めぐりあいワンピース
2006/10/02~2006/10/02 執筆期間1日 原稿用紙24枚
2008年7月16日
現在執筆中の『先生と呼ばれて』の中にすべてこの話は含まれます。
より膨らませ、今までの作品と繋がり、この先生との出会いは物語の中でも重要なウエイトを占めていると思います
2006/08/21
究極のノンフィクション
人間面白いもので、事実をそのまま書こうとしても、つい、自分を格好つけたがる生き物である。
ずっと「父の背中」に関しては、ノンフィクションで書いてきたのに、憶測で俺は面白くなるだろうと、勝手に想像で付け足した部分が、一つだけあった。
そういえば俺って、昔はピアノへ行ってたんだよな…。ほとんど遊びに行っていたようなもので、いつもまいっちんぐマチコ先生を見ていたっけな。優しい先生だったという記憶しかないが、結局、あのピアノの先生に、親父は格好をつけたかったのだ。
その為に、親父は俺をピアノの先生のところへ通わせるようになった…。格好をつけたいという理由なだけで…。冷静に考えてみる。それ以外の答えが出てこなかった。
一度、過去を整理する必要がある。でないと、先には進めそうもない。
上記のは、俺が今さっき手直ししたばかりの「父の背中」の一部抜粋部分。
不思議だった…。
執筆していて怖さを感じた。
今日、土地の登記の件で会社を休んだが、無事終わり、一階で家族と話すと、奇妙な出来事があった。
小学六年生時代で、時計の針が止まっていたはずのピアノの先生…。
34歳になった今まで一度も、電話一本お互いにとっていなかった関係である。
幼い頃の恩を「昭和の僕と平成の俺 ママの章」執筆時に久しぶりに思い出したぐらいである。
それを今こうして「父の背中」を書いている時に、またタイミングよくこんな出来事があるのだろうか…。
「おい、おまえのピアノの先生だって人が、この間、家に来て名刺を置いていったぞ。」
おじいちゃんは、名刺を出してきた。
代表取締役 ●●●●…。
見覚えのない名前だ。
それに先生なら、すぐ家の近所だし、一体、誰なんだろうか…。
その瞬間、閃きがあった。もしかして「父の背中」で今、ちょうど書いているピアノの先生なのか?
俺は名刺に書いてある番号に、たった今、電話した。
「社長はまだ出社されていません。」
今現在、俺は自分の携帯番号を教え、昔のピアノの先生からの電話を待っている。
そこで、何だか不思議だなって思い、「父の背中」の上記一部分(赤文字)を手直しした訳である。
幼き頃の虐待…。
体中に刻まれた傷跡…。
お袋につけられ、親父にもつけたられた。
数々の虐待によって…。
何故、両親は俺をこの世に産んだのであろうか。
体に流れる血は、薄汚れた呪われた血である。
俺はいつも頭の中に、忌み嫌われし子といった表現が非常によく似合うと感じていた。
操り人形だった幼き日々。小学へ入学すると、望んでもいないのに、八つの塾に無理やり通わされた。
成績は常に一番でなければ、殴られる宿命。
親以外の家族に、愛想よく笑う事すらも制限される毎日。
友達と遊ぶ事も出来す、ひたすら勉強と芸術を鍛錬する。
自分の意思は出来る限り、殺すようにした。それが唯一の苦痛から逃れる方法でもあったのだ。
学習塾、ピアノ、絵画教室、水泳など、ありとあらゆる習い事をこなした。三十歳になった今でも、その頃の塾の記憶など、ほとんどない。
いや、一つだけあった。
ピアノの先生…。
あの先生だけは、深く印象に残っていた。
とても優しかった先生。確か大学を卒業したぐらいの年代だったのであろうか。
嫌々習い事をこなす俺も、ピアノの先生のところへ行く時だけは、ウキウキしていたものである。
何故ならば、先生はピアノを教えるというよりも、俺の話を聞いてくれたからだ。帰り道、いつも家まで送り届けてくれ、途中で喫茶店に寄って、インベーダーゲームをやらせてくれた。
なので、俺はピアノが弾けない。ピアノだけは小学校六年生まで通っていたのに、何の曲も弾けなかった。
当たり前である。行っても、話をしたり、テレビを見たりしているだけだったからだ。
