思い付きブログ

氷菓(20、21話)の感想。何故にチョコは苦かったのか

 「氷菓」の感想の続きです。

20話「あきましておめでとう」

 12月31日の千反田からの初詣の誘いの電話に、リビングでいつもどおり淡々と答える奉太郎。19話からすると、周りには誰もいなかったこともあり、ほんの少しばかりニヤニヤした感じが出ていても良いと思うのですが
 (隣の部屋に家族がいたのかも知れませんが。)

 それが奉太郎だと言われれば、そうなのでしょうが。
 着物を見せびらかしたいと照れながら言う千反田の声が可愛いのに。
 元日の予定を聞かれ、わずかの間と少しの驚きの表情が、その表れなのかもしれませんが。



 初詣がてら、父の使いで神社に酒を届ける千反田。大部屋の座敷に上がって、挨拶と簡単なもてなしを受けることに。
 奉太郎が言っていたとおり、名家の付き合いも大変だ。



 頼まれて蔵にモノを取りに行ったところ、蔵と間違えて入った納屋に間違って閉じ込められ、何でこんなことに、と言う奉太郎に、奉太郎が凶を引いた御神籤が悪かったのではと言う千反田。
 相変わらず、何気に、ひどいことを言っている千反田です。やっぱり、天然です。

 (特に正月は縁起ものだから、凶を入れる神社は少ないと聞いたことはありますが、入れるところは入れるのは確かなので、正月に凶を引く人もいるでしょう。でも、大吉よりも入れる数は少なくすると聞いたことがあるのですけれど。)

 でも、千反田は大吉だったんですけどね。大吉の効果はなかったということでしょうか。凶と大吉を足して割れば、少なくとも「吉」にはなるでしょうに。



 2人きりで寒い暗闇に閉じ込められるという危機に直面した「つり橋効果」ということで、これを契機に2人の(心理的)距離が近くなり、千反田にも奉太郎にも「吉」な出来事ということとでも思うことにします
 確かに、21話はバレンタインの話で、19話以上に2人が近づいたこと示す話でしたが。



 しかし、閉じ込められたので奉太郎が大声で助けを呼ぼうとしたら、変な誤解を招くから避けたいと言う千反田。
 既に2人で神社に来ているのだから、そんな心配は無用だと思いますが、そうだと、里志にメッセージが伝わって助けてもらったときに「あきましておめでとう」にならないから、そこは気にしてはいけないのでしょう。



21話「手作りチョコレート事件」

 摩耶花が手作りした大きなバレンタインチョコを部室に置いて里志に渡そうとしたところ(漫研があるので、直接渡せない)、千反田が少し外していたときに無くなっていた。責任を感じて必死に探す千反田。涙ながらに、摩耶花に会わせる顔がないと言う千反田。
 そのミステリーはさておき。



 朝の通学時、偶然会ったのかどうかは兎も角、並んで歩く2人。
 千反田家では「本当に親しい方にはお歳暮やお中元をお贈りしないことにしてるんです。ですので、バレンタインも、、、、、あの、、、、、」という千反田に、「それって、、、、つまり、どうなの?」と心の中で思う奉太郎。
 20センチ位の距離で並んで正面を見て話しながら歩いていたのに、1メートル位の距離に離れて互いに反対方向を向く2人。

 ベタな表現ですが、可愛いです。心理的距離が近づくことにより離れる物理的距離が、青春らしくて可愛いです



 ところで、後半で、里志が奉太郎に告白するシーン(奉太郎が気付けなかった、里志の悩み)。
 摩耶花に対して複雑な思いを持っていること、中学のときの自分のスタイル(何事にもこだわること)が今は変わった・変えたことにより気楽な楽しい生活になったこと、摩耶花の愛を受け入れて摩耶花にこだわることが中学のときの自分のスタイルに戻ることになるので怖いこと。

 この里志の言葉が本音かどうか、本音を適切に表現できているのかどうかはさて置き、本音だとしても、それは青春の「揺れ」として理解できます。
 しかし、17話を中心とする文化祭(12~17話)の話における、奉太郎より先に謎を解こうと必死になった里志のこだわりと整合が取れていない気がするのですが、そうなのかどうか、もう少し考えてみます。

 でも、奉太郎と話して多少の整理は付いたようで、奉太郎と別れてから摩耶花に電話する里志。ハッピーになれれば良いのですけれどねえ。



 バレンタインに「ふるえるをこめて」とメッセージを添えて板チョコを贈る姉、しかも、子供が食べるというよりは大人の味と言えるビターチョコを贈る姉
 最後で、奉太郎が姉からもらった板チョコを食べたところ、ぽつりと、「苦い。」



 何か意味があるのでしょうか。

 21話の流れからして、里志の悩みや里志の摩耶花に対する悩みに気付けなかった奉太郎、里志のほろ苦さに気付けなかった奉太郎、そして、遅ればせながらもそれに気付いたことにより奉太郎が自身の未熟さを感じたほろ苦さ
 このあたりの「ほろ苦い青春」の象徴として、奉太郎の感じたほろ苦さをビターチョコを使って表した、と言えるでしょう。



 奉太郎から見ればそうでしょうが、姉から見たらどうなのでしょうか。
 板チョコという、何の工夫もないものを贈ったのは、姉の奉太郎に対する日頃のぞんざいさの表れともとれるし、姉の照れともとれるし。前者が主でしょうが。

 姉は姉なりに奉太郎のことを心配して気にかけている様子はこれまでも時々見られましたが、それはとてもぞんざいなやり方ですし、時々は暴力的で、どちらかと言うとうるさくて鬱陶しいと姉のことを奉太郎は思っているでしょうから、姉の心配が奉太郎に伝わっているのかどうか。

 奉太郎は、それを意識化できているような気がしません。そのような描写は、古典部に入って自分が少し変わってきたことを自覚したことを古典部に入るように勧めた姉に対する近況報告の手紙を書いている際に(5話の最後。「氷菓」の謎の解決後)、「しかし、これではまるで姉貴は、、、、、。まさかねー。」と奉太郎がつぶやいていますが、そのくらいしか覚えていませんが。

 でも、奉太郎が古典部に入り、(姉が仕組んだのかどうかは別としても、)いろいろな経験をして、これまでのグウタラな生活に少しは変化が見えていることに姉は気付いているはずです(上の手紙や普段の生活を見ているほか、同じ高校の後輩から情報を取っているかも知れません)。



 姉は、少しは大人になった奉太郎に、少しのお祝いと今後の更なる成長への期待を込めて大人の味であるビターチョコを贈ったのかどうか。

 そうであればいいなあ、と思います。その方が私が少しだけハッピーな気分になれるという、根拠のない理由ですが。
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