2024/11/11 mon
前回の章
岩上整体を終え、俺の広告用ブログ『川越名店街』の更新を始めた。
川越の飲食店だけでなく知り合いの店へ片っ端らから声を掛けて、岩上整体のチラシを貼ってもらう。
現時点で三十八軒も協力店ができた。
この協力してくれたお店一つ一つ、写真に撮って詳細の記事を書く。
例えば餃子のいづみ食堂なら、まず店構えにメニュー表。
それから店内の様子や料理の写真など、実際に行って食べて写真撮って、それから川越名店街の更新なので、結構経費も掛かるし時間も取られるしで、大変な作業だった。
だけどやればやった分だけ俺の広告を貼った店が、川越中に増えていくのだ。
こんないい宣伝方法はないだろう。
よし、三十八軒分の紹介記事は終わりと……。
この加盟店の中には店では無いが、小林澄夫さん宅も入っている。
俺が子供の頃、ステーキハウスとか商売やっていたので別段問題は無かろう。
飲みに行くか。
裏のJAZZBarスイートキャデラックで飲んでいる時に、携帯電話が鳴る。
画面を見るとFMWにいた鍋野ゆき江からだった。
前回スナックアップルの長沢のクソオヤジに命令されて、失礼な営業電話を怒鳴りつけた以来である。
一旦店の外へ出て電話に出た。
「岩上先生ー…、今どこ?」
何だ、コイツ、凄い酔っていやがるな。
「何の用だ?」
「どこにいるかって聞いてんだよー」
酒癖悪いぞ、この女……。
仕方なく近所で飲んでいるところを伝えると、ここから百メートルも離れていないロカビリーパブで、もう一人の女子レスラーと飲んでいるらしい。
あまり興味ないから行った事ないが、俺が来るまでうるさいのでマスターへ会計を頼む。
「岩上さん、もう行っちゃうんですか?」
若い常連客の大介は声を掛けてくる。
「年明け女子レスラーと三ピーだっ!」と嘯く。
「うわっ、岩上さんはやっぱスケールが違う……」
「まともに取るんじゃねえ、馬鹿」
驚いている大介を無視して、俺はロカビリーパブへと向かう。
徒歩三分程度の距離。
着いてドアを開けると、リーゼントヘアーの男たちがライブをしている。
こういうのが好きそうな女たちが興奮して声援を送っていた。
辺りを見回すと、すぐに鍋野を発見。
デカいので見つけるのは簡単だった。
「何だよ、こんなところ呼び出しやがって」
「あらー…、岩上先生。あら、酔っちゃった」
鍋野が千鳥足で近付き、俺にもたれ掛かってくる。
百キロを超える巨大なので、ズシッときた。
同じ席にもう一人の巨漢が座っている。
「あ、先生。こちらが私の友達のナース中村でーす」
鍋野よりは若干女として見れるか?
俺が挨拶をすると、何故かジッと睨んでいる。
「今日は女二人で飲もうって言ったじゃん」
ナース中村は鍋野に文句を言い出す。
「ごめんごめん」
「男なんか連れて来んじゃねえよ」
え、男って俺の事?
全然違うんですけど……。
「だからごめんってっ…、痛っ!」
酔いながらも謝る鍋野に向かって、いきなりナース中村は殴る。
「謝ってんのに何で殴るんだよー!」
鍋野も応戦。
もう店の中はグチャグチャ。
「止めろって、おまえら!」
俺が仲裁して始めて騒ぎが収まる。
ナース中村は「私、帰る。勝手におまえらで好きにやってろ」と誤解したまま無銭飲食をした。
鍋野は暴れたので、酔い潰れている。
電話でしつこく呼び出されたから、しょうがなく来たのに何だ、この光景は?