先生が主催のピアノ発表会の名簿には、俺の名前など、六年間どこにもなかった。
しかし、全然気にならなかった。家にいる時の苦痛を少しでも誤魔化せたからである。当時はそれだけで満足だった。
俺が中学に入ると、お袋は家を出て行った。
年がら年中喧嘩は絶えていなかったが、出ていくきっかけとなったのが、ピアノの先生と親父の関係がばれたからであろう。
ピアノ以外の習い事は、お袋がすべて勝手に決めてきた。でも、ピアノだけはある日、親父が急に行けと言い出したのは、今でも覚えている。
それが、ピアノの先生と体の関係があり、親父が格好をつけて息子を行かせたなどは、まだ幼かった俺には想像もつかない出来事であった。
親父のプレイボーイぶりは、今に始まったものではなかったが、プライドの高いお袋にとっては、許しがたい行為だったのだ。
この年になって思う。男は本来、色を好む生き物であると…。女は男の習性を分かっているようで分かっていない。どこかで自分だけはといった、安易な妄想がある生き物でもある。
そんな訳で、親父と先生の不倫がばれ、お袋はヒステリックに暴れ、俺を捨てて家から出て行った。
俺は信頼していたピアノの先生と絆がなくなっただけで、大嫌いだったお袋が、家からいなくなってせいせいしていた。
お袋が出て行っても、親父の女癖の悪さは変わる事なく、手当たり次第に手を出していた。
世間一般では、俳優と女優が結婚したような騒ぎだったと、今でも語り継がれるような親父とお袋の結婚。それも実態は、こんなザマである。無様なものだ。
似たもの夫婦とは、よくいったもので、お袋も出て行ってそうそう、新しい男を見つけ、一緒に暮していたらしい。
お互い何も関わらないように、生きていく姿は、臭いものには蓋をするといった表現が非常に似合っていた。
両親共々、好き勝手に生き、自分のエゴを俺にぶつけてきた。
お袋は笑いながら俺の顔に傷をつけ、親父は何かにつけて殴ってきた。
何度も死にたいと思った。一人で泣いた事など数え切れないぐらいある。それでも俺は生きるという方向を選んだのだ。
一度だって俺は、ぐれた事がない。ぶっといズボンのボンタンすらはいた事もない。髪の毛だって染めた事ないし、パーマだってかけた事がない。
成績は常にトップレベルで、品行方正に生きてきたつもりだ。
誰だって好き勝手に生きたい。でも、そこに良心やモラルというものがある限り、人間は己の生き方にこだわりを持って生きるであろう。
両親がこう生きてきたから、俺も…。そんな事は言い訳に過ぎない。
自分を信じ、生まれてきた証を見つけるまで、存在意義を見出すまでは倒れる訳にはいかない。
時には疲れ、ちゃらんぽらんに生きた時代もあった。でも、一心に物事に打ち込み、様々な可能性を追求して、俺は三十歳になった。
色々な人間と出会い、吸収し、反発し、喧嘩をしてここまでやってきた。
中にはこんな俺に賛同してくれる人も出てくるようになった。
評価は人が判断してくれる。誰かがそう言った。俺は自分の立ち位置を見つけ、まい進するだけでいい。勝手に周りが、俺を判断してくれるであろう。
幼かった頃はいつも何かに怯え、常にビクビクしていた俺。今では誰の前でも堂々と出来るようになっていた。いつの間にかの成長。どの辺で、俺はこうも変われたのであろう。
揺るぎなき自信と誇り。これは俺が、今まで自ら培ってきた証でもある。
様々な尊敬できる人の背中を見て、俺はやってこられた。どんなに馬鹿にされても、自分を信じている限り、賛同者はいずれ募る。大事なのは、誰の前でも同じ意見を言えるという事。人によって意見を変えていたら、それは自分の主張などでなくなってしまう。
自分の中の義に沿って動き、法で決められた善悪でなく、自己の判断によって物事の善悪を決める。
三十二歳になって、不思議と小説を書いてみるかと、そんな気持ちを持つようになった。誰に言われる訳でもなく、あくまでも自然に俺は、小説というものを書き出した。
同じ家に住む親父との仲は、相変わらず良くはない。昔から何一つ成長していない親父を見ると、妙にイライラするのであった。
この男の血が、そして出て行ったお袋の血が、俺の体には流れている。薄汚れた呪われた血統。
