席に戻る途中で、近所に住む先輩の集団と出くわす。偶然だが、先輩は程よく酔っている感じで気さくに声を掛けてきた。
「おう、神威。今日はどうしたんだよ?」
「お疲れさまです。今日、ちょっと飲み会なんですよ」
「いいなあ、お姉ちゃんたちと仲良くか」
「いえいえ、自分は周りが酔わないか気掛かりでいつも酔えないんですよ」
「まあ、せっかくだ。一杯飲んで行けよ」
ゴッホの様子が気になったが、このままサッと行ってしまうのも失礼なので、少し先輩の席で酒を付き合う事にした。
日頃の鬱憤が溜まっていたのか今日の先輩は妙に愚痴っぽい。適当になだめながら飲んでいる内に、いつの間にか三十分ほど過ぎていた。
「先輩、そろそろ連れいるんで戻りますね。ご馳走さまです」
挨拶を済ませ席へ戻ると、テーブルからゴッホがポツンと離れた位置で下を向いて座っていた。表情も冴えない様子である。気分でも悪いのだろうか。
「おい、ゴッホ? どうした?」
私は慌ててゴッホの顔を覗き込む。すると、ゴッホはこちらを向き、「神威、気持ちわるっ……、ゲホッ」と、いきなりゲロを吐いた。
「……!」
もちろん私のスーツはゴリのゲロまみれになった。
「やだ、この人……」
「信じらんない~」
一緒にいた女性陣は介抱する気もなく、逃げるように帰ってしまった。
恐らくゴッホは、場の空気の読めない会話をして、一人で酒をバンバン煽っていたのだろう。途中で気持ち悪くなりジッと我慢しているところに、タイミング悪く私が戻ってきたのだ。
ゲロを掛けられた怒りより、ゴッホへの同情心のほうが私の中では強かった。ゴッホに肩を貸してトイレに連れて行く。メンバーの宮路が「僕、車持ってくるよ」と居酒屋から出て行った。ゴッホの背中をさすり、とことん吐かせ介抱する。
「大丈夫か? どうしたんだよ、こんな酔っちゃって」
「わ、わりー、神威」
「まあいいよ。吐きたいだけ吐きな」
ゴッホは何度も吐き、やがてダウンするように横になった。少しして宮路が車で居酒屋前に到着する。二人でゴッホの体を持ち上げ、慎重に車内へと運ぶ。
「珍しいね、ゴッホがこんなに酔うなんて」
バックミラー越しに後部座席に横たわるゴッホを見て、宮路が言った。
「俺、先輩に偶然会って捕まっててさ、帰ってきたらゴッホがいきなりああでしょ。何でこいつ、こんなになるまで飲んだの?」
フロントガラスに水滴がつく。雨が降り出したようだ。
「ゴッホが狙ってた薫って子いたでしょ? 神威が消えてから、ゴッホがあからさまに話し掛けていたんだけど、嫌がってね。途中で席変わっちゃってさ。それでゴッホ、寂しそうに中生を何杯も一気飲みしだしちゃってね」
「なるほど……」
ゴッホは幸せそうな表情で寝ていた。呑気なものである。
「ゴッホ、あとちょっとで着くよ。もうちょっと我慢してね」
すぐそこの角を曲がればゴッホの家に到着する。しかし、寸前のところでゴッホの口元からゲロが再びこぼれだした。
「あ~……、やっちゃった……」
宮路個人の車でなく家の車だったので、彼は泣きそうな顔をしていた。
「とりあえず運ぼう」
私は、ゴッホのゲロがこれ以上つかないよう首元に腕を回し、そのまま車から引きずり出した。腰の部分の下側から腕を通し、プロレス技のブレンバスターのような体勢のままゴッホを家に運んだ。
「神威、一人で大丈夫?」
「何とかね」
ゴッホの家の玄関は、砂利があり、大きな石が順に並べられている。雨が降っているので滑らないよう最新の注意を払う。
玄関先まで来て、「すみませ~ん」と大きな声を出すが、夜中なので岡崎家の人間は誰一人出てこない。両腕が塞がっているので、足で玄関の戸を開けようとした時だった。
