アイは屋上を見回す。信吾が言っていたベンチがある。鳥の呑気なさえずりが聞こえる。それに混じって、車の音もする。暖かな日差しと風が吹いている。
「なんでぇ、何にもねぇや……」アイはつぶやく。「でも、会長の名前を口にしたとあっちゃあ、見過ごせねぇ……」
アイは先頃の校長室の出来事を思い出していた。目茶苦茶になった校長室を見るのは愉快だったが、後で聞いたさとみの話に、さすがのアイもぞっとした。話だと、強力な霊が目覚めたとか…… 百合恵もその話にうなずいていた。霊とかを信じ切れていないアイも、会長と特別顧問の話ならば、信じる事にした。そして、今、幽霊みたいなのがさとみの名を言ったと信吾から聞いた。これは調べなきゃならないな。アイは決心していた。
背後で出入りの扉が軋む。アイが振り返ると、信吾が立っていた。
「どうしたんだ、信吾?」アイが不思議そうな顔をする。「怖くて逃げ出したんじゃなかったっけ?」
「そうだけどよう……」信吾は不貞腐れた顔で屋上に出てきた。「女一人で危険な所に行かせられねぇよう」
「何? ナイトのつもりかい?」アイは爆笑する。「ははは! お前じゃ、足手纏いになるだけだぜ!」
「そう言うなよな」信吾はますます不貞腐れる。「アイが強いってのは聞いているから、オレの出番はないかもだけどさ……」
「だったら、教室に戻れば良いじゃん」
「今さら教室なんかに戻れねぇよ」
「じゃあ、帰れよ。かえってママにでも良い子良い子してもらえ!」
「おい、そりゃあ言い過ぎだろうがよう!」
「なんだ? やるのかぁ?」
アイが険しい表情になって身構える。アイ一人で百人からのレディースのチームを潰した事があると聞いていた信吾は、顔の前に右手を立てて必死に左右に振って見せた。闘う意思が無い事を示すためだ。
「ふん!」アイは構えを解く。信吾はほっとため息をつく。「……それで? お前がベンチに居たら出てきたんだってか?」
「……ああ、そうだ……」信吾の声が嗄れている。「寝転がっていたら、冷たい風とイヤな臭いがして……」
アイはベンチへと歩む。そして、ベントの真ん中にどっかりと座り込んだ。
「おい、アイ……」信吾は慌てる。「ヤバいって……」
「ヤバかろうが何だろうが、そいつが出て来なきゃ、話にならないぜ」
「だろうけどさぁ……」
「怖いんなら戻れよ」
「いや、そうは行かない…… だろう?」
「いてもいなくても、変わんねぇよ」
「そんな事言うなよ……」
アイは、困った顔で立っている信吾を無視し、ベンチの背もたれに両腕を掛けて、空を見上げる。何やら得体のしれないものがいると言うのに、久々に落ち着いた気分になった。暖かな日差しと穏やかな南風が、アイをほっとさせたのだろう。目を閉じた。つぴつぴつぴと名前を知らない小鳥のさえずりが聞こえている。
信吾はそんなアイを見て、美しいと素直に思っていた。今なら唇を奪えるかもしれない、脈ありと勘違いしている信吾はそうも思った。そっとアイに近づいて行く。アイは全く気がついていない。と言うよりも、信吾の存在などすでに忘れていたと言った方が良かった。もし、信吾は良からぬ事をしでかしたら、信吾の生命は保証できない。
しかし、それに全く気付いていない信吾だった。目を閉じたアイの顔がとてつも無く美しく見え、こんな表情は自分にだけ見せているのだと、思春期男子の妄想でいっぱいになっている今の信吾には、どんな助言も忠告も聞こはしないだろう。
突然、アイは目を開けた。すぐそばに立っていた信吾は慌てて後方へと飛び退いた。
アイが目を開けたのは、信吾が言っていた、冷たい風と臭いを感じたからだった。アイは立ち上がり、風の吹いてくる方を見た。信吾もアイの視線の先を追う。
「うわっ! 出たっ!」
信吾は叫んでさらに飛び退いた。アイはそんな信吾を無視して立っている。
さゆりがそこに居たのだ。さゆりはアイを見つめている。アイは怖じ気る事無くさゆりを見ている。
さゆりを目の前にすると、信吾が言っていたように幽霊だと思わせる。現実離れした姿だからだ。
「……あなた……」さゆりはアイに言う。「……綾部 ……さとみ、を知っている?」
アイは目を丸くする。信吾が言っていたように、本当にさとみの名前を口にしたからだ。途端にアイは険しい表情になる。
「知っていたら、どうだって言うんだ?」
「知っているのかえ……?」さゆりはアイの表情の変化に関わる事無く言う。「綾部さとみ…… 知っているのかえ?」
「ふん!」アイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。「お前が何だか知らねぇが、気安く人の名を呼ぶんじゃねぇ!」
「お前が……?」さゆりは小首をかしげ、アイを見つめる。「お前が綾部さとみなのかえ?」
「ああ、そうだ!」アイはどんと胸を叩いて見せた。「わたしが綾部さとみだ!」