阿鼻叫喚じゃねえか。
何故か来たばかりの俺が、この女子レスラー二名分の会計を払う羽目になった。
店で潰れたままでは仕方ないので、担いで岩上整体まで連れて行く。
診察ベッドへ寝かせ、俺はタバコに火をつけた。
気持ち良さそうに眠る鍋野。
デブだが、無駄に乳だけは大きい。
そういえばコイツらの分の酒代払っているんだよな……。
乳ぐらい揉んで、元を取ってやるか。
手をそーっと伸ばそうとした時、鍋野がいきなり起き上がり「あー、屁が出る。屁が出る」とデカいオナラをした。
危うく取り返しのつかない間違いを犯すところを屁によって救われる。
「ん? 何で私ここにいるの?」
「おまえが俺を呼び出して、店で勝手に潰れていたからだろ!」
「先生、もう現役じゃないんだよね? 今体重何キロ?」
「うーん、九十キロ無いんじゃない」
「何だ、軽いわねー」
「うるせー、起きたんじゃ、とっとと出てけ」
こうして女子レスラー襲来事件は幕を閉じた。
岩上整体開業時、先輩の始さんや同級生の松永さん、吉岡さんたちから花を贈ってもらった。
俺は乙女座だから花が好きという訳ではないが、それでも嬉しいものだ。
一応プシュプシュと水を掛ける霧吹きも買ってきたので、花瓶に差しながら大切にしている。
今日も優しく水を掛けていると、整体のドアが開く。
振り向くと花を持った奇麗な子が立っていた。
患者がここへ花など持って来るのか?
誰なんだろう?
「ん? どうしましたか?」
「あ、あのー…、ちゃちです」
「ちゃち?」
「ほら、ネットの『新宿の部屋』でよくコメントし合っているちゃちです」
「えーっ!」
何々、ちゃちってこんな可愛い子だったの?
この子が俺の処女作『新宿クレッシェンド』を『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』へ薦めてくれた。
「一応はじめましてになるのかな?」
「凄い可愛い! 何、ちゃちさんってこんな可愛かったの?」
「止めて下さい。恥ずかしいです」
俺は整体を一時的に閉めて食事へ誘う。
「えー、大丈夫なの?」
「だって俺がここの経営者だもん。問題無い」
ちゃちを連れて出ようとすると、整体の電話が鳴る。
「あ、ほら…、患者さんからでしょ?」
チッ…、空気の読めない電話だ。
とりあえず出てみる。
「はい、岩上整体ですけど」
「あ、腰がねー……」
「大変すみません、本日予約が一杯なんですよ。明日以降によろしくお願い致します」
俺はとっとと電話を切った。
「智さんってネットと実物でも、そんな変わらないんですね……」
ちゃちはおかしそうに笑っている。
俺は見栄を張り、この辺でいい食事処がないか考えた。
うん、割烹料理のふくとみしかないだろう。
俺はランチなのに七千円以上する食事をご馳走し、ちゃちに精一杯格好をつける。
「ね、ね…、ゲームセンター行こうよー」
「え、私そろそろ子供もいるし、帰らないと……」
「やだ! ちょっとだけ行こうよー」
俺がダダを捏ねると、ちゃちは笑いながら「ちょっとだけだよ」と一緒に来てくれる。
お目当てはプリクラを一緒に撮りたかったのだ。
ブログで彼女はバツイチで子供もいて、彼氏らしき人と同棲しているのは知っていた。
でも岩上整体まで花を持って、こうして来てくれたのだ。
俺の事を嫌いでは無いだろう。
俺はプリクラの中でちゃちを強引に抱き締め、顔を近付ける。
「だ、駄目でしょ……」
そう言いながらも、ちゃちはキスされてくれた。
連絡先の交換をして、本川越駅まで送る。
また今度ちゃちが来た時は、岩上整体を休みにしよう。
心の中でそう固く誓った。
先輩の坊主さんの同級生で神田さんという人がいる。
とても温和な先輩で、ゲームセンターの店長をしていた。
俺は歌舞伎町時代、川越に戻って暇だと神田さんの店へ遊びに行き、たまに食事も行く。
どう考えても俺のほうが金を稼いでいるからご馳走しようとすると、「智ちゃんはね、色々な人に気を使い過ぎ。智ちゃんはもっと奢られる事に慣れたほうがいい。僕のほうが年上なんだから、ここはご馳走するよ」と言うような先輩だった。
