思い付きブログ

氷菓(12~17話)の感想2。青春はほろ苦い

●「氷菓」(12~17話)  その2

 さて、今回、摩耶花は踏んだりけったり

 「氷菓46号」の発注ミス(12話)、
 今一つ気が乗らない様子の漫研でのコスプレ(12話)、
 漫研の河内先輩と、漫画は個人の感じ方次第なのか名作は最初から名作として生まれるかどうかで喧嘩して、後者であると主張して、その証拠として「夕べには骸に」を持ってくると言ったのに家になくて持ってこれなかったこと(13、14話)、
 漫研のポスターの下書きみたいのを先輩に頼まれてしたものの、料理大会に5分遅れて行ったこと、その際に「あがりです!」と言って走って出て行きましたが出来はどうだったのかとか(「こんなペースじゃ間に合わない」と途中で言っているので、5分遅れで料理大会に行ったとはいえ、絵の出来は今一つだった可能性あり。他の漫研部員から見たら問題ないのかも知れませんが、求めるものが高い摩耶花にとっては)(14話)、
 料理大会で、千反田が材料をほぼ使い切ってしまい、摩耶花が何を作って良いのか分からずに悩み、奉太郎が小麦粉を差し入れて何とかカキ揚丼を作ったものの時間不足で揚げ足りないとか(14話)。

 中途半端な感じ
 悩んでばかりであり、難しい顔をしてばかりであり。それは、何かと突っかかってくる漫研の先輩に対してであり、ちょっと意地悪をしてくる漫研部員に対してであり、料理の材料を使ってしまった古典部員に対してであり、そして何よりも、発注ミスをした、機転を利かせられなかった、我をはってしまって漫研部員と上手くやれない、いろいろと言ったことを守れなかった摩耶花自身に対してであり。

 自分自身の不甲斐なさを強く自覚したわけであり。


 11話では、奉太郎が青春のほろ苦さを味わいましたが、今回は摩耶花が青春のほろ苦さを味わったということなのでしょう。

 特に、摩耶花に意地悪を言う、だけど良い漫画を描ける漫研の河内先輩が友達の優れた漫画「夕べには骸に」の出来に愕然としてほろ苦さを味わった話を受けて、共感しつつ、更に能力の劣る自分を改めて自覚させられて泣く摩耶花(17話後半)、そして、里志が「期待」について悲しく語る場面で里志に共感できた摩耶花(17話前半)のところ。

 なお、里志に片思いの摩耶花にとっては、里志のほろ苦さに共感しやすいことから(17話後半)、ほろ苦さも増幅されることでしょう。(17話は、時系列がかなり前後しているので、少し分かりにくいです)





 そう言えばミステリーを忘れていました。

 今回は、アカペラ部のアップルジュース、囲碁部の石(碁石)、占い研の運命の輪のタロットカード、園芸部のAK47のライフル型水鉄砲、お料理研のオタマなどが盗まれるという、十文字(じゅうもじ)事件。
 何かが盗まれるのは、クラブ名の50音順にア行とカ行、しかもクラブ名の最初の一文字から始まる物。

 里志がはりきっています。推理では奉太郎にかなわないけれど、張り込みとか、現行犯逮捕とか、そんなことなら行動力のある里志が有利なので、今回はいいところを見せようと(15話の、特に最後)。

 そっか、里志がほろ苦さを味わう話でもあったのか。


 奉太郎が十文字事件を解決した後、「自分に自信があるときは、期待なんて言葉を出しちゃいけない。期待っていうのは、諦めから出る言葉なんだよ。そうせざるを得ない、どうしようもなさがないと、空々しいよ。」(17話前半)と、語気をかなり強くして、摩耶花に言いました。

 事件に歯が立たなかった自分の力のなさを改めて強く感じた里志の、事件をあっさりと解決した奉太郎の能力の高さを改めて感じた里志の、そして、奉太郎には到底かなわないし(これまでは、少なくとも一矢を報いる程度には、ある部分では勝てると思っていた)、かなう要素すら見い出せなくなったことを見せ付けられた里志の、どうしようもないほろ苦さを自覚した台詞です。

 里志は、広く薄くのデータベースなので、特定の物事に対して必死の努力ができない虚しさとかやるせなさを既に自覚しており、その上で、それでも何かを成す事が出来ないかを必死に探していたところ、その結果としてのほろ苦さ。
 大した努力をした形跡が無いのに、あっさりと事件を解決し、あっさりと里志の上をいく奉太郎に対して(同様に里志の上をあっさりといけると里志が考えている摩耶花のことも思い出していたかも知れません)。

 何事かを成したいとあがくけれど何事をも成せない、つまり、何者かになりたいとあがくけれども何者にもなれない、つまり、自分の存在意義を見出せなくなった里志です。



 【(ちょっと余談) データベースでしかなく深い知識はないと自嘲する里志は、何だかんだで謎を解決する奉太郎に対して、そして、本気になってシャーロック・ホームズについて勉強すれば3ヶ月で自分を抜くであろう摩耶花(10話前半)に対して、かなわないというコンプレックスを持っていて、従前からほろ苦さをある程度味わっています。

 でも、この自嘲は、自分が深くは傷付かないように、自嘲して予防線を張っているのだと考える方が妥当な気がします。

 例えば、数学は苦手だからとか言いつつ、実際は平均点を大幅に上回る80点を取って、自分では多少の不満はあっても、多くの人からは褒められるし、更に高得点の人から点が低いと言われても、事前に数学は苦手だと言ってあるので、自分はあまり傷付かずに済むという感じ。

