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「『宇宙戦艦ヤマト』の歴史的意味」(東京国際映画祭アニメ・シンポジウム)感想

◎東京国際映画祭アニメ・シンポジウム「『宇宙戦艦ヤマト』の歴史的意味」

 2024年10月31日(木)、18時30分から19時50分、第37回東京国際映画祭の1つとして、東京ミッドタウン日比谷のBASE Qにて、配信あり、無料。
 出演は、氷川竜介さん(明治大学大学院国際日本学研究科 特任教授。1958年2月生)、藤津亮太さん(アニメ評論家)。

 簡単な進行と開演と終演を告げる司会みたいな人はいましたが、氷川さんに藤津さんが聞くという形。
 「宇宙戦艦ヤマト」のTV放送が1974年10月から1975年3月、全26話、2024年で50周年。TV版の総集編映画「宇宙戦艦ヤマト」が1977年8月6日公開、映画の「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が1978年8月5日公開。

 時間になると司会みたいな人が半ば強制的に終了を告げて終了、少しグッズ等の宣伝。ただ、冒頭で司会みたいな人が90分間(20時まで)と言っていたはずなので、アレッ?と思いました。
 まだまだ話し足りないという氷川さんでしたし、まだまだ聞き足りないという客でした。

・冒頭に撮影タイムがあり、そのときの写真。


○氷川さんの主な発言。
・ヤマトは画期的だったが、あの時期にあらわれた理由はよく分からない。

・当時は「テレビまんが」と呼ばれていて子供向けだったが、少し上や大人に向けたヤマトが「アニメ」として独立させた。
 「月刊アニメージュ」(1978年5月26日創刊)の創刊号の表紙が「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」。

・高校生の時に友達と3人で制作会社に頼み込んで設定資料をコピーさせてもらった。3人でコピー代が1万円くらい、1枚10円だったので3000枚くらいあった。
 当時のアニメは細かな設定があったわけではなかったが、ヤマトは細かい設定があった。

・(キャラがいない3枚の写真を示して)ヤマトの基本的なことはキャラクターを出さなくてもこの3枚で説明できる。当時のアニメはキャラクターが題名になっていて、キャラクターの説明が必要だった。
 ヤマトが見せようとしているのは「世界観」だった。

・特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)(庵野秀明理事長、氷川竜介副理事長、樋口真嗣副理事長)にヤマトの資料はあるが整理できていないので、理由の解明のためにも手伝って欲しい。

→コピーさせてくれるなんて、昔は緩かったんですね。それにしても、熱心すぎるファンです。


【shin】


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