「あっ!」
雨でズルッと足が滑り、垂直落下式ブレンバスターのような状況で倒れる私。このままだとゴッホの脳天を玄関に打ちつける形になってしまう。私は倒れながらもゴッホの頭をかばった。それでもゴスッと鈍い音が聞こえた。
「う~ん……」
泥酔していても頭が痛かったのだろう。いい角度でゴッホの頭を玄関に突き刺してしまったのだ。ゴッホは頭を抑えながら、玄関先で転げまわっている。
「今のやばくない?」
宮路が心配そうに言うが、とりあえず家の中に入れる以外方法など思いつかない。私は転げ回るゴッホを担ぎ上げ、「玄関先に寝かせておきますよ~」とだけ声を掛け寝かせた。そして逃げるようにその場から離れた。これが『垂直落下式ブレンバスター事件』の全貌である。
翌日になり、ゴッホの頭が大丈夫か気になっていた私は、電話を掛けてみる事にした。
素直落下式ブレンバスターで頭から落ちたのだ。何事もなければいいが……。
電話のコールが数回鳴り、すぐゴッホ本人が出た。
「ゴッホ、昨日は酔ってたけど平気?」
「いや~、さすがに二日酔い。でも、飲み過ぎで妙に頭がガンガンするんだよね」
「そ、そっか……」
「何かすごい痛くてさ。まあ、二日酔いだろうから、味噌汁でも飲んで横になってるよ」
「そうだね。お大事に……」
まああれだけしっかり会話できるのだから、問題ないだろう。
それから一週間が過ぎ、ゴッホ自身頭の痛みには触れていないので、垂直落下式ブレンバスターをお見舞いした事は、未だ彼に伝えていない。
まだこの時私は、企画会社で働いていたが、ふとレスラーになりたいと思うようになっていた。暇を見ては、体を鍛えるようになり、誰一人信じてくれなかったが、大真面目にトレーニングに励みだした。
バレンタインデーが今年もやってきた。
言うまでもない。ゴッホの生まれためでたい日でもある。でも彼はいつも孤独な誕生日を過ごしてきた。きっと今年も例年通りだろう。
私は仕事柄、こういうイベントが近付くと忙しくなってくるので、当然休みはない。うちの会社にはキャンペンガールも多数いるので、こういう日は愚痴を言い合うのが当たり前になっていた。
「神威さーん…。ちょっと聞いて下さいよー」
この間、キャンペンガールとして入ったばかりの畑山スミレが私に近付いてきた。
私は男三兄弟だったので、こんな子が妹だったらいいなという感覚で可愛がっていたので、彼女は何かとなついていた。
「おう、スミレちゃん。何かあったのかい?」
「今日バレンタインデーだと言うのに、二ヶ月間付き合ってた彼氏に昨日ふられちゃったんですよー。信じられないと思いません?」
「それで今日、仕事のシフトを急に入れてたんだ。ありゃりゃ、可愛そうに……」
「じゃあ、神威さん。今日仕事終わったらご飯ご馳走して下さいよー」
「何でそうなるんだよ?」
「だってご飯でも奢ってもらわないと私、可哀相じゃないですか。ちゃんとチョコレートぐらいプレゼント致しますから。いいでしょ、ね?」
私には現在彼女がいるが、バレンタインデーも仕事だと言ったら怒って、電話も出てくれなくなり、お互い気まずくなっていたので、仕事終わったあとの予定は空いていた。
妹のように可愛がっている子からの誘いだし、仕事終わってから一緒に食事に行く約束ぐらいいいだろう。
その日は、畑山さんとの約束もあるので定時の五時に上がるつもりでいたが、忙しくて三時間も残業になってしまった。畑山さん、こんな遅くなっちゃ、きっと怒っているだろうな……。
会社から出てトボトボ道を歩いていると、背後から突然声を掛けられた。
「もー、遅過ぎですよー」
声の主は畑山さんだった。
