2024/09/28 sta
前回の章
北中の系列グループで働くようになり、一ヶ月が過ぎた。
初めはいい人だと思っていた北中も、実は酷い人間だと思うようになっている。
裏稼業であるゲーム屋と裏ビデオ屋を兼業しながら、何とかして俺はもっと上に這い上がらなきゃいけない。
そして、自分らしくいよう。
それだけはいつも胸に秘めながら、毎日の生活を過ごしていった。
慣れていなかった職場も、今では普通に接する事ができるようになり、少しは働きやすくなっている。
ゲームの早番ではいつも暇なので、ノートパソコンを持ち込む事にした。
俺のパソコンに入っている昔懐かしのアーケードゲームを見て、山本は興味を示したようだ。
「このパソコンすごいっすね、岩上さん。このゲーム、どうしたんですか?」
「自分の先輩でパソコンのスペシャリストがいるんですよ。最初に色々教えてもらいましてね」
「今度、俺のノートも持ってくるので、自分のもゲームできるようにしてもらえませんか?」
「別に構いませんよ」
「本当ですか! じゃあ、明日持ってきますので」
山本は今年二十八歳なので、俺の三つ年下になる。
ゲームを彼のパソコンに入れ、設定してあげると飛び跳ねて喜んだ。
珍しく北中が、早い時間にフィールドへ来た。
あと二日後に、本来の早番である諏訪が帰ってくるらしい。
例の子供が生まれ、北中から二十万の借金をした男である。
そんな訳で、俺のフィールドの仕事はあと二日で終了となった。
「そしたら岩上は、メロン専属になるな。出勤時間、かなり楽になるだよ。昼の十一時から店を開けるからな」と、北中は言った。
毎朝五時半に起きの生活。
朝の弱い俺にとって辛かったので、その部分に関しては良かった。
「ちょっと俺は用事で歌舞伎町にいないから、時間になったらメロンを頼むぞ」と、言って北中は店を出て行った。
三時になり、地下のメロンへ向かうと、見た事のない人がいて笑顔で話し掛けてきた。
年齢は四十代後半で、小太りのおっとりした感じの人だ。
浦安の姿は見えなかった。
「顔を合わせるのは初めてですね。はじめまして、上のフィールドのオーナーの金子と言います。いつもうちの店を手伝っていただきすみません」
「あ、はじめまして。岩上智一郎と申します」
口調も柔らかで感じのいい人だなという印象を受ける。
言葉遣いも丁寧だ。
「一度は岩上さんのところに、顔を出さなきゃと思いましてね。お会いできて良かったですよ」
「いえいえ、こちらこそです。早番の山本さんからお話しは聞いていましたので」
「岩上さんって、一番街のワールドワンの店長をやっていたそうですね。行った事はありませんが、名前を聞いた事ありましてね」
「私の力不足で、駄目になってしまいましたけどね」
「とんでもない。あれだけ人気のある店の店長なんて普通できませんよ。そんな人とお知り合いになれて良かったです」
随分と人を持ち上げる性格だなと思ったが、悪い気はしない。
「そういえば、いつもここにいる浦安さんはどこか行ったんですか?」
「先ほど北中さんから聞いた話なんですが、浦安さん、飛んだらしいんですよ」
「飛んだ? …って事は、逃げたって事ですよね?」
浦安は北中に借金があった。
いくらかまでは知らないが……。
毎日キツい思いをしながらやっていたが、嫌気が差したのだろう。
北中に年中頭を叩かれていた印象しかない。
「何だか、連絡つかないって言っていましたよ」
どっちにしても何故、北中は俺に報告をしないのだろう。
先ほどフィールドへ来た時にいくらでも話す機会はあったはずである。
「じゃあ、今日は私一人でビデオ屋をやれって事ですかね?」
「多分、そうじゃないかと…。北中さん、岩上さんに言ってなかったんですか。あの人も、相変わらずいい加減だな~……」