 こんな里志が本当のほろ苦さを味わうと、奉太郎や摩耶花よりも深く傷付くことになり、実際、今回の話では深く傷付いているわけです。奉太郎の優秀さを目の当たりにして傷付き、いよいよ、里志は自分自身と本気で向き合わざるを得なくなり、そして更に傷付いたわけです。(17話)

 で、自分で自分をコントロールして傷付いた気持ちを回復させることは可能ではありますが簡単ではないので、誰かの助けがあった方がいいでしょう。


 誰でしょう?
 奉太郎との男の友情もいいですが、里志の一番のコンプレックスの元なので、考えにくいところ。また、奉太郎は、自分の優秀さにも少し自覚に欠け、他人のことにも少し無神経だし。
 摩耶花以外で里志に片思い中の女子がいて、その女子が優しく声をかけるとか、それはそれで面白そうですが、「氷菓」ではない別の物語になりそうですし。
 まあ、摩耶花でしょうね。で、里志の気持ちが摩耶花にようやく向き、摩耶花の長年の片思いが実るのではないかなと。10代だし、互いに初恋のようなものでしょうし、傷をなめ合うような関係が長続きするとは思えませんけれど。長続きするなら、うまく描いてもらいたいですけれど。

 原作は知らないので、想像(妄想?)でしかありませんが。】



 千反田が少し疲れていることに気付く奉太郎(15話最後)。他人にお願いをして回るなんて、しかも、入須先輩に教えられた慣れない方法で、慣れないことをするからですね。多分、好奇心に任せてあちこち、何でもかんでも出し物を見たから疲れた、なんてことは決してないはず(笑)。

 なる程、千反田もほろ苦さを味わう話でもあったのか。

 でも、これは里志や摩耶花のほろ苦さに比べれば、どうってことないレベル。11話の奉太郎と比べても。
 周りに気を使わずに生きてきた天然の千反田が、人並みに気を使うことをしただけ。それも、自分には向いていないと言っており、今後、人並みに気を使うように変わる感じはないですし。

 天然の千反田にほろ苦さを味わわせるのは、その描き方は難しいかも。



 さて、今回、奉太郎もほろ苦さを感じたのですが、田名辺委員長のほろ苦さにある程度共感した、間接的なものでしょう。
 当然、姉について千反田に、「いろんな意味で優秀だな。どうもあいつには、どの分野でも勝てる気がせん。尤も、勝ちたいと思ったこともないけどな。」(7話前半)と言ったように、姉にはかなわないという自分の気持ちを思い出しながら。

 里志が奉太郎に感じているものに気付くほど、奉太郎が大人と言うか、他人に配慮出来そうな描写は、まだないと思うので。

 尤も、奉太郎は田名辺委員長の言葉に引っかかっているので(17話最後)、里志のことなど、いろいろと結びつけて、最後には気付くのでしょう。
 そのとき奉太郎は、入須先輩のときのような自分だけで完結するほろ苦さとは別の、他人との関わりの中でのほろ苦さを味わうのでしょう。
 但し、奉太郎は頭脳派というか行動派ではないことから、「頭」で理解するだけの可能性あり。だとすると、それは却って里志を傷付けかねません。(これも想像)
 どう描くのか、描かないのか、楽しみです。




 更に、「ほろ苦さ」と書きましたが、里志、漫研の河内先輩、田名辺委員長にとっては「絶望」です。多分、摩耶花にとっても。
 田名辺が奉太郎に、「絶望的な差からは期待が生まれる。」と言っているように(17話最後の方)。

 一方、文化祭の中で千反田が味わったほろ苦さは、「絶望」の程度は小さいもの。正にほろ苦さです。
 自分というものを少しは理解できるようになった、そして、自分に出来ることと出来ないことを体験によって少しは理解できるようになったという意味では、自分に少し「絶望」したのは確かですが、もともと自分が自分に大して期待していなかったことが、やはり出来なかったというだけなので。
 17話前半で入須に、「私も思っていました。こういうことは、まるで私向きじゃありません。えっと、つまりですね、もうこりごりです。」と言っています。


 つまり、今回の千反田(奉太郎も)は、何かに本気で取り組み、それにおいてほろ苦さを味わったわけではないのでは。

 千反田は部長として努力をして「氷菓」のPRに努めましたが、途中で他の出し物に目移りして寄り道ばかりしたり、必死の努力とは思えません。

 奉太郎は、普段からこれと言って何かに打ち込むことが無い、省エネ生活であり、少なくとも里志と知り合った中学以降で何かに本気で取り組んだとは考えられません。
 「推理」に本気で取り組んでいるかどうかは、本気と言う程の努力をしている形跡はありませんし(推理小説をそれ程は読んでいないとか)、千反田の「わたし、気になります!」攻撃を避けられないから仕方なく推理しているとしか(少なくとも表面的には)本人は思っていないし、「推理」に本気とも思えません。


 一方、摩耶花、河内、田名辺、そして里志は、何かを目指して必死に努力した結果が、優れた才能の前には何の意味も無いことを知ったほろ苦さ、更に河内と田名辺は、そんな才能に期待したのに、その期待が裏切られたときのほろ苦さでしょう。


 (このアニメで言う「絶望」とか「期待が裏切られる」とか「才能」とか、大したこと無いとは言いませんが、物事を少し大袈裟にとらえ、少し自意識過剰な使い方をしている感じがするのは、正に青春だから、という説明なのでしょうかね。ちょっと、気になりますが。)



 文化祭は、奉太郎がほろ苦さから立ち直りに向かうことが確実になり、合わせて別のほろ苦さを間接的に感じ、千反田、摩耶花、里志の3人がそれぞれのほろ苦さを味わうと。自分を見つめ直すと。良くできた構成です。


(その3の、引っかかるところとエンディングに続く)
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