岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 105(一番逢いたかった女性編)

2024年11月15日 02時28分40秒 | 闇シリーズ

2024/11/1

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敦子先生に紹介してもらった居酒屋ぼだい樹。

そこのオーナーでもあり、看板娘の奈美ちゃんが、岩上整体へやって来た。

ぼだい樹は屑のチャブーやゴリとよく一緒に行く。

同じ岩崎性のこの二人は何故かタイミングが合わず、一度も鉢合わせた事が無い。

奈美ちゃんは明るく可愛い元気な子。

こういう子といつも一緒にいたら、俺まで幸せな気分になるだろう。

奈美ちゃんのお袋さんには、相変わらず気に入られている。

なのでこのタイミングで口説けば障害は何一つ無いのだ。

「奈美ちゃん、お腹は?」

「お腹って何よー。私が太ってると言いたいのー?」

「いやいや、奈美ちゃんくらいムチムチしてるくらいが、一番男は抱き心地がいいんだよ」

「まったく変態め。最初うちに来た頃は、彼女さんと一緒に来て凄い硬派だなあって思ったのに」

「あいつとは別れたんだよ」

「え、そうなの? 最近一人か男同士でしか来ないもんね。あ、先日連れてきたショートカットの子は何よ?」

ひょっとして山崎ちえみの事を言っているのか?

抱いたなんて言ったらヤバい。

ここは俺にとって都合のいい物語を急遽仕上げよう。

俺は物書きなんだから。

「いやいや、あの人は京都からわざわざここに来たからさ」

「はあ? 京都から?」

「それで最後のほうに来たから、せっかくだから美味しい店でご馳走すると、ぼだい樹行っただけだよ」

「ふーん、ありがと」

何か少し疑ってんな。

「本当だって! 何も無いよ。あのあと変に気に入られてストーカーみたいになっちゃってさ」

「ストーカー? 少し自意識過剰なんじゃないの?」

「いやいや、ここ俺一人でやってんじゃん。それなのに何度も店の電話に掛けたり、携帯電話にも、メールだって凄い量来るんだよ」

「ふーん、そういう事にしておきますか」

「嘘なんか言ってないって! こう見えて俺は奈美ちゃん一筋だからね」

「何か全然説得力無いんだけど」

言い方は厳しいが、奈美は満更でも無さそうだ。

俺の放つジャブがピシピシ効いている。

「俺の行動で見てくれよ? 何かあれば使うのは、ぼだい樹でしょ? 知り合いだって色々連れてってはいるでしょ?」

「あのゴリさんて空気読めない人と、カメラも持ち歩いて無いのに写真家とか言ってる変な人とか?」

「あいつらは屑で友達いないから、可哀想で俺がたまに相手してあげてるの。ほら、同級生で一番真面目だよという飯野君とも一緒に行ってるでしょ? ほら、いつもサツマイモスティック注文する」

「はいはい、あの真面目な人ね」

「まあ大部分俺は奈美ちゃんの顔見に行ってんだけどね」

「またまた」

「ほんとだって!」

「前にエレベーターガールだっていう子を連れてきて、ベタベタしてたじゃない」

忙しい状況なのに、よく見てやがるな……。

無駄に記憶力いいしな。

「あの子は仕事で渋谷に引っ越しして、もうこっちに住んでいないよ」

「いないだけでしょ。また連絡取ればいつでも会えるんじゃないの?」

うん、これはひょっとして皮肉ではなく、ヤキモチを妬いているのか?

百合子のヤキモチ妬きは重かったが、この子のだと何か嬉しく感じる自分がいる。

「連絡なんてしてないよ。俺は奈美ちゃんしか見てないし」

「ほんと口が上手いよね。それで何人引っ掛けたのよ?」

「百人から先は覚えて無い……」

「ほらー!」

「嘘だよ、嘘。アメリカンジョークだって。最初の頃敦子先生に紹介されたあと、前の彼女連れてったでしょ? あの時から誰とも付き合ってないよ」

「ふーん、そうなんだ」

あれ?

