岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

おじいちゃんのすいとん

2006年09月20日 15時17分41秒 | 2006年執筆小説

おじいちゃんのすいとん

2006/09/20~2006/09/28 執筆期間8日間 原稿用紙21枚
 

 おじいちゃんは、毎週日曜日になると、朝から大きなお鍋ですいとんを作る。

 みんなに一杯ずつ配るとしたら、三十人前以上は作っていた。

 でも、さすがに毎週毎週すいとんは食べられない。僕以外の家族だってそうだ。パパもママも、お姉ちゃんや妹だって、毎週は食べない。

 でも、おじいちゃんはいつもおいしそうに、すいとんを食べていた。

 

 大きなボールの中で、小麦粉と卵、そして日本酒やとろろを入れて、一生懸命掻き回すおじいちゃん。いつも真剣な表情で日曜日になると、すいとんをこねていた。

 それ以外の料理など、作った事など一度もない。ひたすらすいとんだけを作るのだった。

 小学校三年生の僕の顔を見ながらおじいちゃんは、ニコリと微笑んで、「おまえも食べるか?」と、優しい声で聞いてくる。

 僕は、笑顔で頷き、おじいちゃんのすいとんを食べる。

 でも、毎週はさすがに食べたくはなかった。

 

 中学生になっても、高校生になっても、おじいちゃんは毎週日曜日になると、相変わらずすいとんを作る。

 家族の誰もほんとど食べなくなっているのに、おじいちゃんは気にせず、すいとんだけを作り続けていた。

 一体、おじいちゃんのすいとんに対するこだわりは何なのだろうか。僕には分らない。

 そんな大きなお鍋で、わざわざたくさんの量を作らなくてもいいのになあ…。

 何歳になっても、おじいちゃんの気持ちが分からなかった。

 

 社会人になっても、おじいちゃんはすいとんを作り続けている。

 心なしか、おじいちゃんの背中は、とても寂しそうに見えた。

 いくら近所の人から若いといわれても、もう七十五歳だ。色々なものを背負い込んで、今までずっと地道に頑張ってきたのである。

 昔、おじいちゃんに子供の頃の話を聞いた事があった。

 学校は、小学校しか出ていない。それでも兄弟とは、手を取り合って仲良く生きてきた。そして戦争が、家族をバラバラにした。

 徴兵制度で、否応なしに戦争に駆り出されるおじいちゃんたち。

 たくさんの仲間が、戦争で亡くなっていくのを自分の目で見てきた。

 僕には分からない。いくら戦争の事を聞かされても、実際にこの目で見ていないのだから、おじいちゃんの気持ちを分かりたくても、入り口のところ辺りまでが限界なのだ。

 戦後になってから、おじいちゃんは洗濯板一枚と風呂敷一枚を持ち歩きながら、洗濯屋の商売を始め出した。

 その頃の時代も手伝ってか、おじいちゃんの商売は成功し、自分の家まで建てられた。まだ、十八歳の時だったらしい。

 でも現在、二十歳の俺は、たまたま時代とタイミングが良かったのだぐらいにしか、思えないでいた。

 現実の僕を振り返ると、何もかもうまくいっていない。

 生まれてきた時代が、僕に合わなかったのか。

 それとも、周りのプッシュが足りないせいか。

 いや、自分の努力がただ単に足りないだけ…。

 昔に比べれば、今は恵まれているというが、本当にそうなのか。恵まれ方たって、人によって様々だ。両親も、唯一の男である僕だけには何故か厳しい。お姉ちゃんや妹には、いつも優しく、そして甘い。

 男で生まれて来た事を、時折、後悔する自分がいた。

 こんな事なら、まだ自分一人で、姉妹など誰もいないほうが良かった。そう思う事もある。僕、一人だけなら、どれだけ気楽だったのであろうか。

 二十歳の僕は、常に葛藤と矛盾の繰り返しである。

 

 会社や知り合いなどで、羨ましい、男ならこうでありたいと思わせるような人間に出会えると、僕はいつもその人を目標としていた。

 ちょっとした事、例えば、話し方が格好良く見える。それだけの事なのに、何故か周りと違う風に見える。だから、そのような話し方を出来る限り真似してみたり、自分の声に変化をつけてみたりと、色々工夫してみた。

 仕事上、人への接し方がうまい上司でもいい。みんなを常に楽しませる友達でもいい。自分から見て、羨ましいなという部分を持った人は山ほどいるものだ。それを真似してでもいいから、意識して、いい部分を吸収する努力。