「そうですよね……」
「でも、浦安さん。あの人も可哀相な人でしたからね。北中さんに金を借りたばっかりに…。失礼ですけど、岩上さんも北中さんから借金をしているのですか?」
「はあ? 借金? 何ですか、それは?」
この人も山本と同じ事を……。
「あ、これは失礼しました。北中さんのところで働く従業員って、ほとんどが金を借りて返せなくなり、それで二束三文で働かされるんですよ……」
「え、そうなんですか……」
「ええ、多分初めてじゃないですか、岩上さんが…。借金もしないでまともに働いている人って」
「……」
思わず言葉を失う。
驚愕の事実を聞いた俺は、今後の身の振り方を考えなければいけないと感じた。
金子がメロンから帰ると、俺はテーブルの上にノートパソコンを開く。
ビデオの仕事は今までほとんど浦安に任せっきりだったので、この状況を悔やむ。
簡単な仕事ではあるが、ビデオに関して俺はほぼ素人同然なのだ。
幸い客もいないので、俺は店に置いてあるたくさんのファイルの中から一つを見てみる。
そのファイルは『熟女』と書かれ、ハガキサイズで四分割された写真が載っている。
一ページで二作品ずつあり、ぎっしり写真は詰まっていた。
最初のタイトルは『ゴージャス・マダムリン」という四十代ぐらいの女たちが、破廉恥な行為をしていくという作品だった。
次は『人妻の匂い・その二」だった。
何故、『その一』がないのかと疑問に感じたが、そんな事よりも俺はある程度の作品を把握しなければなるまい。
店内に置いてあるファイルの数は、全部で七冊。
一冊で七十二作品分あった。
しかもこのファイルはあくまでもビデオ用である。
DVDは、タイトルジャケットをコピー機でそのままコピーした状態の紙が、五十種類ぐらい貼ってあった。
だいたいこの店の総作品数は、五百五十ぐらい。
いや、例のロリータものまで入れれば六百作品ぐらいある。
まず、種類の少ないビデオから見てみる事にした。
ジャンルや女優別になっている訳でもなく、無造作に貼られているだけのDVD用の紙切れ。
今まで興味があまりなかったので、ここまでじっくり見るのは初めてである。
ビデオ用のファイルは『熟女』『洋物』『和物1』『和物2』『和物3』『SM・スカトロ』『レイプ・盗撮』と表記してある。
ひと口に裏ビデオといっても、様々なジャンルがあるものだ。
妙なところで感心していると、客が階段を降りてきた。
「いらっしゃいませ」
愛想良く挨拶したにもかかわらず、天然パーマで髪の毛の薄い男は、視線も合わさず黙々とファイルを見だした。
ビデオを買いに来る客のほとんどはこのように愛想がない。
おそらく羞恥心を誤魔化す為にそのような態度をとっているのだろう。
男の手に取ったファイルは『和物3』だった。
いきなり『和物1、2』を通り越しているから、何度か来ている常連客なのかもしれない。
いや、考え過ぎかな……。
今まで二時間しかビデオでは働いていないから、客が来ない事のほうが多い。
確か、客が勝手にタイトルを紙に書いて渡してくるんだったよな? 浦安と一緒の時に、もうちょっと真面目に仕事内容を覚えておくんだった。
俺は浦安が客にしていた対応を思い出しながら、頭の中を整理した。
まずビデオ一本なら二千円。
三本で五千円。
八本で一万円……。
確か浦安は客の書いたメモ用紙を見ながら、電話で配達人に頼んでいたよな……。
他のビデオ屋は知らないが、ここメロンでは、店内にビデオやDVDの現物を一切置いていない。
従って客の注文したものを倉庫と呼ばれる場所へ電話をして、店まで持ってきてもらうのである。
まだ四、五回しか会った事がないが、愛想のない太ったメガネを掛けた人がいつも持ってきていた。