俺のワンツーが効いてない。

戦法変えるか。

俺は奈美の横へ腰掛ける。

「何よ、近付き過ぎ」

「こうやってるだけで、俺はね。とても幸せな気分になれるの。今なら誰にでも優しくできる。そんな気がする」

「遠い目をして馬鹿じゃないの」

俺は奈美の肩に腕を回す。

「それでこうしてたら多分俺はね、キューリ婦人よりも優しくなれる気がする」

「馬鹿じゃないの」

奈美は大笑いしている。

「キュリー夫人でしょ。あの人はノーベル賞はもらったけど、別に優しさの象徴では無いでしょ」

「奈美ちゃん博識だね」

肩に手を回しているのに奈美は嫌がる素振りもない。

これはあと一押しでいけんじゃないの?

どさくさに紛れて抱き締めちゃおうかな……。

ガラガラ……。

「すみませーん……」

何だよ、誰だよ?

本当にタイミングいいところに来やがって……。

予約一杯という事にして断ろう。

俺は奈美から離れ、立ち上がる。

パテーションを少し開けて不機嫌そうに口を開く。

「あの本日は予や……」

入口に立っている女性を見て、全身が固まる。

一人の女の為に俺はピアノを弾き、小説を書き始めた。

市民会館でピアノ発表会までやったけど、来てくれなかったからその日でピアノは辞めた。

小説は彼女へ格好つける為に始めたけど……。

駄目だ。

もう泣きそうだった。

「は、春美……」

 

「ごめんなさい、急に来てしまって」

品川春美。

俺よりちょうど十歳年下の二十五歳。

いや、彼女の誕生日が四月八日だから、二十六歳か。

最初に会ったのはまだ彼女が二十歳の頃。

二十一歳の誕生日を祝い、俺は酔っ払って失礼な事を言って呆れられた。

この子の横顔が変に寂しく見えて、だからザナルカンドをこの手で弾いてあげたいなって……。

凄い努力して毎日ずっとザナルカンドだけを弾き続けた。

いつか春美に聴かせよう。

それで癒してあげたい。

だから俺は……。

「岩上さん!」

背後から奈美の声が聞こえ、現実に引き戻される。

「ちょっと岩上さん!」

俺は奈美に対し、後ろ向きのまま口を開く。

「ごめん、奈美ちゃん…。帰ってくれないかな……」

「……」

ちょっとした静寂。

「岩上さん、今日はありがとうございました。凄い身体軽くなった。それでは……」

そう言って奈美は荷物をまとめ、入口にいた春美へ一礼して岩上整体を出ていく。

「あれ? 大丈夫なんですか?」

キョトンとする春美。

「あ、ああ、大丈夫。問題ないよ。今さっき施術が終わったばかりだったんだ」

「うーん、そうなんだ」

「あ、春美。そんなことろで立ってないで上がってよ」

五年ぶりの再会。

あれだけ待ち焦がれた春美は、ふと舞い降りた天使のように現れた。

前よりもグッと大人っぽく、そしてより奇麗になって……。

「そこに座って。ちょっと待っててね……」

俺は整体の看板を中に入れる。

ちょっと今日だけは他の患者など診れそうもない。

「え、岩上さん…、挨拶だけしたら仕事の邪魔になるから帰ろうと思っていたのに」

「駄目!」

「え?」

「まだ帰らないで!」

必死に話すを俺を見て、春美はクスッと笑う。

「え…、俺おかしい?」

「いえ、岩上さん白衣着てビシッとしているのに、全然変わってないなあと思って」

俺は黙ったまま、キーボードを引っ張り出す。

そして電源を入れて鍵盤にそっと指を乗せた。

そしてザナルカンドを弾き始める。

ピアノなんて発表会以来やっていない。

同級生の飯野君と再会をここでした時、久しぶりに弾いてみただけ。

では何故整体にキーボードなんて置いていたんだ?