 僕は、これが自分を磨く事なんじゃないのかと考える。

 人間、小さな目標なら、何とか頑張れるものである。

 自分で、目標としていた人。その人と会話していると、ふと気づく事があった。

 あれだけ格好良く見えていたのに、今では大した事がないように見えてしまう。特にその人が何か失敗をした訳でも、変わってしまった訳でもない。

 普通に接しているだけなのに、何気ない事で、一歩先に自分が進んでしまっだ妙にむず痒い感覚に陥るような気がするのである。

 そんな時、俺は成長できたのだ。そんな風に思える事があった。

 自分の成長を認めるのはいい。しかし、ここで終わると成長はない。裸の王様、もしくは天狗になって、陰で馬鹿にされるだけである。

 ならば次にこうなりたいという身近な人を探し、また目標にすればいいだけである。

 まだ社会に出たての僕は、発展途上だ。色々なものを見て、聞いて、自分の中にいい風に取り入れるのが、大事な生き方なのではないだろうか。

 疲れたら、ゆっくり休めばいい。自分を大事にするのも必要だ。だって、僕の人生なのだから…。

 

 そんな風に生きてきて、僕は三十歳になった。

 家では両親が離婚し、父親が出て行った。母親は常に寂しそうな表情で、家の中を歩き、親子の会話も自然と少なくなった。

 お姉さんも妹も、それぞれ素敵な相手を見つけて嫁に行った。

 あれだけ賑やかだった家の中は、気付けば、僕とおじちゃんと母親の三人だけになっていた。

 今、真面目にサラリーマンをしている僕は、会社の中では課長に出世し、部下から慕われている。自分の今の性格を振り返ってみても、いい風に頑張れているなと感じる。仕事上のトラブルなどは、僕がいけば、ある程度は簡単に解決できるといった自信もあった。

 しかし、家の問題では、何の役にも立てていないのが現実である。

 父親は、離婚してから一度も連絡すらない。

 お姉さんも妹も、子供が生まれたらしいが、電話一本ある訳でもなく、みんなが好き勝手にやっている。

 それでもおじいちゃんは、黙々と毎週日曜日になれば、すいとんを作り続けていた。

 

 最近、母親の様子がおかしい。

 僕が三十三歳になった辺りから、家の中で母親は、いつもピリピリしているようになった。

 玄関で靴を揃えず、そのまま脱いだ状態にしていると、その件で一時間は怒鳴りつけてくる。延々と長い説教がくどくどと始まるのだ。

 悪いのは僕のほうなので、いくら怒鳴られようが黙って聞いているようにしている。

 トイレの便座を上げっ放しにしておくと、それだけでもヒステリックになった。

「あなたはね、一体、何様のつもりなの?」

 最近の母親の口癖。別に何様のつもりでもない。便座を下ろした状態にしておくのが、世間一般の常識かもしれないが、本来、男は便座を上げて使うものである。

 使用頻度でいえば、この家には、男二人に女一人で、どう考えても男のほうがトイレを良く使うはずだ。だったら、便座を常に上げておいてもおかしくはない。

 それを説明すると、さらに母親は荒れ狂った。

 日曜日、おじいちゃんがいつものようにすいとんを作っていると、母親が当たりだした。

 おじいちゃんは、それでもニコリと微笑みながら、出来上がったすいとんを母親の前へ静かに置いた。

「いらないわよ、こんなもん。」

 お椀に入ったすいとんを乱暴に払い除ける母親。すいとんはテーブルの上へ勢いよくこぼれ、大きなシミを作った。

 見ていて、おじいちゃんが痛々しかったので、俺が間に入ろうとする。すると、おじいちゃんは笑顔で俺を制止し、テーブルにこぼれたすいとんを黙って自分で片付け始めた。その姿が、非常に物悲しく見えた。

 その日、母親は家を飛び出し、朝まで帰ってこなかった。

 