俺の初ホラー小説『ブランコで首を吊った男』を読んでくれ、細かい感想を言ってくれて,執筆意欲が大いに沸いた事もある。
神田さんの店でアルバイトをしていた坂井さんという可愛い子がいた。
紹介して欲しいと頼むと、「どっちに転んでも僕的に気まずいから、自分で誘いなよ」と言う。
当時まだ二十歳半ばで女慣れしていない頃なので、フラれたら格好悪いしなあと中々誘えず、二階にあるメダルゲームをひたすらやりながら、横目で坂井さんを眺める日々。
ある日神田さんを訪ねて寄ると休みで、ゲームセンターを出ようとした。
その時入口で眼鏡を掛けた不細工な客が、坂井さんの腕を掴み「こっち来い!」と強く引っ張っている光景を目にする。
少し様子を見ていたが、どう見ても彼女は嫌がっていた。
俺は通り過ぎようとした時、ワザと眼鏡男に肩をぶつける。
男がこちらを見た瞬間、「おまえ、何肩をぶつけといてガンつけてんだよ」と胸倉を掴み、UFOキャッチャーの裏側の壁に叩きつけた。
突然の出来事に眼鏡男はパニックを起こしているが、俺はそのまま抑えながら振り返り、坂井さんに「大丈夫? 怪我は無いかい?」と優しく囁いた。
その時眼鏡男が携帯電話を持ちながら「け、警察ですかー」と大声で叫んでいる。
こんな短時間で電話を掛けられる訳ないのは分かっていたが、根性が気に食わなかった。
「おまえ、自分より弱い女の子には手を出そうとして、ピンチになると警察だ? ふざけんな」
そのまま顔面に頭突きを食らわす。
眼鏡が割れ、破片が数ヵ所刺さり血だらけの男は泣きながら謝ってくる。
「いいか? 次この子に乱暴な真似をしたら俺が許さないからな」と駄目押しして解放した。
坂井さんに事情を聞くと、一階にあるプリクラで写真を撮っていた女子高生のスカートを半地下一階から覗いていた眼鏡男。
覗いた覗かないで口論になっているところを坂井さんが注意すると、手首を掴まれ外へ連れ出されそうになったいたようだ。
そこへ俺が通り掛かり、助かったとお礼を言われる。
これ、かなりこの子にとって俺はポイント高いんじゃないか?
そう思った俺は総合格闘技タイタンファイトに出る前の日だから、二十九歳の頃ゲームセンターへ寄り、彼女へ「今日復帰して戦ってきます。これ、俺の電話番号なんで今度連絡下さい。食事行きましょう」と徹夜で眠い状態なのに、精一杯格好をつけて試合へ臨んだ。
一週間経っても彼女からの連絡はまったく来なかったので、勇気を振り絞り神田さんのゲームセンターへ行く。
「あの…、俺から誘うのって迷惑でしたか?」と慎重に聞くと、「ごめんなさい、私…、彼氏がいるんです」とフラれて終わる。
その事を話すと神田さんは食事をご馳走して慰めてくれた。
そんな優しい先輩である神田さんが、実の兄を整体に紹介してくる。
「うちの兄が首をやっちゃったみたいでね。智ちゃん、診てくれないかな?」
「全然お安い御用です」
こうして岩上整体へやって来た神田さんのお兄さんは、顔つきも話し方も兄弟だけあって似ている。
「何で首を痛めたんですか?」
「いやー、ダイビングヘッドバットの練習をしていたら、首がおかしくなっちゃってね」
レスラーがトップロープの上から、リングにいる相手目掛けて飛んで頭をぶつける荒技ダイビングヘッドバット。
「そんな事したら首を痛めるに決まっているじゃないですか!」
神田さんの兄はかなりユニークで変わった人のようだ。
高周波を当てながら三点療法を試みる。
首を角度を少しずつ変えながら、慎重に痛みを取っていく。
「おおっ! どこ行っても全然治らなかったのに凄いっ!」
神田さんの兄は笑顔でお礼を言って帰って行った。
妹代わりに可愛がっていたミサキから、久しぶりに連絡があった。
彼女の百合子ができてから、ミサキにはヤキモチ焼きだからと事情を話し、二年ほど連絡を取っていなかったのだ。
たまにはミサキのキャバクラでも行くか。
するとミサキはもう店を辞めてしまったらしい。