会社の近くの公園にあるベンチで、今まで私を待っていたのだろうか。ちょっとした罪の意識に狩られる。
「ごめん、ごめん。どうしても仕事が忙しくなっちゃってね」
「同じ会社にいるから、そのぐらい分かってますよ。いつも神威さんて忙しそうだもんね。ところで今日は何をご馳走してくれるんですか?」
「何でもいいよ。君の好きなもので」
「じゃーこの間、見つけたお洒落なレストランあるんですよー。そこでいいですか?」
「はいはい、構わないですよ」
畑山さんの言うお洒落なレストランは、実際に来てみると本当にお洒落なレストランだった。私たちは中に入り、スパークリングワインを注文する。
「はい、神威さん。義理チョコでーす」
「嫌な渡し方だな。まーいいや、ありがとさん」
料理を選び終わる頃にはワインも届き、早速乾杯する。
「おいしー」
そう言う畑山さんの顔は笑顔でいっぱいだった。見ていると、こっちまで楽しくなってくる。料理も食べ終わり、食後のコーヒーを飲みながら談話をしていると、畑山さんが私に尋ねてきた。
「神威さん、彼女さんとはうまくいってるんですか?」
「いってたら、こんなバレンタインデーに畑山さんとこの時間、一緒に食事してる訳ないだろう? 今日、仕事だって言ったら怒って逢ってくれないんだ」
「大変ですねー」
「まー、色々とね」
「私もそういう彼氏とのやり取りが欲しいなー…。ねー、神威さんの友達で、今、誰かで彼女募集中の人っていないんですか?」
真っ先に頭の中で思いついたのがゴッホだった。
「うーん、どうだかね……」
「ウソだ。今、誰かいるっていうような顔してましたよ?」
女は時にとても鋭くなる時がある。ここは素直に白状するしかない。
「まあ、いないと言えば嘘になるけど……」
「じゃあ、私に紹介して下さいよー」
妹のように可愛がっている畑山さんをあのゴッホに…。何だか複雑な気分だった。
「駄目なんですか?」
「いや、駄目って事はないよ」
「じゃあ、いつ紹介してくれるんですか?」
「うーん……」
「私、今週の土曜と日曜なら予定空いてるんで、その時に紹介して下さいよー」
この子に強く頼まれると、私は何故か拒めなかった。
こうなってしまったら仕方ない……。
「分かったよ。俺の友達に伝えとくよ」
「やったー。じゃあ、入り口の所にプリクラがあったから、早速撮らなくちゃ」
「何で?」
「実際に会ってから、こいつはタイプじゃないって言われたら悲しいじゃないですか」
「気が早いなー……」
「こういうのはタイミングが大事ですからね」
会計を済ませ、畑山さんはプリクラを撮っていたが、何度か撮っても機械の調子が悪かったのか、出てきたプリクラは画質がボヤけ気味でよく撮れていなかった。
「ちょっとー、見て下さいよー、これー」
「あーあー…、確かに酷いな…。店員に言って機械の調子を見てもらおうか?」
結局、三十分ほど見てもらったが、機械は故障しているけど原因が分からずじまいで、プリクラは直るまで撮れませんと言われてしまう始末。畑山さんは落ち込んでいたので、私は元気付けようと声を掛けた。
「大丈夫だよ。一応このプリクラ見せながら、ちゃんとフォローしておくから」
「ほんと、お願いしますねー」
「任せときなって」
畑山さんは私から見てもかなり可愛い部類に入るが、プリクラの写真の出来は酷いものだった。
この写真を見せて紹介すると言っても、喜びそうなのはゴッホぐらいしか思いつかない。あいつにはうまく言っておけばいいか。
ゴッホに電話を掛けてみる。
「もしもし、岡崎ですけど……」
「おう、ゴッホか。おまえにいい話を持ってきたんだ」
「何の?」
「女の子の紹介話」
「ほんとかよ?」