つづく
「なんでぇ、何にもねぇや……」アイはつぶやく。「でも、会長の名前を口にしたとあっちゃあ、見過ごせねぇ……」
アイは先頃の校長室の出来事を思い出していた。目茶苦茶になった校長室を見るのは愉快だったが、後で聞いたさとみの話に、さすがのアイもぞっとした。話だと、強力な霊が目覚めたとか…… 百合恵もその話にうなずいていた。霊とかを信じ切れていないアイも、会長と特別顧問の話ならば、信じる事にした。そして、今、幽霊みたいなのがさとみの名を言ったと信吾から聞いた。これは調べなきゃならないな。アイは決心していた。
背後で出入りの扉が軋む。アイが振り返ると、信吾が立っていた。
「どうしたんだ、信吾?」アイが不思議そうな顔をする。「怖くて逃げ出したんじゃなかったっけ?」
「そうだけどよう……」信吾は不貞腐れた顔で屋上に出てきた。「女一人で危険な所に行かせられねぇよう」
「何? ナイトのつもりかい?」アイは爆笑する。「ははは! お前じゃ、足手纏いになるだけだぜ!」
「そう言うなよな」信吾はますます不貞腐れる。「アイが強いってのは聞いているから、オレの出番はないかもだけどさ……」
「だったら、教室に戻れば良いじゃん」
「今さら教室なんかに戻れねぇよ」
「じゃあ、帰れよ。かえってママにでも良い子良い子してもらえ!」
「おい、そりゃあ言い過ぎだろうがよう!」
「なんだ? やるのかぁ?」
アイが険しい表情になって身構える。アイ一人で百人からのレディースのチームを潰した事があると聞いていた信吾は、顔の前に右手を立てて必死に左右に振って見せた。闘う意思が無い事を示すためだ。
「ふん!」アイは構えを解く。信吾はほっとため息をつく。「……それで? お前がベンチに居たら出てきたんだってか?」
「……ああ、そうだ……」信吾の声が嗄れている。「寝転がっていたら、冷たい風とイヤな臭いがして……」
アイはベンチへと歩む。そして、ベントの真ん中にどっかりと座り込んだ。
「おい、アイ……」信吾は慌てる。「ヤバいって……」
「ヤバかろうが何だろうが、そいつが出て来なきゃ、話にならないぜ」
「だろうけどさぁ……」
「怖いんなら戻れよ」
「いや、そうは行かない…… だろう?」
「いてもいなくても、変わんねぇよ」
「そんな事言うなよ……」
アイは、困った顔で立っている信吾を無視し、ベンチの背もたれに両腕を掛けて、空を見上げる。何やら得体のしれないものがいると言うのに、久々に落ち着いた気分になった。暖かな日差しと穏やかな南風が、アイをほっとさせたのだろう。目を閉じた。つぴつぴつぴと名前を知らない小鳥のさえずりが聞こえている。
信吾はそんなアイを見て、美しいと素直に思っていた。今なら唇を奪えるかもしれない、脈ありと勘違いしている信吾はそうも思った。そっとアイに近づいて行く。アイは全く気がついていない。と言うよりも、信吾の存在などすでに忘れていたと言った方が良かった。もし、信吾は良からぬ事をしでかしたら、信吾の生命は保証できない。
しかし、それに全く気付いていない信吾だった。目を閉じたアイの顔がとてつも無く美しく見え、こんな表情は自分にだけ見せているのだと、思春期男子の妄想でいっぱいになっている今の信吾には、どんな助言も忠告も聞こはしないだろう。
突然、アイは目を開けた。すぐそばに立っていた信吾は慌てて後方へと飛び退いた。
アイが目を開けたのは、信吾が言っていた、冷たい風と臭いを感じたからだった。アイは立ち上がり、風の吹いてくる方を見た。信吾もアイの視線の先を追う。
「うわっ! 出たっ!」
信吾は叫んでさらに飛び退いた。アイはそんな信吾を無視して立っている。
さゆりがそこに居たのだ。さゆりはアイを見つめている。アイは怖じ気る事無くさゆりを見ている。
さゆりを目の前にすると、信吾が言っていたように幽霊だと思わせる。現実離れした姿だからだ。
「……あなた……」さゆりはアイに言う。「……綾部 ……さとみ、を知っている?」
アイは目を丸くする。信吾が言っていたように、本当にさとみの名前を口にしたからだ。途端にアイは険しい表情になる。
「知っていたら、どうだって言うんだ?」
「知っているのかえ……?」さゆりはアイの表情の変化に関わる事無く言う。「綾部さとみ…… 知っているのかえ?」
「ふん!」アイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。「お前が何だか知らねぇが、気安く人の名を呼ぶんじゃねぇ!」
「お前が……?」さゆりは小首をかしげ、アイを見つめる。「お前が綾部さとみなのかえ?」
「ああ、そうだ!」アイはどんと胸を叩いて見せた。「わたしが綾部さとみだ!」
つづく
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