日にちと時間を決めて、近くで食事をする事にした。
ミサキ用に『新宿クレッシェンド』を作って渡さないと。
俺は印刷して本の形にする。
ミサキの本名は川窪愛。
この作品の主人公赤崎隼人は三兄弟という設定ではあるが、一番下の妹が幼い頃亡くなってしまうという設定にしてある。
その妹の名を愛にした。
もちろんミサキを意識しての事だ。
俺がパクられた巣鴨警察の担当刑事出口が、この作品を読んで「妹さん…、大変だったな」とわざわざ電話をくれたエピソードもある。
調書取って俺が男三兄弟で、妹設定はあくまでも小説の中の話だと説明したほどだ。
ミサキが喜んでくれるかどうか分からないが、手作りの『新宿クレッシェンド』の本をプレゼントしたかったのである。
「おまえ、店辞めたって、これから何をするつもりなんだ?」
「私ね…、この間沖縄へ旅行行ったんだけどね。本当に気に入っちゃって、向こうで住みたいなあって思ってさ」
「沖縄? また随分急だし遠いなあ」
「本当はもっと早く言いたかったんだけど、彼女さんできたって言ってたからさあ」
「寂しくなるな」
「うん、私もこっちで生まれ育ったからね」
「いいか? 向こうへ行ったら、俺は中々助けてやれないからな」
「うん! あの不動産の時はありがとうね。私、頑張るよ」
ミサキは会員の紹介が無いと入れないミクシーというサイトを紹介してくれる。
「小説大事にするからね、ありがとう」
こうしてミサキは沖縄へ行ってしまう。
結局のところ最後まで俺はあいつにとって、頼れる兄貴的存在でいられた訳だ。
初診千円の患者。
リピートしてくれれば俺の利益になってくる。
何人かのリピート患者はいた。
最近頻繁に来るホモっぽい中年オヤジ患者。
彼に一週間に二度来るが、内心俺は薄気味悪く思っていた。
高周波をつけ、電気を流す。
その間を利用して「ちょっとカルテつけてくるので、そのままでいて下さいね」とテーブルへ向かう。
患者の症状や施術法などをつけていると、妙に背後から強烈な視線を感じる。
振り向くとホモっぽい患者が、うつ伏せ状態のままジーっとこちらを見つめていた。
俺と目が合うとニヤリと笑う。
生理的に受け付けなくて、俺は高周波のところへ行き、つまみのボリュームを上げる。
「い、痛っ!」
海老反りに跳ね上がるオヤジを見て、やっぱり気持ち悪いなと思った。
指で首を押していると、たまに俺の腕を触ってくる。
そういう時はまた高周波の電圧を上げた。
「あ、痛っ!」
またもや海老反りになるホモ。
これを何回か繰り返している内に、ホモオヤジは岩上整体に来なくなった。
いくら暇でも自分の操が大事である。
ホモ野郎はごめんだった。
沖縄へ行ってしまったミサキの置き土産のミクシー。
ブログとはまた違った形のものだ。
面白い機能があって、どこどこの中学校卒業生などを本人が登録していれば、当時の同級生を見つけられる便利なものがあった。
そういえば俺に近寄ってくる同級生といえば、古くは大沢の屑にゴリにチャブーとロクな奴がいない。
何々…、川越市立富士見中学校で検索と……。
飯野誠。
「え、これ、ひょっとして飯野君かな?」
思わず出る独り言。
同じクラスだったのは中学一年の時だけ。
だけど川越市立図書館へ一緒に勉強しに行ったり、帰り道肉屋の揚げたてコロッケを一緒に食べたり仲が良かった。
あと俺の学生時代は今でいうシングルマザーなんて言葉は無い。
当然片親の生徒は少なかった。
俺のクラスで片親というと及川敏彦、鈴木勉、飯野君と俺の四人だけだったと思う。
なので妙な共通意識があったのかもしれない。
俺はミクシーを通じて飯野君へ連絡を送ってみる。
少しして飯野君から返事が届く。お互いの近況を話し、ノスタルジーに浸った。
文明の利器が発達しなければ、このような再会など無かっただろう。
懐かしい気持ちで患者の施術を行い、時間が過ぎていく。
整体のドアが開いた。
患者かなと立ち上がる。
「え、飯野君?」
入口に立つ顔を見て、思わず声が出た。