「ほんとだって」
「ウン臭いな……」
「それを言うなら胡散臭いだろ。まあいいや、今から会えるか?写真もあるんだけど」
「ああ、見るだけならいいよ」
ゴッホはふてくされているように表面上見せているだけで、内心嬉しいに違いない。ここらで少し引いてみるか。
「別に無理にとは言わないよ。俺の会社のキャンペンガールやってる短大生の子で、歳はうちらの一個下。結構可愛い子だし、嫌なら他に紹介するから」
「待てよ、誰もいいなんて言ってないだろ?」
すぐにゴッホはチンケなプライドを捨てて、餌に掛かってきた。
「いや、声が明らかに嫌そうだったし、無理させても悪いしね」
「無理じゃねえよ。いいよ、今から神威の家に行くから待ってろよ」
そう言い終わるとゴッホは電話をすぐに切った。焦るぐらいならハナッから素直になればいいものを……。
すごい勢いで車を飛ばしてきたのか、ゴッホは家まで三分で来た。電話を切ってから大急ぎでやってきたのだろう。
「ハーハー…、しゃ、写真は?」
「来るなりいきなりそれかよ?」
「ほんとは無いんだろ?」
「あるよ、ほれ」
しばらくゴッホは、畑山さんのプリクラを見ていた。
「なあ、ゴッホ。写真写りが悪いだけで、実際は本当に可愛いよ」
「うーん……」
どうやら自分の頭の中で都合良く思い描いていたのとは違う様子で、生意気にもショックを受けているだったみたいだ。
「おいおい、俺が可愛いよって言ったら、実際に可愛いのはゴッホも知ってるだろ?」
「うーん……」
「とりあえず、会うだけ会ってみればいいじゃん」
煙草に火を点けてゆっくり煙を吐き出しながら、まだゴッホは悩んでいた。
「どうしたよ、黙っちゃって」
「ん…、ああ……」
「嫌なのか?」
「これじゃあ、いいや」
仮にも私が、妹代わりに可愛がっている子を捕まえて、その台詞。
「おまえな…、言い方ってもんを少し考えなよ。これじゃあってよ……」
「うーん…、やっぱわりーけどやめとくわ」
これはこれで何だか悔しい自分がいる。
「写真写りが悪いだけで、実際は本当に可愛いんだぞ?」
「でもやっぱいいよ。そんな可愛いなら、誰か別の奴に紹介してやればいいじゃん」
このクソ野郎……。
言うに事欠いて、何ていう言い草だ。
「分かった。別の奴にでも紹介するよ。俺が妹代わりに可愛がってる子だったから、最初にゴッホへ紹介しようと思ったんだけどね。気に入らないんじゃ仕方ないな」
「ああ、わりーなー」
翌日になって会社で仕事をしていると、畑山さんが近付いてきた。
「神威さんー。誰か紹介してくれる人、見つかりましたか?」
「ごめんね、もう少し時間もらえるかな?今週の土日には絶対に紹介するから」
「期待して待ってますよ」
「ああ、仕事に戻りな」
畑山さんにああは言ったものの、一体、誰にこの事を振ればいいのだろうか。今日はその事で色々と考えてしまい、仕事がほとんど手につかない。
こうなったのもゴッホのせいだ。
あの野郎、せっかく私が可愛い子を紹介してやるって言っているのに、これじゃ嫌だとか贅沢抜かしやがって……。
出されたオカズを黙って喰えって感じだ。
家に帰ってから地元の友達関係に電話を掛けまくってみる。
大抵の奴は彼女がいるか、ゴッホが断るような女はいいよと言われた。
これじゃ、あまりにも畑山さんが可哀相だ。
私はしつこく何人にも電話を辛抱強くしていると、同じ中学時代の同級生、大林が紹介の話にのってきた。この男も『CPL』のメンバーである。
「へー、神威が可愛いって言うじゃ、本当にそうなんだろ?僕、今は彼女いないからぜひその子を紹介してくれよ」