人の悪口を話せば、それは愚痴になる。しかし、面白いもので、それを小説にして文字を書けば、人々は面白がって見てくれた。
好かれる好かれないの話でいえば、普通は好かれるほうをみんなが選ぶであろう。
だったら俺は、自分の根底に眠る両親への憎悪を文字にして、書き出すしかないのである。
親父の背中も、お袋の母性愛も知らない人間ではあるが、そんな俺でも何かを残しておきたい。どんな形でもいい。
小説を書き続けて、二年半の月日が流れ去った。
俺は三十五歳になっていた。
いまだに、小説の目は出ていない。だけど、自分を変えるつもりはない。
俺は、俺でいいのである。
継続は力なりともいう。俺にとって小説とは、自分の憎悪を文字に代え、自己の根底にあるものを吐き出して浄化する作業でもある。
一つ一つの文字を打つたびに、自分の魂を注入し、作品に息吹を与えていく。
読んだ人が、何かしら考えてくれる作品を…。
そんな作品を俺は作り上げていきたい。
自己の作品が未熟な俺は、ある日、親父に怒鳴られた。
最初の作品を読んだ近所の人から聞いたあらすじで、いきなり俺に怒り出してきたのであった。
処女作の舞台設定は、両親が日常の生活でいないというものであった。母親はリアルさを出す為、俺の幼き頃の虐待を思い出し、目に涙を滲ませながら描いた。
父親は物語の都合上、いてもいなくても害は特になかったので、ストーリー上、主人公の妹が生まれたという時点で、交通事故死という設定にして物語の上では消した。実際の親父には対しての悪気ではなく、ごく自然にそう書いた作品であった。
それを近所の人からまた聞きしたというだけで、「テメーは俺を小説の中で殺しやがったのか?」とえらい剣幕で怒鳴りつけてきたのである。
小説はあくまでも、小説に過ぎない。虚像の中に、少しだけのリアルさをいれるから物語になるのである。それをまともにとらえ、中身も読まずに判断して頭に血を上らす親父は、見ていて滑稽だった。
小説だけでは食っていけない俺は、サラリーマンをやっている。
そんな時、社長から呼び出しがあった。仕事にあまり身を入れない俺の対応に気付いたのか。俺は気分が暗くなりながら社長の前に行った。
「この間、法人会でね。君の事を知っている社長さんとお知り合いになってねえ。」
「はあ…。」
「何でも昔、ピアノを君に教えていたそうじゃないか。」
ピアノ…。
幼き頃の楽しかった記憶と、親父との嫌な関係の苦い思い出が蘇ってくる。
「社長、その知り合いになった社長って、女性なんですか?何の仕事をしてる方なんですか?」
「おいおい、一辺に質問をするなよ。もちろん、その社長は女性だよ。仕事は電気工事会社だね。あ、そうそう、名刺を君にって預かってきたんだ。」
そう言いながら社長は、一枚の名刺を俺にくれた。
「株式会社 東海林電子工事 代表取締役 東海林悦子」
真っ白な名刺の表に書かれた文字。俺はその名前を見ても、ピンとこなかった。ピンとも何も、俺はピアノの先生の名前すら覚えていない。
親父との件が発覚したのは、中学生の頃…。
あれから何年経ったのであろうか。
心の中は次第に、懐かしさと嬉しさでいっぱいに満ち溢れていた。
俺も三十五歳になった。ピアノを教わっていた頃に比べたら、二十数年の時が経っている。今の自分を先生に見せたい。そんな思いが強くあった。
早速、電話を掛けてみると、受付の女性事務員が電話に出た。
俺ははやる気持ちを抑えながらも、声は興奮していた。親父とは色々あったのかもしれないが、幼き頃の俺にとっては、唯一の癒しを与えてくれた先生なのだ。
久しぶりに話した先生の声は、とても明るく、親しみを持った声であった。昔、お世話になった事を色々話し、ネタがつきなかった。
あえて、親父の事は触れようとはせず、今週の週末に飲みに行く約束をした。お互いの携帯メールアドレスを教えあい、電話を切った。
飲みに行くまで、あと三日。若かった頃、優しかった先生は、今、どんな風になったのだろう。二十数年間という時間差。お互いが変わるには充分な時間でもある。
俺は暇さえあれば、先生にメールを送った。今の自分を出来る限り、知って欲しかったのだ。