一回春美へ連絡したから……。

ひょっとしたら、来てくれる事があるかもしれないから……。

だからずっと置いといたんだ。

久しぶりだし、練習もしていない。

途中途中で音を外しながらもザナルカンドを弾き終えた。

パチパチパチ……。

気付くと春美が笑顔で拍手をしてくれている。

視界が滲む。

「春美、ごめん」

「岩上さん、どうしたんですか?」

「俺…、俺ね…。ちょっとだけ泣く……」

俺はその場に突っ伏して、声を出さずに泣いた。

 

頭へ乗せた手の感触。

俺はそれでようやく顔を上げた。

「ありがとう…、岩上さん」

ジッと春美を顔を見る。

シーンとした空間の中、ここには俺と春美だけしかいない。

「ほ、本当に奇麗だな…、春美は……」

本当に自然と腕が伸び、俺は優しく春美を抱き締めた。

儚い大切なものを壊さないように、そっとゆっくり時間を掛けて。

春美の匂いがする。

夢じゃない。

俺は彼女の肩口に顔を埋め、再び泣いてしまう。

優しく頭を撫でてくれる春美。

「しばらく会わない内に泣き虫になっちゃったね、岩上さんは」

滅茶苦茶な人生だった。

幼少の頃から全日本プロレス、すべての歌舞伎町時代に至るまで、何度崩れ掛けたか分からない。

でも、分かった。

俺はこの人生最良の瞬間を味わう為に、これまで生きてきたのだ。

ずっと力任せで強引に生きてきた。

それでずっといいと思っていた。

春美に会って、俺は色々なものに対して間違っていたと気付く。

そう…、俺は彼女から優しさをもらっていたのだ。

「三年前、寝坊してすっぽかす形になっちゃって、ごめんね……」

「いいですよ」

泣くだけ泣いて、ようやく冷静さを取り戻せた。

腰が張っているという春美の身体を施術する。

丁重に優しく、宝物でも扱うように……。

「ちょっと前なんだけど、転んでお尻打っちゃって」

「どんな感じ? 痛みは?」

「打ち身ですね、ただの。私結構ドジだから」

「どのくらい前に?」

「うーん、一週間前くらいかな? まだ痛いんです」

打撲なら二日三日で冷やして治ってなかったら、慢性化しているな。

それなら温める方向で……。

高周波をつけ、弱い電圧を流す。

目を閉じながら指先で腰から足に掛けて経絡を辿り、違和感のある部分を探す。

治せ。

春美が痛みを感じる部分。

どこだ?

全神経を指先へ集中し、若干固くなっている部分を見つける。

ここと、あと対になる場所……。

ん、血流が少し変わった。

ここか。

少しでも早く血流が良くなるように。

今までの真面目に施術してきたが、これほど真剣に相対した事はなかった。

施術を終え、春美に状態を聞く。

「あれ? 鈍い痛みがずっと引かなかったのに、かなり楽になってます」

「そう…、良かった……」

五年分の空白の期間。

俺と春美はとにかく色々な話をした。

西武新宿線の一件を話すと、「岩上そんほんと昔と変わってないですよね、そういうとこ」と微笑んでくれる。

百合子の存在があった事は言わなかった。

春美は今、彼氏がいて一緒に同棲しているようだ。

悔しいけど、これだけいい女なんだ。

周りが放っておくわけないもんな。

俺は春美の顔をこうして近くで見れただけで満足だ。

随分遅くまで語り合う。

「俺さ、今『新宿クレッシェンド』が最終選考通過したけど、春美の為に絶対グランプリ取るから!」

何の根拠も無いけど、俺はそう言わずにはいられなかった。

「私、ちゃんと今でも岩上さんの現役の時の写真や、描いてくれた絵も大事の持ってますよ。もちろん送ってくれた本も」

至福……。

これ以上今の感情を表す言葉が他にあるだろうか?