客に挨拶する訳でもなく黙って品物を置き、そのまま行ってしまうイメージしかない。
鼻が悪いのか、いつも「ブフブフ」と豚のように鼻を鳴らしていた。
先ほど入ってきた客はタイトル写真へ顔を近づけ、ジッと凝視している。
俺の事など、まるで視界に入っていないような熱心さだ。
メモ用紙に何かの作品名を書いてはまた写真を見直し、すでに一時間以上経過していた。
まあ下手にマニアックな質問をされるよりはいいだろう。
店に来てから一時間半。
ようやく男は買いたい物が決まったようでメモを一枚破り、黙ったまま俺のいるテーブルの上に置いた。
「作品は三本でいいですね?」
声に出さず、少しだけ頷く男。
一見、サラリーマンらしい服装をしている。
何をしているか分からないが、よくこれで仕事が成り立っているものだ。
「では、三本で五千円になります」
男は無言で財布を出し、五千円札を一枚手渡してきた。
「では商品が届くまで、あちらの椅子に座ってお待ち下さい」
俺は受話器を持ち、倉庫とだけ書かれたボタンを押す。
二回コールが鳴り、すぐに配達人は出た。
「はい」
名前も何も名乗らず、感情のない無機質な声。
「あ、あの注文いいでしょうか?」
「何?」
「『パラダイス・モンブラン』と、『今すぐプリーズ』…。それと『もう我慢できないよ、奥さん』の三本です……」
自分で言っていて非常に恥ずかしくなってきた。
配達人は何も答えず電話を切る。
礼儀のない奴だなと改めて思う。
二日後には、このメロンの専属になるのだ。
こんな仕事を俺は続けられるのだろうか……。
自分の居場所をと思い、頑張っていたホテルバーテンダー時代が懐かしく思えた。
この日は地元のスナックに行き、酒を飲んだ。
妹代わりに可愛がっているミサキの店でも良かったが、キャバクラは今の俺の給料事情では高過ぎる。
裏ビデオ屋メロンでの仕事。
そして暇なゲーム屋フィールド。
少し頭を整理しないと、あの場所の空気に染まり飲み込まれてしまう。
「久しぶりだね、岩上さん」
「色々忙しかったからな」
金のあった頃はよく飲みに来た。あの当時はここだけでなく、キャバクラなども合わせると十軒ぐらいをハシゴしていた。
「グレンリベットでいいんでしょ?」
「ああ、ストレートでな」
店はあまり忙しくなく三人の女がカウンターへ入り、俺の相手をしていた。
「私、岩上さんのお店、一度行ってみたいな~」
「もう辞めちまったよ、とっくに……」
現状を思うと、酒が不味くなる。
もう金を稼いでいたあの頃とは違うのだ。
俺は酒を一気に飲み干した。
「岩上さんって、ほんとお酒強いですよね」
「酔っ払って記憶がなくなるっていうのが嫌だから鍛えたんだ」
「どんな風に?」
「自衛隊の頃、まだ俺が十八の時だけどさ…。飯ごうってあるだろ? キャンプファイヤーとかになると、ご飯を炊く」
「うんうん」
「それにビールを飲んで一気飲みしたり、同期が五十人ぐらいいたから、飲み会の時、みんなから注いでもらったビールを連続で一気飲みしてみたりとかかな」
「よく身体、壊さなかったねえ……」
「運が良かったんだろうな。プロレスに行く時だって、体重六十五キロしかなかったのを二年間で三十キロぐらい上げたけど、何ともなかったしね」
飲み屋の女たちは、興味津々に俺の会話に耳を傾けている。
「ねえ、お兄さん何かやってたの?」
カウンター席に座る隣の男が声を掛けてきた。
見た目は俺と年もそう変わらない。
「いや前の話ですよ」
「俺は何をしてたんだって聞いてんだよ」
「昔がプロレスで、一年ぐらい前に総合格闘技ですね」
妙に刺のある言い方が気に障ったが、笑顔を絶やさず言った。
「は~ん、そうなんだ」
こっちが初対面で敬語を使っているのに、この男の態度は何なのだろう?