 毎週日曜日、僕とおじいちゃんは、黙々とすいとんを食べる。

 僕まで、すいとんを食べるのを嫌がったら、おじいちゃんは悲しむだろう。だから僕は、何があっても食べ続けよう。

 あれ以来、母親は、一切すいとんを口にしようとしなかった。

 妹が、結婚生活に疲れ、一時的に家へ帰ってきた。

「旦那とうまくいかないのよ。もう嫌だ、あんな堅物…。しばらく実家にいるから。」

 俺は都合のいい奴めと、妹を責めた。

 すべて自分本位の考えである。冷たい言い方をすれば、妹の夫婦生活など、この家には何の関係もない。

 こうして帰ってくる家があるのは、おじいちゃんのおかげである。それを連絡一つなく、自分が都合悪い時だけ帰ってくる。非常に身勝手な行動だ。

 もし、感謝の心を少しでも持っているなら、今まで連絡の一つぐらいあってもいい。

「いちいち兄さんは、うるさいのよ。」

「僕は、おまえの事を思ってだな…。」

「大きなお世話よ…。」

 妹は、僕を拒絶した。久しぶりの再会でも、そこに笑顔はなかった。

 母親は夜になると、行き先も告げず、どこかへ出掛けてしまう。

 おじいちゃん以外、すべてみんな、身勝手だ。

 家の中だけじゃない。この世の中、思いやりが欠けすぎているのだ。昔はこうじゃなかった。もっと思いやりがあって、人情があって、人の心も裕福だったはずだ。

 何故、こんな世の中になってしまったのであろうか。

 どんな事をしても、おじいちゃんだけは家族を暖かく迎えてくれる。そんなおじいちゃんの背中を家族のみんなだって、昔から見てきたはずなのに…。

 いい人、正直者が損をする。そんな言葉だけで片付けてしまっていいのだろうか。少なくても僕は納得できない。

 それでも、おじいちゃんは優しい笑顔で、妹にすいとんを差し出した。

 一口食べて、テーブルの上に突っ伏す妹。今までの鬱積した何かが、一気に吹き出したのであろう。

 おじいちゃんは、優しく妹の頭を撫でていた。

 こんな風な癒し方もあるのか…。僕は、おじいちゃんの器の大きさに感心した。

 

 今の日本…。

 僕は大っ嫌いだ。

 商売の仁義もなくなり、金儲け主義のところだけが生き残っているような気がする。

 戦後のおじいちゃんみたいに、洗濯板と風呂敷だけで商売したとしても、成功する奴など皆無だ。

 今の日本を支えてきたのは、自営業や農家の人々の力。僕はそう思う。

 そんな僕も、いちサラリーマン。僕が何を言っても説得力がない。

 みんながみんな、快楽に走り過ぎた結果、世の中は荒れだした。小さい子供たちが、大きくなって、本当に希望ある世の中なのだろうか。

 確かに非常に便利な世の中になった。でも、同時に人々の心をずさんにさせたのも事実である。

 人間一人一人の力など、小さなものだ。しかし、集まれば大きな力になる。

 くだらない情報操作などに、惑わされ過ぎの日本。

 今のテレビは、正直、視聴率を取る事だけに翻弄され、面白ければ何をしてもいい。可愛ければ何でもあり…。流行っていれば、何でもいい。

 ニュースで、幼児誘拐殺人などの暗いものを取り上げはするが、根本的な解決にはなっていない。悪戯に、人々の心を暗くさせているばかりである。ただ、誰々が殺されました。そんな情報しか流していないのだ。捕まった犯人がいても、情報の波にいつの間にか飲み込まれ、自然と記憶から忘れ去られていくばかり。そして、暗い嫌なニュースの記憶だけが、長年に渡って蓄積されていくのみ…。

 人々から、心の余裕が無くなっていくはずだ。

 お米を食べる時、作ってくれた農家の人に感謝を持つ人はいる。でも、徐々にその傾向も少なくなりつつある。

 本当に大事な事を理解できている人が、この世で何人いるのであろうか。

 先々、不安にある一方である。

 

 バラバラなうちの家族。

 昔から変わらないおじいちゃん。

 世の中を考えるよりも、まずは何か家族の為に、自分が出来ないであろうか。他人から評価を受けるのは、簡単なほうである。怒らず、いつも笑顔で、金払いもよくしているだけで、大抵は嫌われないで済む。

 しかし、家族はそうはいかない。リアルな現実の自分を昔から知っているのだから…。

 みんなを幸せになんて、僕一人の力では単なる思い上がりかもしれない。でも、それでも出来る事ってあるのではないか。

 同じ血が流れているのが家族。お互い忌み嫌い合っていても、分かり合える部分は、きっとあるはずだ。

 まずは、おじちゃんの喜ぶ事をしてあげたい。物欲や金に興味のないおじいちゃん。何をすれば、喜んでくれるだろう。

 過去の人生を振り返り、考えてみる。

 毎週日曜日に作る恒例のすいとん。

 昔みたいに、家族全員でそろって、すいとんを食べたら、少しはおじいちゃんも喜んでくれるのではないか。

 