キーボードとはいえザナルカンドを目の前で弾けて、ここ五年間のすべての事が、やっと今報われたのだ。

「さ、彼氏があまり遅くなると心配するでしょ? 電車も無いし車で近くまで送っていくよ」

本当に名残り惜しい。

でも春美の前じゃ精一杯格好をつけていたかった。

「失敗しちゃったかな……」

春美は視線を反らし、小さな声でそう言った。

ハッキリと聞こえた。

でも聞き返すのが怖くて、俺は黙ったままだった。

車で入曽駅近くまで送る。

春美の姿が暗闇に消え見えなくなるまで、俺は見送った。

彼女の「失敗しちゃったかな」という台詞。

あれはどういう意味で言ったのだろうか?

もしかしたら俺にもまだ希望が?

いや、ずっとそれで何度も失敗してきているのは俺だ。

いい方向へ都合良く考えるのはやめろ。

帰り道それでも春美の言葉が、ずっと引っ掛かっていた。

 

整体を終えて、家へ戻る。

凄い雨が降っていた。

雷音も凄まじい。

明日整体へ向かう時までに雨が止んでくれたらいいが……。

この日一晩中雷が鳴っていた。

昼手前に整体へ向かい、電気をつける。

「ん、おや?」

パソコンだけは電源をつけっ放しなのに、画面が真っ黒。

ただ真ん中に縦一本の光みたいな筋が入っている。

「何だ、こりゃ?」

ドアが開く。

「岩上さん、参っちゃったよ。昨日の夜この建物に雷落ちてたみたいで、うちの冷蔵庫壊れちゃったるよ」

隣の街中華の王賛のマスターが泣きそうな表情で話してくる。

なるほど、このパソコンも雷のせいか。

一緒に外へ出ると、二階の炙りやのおばさんが階段を降りて来る。

いつも暗いのに、今日は拍車が掛かってより暗い表情をしている。

俺とマスターに気付くと、「雷で冷蔵庫壊れて肉が全部台無しになっちゃったよ」と嘆きだす。

「うちもなんだよ。参っちゃうよな」

「そっちはまだいいよ。こっちは肉だから被害が違う」

「何だと、この野郎!」

炙りやの酷い言い方に反応した王賛マスターは食って掛かる。

慌てて間に入った。

「まあまあマスター、落ち着いて。ほら、おばさんもサッサと上行って」

「だって肉が駄目になっちゃって……」

「分かった、分かったから…、さあ早く上に」

炙りやをとっとと上に行かせ、俺はマスターを整体の前まで連れてくる。

嘆くマスターを慰めつつ、俺は出目金を買いに川越水族館へ向かう。

ちょっとした現実逃避だが、壊れたパソコンの悲しみを癒すにはメダカだけじゃ足りない。

真っ黒の出目金を買い、俺は出目太と名付ける。

ついでに金魚も二匹買い、リンとバットという名前をつけた。

パソコンは使えないのは本当に不便である。

夜になると古木英大が顔を出す。

システムエンジニアの彼に状況を話すと「ん? これひょっとしたら直せるかもですよ」と言うのでパソコンを見てもらう。

「ちょっと時間は掛かりそうですけど」と言うので、俺はまた魚を買いに行く事にした。

もちろん彼に留守番を頼み、患者が来たら待つか、もしくは次回来るよう伝える。

また新しく仲間が加わった。

頬っぺたに空気が入ったように見える水泡眼という種類の魚、プクプクと名付ける。

他に貝や小さな海老も買ってきた。

その間古木はパソコンを色々いじっている。

「岩上さん! 直りましたよ、パソコン」

「おぉっ! 本当ですか?」

どう直したのかは分からないけど、中にある小説のデータも消えていない。

「ありがとうございます。さすが古木君!」

「いえいえ、岩上さんにはいつもお世話になってますからね」

「あ!」

「え、どうしましたか?」

先日春美が来た時、奈美ちゃんに失礼な対応しちゃったから、ちょうどいい。

古木を連れてぼだい樹へ行こう。

「いやいや、お礼にいい居酒屋でご馳走します」

「自分も岩上さんに話があったんですよ」

「じゃあ飲みながら聞きますよ」

俺は早めに整体を閉めて、古木とぼだい樹へ向かった。

 