素直にそう言われると、私も嬉しかった。よくよく考えてみたら、ゴッホに畑山さんを紹介したってうまくいく訳がないのだ。
きっと彼女も、実際に会ったら嫌がるだろう。
その点を考えたら大林の方がいい。
「今週の土日のどっちか、予定空いてるか?」
「どっちでもいいよ。いつも僕、暇してるし」
「こういうのは早いほうがいいから、土曜日にしておこうな」
「分かった。わざわざ連絡くれてありがとうね」
こうして気分良く私は電話を切る事ができた。あとは畑山さんに連絡して当日に二人を会わせるだけだ。
大林との電話のあと、畑山さんに連絡すると、彼女は大喜びしていた。
土曜の昼過ぎに目を覚ますと、シャワーを浴びる。今日は夕方の五時から二人を会わせる約束の日だった。確か、所沢駅の改札で五時に待ち合わせだったよな。ゆっくりシャワーを浴びて、眠気をすっかり覚ます。
リビングのソファーに腰掛け、四時ぐらいまでまったりしていると、弟が私を呼んでくる。
「兄貴ー」
「何?」
「友達が来てるよ」
誰だろう。玄関まで行くと、ゴッホと中学時代の同級生の笹崎秀が一緒に立っていた。
「何だ、ゴッホか」
「何だはないだろ」
「急にどうしたんだよ?」
「暇でやる事もなかったから、オッサとおまえの家に来ただけだよ」
「神威君、久しぶりだねー」
「おお、オッサ。会うの何年ぶり以来だ?久しぶりだなー」
笹崎秀は、昔からついているあだ名がオッサだった。その由来は分からないが、オッサには、もう一つ別のあだ名があった。
「あれ、神威。オッサって言うの珍しいね。いつもはオロナミンジュニアって言ってたのにさー。まあ、オッサは嫌がってるけどね。ウヒヒ……」
そう別名オロナミンジュニア。当時、オロナミンCのCMで『大村コン』が出演していたが、オッサは小さい時からどこか『大村コン』に似たような感じがあったので、たまにオロナミンジュニアと呼ばれていた。
「中学卒業してから、あまり言われなくなっていたのになー」
「そうそう、オッサにゴッホ。悪いけど、今日俺は五時から予定があるから、それまでしか一緒にいれないよ」
「別に構わないよ。何か用事でもあんの?」
「この間、ゴッホに俺が妹代わりに可愛がってる女を紹介するって言ったろ。おまえがいいって言うから、今日大林に紹介するんだよ」
「へー、そうなんだ」
私が今日、引き合わせる話をしたのに、ゴッホはまったく悔しがる素振りすら見せない。それが何だか悔しかった。その時、電話が鳴り出した。
「もしもし、神威ですが…」
「龍一……」
蚊の鳴くような小さな声だったが、私には誰かすぐに分かった。彼女の良子だった。この間のバレンタインデーの件以来、初めて良子から連絡してきた。
「何の用だよ?」
「この間は怒っちゃってごめんなさい」
「…で、今日は電話してきてどうしたの?」
「謝ろうと思って…。龍一は仕事柄、忙しいの分かってて私、ワガママ言っちゃったから…。あれから色々考えたんだけど、やっぱり私がいけなかったなと反省したの」
「うん、まー…、俺も少しは気を使って、バレンタインぐらい休みとっとけば良かったよな。俺のほうこそ、ごめんな」
「ううん…、私こそ、ごめんね。今、龍一に逢いたくなっちゃったの。これから逢えないかな?」
何で今日に限ってこう色々とあるんだろうか? 頭が痛くなってきそうだった。彼女である良子と仲直りできたのは、非常に嬉しい事だ。
ゴッホがオッサを連れて遊びに来てくれたのも懐かしい気分になれたし、嬉しい気持ちはある。
でも、何で今日に限って一気に来るのだろうか。
「どうしたの、龍一? 迷惑だったかな?」
「い、いや、問題ないよ。今から良子の家まで迎えに行くよ」
「うん、待ってるね」