先生もマメに返事を返してくれる。
ある程度の社交辞令的なやり取りのメールのあとで、先生はこんなメールをくれた。
「昔、塾の帰りにゲームセンターや喫茶店に行った?ん~、覚えていないなあ…。そういえば、お父さんは元気かな?」
以前、関係のあった相手だから、やっぱり気になるのであろうか。少なからずショックを覚えた自分がいた。メールの冒頭の分など、読み飛ばしていた。
今の親父は、正直、昔よりも酷くなっている。家には俺が嫌がっているのにも関わらず、我が物顔で勝手に出入りする女がいた。それだけならまだいい。次々と手当たり次第に手を出しているので、他の女まで、家へ怒鳴り込みにくるといった現象も年に数回はあったのだ。
そんな状況になると、親父は決まって家の外へ飛び出し、ほとぼり冷めるまで逃げていた。代わりに俺が玄関先で捕まり、女同士の醜い討論に巻き込まれるのであった。
「親父ですか?相変わらずです…。飲んだ時でも聞きたければ、詳しく説明しますよ。」
先生、気分を悪くしないかな…。俺は気にしながらもメールを送信した。
すぐに返事は返ってきた。
「色々とあったようね。先生ね、一年前ぐらいだけど、商店街の通りでお父さんを見かけたの。声を掛けようと思ったら、随分と人相が悪くなっていたのにビックリしたんだ。なんていうかすごいガッカリしたの。不思議とね…。前はあんなに格好いいお父さんだなと思ったけど、変わっちゃったんだなって悲しかったんだ。」
一度は関係があった人間をこうまで書くのだろうか。先生からもらったメールを俺は何度も読み直してみた。続いて先生からの新着メールが届く。
「昔ね、トモ君が私のところに習いに来るたびに、いつも「今日はお父さんがお母さんを殴った。」とか言ってたの聞いててね。ずっと気にはなってたんだよ。迎えに来たお母さんの顔に青痣があったのも、先生は見てるし…。」
親父がお袋を殴った…。幼い頃の記憶は鮮明に覚えていたはず…。なのに何故、そんな記憶がどこにも残ってないのだろうか。
それにお袋が迎えに来た…。そんな記憶もない。いつだって先生は俺を家まで送り届けてくれたはずだ。どこかで何かが食い違っている。
不思議な気持ちで俺は、週末を迎えた。
いきつけのジャズバーを先生との待ち合わせ場所にした。
会議で少し遅れるという先生を一人で待ちながら、俺は酒をたしなめる。ウイスキーの入った琥珀色のショットグラスをカウンターの上に静かに置くと、テナーサックスの響くノンヴォーカルなジャズの曲に耳を済ませる。
音楽を聞き入っているところ、背後から肩を叩かれた。
「あ、悦子先生。」
「お久しぶりね、トモ君。」
二十数年ぶりに会った悦子先生は、待ち合わせしていなければ、分からないぐらい記憶になかった顔だった。しかし、懐かしさがどんどんあふれ出てくる。
俺は、バーのマスター手作りの生パスタとピザを注文し、先生の今までの近況を聞いた。
「あれからトモ君がピアノに来なくなった辺りからかな…。主人と出会って、スムーズにゴールインしてね。今じゃ、息子と娘が一人ずつ。」
「遅れましたけど、おめでとうございます。でも、悦子先生、社長だなんてすごいじゃないですか。」
「息子がね、今、大学生だから出て会社の仕事を覚えて、あとを継ぐまではねって感じでやっているだけよ。従業員、みんなに支えられてね。」
「旦那さんは、別の仕事をやっているんですか?」
寂しそうに笑う先生。視線はどこを見ているのか分からないが、少なくてもジャズバーの中じゃない事だけは分かった。
「二年前にね、病気で亡くなっちゃってね…。」
「……。」
「今だからこそ、こんなに笑顔でいられたけど、当初は本当に泣き崩れちゃってね…。」
本当にこの悦子先生と、うちの親父は過去、関係があったのか…。
悦子先生は、旦那さんとの愛情いっぱいの思い出話をいい笑顔で話してくれた。先生の表情を見ていて、ハッキリと俺は確信できた。間違ってもこの人は、うちの親父などになびくような人じゃないと…。
「最後にね…。うちの人、私に言ってくれた言葉があるの。」
「何でですか?」