さすがにどんな顔して店に入ればいいのか悩んだが、元気良く「こんにちわ!」とぼだい樹へ入る。

「あら、岩上君いらっしゃい」

奈美のお母さんが出迎えてくれた。

奈美はと……。

あ、奥にいる。

彼女が近付いてくると、「おっす、奈美ちゃん。ほら、ちゃんとまともな客も連れて来てるでしょ」と話し掛けた。

奈美は古木を見てから「うーん、そうだね。ありがとう」とまた奥へ引っ込む。

やっぱり怒っているのかな……。

あの時の事を考えていると、目の前にグレンリベットのボトルが置かれる。

「これでいいんでしょ? お連れさんは?」

「あ、ビール…、生ビールを下さい」

奈美が去っていくと古木は「可愛い子ですね」と話し掛けてくる。

「そうだね。あ、話って?」

奈美との関係を聞かれても複雑な感じなので、俺は強引に話題を切り替えた。

「前に一緒に食事を行く子はいると話したじゃないですか」

「あー、はいはい」

「その子、料理人で腰が良くないんですね。それで岩上さんに診てもらいたいなと思いまして」

「全然いいですよ。お安いご用です」

「それでその連れて行きたい日、それがその子の誕生日にしたくて……」

「え、誕生日ならうちなんか来ないでお洒落な店で祝ってあげればいいのに」

「それが彼女、ちょっとガードが固いと言うか…。それで岩上さんに腰をやってもらいつつ、フォローしてもらえたらと」

「フォローねー…。まあ構わないですけど」

「その子とうまくいくなら結婚も考えられる子なんですよ」

「分かった、古木君。前にプリクラの話はしたよね?」

「はい、あれで出会い系の女抱けましたし、岩上マジックの凄さは痛感しています」

「その子には?」

「やっぱり真面目に付き合いを考えてる子なんで、まだ……」

生ビールが運ばれてくる。

「何か食べるの?」

俺はメニューを見ながら、串焼きのところにある『そり』が気になりなった。

「奈美ちゃん、そりって何?」

「凄い貴重な部位。鳥一羽で二つしか取れない部分なんだよ」

「二つって、どこの?」

「人間で言うと、腿の付け根の部分」

「へえー、じゃあそのそりと、あとは奈美ちゃんお勧めの焼き物と、適当に持ってきて。それと…、奈美ちゃんのそりちょうだいよ」

奈美の腿へ向かって腕を伸ばすと「馬鹿っ」とピンタされる。

「痛えっ!」

「ふん、馬鹿」

奈美が呆れ顔で去っていくと古木は大笑いしていた。

「ごめんごめん、あの女に話の腰を折られたね。ちよっと待ってね。作戦を考える……」

「おっ、また岩上マジックですね?」

当時彼女の誕生日にまず古木は岩上整体へ連れてくる。

その子から見たら初対面で白衣を着た俺は、先生となるだろう。

古木には施術中、誕生日プレゼントを買いに行かせる。

その間、俺は古木の事をベタ褒めしながら施術して……。

問題は次だ。

二人を祝う演出してくれるような店……。

天下鶏…、いや、あそこはちよっとイメージが違う。

「はい、お通しでーす」

奈美がもつ煮を持ってくる。

ピンと閃く。

「ねえ、奈美ちゃん!」

「ん、何よ?」

「横にいる彼…、古木君と言うんだけど、結婚を考えている子いるのね」

「えー何々、面白そう」

奈美がワクワクしながら乗ってきた。

「…で、その子の誕生日にうちで俺が腰悪いから診るんだけど、終わったらここへ連れてくるから、何か派手なサービスとかそういうの頼めたりできる?」

「えー、いいじゃない。それで結婚とかしたら、うちの店も何か縁起いいし」