「岩ヤン久しぶり」
中学卒業以来の再会。
約二十年ぶりだった。
「岩ヤンのブログ見て、本川越駅前でやってるんだと思いましてね」
久しぶりに会う飯野君は、営業口調が抜けず敬語だったが、それでも昔と変わりはない。
「岩ヤン昔から国語得意だったから、小説は驚かなったけど、ピアノとかプロレスまではビックリしました。あ、これくらづくり本舗の紅赤君です。結構みんな美味しいと評判なので……」
「ありがとう、飯野君。じゃあさ、結構弾いてないけど、キーボードここに持ってきているから弾いてみるね」
俺は久しぶりにザナルカンドを弾いた。
この日は朝方までずっと語り合う。
旧友との再会は俺にとって至福のものだった。
ジャズダンスの激しいレッスンにより坐骨神経痛でつま先立ちできなかった患者が、また岩上整体へ来店した。
彼女は可愛らしい動物のハンガーや桃の香りがするお茶っ葉などを買ってくる。
「先生は男一人でやっているから、こういうところが足りていないでしょ」
親切心からやってくれるのだろうが、ちょっとありがた迷惑だった。
俺が別にそこまで気にしなくていいと伝えても、あれこれ世話を焼こうとする。
施術が終わっても色々話し掛けれ、中々帰ろうとしない。
皮肉な事にこういう時に限って暇だ。
自分のやりやすいよう自由にやっているからと伝えても、聞く耳を持たない。
厳しい言い方をすると、「先生しか興味ないの!」と言い出す始末。
さすがに冷たい言葉を浴びせると、彼女はその場に突っ伏して泣き出した。
駅前、ガラス張りのドア。
通行人から丸見えなので、やめてくれと言っても泣き止まない。
せめてパテーションの奥で、人から見えないところで泣いてくれと頼むのが精一杯だった。
そういう時に限って、飛び込み患者が立て続けにやってくる。
俺は入口で、予約一杯なのでと断るしかなかった。
こんな場面を見られたら、絶対に誤解されるだろう。
泣き止むと「また来ていいですか?」と聞かれ、「ごめんなさい。ハッキリ言って迷惑です」と答えた。
するとまた泣き出す始末。
この日、結局来たすべての患者を断る羽目になった。
子供の頃の遊び場所の連携寺。
そこから真っ直ぐ伸びた商店街立門前通りには、昔から流行っているラーメン屋の呑龍があった。
斜め向かいには後輩の保坂忠弘ことター坊の親が営む川越水族館がある。
近所だが隣の中学で一つ年下の大野信成は、叔父の元の呑龍で働いていた。
そこで仲良くなり、ゲーム、プロレスという共通の趣味が合い、若い頃はよくプライベートで遊んだ。
そんな彼が結婚して独立し、隣の川島町で『めし処のぶた』をオーブンさせた。
彼は奥さんと一緒に岩上整体へよく来てくれ、俺も時間を作れれば大野の店へ食べに行く。
捻くれた彼の店は面白いメニューもたくさんある。
大野は大野でよく俺をいじってミクシーに乗せ、俺も同じよういじり返す。
一時漫画に出てくるあの肉というメニューを開発し、俺はゴリなどクズ連中を連れ食べに行く。
良心的な彼は、豚肉を大きな骨にたくさん巻いて煮込んだ肉を五千円、それを使った叉焼麺や炒飯などたくさんの料理にアレンジするのに追加で二千円しか取らない。
バケツプリンなど変わったものを出すのが好きな彼は、これからも奇天烈な行動をしていくのだろう。
整体のドアが開き、初老の威厳ありそうな人が入ってくる。
厚生会病院医院長らしく、自分で施術を受ける用のジャージまで持参していた。
俺が話し掛けてもあまり興味無さそうな返事しかしないので、何故うちへ来たのだろうと不思議だった。
帰り際、「甲子郎さんによろしくお伝え下さい。厚生会病院の〇〇です」と名前を言って帰る。
甲子郎とは俺のおじいちゃんの名前。
恐らくおじいちゃんの機嫌を取りに、孫の俺の整体へ来たという事か。
あまり川越にいなかった俺は、おじいちゃんの威厳を何も知らないのかもしれない。
この整体開業資金を出してくれたおじいちゃんには、頭が上がらない。
早く軌道に乗せたいものだ。