「ただ、友達も今さっき来ちゃって一緒なんだけどいいかな?」
「うん、全然構わないよ。ごめんね、ワガママばっかり言って……」
「全然、何言ってんだって。俺だって友達に良子を紹介したかったというのも前から思ってたし、ちょうどいいよ。じゃあ、これから行くね」
電話を切ってから、ゴッホとオッサに頭を下げる。
「ねえ、今の電話の内容、聞いたでしょ? 頼む。これから女を向かいに行くけど、口裏をうまく合わせてくれないか?あいつヤキモチ焼きだから俺が紹介とは言え、他の女と関わるのをすごい嫌うんだ」
「まあ、こういう場合じゃ、しょうがねーよな。じゃあ、俺の車で良子ちゃんを迎いに行くとするか」
「悪いな、ゴッホ」
こうして私とゴッホとオッサの三人は川越の隣町である川島に住む、私の彼女を迎えに行く事になった。川越まで良子を迎えに行って帰るのを考えると、約束の五時までギリギリだ。
この際、良子にはみんな一緒に集まる予定だった事にしないとまずい。
「ゴッホにオッサ。あのさー、かなり強引なんだけどね…。これから大林に畑山さんって子を紹介するけど、良子がうるさいから話を合わせてほしいんだ」
「何て合わせりゃいいの?」
「まず、ゴッホもオッサも大林も、今日みんなで集まって食事する予定だったって」
「すげー強引だなー。その畑山さんて女の子はどう説明するのよ?」
「俺たちが集まる約束をしてたら、大林が彼女を連れてきちゃったって事にする」
「だって今日初めてその二人は会うんでしょ? いくら何でも無理があるよ」
「無理でもなんでも俺の為にみんな、話は合わせてもらう」
「あいかわらず強引な奴だな。まー、俺は別にそれで構わないよ。オッサは?」
「僕も構わない」
「ありがとう。恩にきるぜ、二人とも……」
そこまで話すと、ゴッホの車は川島に住む良子の家に近付いていた。
良子の家まで着くと、軽くゴッホがクラクションを鳴らす。その音で良子は家から出てきて、私たちの乗る車の近くに来た。
「ごめんなさい」
「俺よりもこっちにいる友達のゴッホとオッサに謝ってくれよ。わざわざ俺と良子の為に付き合って迎えに来てくれたんだぞ」
「すいません、わざわざ来て頂いて……」
「い、いやー…。そんな気にしないでよ。なあ、オッサ」
「あ、ああ…、全然気にする事ないよ」
二人とも女に縁が無い生活を送っていたので、私の彼女とはいえ、異性を前にして少し緊張していた。
とりあえずこの場はOKだが、問題はこのあとだ。
いかに大林と畑山さんの二人に状況を理解してもらって協力してもらうかだ。二人とも初対面、しかも今日、これから紹介で会うという事になっているのに、カップルのふりができるのか……。
いや、してもらわないと私が困ってしまう。絶対にそうしてもらうしかない。
川越市駅に着くと、私は良子に話し掛けた。
「いい、良子。ゴッホたちと、ここで待ってて。もう一人友達と待ち合わせなんだけど、何かそいつ、彼女も連れてくるらしいから改札まで迎えに行ってくるから」
「うん、分かった」
よし、第一関門突破……。
時計を見ると五時まであと一分だった。私は全力で駅の改札に向かって行った。
改札まで来ると、二人の姿はまだ見えない。まだ時間にして五分も経ってないのに、妙に長く感じた。
夕方なので電車が到着すると、改札口は人であふれ返る。一人一人丹念にチェックを入れていると、畑山さんの姿が見えた。
「おーい、畑山さーん」
「あ、神威さん」
私に気付いて畑山さんが近付いてくるのと、同時に大林の姿も見える。ひょっとしたら神様が私に対し、うまくいくように協力してくれているのかもしれない。
二人が私のそばに来てから、話を切り出した。
「どうも、大林。こちらが畑山スミレさん。…で、こちらが大林ね」
二人ともはじめましてと挨拶を交わしている。お互いに少し緊張しているみたいだ。
「あのさー、二人に俺からお願いがあるんだ。いいかい?」
「どうしたんですか?」
「何?」
「俺の彼女が訳あって今、一緒にいるんだ。あと友達二人…。友達はどうでもいいんだけど、畑山さんも大林も俺の彼女の前で付き合っているという事にして欲しいんだ」
二人とも状況が掴めていない様子でキョトンとしている。時間があまりない。手短に説明しなければならない。
「俺の彼女、すごいヤキモチ焼きなんだよ。だから俺と畑山さんが知り合いでって事になると、後々面倒なんだ。だから二人とも俺に協力してくれないか?」
「うーん、よく分からないんですけど、私と大林さんでしたっけ?ようするに、私たちがカップルのフリをすればいいんですよね?」
「うん、お願いできるかな?」
「私は問題ないですよ」
「大林は?」
「うん、何か変な紹介になったけど、この際仕方ないよね」
「ありがとう、二人とも」
よし、あとは天に運を任せるだけだ。私は必死に心の中で神様に祈った。
ゴッホの車に六人がギュウギュウ詰めになって、ファミリーレストランへ寄る事にした。幸い大林の自宅がレストランの近くにあったので、彼は車一台じゃ大変だろうと、車を取りに行ってくれた。
「一緒に彼について行かなくて大丈夫なの?」
「え、ええ…。彼が待って先に注文してろって…。彼から急に今日会おうって言われたんですけど、こんなに大勢いると思いませんでした」
ありがとう、畑山さん……。
私のさっきの話でうまい具合にアドリブを利かせて話を合わせてくれている。感謝しきれないぐらいの演技だった。
「大林とは付き合ってどれぐらいなの?」
ゴッホがいらぬ、質問を畑山さんにしてくる。
良子がそばに居なければ、怒鳴りつけているところだった。ボロが出ない内に私は良子の注意を出来る限り、畑山さんに向けないよう努める事にした。
「良子は何、頼む?」
「え、うーんと…。このパスタでいいわ」
「じゃあ、俺はハンバーグとドリアでも頼もうかな」
「食べ過ぎよう。太っちゃうよ」
「大丈夫だよ、これぐらい……」
横目で周りの様子をチラリと見ると、ゴッホは大林のいない間をいい事に、畑山さんに色々と話し掛けている。実物を見て、写真とは全然違うのを理解したみたいだ。
内心、あいつは私の紹介を蹴ってしまい、とても悔んでいるのだろう。オロナミンジュニアはそのやり取りを見て、何を考えているのか薄っすらとニヤけている。
「ただいまー」
そうこうしている内に大林が帰ってきた。
これで何とかなるだろう。
料理が運ばれて食べ終わったら、無責任だが私と良子はこの場から退散すればいい。
大林と畑山さんは即席の偽者カップルとは、とても見えないような名演技だった。ゴッホとオッサの二人は、羨ましそうに私と大林の両カップルを眺めていた。
「みんな、食事も終わったし、そろそろ俺たちは帰るよ」
「えー、もう帰っちゃうの?」
またゴッホが余計な口を挟んでくる。私は良子に見られないように、ゴッホをひと睨みすると、伝票を持ってレジに向かった。みんなの分を払うのは痛い出費だが、無言の感謝のつもりだった。紹介すると言ったけど、あの二人には今回悪い事をしてしまった。今度、お礼をしなければいけないな……。
帰り道、良子と一緒に歩いていると、彼女はずっと無口のままだった。
「どうしたんだ、良子?」
「あの畑山さんて大林君の彼女の人……」
「うん、その彼女がどうかしたの?」
「とても綺麗だったね……」
「馬鹿だなー…。おまえのほうが全然可愛いよ」