 何年も連絡を取ってなかった父親、そして姉さん。

 自分から歩み寄ってみる事にした。

 一緒に昔のように暮そうという訳ではない。ただ、おじいちゃんが健在でいたからこそ、今の僕たちの存在があるのだ。なので、一年に一度ぐらいは家族全員集まって、すいとんを食べる日があってもいいじゃないか。自分のエゴは捨てて、ただ、おじいちゃんを喜ばせる為に、一年で一日だけ…。

 熱心に僕は力説した。本当はおじいちゃんに、何も話を通してないから、喜んでくれるかどうかも分からない。でも、うまくいける。そんな自信があった。

 世の中を良くしていく為には、私利私欲を捨てる。出過ぎず、引き過ぎず。そして、自分の家族から、人間の本来の暖かい感情を取り戻させよう。

 最初に姉さんが、根負けしたというような表情で僕のアイデアに従ってくれた。 

 数年ぶりに会う父親も、僕の熱意に折れた。

 同じ家の中にいても、口を全然利いてくれなかった妹さえ、このアイデアには賛同してくれた。

 もう六十歳近い母親。彼女の説得が一番大変だった。それでも何とか説得させた。

 

 日曜日になった。

 家族のみんなには、昼頃に居間へ集まってほしいと頼んである。

 朝の八時、おじいちゃんは、台所で野菜を切り刻んでいた。

「おじいちゃん、今日もすいとん作ってるの?」

「ああ、そうだよ。おまえも食べるかい?」

「うん、もちろん。」

「そうかい、じゃあ、腕によりをかけて作るからな。」

 そう言いながら、おじいちゃんは大きな銀色のボールに小麦粉を入れる。山芋をすって、とろろにし、卵も入れながらゆっくりと材料を掻き混ぜる。途中で日本酒を加え、しばらくの間、すいとんの具をこねていた。

「昔はなあ…。」

 ボールの中を掻き混ぜながら、おじいちゃんは口を開いた。

「こんな上等な小麦粉なんかで、すいとんなんか作れなかったんだぞ。」

「戦争時代の時?」

「そうだ。そこにある野菜なんか、とてもじゃないがなかった。だから木の根っこや、葉っぱを綺麗に洗ってなあ…。」

 否応なしに参加させられた戦争。

 おじいちゃんは、その生き残りである。

 若い時に、目の前で何人もの仲間たちが殺されていった。もう九十歳近いのに、いまだにその事が忘れられないのであろう。

 今みたいに、好きなものを食べられるような時代ではない。

 空腹の中、苦肉の策で思いついたのが、このすいとんなのだろう。

「……!」

 僕は、急に頭の中で閃きがあった。

「ねえ、おじいちゃん!」

「なんだい?」

「おじいちゃんが毎週日曜日になると、いっぱいすいとんを作るのって…。」

「ん?」

「戦争時代の仲間に向けて、捧げる意味でも、ずっと作り続けていたんでしょ?」

「はっはっは…。」

「当時を思い出して、今のすいとんを食べさせてあげたい。でも、いくらすいとんを作っても、おじいちゃんの心の中は、常に満たされないでいた。そうじゃないの?」

「よく分かったなあ…。」

「そりゃ、おじいちゃんの孫だもん。分かるさ。」

 僕は満面の笑みで、おじいちゃんを見た。こんな嬉しそうな表情をするおじいちゃんを見たのは初めてのような気がする。

 

 僕は時計を気にしていた。

 父親も母親も姉さんも妹も…。

 ちゃんと時間通り来てくれよな…。

 おじいちゃんはいつものように、ちゃんとすいとんを作っているからな。

 久しぶりに、みんなの笑顔をおじいちゃんに見せてやろうよ。

 例え演技だっていいからさ。

 家族全員でおじいちゃんを喜ばせてやろうよ。

 それが世の中を明るくする第一歩だぜ。

 ああ、時間が待ち遠しい。

 妙にそわそわしている自分がいた。

 今もおじいちゃんは、すいとんの入った大きな鍋を煮込みながら、ゆっくりと掻き混ぜていた。

 

 



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フルスイング | トップ | めぐりあいワンピース »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

2006年執筆小説」カテゴリの最新記事