坊主は錫杖に数珠を打ち付けるのをやめました。
「ほほう、敵わぬと悟ったか! さっさと立ち去れい! 今ならその命、放っておいてやろうぞ」
わたくしの口は言い、笑います。坊主は数珠を袂にしまい、錫杖を地面から抜き取りました。
わたくしは燃え盛る屋敷を見ておりました。すると、黒い人形がぞろぞろと出てまいりました。何か薄汚いものを引きずっています。父でございました。
煤で顔やからだを黒く染め、着ている物も乱れ破れており、所々から小さく炎が上がっております。ぐったりはしておりますが、頭を無意味の左右に振っていますので、意識はあるようでございます。人形に引きずられながら、父がわたくしの横を過ぎて行きます。父がふと顔を上げ、わたくしを見ます。目が合いました。
「……きくの……」絶え絶えの息の中で父がわたくしの名を呼びます。「青井は鬼ではない…… 人だ…… 悲しき定めを負うた人なのだ……」
「お父様……」わたくしは父の姿を見てつぶやきました。ですが、途端に憤怒の思いが全身を貫きました。「ふざけた事をぬかすな! 鬼になれなんだきさまがとやかくぬかすな!」
わたくしの口がそう言うと、父を引きずっていた人形どもが呼応するように薄気味の悪い雄叫びを上げました。そして、再び父を引きずりはじめました。引きずる先には口の開いた井戸がございました。
「待てい!」
大音声が致しました。坊主が人形の前に立ち、両腕を大きく広げ、行く手を阻んでおりました。
「おのれら、その者から手を離せ! おのれらは、そこな鬼に振り回されておるだけぞ!」
人形どもは立ち止まり、ゆらゆらとからだを左右に揺らしております。
「おのれらの恨みの心、分からぬではない。なれど、鬼に堕ちることはない! 御仏の慈悲に縋れ! おのれらの恨む心、御仏は充分に知って下されておる。今であれば御仏がお救い下さる!」
坊主は言うと短い念仏を唱えました。すると、坊主の横に点の様な黄金色の輝きが生じました。それが次第に大きくなってまいりました。
「ここを通りなされ! 御仏がお救い下さるぞ!」
人形が動き始めました。光に中へと進んでまいります。
「そうじゃ! 御仏の御心に参られい!」
わたくしの目は次々と光に入って行く黒い人形を見つめています。
「ははは…… 所詮は雑魚であったか。鬼になれぬ雑魚は仏に頭でも撫でてもらい、猫の様に喉を鳴らし媚を売れば良かろう」
わたくしの口はそう言うと笑い出しました。
黒い人形が全て光の中に入ってしまいました。光が小さくなり消えました。庭に父が倒れていました。父は動きませぬ。坊主は父の上に身を屈め、様子を見ております。
「……娘さん……」坊主は父から顔を上げて、わたくしを見上げます。「父上は亡くなったよ……」
その言葉にわたくしの中の何かが弾け飛びました。
つづく
「ほほう、敵わぬと悟ったか! さっさと立ち去れい! 今ならその命、放っておいてやろうぞ」
わたくしの口は言い、笑います。坊主は数珠を袂にしまい、錫杖を地面から抜き取りました。
わたくしは燃え盛る屋敷を見ておりました。すると、黒い人形がぞろぞろと出てまいりました。何か薄汚いものを引きずっています。父でございました。
煤で顔やからだを黒く染め、着ている物も乱れ破れており、所々から小さく炎が上がっております。ぐったりはしておりますが、頭を無意味の左右に振っていますので、意識はあるようでございます。人形に引きずられながら、父がわたくしの横を過ぎて行きます。父がふと顔を上げ、わたくしを見ます。目が合いました。
「……きくの……」絶え絶えの息の中で父がわたくしの名を呼びます。「青井は鬼ではない…… 人だ…… 悲しき定めを負うた人なのだ……」
「お父様……」わたくしは父の姿を見てつぶやきました。ですが、途端に憤怒の思いが全身を貫きました。「ふざけた事をぬかすな! 鬼になれなんだきさまがとやかくぬかすな!」
わたくしの口がそう言うと、父を引きずっていた人形どもが呼応するように薄気味の悪い雄叫びを上げました。そして、再び父を引きずりはじめました。引きずる先には口の開いた井戸がございました。
「待てい!」
大音声が致しました。坊主が人形の前に立ち、両腕を大きく広げ、行く手を阻んでおりました。
「おのれら、その者から手を離せ! おのれらは、そこな鬼に振り回されておるだけぞ!」
人形どもは立ち止まり、ゆらゆらとからだを左右に揺らしております。
「おのれらの恨みの心、分からぬではない。なれど、鬼に堕ちることはない! 御仏の慈悲に縋れ! おのれらの恨む心、御仏は充分に知って下されておる。今であれば御仏がお救い下さる!」
坊主は言うと短い念仏を唱えました。すると、坊主の横に点の様な黄金色の輝きが生じました。それが次第に大きくなってまいりました。
「ここを通りなされ! 御仏がお救い下さるぞ!」
人形が動き始めました。光に中へと進んでまいります。
「そうじゃ! 御仏の御心に参られい!」
わたくしの目は次々と光に入って行く黒い人形を見つめています。
「ははは…… 所詮は雑魚であったか。鬼になれぬ雑魚は仏に頭でも撫でてもらい、猫の様に喉を鳴らし媚を売れば良かろう」
わたくしの口はそう言うと笑い出しました。
黒い人形が全て光の中に入ってしまいました。光が小さくなり消えました。庭に父が倒れていました。父は動きませぬ。坊主は父の上に身を屈め、様子を見ております。
「……娘さん……」坊主は父から顔を上げて、わたくしを見上げます。「父上は亡くなったよ……」
その言葉にわたくしの中の何かが弾け飛びました。
つづく
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