俺が下手に出ていると、こうやってつけ上がる人間も多い。
隣の男を放っておき、女と話が盛り上がっていると、「どのぐらい強いの、あんた?」と聞いてくる。
「最近は試合してないから、何とも言えないですね」
「じゃあ、過去の栄光にすがっているだけか」
大人しくしていたが、男の態度にカチンときた。
できれば落ち着いて飲んでいたかったが、このままだと邪魔である。
俺は目を見開いて男の髪の毛を鷲掴みした。
「おい、兄ちゃん…。何を余裕こいて抜かしてるのかしらねえけどよ。こっちが敬語使っているのに、何でおまえはそんな偉そうな口を利いてんだ? 舐めてっと髪の毛、頭から毟っちまうぞ、おい」
「す、すみません……」
シーンとなる店内。
男は逃げるようにチェックをして店を出て行った。
一線を退いたとはいえ、素人相手に少し言い過ぎだったかなと反省する。
「あー、スッとした。岩上さん、偉い!」
店の女の一人が笑顔で言った。
「はあ?」
「あの客さ、いつも他のお客さんに絡んじゃってウザかったの。誰かガツンってやってくれないかなって思ってたんだ」
「いや、店に迷惑を掛けて悪かったよ」
「いいのいいの、あんなの来ないほうがいいしね」
「そうそう、岩上ちゃんが言ってくれたから、みんなすっきりしてるわ」
ムカついたから怒っただけなのに、そう言われると照れてしまう。
「ほら、岩上さん。飲もう飲もう」
この日の酒は久しぶりにうまく感じた。
今まで休みをとっていた諏訪が、一日早くフィールドに戻った。
本人の希望で働くのは二日後がいいというので、当初の予定と変わりはない。
どっちにしても二日後、俺はメロンのみで働く事になる。
出勤時間は十一時になるので楽になるが、気が重い。
裏ビデオを売って給料をもらうという行為が、どうしても格好悪く感じた。
まだプライドを捨てきれていないのだろう。
あれだけ稼いでいたのをほとんど競馬や遊びで使い切ってしまった俺は、また一から出直さなければと思い、北中の元で働く事にした。
INを入れ、客の機嫌をとるゲームの仕事も本来好きではない。
しかし今の仕事はさらに嫌悪感がある。
ここで嫌だからと辞めるのは簡単だ。
だけど、そのあと俺に何ができるのだろうか?
テーブルに置いてあるノートパソコンが目に入る。
新しく何かをつかまないと、俺は駄目になってしまうんじゃないか……。
せっかく先輩の坊主さんから教えてもらったパソコン。
このままただゲームしかしないというのは勿体ないような気がした。
でも、今の俺に何ができる?
何でもパソコンはできると言われているが、俺にはゲームぐらいしかできない。
「パソコンは頭のいい赤ん坊と同じだから、これをこうしなさいって教えてあげれば完璧にこなすんだよ」
坊主さんが以前、こんな台詞を言っていた。
頭のいい赤ん坊……。
一人では何もできないけどこっちが補助さえしてやれば、パソコンはどんどん吸収していくもの。
また、頭を下げて坊主さんにパソコンを教わろう。
ゲーム屋の仕事を三時までして、ビデオを五時まで。
このパターンもあと二日で終わる。
一日一万の日当をもらい、不足分の数千円はまとめて月末にもらう生活。
これを続けるかどうか悩むよりも、今はパソコンのスキルを伸ばす事を考えよう。
裏ビデオの仕事は、テーブルに座って来た客の相手をする以外、ほとんど暇だ。
ならこれをチャンスと考え、自分のスキルを延ばす場所と思えばいいんじゃないか。
人間、思い方一つでまったく変わるものだ。
嫌々仕事をするよりも、発想の転換一つでいくらだって変われる。
「岩上、一日早いけど、明日からはメロンだけになるぞ」
オーナーである北中が、帰り際になって言ってきた。
「…って事は、明日の出勤、十一時でいいって事ですか?」
「そうだ。今後はメロンがメインで、フィールドは従業員が休む時だけ出ればいいだよ」