続いて以前ちゃちと一緒に行った割烹ふくとみの社長が岩上整体へやって来た。
話を聞いていると、この人もおじいちゃん絡みなんだろう。
あまり俺自身には興味を示していない。
ただそれでも気を使って、ここへ来てくれるのはありがたかった。
ちゃちがまた来たら、ふくとみへ行こうかと考えてしまう。
おじいちゃん以外にも、修おじさんや、連れの蓼沼さん、落合さんなど共通の知り合いも多い。
一応初診なので料金は千円と伝えると、基本料金の五千円を置いて帰った。
真ん中の弟である徹也が結婚をする事になり、式を椿山荘で挙げるようだ。
川越からの参加者がどうしても多数になるので、送り迎えにイーグルバスを使う。
これだけで九十万も掛かると徹也は嘆いている。
俺はこの日初めて岩上整体を休んだ。
奥さんになった美樹ちゃんは明るく礼儀正しいいい子だ。
義理の俺の妹になるのか。
綺麗に手入れが行き届いた庭園を眺めながら、俺は果たして結婚するのか考えてみた。
百合子と別れてから女性を嫌いになった訳では無いが、しつこく来る人にはどうも嫌悪感を覚える。
あの別れるまでの追い詰められた感は、もう二度と味わいたくなかった。
この身体には両親の呪われた血が流れている。
俺など血を残してはいけないのだ。
そんな風に考える事もあった。
俺の分も幸せになってくれ。
色々な人から祝われる徹也と美樹ちゃんを見て、素直にそう思った。
ゴリが再び岩上整体へやって来た。
最近つるみ出したという三つ年上の成瀬と暗い男も一緒に連れてくる。
「俺の同級生で岩上って言うんですけど、結構女にモテるんですよ」
変な紹介の仕方をするゴリ。
「え、じゃあ今度合コン? うふふ」と奇妙な笑い方をする成瀬。
何で初対面で俺がこの男の為に、合コンなどやらなければいけないのだ?
ゴリ友達はやはり変な奴が多い。
類は友を呼ぶのだろう。
三つ年上と言っていたが、俺は彼の事を『なるちょ』という仇名に決めた。
「岩上、今いい感じの飲み屋の子がいるんだけどさ。今度一緒に行ってその子を見極めてほしいんだ」
「まあ相談には乗るけど、飲み屋で働いてる女なんて、見極めるも何もロクなもんじゃないぞ」
「いや、彼女は十個下で真面目な大学生なんだよ」
「真面目な女が飲み屋で働かねえよ」
「いや、彼女はちょっと違うんだよ」
俺とゴリの会話を何故か嬉しそうにニヤニヤしながら頷くなるちょ。
「まあそれよりこれからその話題の天丼食べに行くんでしょ?」
「ああ、成瀬さんと入間市まで行くんだよ」
「俺も整体を休憩中にして一緒に行く」
「え、大丈夫なのかよ?」
「だって俺の店だもん。しばらく予約も無いし、俺も天丼食べたい」
「分かったよ、いっちやん」
「何がいっちやんだよ。よし、そうと決まったら早く行こう」
こうして男三人で入間市にある天丼の店、古都へ向かう。
有名は有名でもデカ盛りの店として有名なようだ。
俺は天丼でなく別のものにしよう。
ゴリは天丼の大盛りを注文。
やがて女性店員二名で運ばれてくる大盛り天丼。
「記念に映像撮るよ」と言うと、ゴリは写真を撮ると勘違いをして、しばらく天丼を掻き込むようにして制止している。
「ゴリッチョ、これ映像」
「何だよ……」
ゴリは半分以上残した天丼をテーブルに置いた。
「ゴリッチョ、ジャンボ天丼について一言……」
「これは天丼じゃねえ」
どう見ても天丼なのに、意味不明な回答を言うゴリ。
俺も自分の頼んだ古都定食をカメラに収めようとすると、自意識過剰なゴリとなるちょは、手で自分の顔を隠しだす。
さすがの量に、俺も半分ちょっとでギブアップ。
単品でイカフライを頼んだら、大きなイカフライが六本も来た。
それ以外にサービスのサラダ、味噌おでん、うどんなど色々とこの店はおかしい。
帰り際会計時、店のおばさんに「こんな量でこの値段で儲かってんですか?」と素朴な疑問を聞いてみる。
「うーん…、ぼちぼちね」と曖昧な回答だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます