
2024/11/20
前回の章
家に到着すると、一目散におじいちゃんの元へ行く。
「何だ、智一郎」
「おじいちゃん! 俺、賞取れたよ!」
居間で寛ぐおじいちゃんへ向かって、大声で叫んだ。
自身の処女作である『新宿クレッシェンド』がグランプリを取った事を伝え、もう少し先になるが本となって全国書店で販売される事まで説明する。
「ね、議員の中野清さん、前に家へ呼んで、俺が全部自分でやるから保証人にだけなってくれればいいって言っただけの事はできたでしょ?」
「いいか、智一郎」
「はい」
「実るほど首を垂れる稲穂かな…。これをよく覚えておきなさい」
「図に乗らず、謙虚になれって事でしょ? 分かったよ。でもね、俺は一番始めにおじいちゃんへ報告したかったんだよ!」
俺は要件を伝えると、岩上整体へ戻る。
『新宿クレッシェンド』という小説を書き出して三年半経った。
これから校正作業とかあるだろうから、本になるのは来年かな。
結局世に出たいと思いながらやってきて、四年の月日が掛かったわけだ。
本当に嬉しい。
至福の日だ。
でも、何か引っ掛かる。
そう…、嬉しさの次に思った感情がある。
主人公赤崎隼人には、俺の幼少時代の虐待の記憶を一部プレゼントした。
そんな小説がグランプリを取り、これから全国の本屋で販売される。
つまり…、散々俺に虐待をして出て行ったお袋も、本を読む機会があるという事だ。
やり過ぎちゃったな……。
幼少期から続く憎悪。
書く事により、俺は浄化できた。
そんな作品が、これから世に出るのである。
それを目にしたお袋は、何て思うだろうか?
自身が行ってきた所業が、活字となって多くの人の目に留まる。
仕返しとしては、やり過ぎた感じがした。
嬉しさの感情の次に訪れたのは、この遣る瀬無い気持ちだった。
次々と携帯電話に着信が鳴る。
一人一人に結果を報告なんて無理だ。
まずはマイブログ『智一郎の部屋』で結果報告をしなきゃ。
次に品川春美、そしてこの賞へ導いてくれたちゃちへメールする。
沖縄へ行ってしまったミサキにも報告しなきゃな。
岩上整体のドアが開く。
「智一郎、おめでとう! やったな」
近所の三つ上の先輩吉岡さんがビールを片手に入ってくる。
「吉岡さん、ビール飲むところ写真撮って下さいよ」
「おう、早く飲め。撮るぞ」
写真に文字などを入れて、インターネットで発表した。
実るほど頭が下がる稲穂かなの言葉も添える。
もうこの世にはいないジャンボ鶴田師匠の名前も出し、ずっと見えなかった背中、少しは縮まりましたか?と書いた。
生意気な事を言っちゃってすみません、師匠。
でもね、これはあなたが生前言っていた『人生はチャレンジだ』、これを弟子の俺は実践しただけです。
俺、小説という媒体を使って世の中に対し、プロレスをしていたんだ。
そう思うと心の中に、暖かい何かが流れ込んでくる。
そしてこれまで応援してくれたたくさんの人へ向けて、心を込めてお礼を書いた。
ドアが開く。
「おぉ、勉!」
幼稚園、中学校と同級生の鈴木勉が立っていた。
「来るの遅くなっちゃってごめんよ、岩ヤン。これさ、整体の開業祝いで」
「何だよ、勉。そんな気を使わなくても」
彼とは中学一年生の頃同じクラス。
他に飯野君や四人の子供を産んだ増田清子、後にチャブーから竹内を寝取る前の田中正義、ピープルランド河野隆二も一緒だ。
特に俺と勉と及川俊彦ことデコリンチョは担任の鈴木正巳という当時『バット事件』として新聞にも載った暴力教師によく殴られた仲である。
このデコリンチョは小学五年で同梅組転校してきた蚊トンボみたいな男で、増田清子に惚れていたらしい。
中学二年生でどこかへ転校していったが、増田清子だけにはラブレターを出していたようだ。
当の増田清子本人から聞いた話だから、事実だろう。
あのデコリンチョ、今頃どこで何をしているのか?