冷静に考えてみると、フィールドは二十四時間営業のゲーム屋。
シフトも三交代制である。
従業員が休みの日と簡単に言うが、あの店の人数は全部で六人。
六人が月に何日休むと思っているんだ……。
「それじゃ、ほとんど出るようじゃないですか?」
「いや、山本とか大阪、それと店長の小泉が休みの時は、それぞれがカバーしあうから、月にあってもせいぜい十回ぐらいだよ」
「でも、その十回ってそれぞれ出勤時間が違いますよね?」
早番なら朝の七時出勤。
中番なら昼の三時。
遅番なら夜の十一時……。
「おまえなら、若いからまだまだ大丈夫だよ」
そりゃ北中から比べればまだ三十代だから若いけど、そういう問題じゃない。
「そういう問題じゃないですよ。通常十一時にここなのに、この日は朝、何日は夜の十一時に出勤なんて無理です」
「わがままな奴だな」
自分じゃ絶対にそんな事をしないだろうがと、言ってやりたかったが我慢しておく。
所詮、他人事だから簡単にそう言えるのだ。
そんなバラバラなシフトを計画性もなく組まれたら、俺の体がおかしくなってしまう。
高額の給料をもらえるならまだしも、一日一万程度の金でそこまではできない。
「せめて中番ぐらいにして下さい。それならいいです」
「しょうがない奴だな。じゃあ、今、上に行って、それを従業員に伝えてくるだよ」
「分かりました。でも、もうじき五時だから、仕事上がってから行きますよ」
「じゃあ、もういいぞ。上がっても」
北中は売上の入った財布から財布をテーブルの上に並べ、一番汚い一万円札を渡しながら、「ほれ、今日の『デズラ』だ」と渡してきた。
「ありがとうございます」
俺はパソコンの電源を切り、カバンにしまうとメロンをあとにした。
階段を上がり、一階のフィールドのインターホンを押す。
しばらくして鍵の開く音が聞こえ、ドアが開く。
タイ人のレクが面倒臭そうな顔をしていた。
中は六名の客がゲームをしている。
見覚えのある飯野が、「お、岩上ちゃん」と声を掛けてきた。
北中の女であるシンシンは、気難しい顔をしながらゲームに熱中している。
俺が「こんばんは」と声を掛けると、シンシンは不機嫌そうに「この台、食いしん坊ね。パクパクお金食べてばかり」とブツブツ言っていた。
本来の中番は大阪とレクだったが、店内には早番の山本がいる。
聞くと、大阪がまた遅刻をして居残りらしい。
レクがホールでINをしているので、邪魔にならないようにリストの奥へ向かう。
「もう下は終わったんですか?」
「ええ、それで北中さんに言われたんですけど……」
「シフトの件ですよね?」
「ええ……」
「あの人、うちに来て、『これからは休みの日、岩上が入るから大丈夫だぞ』っていきなり言い出したから、さすがにそれは無理ですよって言ったんです」
「ええ」
「そしたら『若いから問題ないだよ。俺が言っとくから大丈夫だ』って…。相変わらず酷いなあと思いました……」
あのクソ野郎……。
俺は段々北中が嫌いになってきた。
「ええ、その件で言ったんですよ、北中さんに。昼以外はできませんって」
「ちゃんと言ったほうがいいですよ。自分も岩上さん大変だなって思ってましたので」
一体、人を何だと思っているのだろう。
「そうですね。黙っていると、いくらでも要求してくる人なんだなって感じましたよ。ところで戻ってきた諏訪さんはどうです?」
「ああ、あの人ですか…。どうしょうもないぐらいのグズなんですよ」
「グズ?」
「店が暇だとすぐにどこか遊びに行ってしまうし、監視していないと店の金も抜こうとしますからね。自分の住むアパートもないぐらいですから」
「じゃ、どうやって生活をしているんですか?」
「仲のいい友達のところを泊まり歩きしながら、どこも泊まる場所がないとサウナですね」
「……」
思わず言葉を失ってしまう。
結婚していて子供が生まれたばかりだというのに何を考えているのだろうか。
一体、どんな人なんだ?
