思い付きブログ

「八日目の蝉」の感想。他人からの、自分への、他人への愛情

 「八日目の蝉」(2011年)

 監督  成島出

 出演  エリナ(井上真央)、キワコ(永作博美)、チグサ(小池栄子)、キシダ(劇団ひとり)等


 2010年にNHKでドラマ化されたようですし、原作からして話題作でした。
 4月にスカパー!で放送されてたので、今更の感想です。
 見たら、いろいろ書きたくなったので。


《あらすじ》
 不倫相手の生まれたばかりのエリナを誘拐して逃避行し、4歳まで育てたキワコ。
 キワコが捕まって、エリナは本当の親のもとに帰るが本当の親に馴染めないし、母も、不倫した父も、エリナを見ると不倫や事件を思い出して辛くなり、接し方が分からず。
 そんなこともあって1人暮らしをする大学生になったエリナは、ライターのチグサと共にエリナと暮らした場所を訪ね、これまでのわだかまりを解消していく。


《感想》
 いい映画でした。
 凡庸な言い方をすると、エリナがアイデンティティを手に入れる過程ですが、基本は「母性」を描いた作品。


○ キワコの不倫相手は妻と別れると騙して付き合い続け、キワコに中絶させ、妊娠出来ない身体になったり。
 不倫相手の妻は、そんなキワコに、おろすなんて信じられない、カラッポのがらんどう、と言って罵倒したり。

 エリナが付き合っているキシダもエリナの父と同じで、妻と別れると騙して不倫していて。
 でも、エリナは、キシダを愛しているか分からないと言っています。愛する、愛される、ということがどういうことか、実感がないのでしょう。
 で、妊娠するが、遊びと分かり、妊娠を告げずに別れて産むことにしたり。

 中絶を強要しようとする母には、かつて母がキワコに言った言葉を返したり。

 でも、エリナはキワコと違って、自分の意志で産むことや別れることを決め、自分で責任を取る覚悟をした訳で、一歩前進です。


○ 前半で、蝉は7日しか生きられないが、皆死ぬからいいじゃないか、もし8日目まで生きたら周りに誰もいなくてその方が悲しいと言っていたエリナ。
 後半の瀬戸内の小豆島のシーンで、8日目の蝉は他の蝉が見られなかった何かを見られるから、それはもしかしたら綺麗なものかも知れないから、8日目の蝉もいいのではないかとチグサが言い、エリナは、少しの間を置いて、やや力なく「うん、そうかもね」と返事をする。

 さて、エリナは本当にそう思ったのか。

 返事に力がなく、間があったので、そう思っていないと考える方が自然だと思うものの、少なくともラストシーンではそう思っている状態になっていないと八日目の蝉であるエリナが救われないので、その状態に近づきつつあるということなのでしょう。

 一方、仮にそう思っているとすると、断定ではなく「かもね」と返事をした理由は照れ隠しか、ほぼそう思っているが断定しきれていないからか。

 まあ、周りの人間が全て死んで自分だけ残ったと置き換えると、新しい世界は見えるでしょうが、多分、ロクな世界ではない気が。

 少なくとも、エリナは、悲観主義、後ろ向きから、楽観主義、前向きとまではいかなくとも、少しはそれに寄ったということでしょう。


○ 友達を作らずにいたエリナが、事件のことを取材したいというチグサを簡単に家に入れたのは不思議。

 キワコが逃げながらの子育てに困って入った修道院のようなカルト教団で友達だったから、何となく感じるものがあったのでしょうが、チグサに記憶はあるが(ある程度仲良くなるまで言わなかったのは誉められるが)、エリナにその記憶はないし、そもそもマスコミというだけで警戒しそうなものですが。

 2人が親しくならないと、エリナはキワコと暮らした地を訪ねることはなく、そうなるとエリナはわだかまりを何ともできずにギクシャクした家族関係が続いたことでしょうから、結構大事だと思うのですが。


○ 居場所が知られ、小豆島をフェリーで出ようとしたら警官が待っていて、キワコはエリナを警官の方に1人で歩かせたが、その前に何故、一度強くエリナを抱きしめなかったのか?
 もう二度と会えなくなるのに。

 それは、既にこうなることを覚悟していたから、十分にエリナを感じていたから、十分にキズナを築いていたからでしょう。

 覚悟して、記念写真も撮っていましたし。


○ 最後で、小豆島でキワコと過ごした記憶、キワコに愛された幸せな記憶を思い出すエリナ。
 そして、小豆島に戻りたかったけどそう思ってはいけないと思っていた、誰も憎みたくなかった、と泣くエリナ。

 妊娠が分かった当初は、親の愛を知らないし、こんな境遇の自分が親になれるわけないと言っていたが、親になれる自信、自分の中に「母性」、そして何より、自分の中に「他人からの愛情」と「自分への愛情」と「他人への愛情」を見つけたわけです。


 三つ子の魂百まで的な安直さは少し引っかかりますが、それはそれでハッピーエンドです。
 しかし、それはエリナとキワコにとってではないか?


 因みに、逮捕後はエリナとキワコは会っていないので、自分の愛を思い出して肯定してくれたエリナのことをキワコは知る由もないのですが、続編があれば、エリナはキワコに会って礼を言うに相違ありません。


 で、本当の親は?
 離婚という選択肢を取らず、また、自ら変わろうとしないで過ごして来たので救われないのは自業自得ですが、エリナが変わったことにより、多分、親も変わるのでしょう。描かれていませんが、そんな雰囲気です。



 なお、母性を描くときにいつも気になるのは、母の愛情、場合によっては父の愛情でしょうが、幼児期にそれを受けられなかった人は「親」になれないのかということ。
 大人になってから、あるいは、物心付いた頃から、少なくともある程度は学習できる気はしますが。
 まあ、親はなくとも子は育つ、とことわざにありますけどね。


 しかし、癒やしのようなものの舞台に瀬戸内の穏やかな海と気候と風景と人柄を使いたくなるのは分かりますが、ありふれたものになってきたので、今後の映画には別の場所を探せないものか。
 と書いておいて何ですが、それ以上の場所は、思い付きませんけどね。


○ なお、永作博美さんは、相変わらずいいです。
 オドオドした役の小池栄子さんも、意外といい味で良かったです。
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