長尾会計所長のブログ

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平穏死を考える

2012年10月23日 | 長尾愼一のつぶやき
日経夕刊10月20日土曜日
こころ
石飛幸三(いしとびこうぞう)さん特別養護老人ホームの常勤医

著書
『「平穏死」のすすめ』
『「平穏死」とう選択』

老衰で死のうとしている人の命を無理に延ばしていいのか、
本人はこんな姿を望んでいるのか、老衰に医療がどこまで関与すべきか?
人間は必ず死ぬ。できれば天寿をまっとうし、
穏やかに逝きたい。
ところが現代医療はこの願いを踏みにじり、
死期の迫ったお年寄りに無用の苦痛を強いている。

なぜこんな事態が起きてくるのか。
「皆が責任を取らなくなったから」
施設の職員はお年寄りの容体が急変すると、家族に責任を追求されたくないのですぐ病院に送る。
病院は延命の手段があるのにしなければ、不作為の殺人に問われかねないと手術をする。
長期入院されては困るので胃瘻を作り施設に送り返す。
生物としての寿命をまっとうした体は余分な荷物をおろして旅立とうとしている。
三宅島では、お年寄りが食べられなくなると、
水だけをそばに置いていたそうです。
静かに見守るのが本人にとって一番楽なのです。

戦後の日本人は死を正面から見つめなくなった。
縁起が悪いだのなんだと言って先送りしている。
でも、だれにも必ず死は訪れる。

胃瘻は一人一年間で500万円の医療費がかかる。
今の高齢者も、ツけを若者に回して延命しようと考えていないはず。

高齢者の意思を無視して、自分たちの責任回避を図るのは、現代版棄老でしょう。

今まで何かおかしいと思っていたことを本に書いたのです。

おかしいことをおかしいと思っても言えない理由をはっきり指摘されました。