奈美も乗り気充分。

「おし、じゃあさ、日にち分かったらすぐ連絡するからお願いね」

「はーい」

古木に今すぐ彼女へ連絡し、整体へ連れてくる日が誕生日で大丈夫が確認させる。

「大丈夫です。あと三日後ですね」

俺は古木へだいたいの筋書きを話し、当日は計画通り動くよう指示した。

 

森田昇次郎こと森昇の母親が再来店してくれる。

「糠味噌毎日ちゃんと真面目に掻き回していますよ」

「そうかい。毎日何かしらの野菜入れてやってると、その内自分の糠の味の個性が出てくるからね」

「頑張ります!」

「あ、そうそう。コロッケ大量にいつも私は作るんだけど、良かったら食べるかい?」

お袋さんはそう言いながらコロッケを渡してくる。

ありがたく頂いだこう。

お礼を言って施術を始める。

本当に面倒見のいいお母さんだな。

もう十年ほど会っていないけど、俺のお袋に森昇のお袋さんの爪の垢を飲ませてやりたい。

毎日本当は大変だけど、糠味噌をちゃんと掻き回すのは俺の誠意の表れ。

銀行員の信さんも、喜んで糠漬け持って帰ってくれるしな。

ガラガラ……。

ドアが開く。

ん、中々入って来ない……。

「ちょっと待ってて下さいね」

森昇のお袋さんへ声を掛け入口へ向かう。

あれ、誰もいない?

辺りをキョロキョロ見回すと、右手に車が一台路上駐車している。

交差点付近なのにと思っていると、車から出てきたのはSFCG時代の愚痴の多いおばさんだった。

駄目だ、久しぶりで名前が思い出せない。

前も会社内に茄子を大量にくれた事もある。

「久しぶり、岩上君。あなた、野菜好きでしょ? 畑でたくさん取れたから持ってきたのよ。あ、ちょっと手伝ってよ」

SFCGのおばさんは車のトランクには段ボール箱を三つもあった。

「え、これ全部ですか?」

「そうよ、あなた前にちゃんとスパゲティにして、みんなの分作ってきてくれたでしょ。うちだと捨てるくらいあるし、どうせなら岩上君ところにあげようかなとね」

「ありがとうございます! そういえば何でここに俺がいるって、分かったんですか?」

「前に運転してて、岩上整体の看板は目にしてたのよ。信号待ちしてたら岩上君出てきたから、会社辞めて、ここで始めたんだなと思ってね」

こうしてただでさえ狭い岩上整体の中に、玉ねぎ一箱、じゃが芋一箱、茄子やピーマン、大根、キャベツなど色々な野菜が入った段ボール一箱が置かれた。

丁重にお礼を言い、整体へ戻る。

最後まで名前分からなかったな……。

森昇のお袋さんは「何だかあんたは凄いねー」とか言ってくるが、凄いのはあのSFCGのおばさんだ。

とても気持ちはありがたいが、こんな大量の野菜をどうしようっていうのだ?

「あ、お母さん、野菜良かったら、持って帰りませんか?」

「おや、せっかくもらったのにいいのかい?」

「こんな一人で食える訳、無いじゃないですか。好きなだけ持ってって下さい! あ、ちょっと待ってて下さいね」

俺はいつも糠漬け用の野菜を買う店まで行き、ビニール袋を大量に分けてもらう。

「お好きなだけどうぞ」

「悪いねえ、じゃあ遠慮しないで持って行くからね」

森昇のお袋さんは喜んで帰っていく。

まだ整体内には大量の野菜。

玉ねぎの匂いが充満している。

どうすんだよ、これ……。

 

野菜の匂いが漂う中、俺は金魚たちに餌をやり、ヤケクソで小説の続きを書き出した。

野菜は嫌いではない。

むしろ好きなほうだ。

だからって、これだけの量をどう処理しろというのだ?

