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大怪獣オチラ 六

2007年10月20日 | 大怪獣 オチラ(全六話完結)
 生活様式の変化に関しては国連も後押しを行った。WHOは健康および生命の維持に影響が無い不衛生さの基準を発表し、各国はそれを積極的に取り入れ始めた。当然反対論も噴出したが「もしもオチラが現れて破壊行動を行った場合に責任が取れるのか」と逆に問われると、沈黙せざるを得なかった。
 人々の清潔面や衛生面の認識にも変化が現れ出した。風呂に入らない、衣服を着替えないなどが常識となり、路上では常にごみが悪臭を漂わせるようになり、食事も洗わない食器から洗わない手で直接食べるスタイルが一般化した。
 メティアは「ビューティは過去の汚物」と煽り、ハリウッド映画「ダスティ・ボーイ」の中で名子役オルド・オルドニー演じる主人公アルマ少年のセリフ「僕は世界一汚い」が世界で流行し、アルマ少年を真似る子供や若者が増えた。
 また、破壊された都市は再建されず「オチラ破壊記念公園」として人々の憩いの場及びごみの投棄場と化した。
 このような暮らしが通常のものとなって行くにつれ、オチラの出現は減って行った。
 オチラの最後の出現から五年が経った頃、国連が「世界オチラ撲滅記念日」の制定を提唱し、世界各国が賛意を示した。
 瓦礫とごみだらけの廃墟ロンドンに各国代表の舞踏団が一堂に会し、薄汚れて悪臭を放つ民族衣装を纏い、大汗をかいて更に悪臭を増加させながら踊る様が、全世界に中継された。人類は久しぶりに心の底から平和を噛み締め、笑い会った。
 だが、このような動きに反対を唱える者たちがいた。フランス人のローラン・ガピエールを中心とする一部の者たちだった。ガピエールは「オチラを恐れて人類が長年掛けて築いてきた文化や伝統をないがしろにすべきではない。もしオチラが襲ってきても人類は最後まで人類としての誇りを捨ててはならない」と語った。
 多くの人々はつまらぬ理想論と罵り、相手にしなかった。しかし、ガピエールたちのグループがフランスのブルゴーニュで清潔で衛生的な生活を実践し始めると、オチラ出現を恐れる全世界から非難が集中した。
 実際にそこで地震が数度起こった事を期に、フランス大統領ミッシエル・マモネは軍を派遣し解散を命じた。だが、ガピエールたちはそれに応じず、公式発表では「やむなく」軍は総攻撃と言う「やや強硬な説得」を行い、ガピエールを含む千七百四十二人を殺戮すると言う「説得は無事に成功」した。
 世界はこの公式発表を受け入れ、マモネ大統領はオチラから人類を救った人物として、その年から再開されたノーベル賞の「ノーベル平和賞」を受賞した。また、人類を救った人物として田中も受賞し、ノーベル賞受賞最年少の記録を作った。
 ブルゴーニュの地震以降、オチラは予兆も出現も示さなくなった。

 かくして、人類はオチラの恐怖を過去のものとした。
 人類万歳! 
 地球万歳!


 

 ブルゴーニュの殺戮現場の瓦礫の中に一枚の手書きの報告書が風を受けてはためいていた。
 ローラン・ガピエールの一派だったオーストラリアの細菌学者シドニー・キャンベルの手になるものだ。
 そこには短く、こう書かれていた。
「オチラによる人類の破滅までの年数・・・約二十年
 環境の変化により生じた種々の細菌による人類の破滅までの年数・・・十年以内」


これにて「大怪獣オチラ」全編の幕と致します。ご愛読心より感謝申し上げます。




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