「俺は今世では先に逝くが、おまえは長生きしろと…。来世でも一緒にまた暮そう。今まで、本当にありがとうって…。」
「いい旦那さんだったんですね…。」
「うん、トモ君と離れていた期間に、旦那と出会って、別れて…。そしたらまたトモ君と再会するなんて、面白いよね。」
「俺なんかと比べちゃ駄目ですよ。」
「本当にあの頃のまま、大きく育ったんだなって感じだよ、トモ君はね。」
「いつまでも少年の心を持っているようで、先生、今日はトモ君と会えて、本当に嬉しいな。」
「こちらこそですよ、先生。でも、先生は昔の面影がないなあ。」
「当たり前でしょ、もう五十四歳になったんだからね、はは…。」
話の内容を切り替えて、俺は習い事をしていた時期の事を話した。
真面目にピアノの練習をやらなかった事。
帰り道、喫茶店でよくインベーダーゲームをやらせてもらった事。
先生は摩訶不思議そうな表情で、俺を見た。
「ねえ、トモ君。何を言っているの?あなたはちゃんとピアノを弾いていたし、帰りはお母さんがお迎えに来てくれてたでしょ?」
話が食い違っている。いくら何でもここまで昔の記憶が食い違うのか。
「だって先生。俺、小一から小六まで六年間、ピアノだけは真面目に通ったじゃないですか。嫌だな~。」
「何を言っているの。あなたが私のところに来ていたのは、幼稚園の頃から小学校一年の終わり頃までかな…。その期間だけよ。」
狐につままれたような気分だった。俺は確かに小六までピアノのレッスンには行ったはずだ…。
「トモ君が目のところ、殴られたって泣きながら私に話してくれた事も覚えているし、お母さんをお父さんが昨日殴ったんだとか、よく言ってきていたんだよ。え、あのお父さんが暴力を振るうのって、あの時、私、思ったぐらいだからね。」
「……。」
忌まわしき過去の虐待の数々…。
俺は今まで、その時期だけを無意識的に、記憶を封印していたのだ。
先生の口から出る当時の真実。
それは過去の封印した記憶を徐々に鮮明に蘇りださせる内容であった。
現実は、間違っていなかった。俺は嫌な部分を封印したと同時に、悦子先生のところに行っていた記憶まで一緒に封印していたのだ。小一まで、悦子先生のところでピアノ。
そのあとの小二から小六まで、新しい先生のところで、ピアノを…。
親父と関係があったのは、悦子先生ではなく、新しい先生との事だったのだ。きっと新しい先生は罪悪感からか、俺に必要以上に親切にしていたのであろう。それが帰り道の喫茶店でのインベーダーなどに繋がっていたのだ。
親父がお袋を殴っていたという事実。親父に対し、憎悪がさらに広がった。俺をボロ雑巾のように殴り、高笑いしていたお袋など、いくら殴られても平気なはずだったのに…。
何故、こんなにも心が痛いのだろう。
俺は先生に、自分の記憶違いだった事と、親父と出来ていたと、今まで思い込んでいた事を素直に詫びた。
「トモ君は、本当に随分と辛い思いをして、こうやって強くなれたんだね…。」
先生の優しい言葉に、俺は泣けてしまった。幼い頃からずっと欠けていた一つの記憶が、心の隙間にピタッとはまった感じだったのだ。まるで、ジグゾーパズルの唯一欠けていたワンピースが見事に当てはまったように…。
「小説家を目指しているんでしょ?あなたなら、きっとなれるわよ。今度、作品見てみたいわ。」
「先生、何だか本当に素敵な旦那さんと巡り合えたんですね…。」
「うん、それが今でも私の自慢。二十数年間、素敵な時間をありがとうって、今でも感謝しているわ。」
「先生…。」
「ん?」
「先生は、来世でも旦那さんとまた出会い、いい時間を過ごせますよ。」
「ありがとう…。私、トモ君の事、本当に昔から応援しているだからね。」
今宵の酒は、特別にうまく感じた。
今日で、俺は欠けていた一つのワンピースが戻った。
これから先、俺はずっと魂を込めながら、小説を書き続けるであろう。
親がどうであろうと、俺は俺である。
また、俺は一人の大きな想いを一つ、背中に背負ったのである。
この世知辛い世の中を天下無双威風堂々と、俺は渡り歩こう。
タイトル「めぐりあいワンピース」
作者 岩上 智一郎
2006/10/02~2006/10/02
執筆期間1日 原稿用紙24枚分