・日時:2019年5月28日(火) ・参加者:8名
・行程:
【往き】JR大宮駅発8:14~8:48栗橋駅着~栗橋駅発8:52~藤岡駅着9:08
【ハイキング】繁桂寺~旧谷中村合同慰霊碑~親水多目的ゾーン~芝生広場(昼食)~谷中湖散策~柳生駅
【帰り】柳生駅発16:07~栗橋駅乗換~大宮駅着16:58
・投稿文(ホームページから転記)
5月28日(火)曇り時々晴の中で渡良瀬遊水地を8人で散策してきました。
埼玉、茨城、栃木、群馬の4県にまたがる渡良瀬遊水地は、総面積3300ヘクタールの広大なヨシの原と調節池です。明治時代、渡良瀬川上流にある足尾銅山の鉱毒により渡良瀬川が汚染され、田中正造が明治天皇へ直訴した、いわゆる“足尾鉱毒事件”が起き公害の原点と言われたところです。
明治政府は、栃木県谷中村を中心とする渡良瀬川下流にある低湿地帯を貯水池し(沈殿化)させることでその解決を図りました。
現在では足尾銅山の廃山(昭和48年)により遊水地は、洪水調節や都市用水等に利用方が変わってきています。なかでも遊水地の大半を占めるヨシ原は野鳥、昆虫、川魚等の宝庫ともなり「生きた自然博物館」と言われます。
このため2012年にはラムサール条約湿地に登録されました。
今回の散策は公害から豊かな自然環境に生まれ変わった遊水地と悲惨な鉱毒により廃村水没した谷中村を偲びながらボランティア2人の案内で散策いたしました。
先ずビックリするのは広大な3300へクタールの広さです。薄曇りのためか見渡す限り遊水地です。大半はヨシの原ですがこれはヨシが水の浄化に非常に良いためで現在でもこのヨシ原に水を流すことで浄化しているとの事です。
谷中村合同慰霊碑~ウォチングタワー~DVD観賞~谷中村役場跡~雷電神社跡~延命寺跡等をボランティアの案内で見学しましたが、谷中村廃村までには大変な犠牲と反対がありその抵抗の跡が墓石等共にも残っていました。
現在では「生きた自然博物館」とも言われますが、いたるところでヨシキリや鶯の鳴き声が聞こえ桑の木も沢山あり実り始めた桑の実を全員で食べてきました。
更に遊水地傍の3県境(埼玉、栃木、群馬県)を見学しました。通常県境は山、川、峠ですが、ここの3県境は田んぼの畦道にあり大変珍しいと言われていますが、最近ではこの珍しさに駐車場もでき観光バスも来ているとの事です。
最後になりましたが、帰路の栗橋で駅前の[静御前の墓]を見学しました。
東北平泉に逃げ延びた義経を追って利根川の栗橋までたどり着いたが、病を患い亡くなったという伝説があり久喜市の文化遺産にもなっている。墓は大変よく整備されその伝説が刻記されていました。
2019.5.30 投稿 記事・写真(12班) 沼田 辰郎
・写真(ホームページから転写)
・案内書
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