本当に春美が来たあとで良かった。

この状態で春美が来たら、カオスである。

あー気になって執筆に集中できない。

待てよ……。

隣の王賛なら喜んで貰ってくれるのではないか?

自分で使う分の野菜をビニール袋へ入れる。

玉ねぎ三つ、じゃが芋二つ、ピーマン二つ、茄子十個。

何か全然減ってないぞ。

その時入口のドアが開く。

五十代くらいの落ち着いた雰囲気の女性。

「あら…、凄い新鮮な玉ねぎの香り……」

「すみません…、先程大量に知り合いから届けられまして……」

「本当凄い量ですね」

「あ、ごめんなさい。整体のほうですよね?」

「はい、首と肩が酷い凝りでして」

「では問診表をお書き願いますか」

上福岡市川越街道から少し入ったところで小料理屋を営む岩沢さん、五十一歳。

こしじ (上福岡/とんかつ)

こしじ (上福岡/とんかつ)

★★★☆☆3.05

食べログ

 

「ではベッドにうつ伏せで寝てもらえますか」

彼女の肩辺りを触診しようとする。

手が肩に触れた途端、いきなり飛び跳ねる岩沢さん。

「え、どうかしましたか?」

岩沢さんは目を真ん丸にして驚いている。

「先生のところ…、気功整体なんですか?」

「え? 気功? 何ですか、それは?」

岩沢さんは一旦深呼吸をしてから話し出す。

彼女は気功に興味を持ち、中国まで渡って色々勉強してきたようだ。

気功を学び、帰ってきてからも自分で研究する日々。

たまたま立ち寄った岩上整体で施術を受ける事になり、俺の手が触れた途端これまで感じた事のない大きな気が入ってきたのでビックリしたらしい。

自分の右手を開き、まじまじ見つめる。

気功ねえ……。

何もしていないんだけどな……。

「あ、帰りに野菜好きなだけ持ってって下さいね」

「本当いいんですか? こんな新鮮な野菜を」

「いいんです、いいんです。自分の分はそこにビニール袋入れてるじゃないですか。それでもまだこんなあるんですよ? もうお好きなだけ持ってって下さい」

岩沢さんはこの日より頻繁に整体へ来てくれる患者になった。

まだ大量に残った野菜は隣の王賛へあげると、とても喜んでくれた。

 

「すみませーん」

体格のいい同世代の男が入ってくる。

イタリアン料理リストランテベニーノ、オーナー兼シェフの奥山さん、俺より二つ下の三十三歳。

ベニーノ【公式サイト】

肩と腰が慢性的に悪いようだ。

俺は岩上流三点療法を使い、軽くしてあげる。

今度目の前のぺぺの三階にベニーノロッソというお店も出すようだ。

一人で資金繰りに苦しむ俺は、素直に凄いなと思う。

岩上整体は家賃光熱費で十七万くらいの経費、そして高周波とエアーコンセラーのリース料が月四万だから、二十万ちょっと稼がないと赤字になる。

ただ経費だけじゃ俺の取り分にならないから、月五十万程度は正直欲しいところ。

一日辺り二万くらいの売上が安定してればな……。

初診千円患者が来て、変に粘られて他の患者逃すとか、その辺をもう少しうまく考えなきゃいけない。

 

