁ。さとみはそう思っているうちに悲しくなってしまい、ぽろりと涙をこぼしてしまった。
「……どうしたの?」
姫野先生がさとみに声をかけた。
「いえ…… 何でもありません、大丈夫です……」
さとみは答えて涙を拭った。
「アイちゃんの傷は大した事無いわよ。ただ、それ以上に精神的なものが大きかったみたいねぇ。……そこの彼君のようにね」
姫野先生は、まだぼうっとしている信吾を、あごで示して言った。さとみは改めて信吾を見た。信吾の周りに灰色の薄い靄がまとわりついている。そのせいで少しぼうっとしているようだ。靄は徐々に晴れてきてはいるものの、まだ時間が掛かりそうだった。……みつさんがいたら、こんな靄なんか一刀両断してくれるんだけどなぁ。そう思うと、また涙がぽろりとこぼれた。
「……会長……」心配そうな声をかけてきたのはしのぶだった。「大丈夫なんて言ってましたけど、大丈夫には見えませんけど……」
「のぶったら、何を言ってんのか分からないわよ」朱音が言う。「……会長、どうしたんですか? 知らない男子生徒を見て泣くなんて?」
「……いや、何でも無いわ」
さとみは笑みを浮かべてみせる。それが痛々しいものに見えた朱音としのぶの二人は顔を見合わせ、不安な顔付きになる。
「あっ! アイ!」
麗子が大きな声を出した。
皆がベッドを覗く。
アイがうっすらと目を開けたのだ。
つづく
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