お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

探偵小説 「桜沢家の人々」 11

2008年02月17日 | 探偵小説(好評連載中)
 正部川は大きな燕尾服と格闘していたため、やり取りがまったく聞こえていなかったようだ。
 困ったような顔で、えぐえぐ泣きじゃくる冴子をしばらく見据えていた正部川は、
「一体何がどうなっているんです?」
と、大男の一人に顔を向けた。しかし、答えはなかった。
 もう一人も石のように固まったまま、その場に立ち尽くしている。
「大沢さん・・・」
 正部川は大沢に声をかけた。しかし、大沢は正部川を見ようともせず、ひたすら冴子に「申し訳ございません!」を泣き声交じりで繰り返し、何度も頭を下げていた。
 正部川はどうして良いものか分からず、頭をぼりぼりと掻き出した。
 店内には、冴子の鳴き声と大沢の泣き声が入り乱れていた。
「冴子・・・」
 しばらくして、泣きじゃくる声が少し弱まったのを機に、正部川は取り合えず声をかけてみた。冴子は涙を手の甲で幾度も拭いながら、正部川を睨むように見つめた。
「何よう・・・」
 冴子が弱々しい声で、それでもいつもの気丈な喋り方で答えた。
「僕だけ何にも分からない状態なんだけど・・・」
「別に、あなたが分かる必要はないわ!」
 冴子がぷっと頬を膨らませてそっぽを向く。
「そうは行かないな」
「どうしてよ!」
 冴子は頬を膨らませたまま正部川の方へ向き直す。
「人の持つ秘密や悲しみ・・・ これは小説の題材になることが多いんだ。島崎藤村なんかは自分の秘密を題材にしたけど、むちゃくちゃだぜ!」
「あ、あなたは・・・」冴子は 正部川の方へ進み出る。「わたしから話を聞き出して、売れもしない、誰も読みもしない、才能のかけらも感じない、下らない、馬鹿馬鹿しい、どうしようもない、あなた同様の不細工な文章を書き連ねた、世界一つまらない物を作ろって言うの?」
「そんな言い方はないだろう。小説だよ、小説! 筆一本で世界が書けるんだぞ。心が書けるんだぞ。いや、全てを表すことができるんだぞ!」
「馬っ鹿じゃないの!」
 冴子は怒りに震えながら、正部川の鼻先にまで顔を寄せ睨みつけた。正部川も負けじと冴子を睨み返す。
 ふと、冴子の視界に何かが入って来た。そちらへ目をやると、姿見に、正部川とぎりぎりの位置で立っている自分が映っていた。なんと無く見覚えのある風景だった。そう思った途端、胸が一度ドキンと高鳴った。あわてて数歩下がる。
「・・・いいわ、話してあげる・・・」
 冴子が急にしおらしい声で言った。
「では、お嬢様、行く道すがらでお話しされてはいかがで・・・」
 大男の一人が低い声で言った。なんとなく安堵の気持ちが読み取れる。
「そうね、先方様をお待たせし過ぎちゃ、いけないわね」
 冴子は店を出ようとした。
「冴子様!」
 大沢が必死に声をかけた。冴子は大沢を見た。優しい笑顔を向けた。
「大沢さん、取り乱しちゃって、ごめんなさい。お気になさらないでね。また参りますわ」
 手を振りながら店を出る。いつの間にか車が横付けされていた。正部川は助手席に乗り込もうとした。
「正部川君、話をしたいから、隣に来て頂戴」
 冴子が車の中から声をかけた。正部川は、憮然とした表情で降りて来た大男にぺこりと頭を下げ、席を交換した。大男が座っていた場所に貧相な正部川が腰をかけた。後部シートが妙に広々して見えた。
 車が走り出し、しばらくして正部川が隣の冴子に身体ごと向いて言った。
「ところで、冴子・・・」
「なによ!」いつもの冴子に戻っていた。「あわてなくてもちゃんと話してあげるわよ!」
「それは良いんだけど・・・」正部川は自分の胸を指差した。「僕の服は、どうなるんだい?」

    続く


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