ドアが開く。

入ってきたのは同世代女性。

「岩上先輩ですよね?」

「え、岩上ですけど……」

全然見覚えが無い。

「私、富士見中学の一つ下の後輩になります」

「あ、そうなんだ」

全然覚えいないけど後輩との事なので、時間を掛けて施術をした。

二時間ほどやって千円の施術代。

まあ先輩としてちょっと格好をつけたかったのだ。

後輩は帰り、少し初診のやり方を見直さないといけないなと考える。

ドアが開き、先程の後輩が戻って来た。

「ん、どうかしたの?」

「駐車場代って出ないんですか?」

「……」

俺は五百円玉を渡す。

あれだけ時間掛けて施術して、さらに駐車場代まで請求か……。

しっかりしていると言うか……。

俺は至急広告の見直しをした。

駐車場代出ますなんて、書かなきゃ良かった。

初診は二十分まで。

ダイエットをするなら三十分はしないと効果が出るか分からないからな。

駐車場代出すは、削除。

だって駅前だもんね。

このくらいでいいかな?

俺は広告を一新させる。

あ、岩上整体協力店が今九十六軒もあるのか……。

光沢紙で印刷して、九十六枚。

いや、百枚刷っておこう。

だいたい五、六十枚でインク交換するようなんだよな……。

それをラミネートして……。

また経費が掛かるな。

いや、改善の為の必要経費だ。

仕方ないだろ?

電話が掛かってくる。

「はい、岩上整体です」

「智さん、ちえみです」

またコイツかよ……。

「ちえみさん、悪いんだけど、俺一人で整体やっているの分かるよね?」

「今患者いるという事ですか?」

「いや、そういう事を言いたいわけじゃなくてね……」

「電話も駄目、携帯も駄目、メールも駄目…。全部駄目じゃないですか!」

面倒臭い女抱いちゃったな。

「いい? ちえみさん、今整体が運営行き詰まっているの。駅前で家賃高いし、思うように売上いかないし。だから今ちえみさんの相手をしている余裕が本当に無いんだよ」

正直に伝えたつもりだった。

「急に智さんは私に冷たくなった。何でですか?」

あーもう本当に面倒臭い。

「あ、患者来ちゃった、ごめんね」

嘘を言って電話を切る。

ドッと疲れを感じた。

 

資金繰り問題。

かろうじて家賃やリース代などの経費を払い、少し飲み食いする程度の金は残る。

ただ、これなら普通に使われてサラリーもらっていたほうが、楽じゃないのか?

でも少なからず岩上整体を求めて来てくれる患者さんたちがいる。

無下になんてできない。

ドアが開く。

若い男の子が入ってきた。

ボクシングをしているようで、右腕の筋をおかしくしたらしい。

二十分で治せるか?

「どう? 腕の調子は?」

「まだ少しこの辺に痛みが……」

年齢はまだ十九歳。

金だって持っていないだろう。

うん、時間なんていいや。

俺は高周波の位置を微妙に付け替え、施術を続ける。

「先生…、恥ずかしい話、僕手持ちが千円しか無くて……」

「馬鹿野郎、若いのが遠慮するなって。二十分で君の症状を改善できない俺が悪い。だから良くなるまで診させて」

そう、生活が苦しくても一人でも多くの人を治すって決めて、この整体始めたんじゃねえか。

時間ですで返したら、俺があとで後悔する。

この子は俺が治してやるんだ。

一時間ほど治療し、彼の様子を見た。

「どう?」

腕を色々な方向へ振る若い子。

「あ、大丈夫です! もう違和感なんてありません!」

そう、こういう笑顔見たいから俺は整体やってんだ。

「コーヒーでも飲むかい」

俺はこの子から妙に懐かれた。

彼は整体の学校にも通っているようで、腕の症状を訴えても誰一人痛みを治せる人間はいなかったらしい。

「先生! 自分を弟子にしてもらえませんか?」

確かにもう一人いれば患者を次々とこなせ、回転も良くなるだろう。

しかし暇になった時、彼の給料分まで保障できるのか?

無理だよな……。

俺は丁重に断った。

資金繰り問題。

そしてちえみ問題。

頭が痛い。

 


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