想像もつかない。
「そんな諏訪さんから利子をとる北中さんって、悪魔だと思いません?」
「確かに……」
あまりこの系列グループの人間とは、関わり合いにならないほうが賢明だなと思った。
今日から昼の十一時出勤。
ゆっくり寝ていられるし、電車も混んでいない。
元々朝起きるのは得意なほうじゃないので、理想的な出勤時間である。
仕事内容が裏ビデオじゃなければ……。
歌舞伎町に着くと、裏ビデオ屋のメロンの入口の鍵を開け、看板を外に出す。
当然の事ながら、北中はこの時間にはまず来ない。
店内の掃除を済ませると、ビデオ用のファイルを見た。
ある程度、置いてある作品ぐらいは頭に入れておかないと話にならない。
ビデオの種類だけで五百はあるのだから。
客の要望を聞いたら、すぐに「これはどうです?」ぐらい言えないと駄目だ。
しばらくはこの作業だけに没頭した。
客が買いに来ると、作品名が書いてあるメモを見て、倉庫の人間に電話をする。
来る前に代金だけ受け取っておき、配達人が来れば品物を渡す。
非常に単純な商売である。
北中が店に来るのは、いつも夕方の四時頃。
「おい、岩上。今、売上はどのくらいだ?」
「まだ四万ですね」
それだけ確認すると北中は上のフィールドへ行き、ゲームをしに行く。
この時間帯だと、客もほとんどいないだろう。
毎度INOUT差を見て有利な台に座りゲームをする北中の愚痴を言いに、中番の大阪が玉にメロンまで降りてきた。
「まったく北中さんには参りますよ」
「またロイヤルでも出したんですか?」
「それぐらいならいいんですけど、他の客がいるのに構わず、他の台のキープまでしますからね。おかげでこっちに客がいつも文句を言ってきます」
元々ポーカーゲームは負けるのが当たり前。
しかし自分たちが金を突っ込んだ台をキープされて、北中だけがその分を毟り取る。
まさに極悪非道だ。
「オーナーの金子さんに言ってみたらどうです? 北中さんの件を」
「そうすると、誰が言ったんだってなるじゃないですか? みんな、自分が悪者になりたくないんですよ。まあ、自分もですが……」
これではただの悪循環だ。
みんな、思っている事は同じなのに誰も行動に移さない。
北中の傍若無人ぶりをやめさせない限り、この悪循環は続く。
ひっそりと営業しているフィールドは常連客しかいないが、あまり流行っているゲーム屋とはいえない。
そこへ北中が輪を掛けてそんな事をしたら、余計に客は減るだろう。
大阪が愚痴を言ってフィールドへ戻ると、客がパラパラと入ってきた。
みんな熱心にビデオのファイルを眺めている。
一人の客が、壁に貼ってあるDVDのジャケットを見つめ、メモをとっていた。
「では、八本で一万円ちょうどになります」
ビデオを八本買う客の会計を済ませ、続いてDVDを買う客が書いたメモを出す。
「ちょっと待って下さいね」
俺は慌てて倉庫に電話をした。
品物を運ぶなら、一度に持って来させたほうがいいだろう。
「はい」と機嫌悪そうな声がして、倉庫の人間が電話に出る。
「え~とですね。『女子高白書』と……」
「どっち?」
「え?」
「だから、DVD? ビデオ? どっちだよ?」
何だこの言い方は……。
「DVDですよ」
「あとは?」
「全部DVDで、『乙女座の憂鬱』、『いちごの気持ち』。それと『外人娘と大和撫子』です」
ガチャン……。
何も言わずに切る配達人。
毎回このような対応だと、こっちも気分が悪くなってくる。
一度、暇を見て話し合ったほうがいいかもしれない。
五分ぐらいして配達人がDVDやビデオを持ってくると、袋に入れ客に渡す。
配達人は客に挨拶もなく、店の冷蔵庫に置いてあるコーヒーをバックの中に四、五本入れると黙ったままメロンをあとにした。
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