私がそう言うと、良子は道端で急に泣き出してしまった。
「おい、どうしたんだよ」
「ご、ごめんね…。何でもない……」
「何でもないのに、何故、泣くんだよ?」
泣いて真っ赤になった瞳で、良子は私を睨んでくる。
「あの人、大林君って人と付き合ってるのに、しょっちゅう龍一のほうばっかり見てたんだよ? そんなのおかしいよ……」
確かに畑山さんからしてみたら、今日紹介ってつもりで来たのに、初対面の男三人の中にいきなり放り込まれたのだ。しかも置き去りのまま……。
彼女の気持ちを考えると、私しか知り合いはいないのだから、きっと心細かったのであろう。考えると、本当に悪い事をしてしまった。
「気のせいだろ? 考え過ぎだ……」
「今日の龍一、おかしいよ…。もう私、今日は帰るね……」
「お、おい…。何でそうなんだよ?」
「知らない……」
そう言い残して、良子は私の前から走り去っていった。
今日は本当に踏んだり蹴ったりだ、チクショウ……。
翌日、仕事終わってから早速大林から連絡があった。昨日の件で怒ってるのかと思ったら、かなり上機嫌だった。よほど畑山さんを気に入ったのだろうか。
「龍一ー…、ありがとう。ほんとにありがとう」
「昨日は悪かったな。結局どうなったの、あのあと?」
「いやー、畑山さんって最高だよー。あのステーキをおいしそうに食べてる姿とか見て、一発でいい子なんだなって気に入っちゃったよ」
「それは良かったな」
「神威のほうから彼女に僕の事をどう思ってるか、聞いてくれないかな?」
「ああ、全然構わないよ。お安い御用だ」
「じゃあ、頼んだよ」
「あいよ、任せときなって」
続けて畑山さんに電話を掛けようとすると、電話が鳴り出した。
「もしもし、神威ですけど」
「あ、神威さん。ちょっと聞いて下さいよー」
ちょうど畑山さんからの電話だった。
「何かあったのかい?」
「この間の大林さんいるじゃないですか」
「はいはい」
「あの時の状況は演技でカップルを演じたのに、大林さん何か勘違いしちゃったみたいで、困ってるんです」
そう言えば、さっき大林にあれからどうなったのか聞いても、ハッキリ言わずにうまく誤魔化されたような気がする。
「困ってると言うと?」
「帰り道、二人きりになったら、いきなり『スミレ綺麗だよ』って呼びつけでチューしようとしたり、抱き締めようとしたり…。私、いくら彼氏いなくても、ああいう人はちょっと駄目です」
あの大馬鹿野郎…、人の顔を思い切りつぶしやがって……。
「そうだったんだ。ごめんね、変な奴を紹介しちゃって……」
「彼女さんは大丈夫でしたか?」
「い、いや…、それがあのあと泣きながら帰ってしまったんだよ。困った事に……」
「えーっ…。何で、ですかー?」
まさかみんなでレストランにいる時、畑山さんが私のほうをずっと見てたからなんて言えやしない。少し口を滑らせてしまったみたいだ。
「あれ、どーかしたんですか?」
「俺とちょっとした事で口喧嘩になったんだよ。別に大した事じゃない」
「ふーん、ならいいですけどね」
「じゃあ、大林のほうは、俺からうまく断っておこうか?」
「え、ええ。そうしてもらえると助かります」
「ごめんね、今度埋め合わせします」
「期待してますよー」
「じゃ、また……」
電話を切って、虚脱感に襲われた。良子とはまたうまくいかなくなるし、大林は私の顔を潰すで、散々な目に遭ったような気がする。
でも、このあと大林に畑山さんとの件をうまく諦めさせなければいけないし、良子との仲も考えなくてはいけない。
頭が痛くなってくる。
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