まああんなデコッパチなど、どうでもいいか。
「ねえねえ、勉。俺さ小説で賞取れたの」
「え、本当。岩ヤンすげーじゃん!」
「それでね、応援してくれた人たちに、メッセージ動画送りたいから動画撮ってもらえる?」
「ああ、いいよ。お安い御用だ」
俺はたくさんの人たちに向けた感謝の言葉を述べた映像を撮り、すぐユーチューブへアップする。
群馬の先生の台詞を思い出した。
「あなた、この本数年後面白いわよ」
本当に数年後、賞を取り世に出るだなんて……。
「いいから鹿島神宮へ行って下さい」
こうなるの分かっているんだったら、先生もはなっから言えば良かったのに。
岩上整体にも、たくさんの患者さんたちが押し寄せてくれた。
今日はもう仕事にならないな……。
きょうちんに、もぐマグさん。
美容師小輪瀬さん。
トヨタ主幹の中原さん。
銀行員の渡辺信さん。
先輩であり美容室を経営する橋口さん。
居酒屋みっちゃん紹介の泉。
森昇のお袋さん。
小料理屋こしじの岩沢さん。
ビルのオーナーである長澤さん。
天下鶏オーナーの田辺さん。
幼少期のピアノの敦子先生と、娘のバトントワリング金メダリストの友美ちゃん。
モスバーガーの伊藤弥生さん。
めし処のぶたの大野信成夫妻。
月吉ストーム監督で先輩の甲斐さん。
昔から世話になりっ放しの岡部さん。
これまた昔から世話になり、俺にパソコンのスキルを伝授してくれた坊主さん夫婦。
とにかく色々な人が来て、電話やメールでお祝いの言葉をもらう。
ブログ上で知り合った人たちからもたくさんの祝福コメントを頂いた。
多分俺は、この日を一生忘れないんだろうな……。
夜になり、再び吉岡金物店を閉めてやって来た吉岡さんを皮切りに、同級生の飯野君と熊倉瑞樹が岩上整体へ来た。
飯野君は俺の大好物のグレンリベットのボトルを持ってきてくれた。
増田清子は四人の子育てに追われて多忙な生活を送っている。
それでも彼女は謝りつつも、祝福の連絡をくれた。
古木英大と牧田順子のカップルも、お祝いの電話はくれた。
「あれ? ゴリさんは来ていないんですか? チャブーさんも」
そういえばあの岩崎性の屑二人、連絡一本無いぞ?
どれだけあの二人には世話を焼いたと思っているんだ。
考えるとだんだん腹が立って来る。
俺はゴリへ連絡を入れた。
「今別の友達と一緒に飲んでいるから無理だよ」
「おい、今日は俺の特別な日なんだぞ?」
「だから別で飲んでるって言ってんじゃん」
何だ、コイツ……。
ありえねえだろ?
そういえば昔、俺が全日本プロレス受かった時も来なかったよな。
イライラが増す。
飯野君が電話を代わり、何やらゴリと話している。
「ゴリさん、少し経ったらこっちへ合流するみたいですよ」
祝福の気持ちの欠片も無いあんな馬鹿が、嫌々来たところで全然嬉しくない。
気持ちを切り替え、チャブーへ連絡を入れた。
「ああ、ブログ見たよ。え、飲み? いやー、俺は眠いから」
「……」
眠いから何だ?
本当に屑ばかりだ。
「まあまあこれから祝賀会として飲みに行きましょう」
飯野君が怒る俺を宥めながら、ぼだい樹へ誘導する。
「岩上さん、おめでとう! 賞取ったんだってね。すごーい」
奈美ちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「お祝いに奈美ちゃんのそりちょうだいよ…、痛っ」
手を腿へ伸ばそうとすると、平手打ちをして奈美は奥へ消える。
冗談の通じないアマだ。
しかし、そのあとすぐにグレンリベットのボトルを持ってきて「これ、お店から、おめでとうね」と祝福してくれた。
宴の途中でゴリも加わる。
「テメー、さっきの態度なんなんだよ!」
ゴリの面を見て、気分が悪くなった俺は怒鳴りつけた。
「しょうがねえだろ。別の友達と飲んでたんだから。わざわざこっちに来てやったのに……」
「何だとテメー!」
「止めろって智一郎」
吉岡さんが間に入る。
「まあまあ、岩ヤン抑えて抑えて」と、飯野君まで仲裁に来た。
熊倉瑞樹が俺の横へ座り、「岩上ほんと凄いね。賞まで取っちゃったじゃない」と褒め殺し。
ゴリは不貞腐れたように焼鳥をパクパク食べている。
コイツ、おめでとうの一言すら無いのか?
そもそも『新宿クレッシェンド』を書く際、ゴリに伝えると「自分も出せ」と言ってきて岩崎という店長役のキャラクターができたのだ。
本当は主人公の名前が赤崎で、よく出てくるはずの役に岩崎は、崎が被るから嫌だったのである。
それをゴリが苗字だけでいいから出せと言うから、その設定で書いた。
「ゴリ、おまえの名前が載った小説が、これから全国で販売されるんだぞ?」
馬鹿でも分かるように説明する。
すると「だから俺は活字なんて読めねえって、何度も言ってんじゃん」と抜かす始末。
「ふざけんな、この野郎!」
「まあまあ、岩ヤン」
周りに再度止められる。
この馬鹿のえげつないキャラクターを元に、以前『歯車一章ゴッホ』という小説を書いた。
集英社のヤングジャンプ編集部へ送りつけると、編集の柳田から「岩上さんはこんな作品を送ってきて何をしたんですか?」と文句を言われた事もある。
あ、待てよ?
あの時編集の柳田から「岩上さんのは漫画の原作でなく、小説なんですね。だからそちらのほうの部署へ送ってくれ」と言っていたな……。
今度「柳田さんの言う通り、小説の賞へ送ったらグランプリ取れて、全国出版します」と電話してやろう。
ひょっとしたら、集英社との繋がりもできるかもしれない。
まあ『新宿クレッシェンド』の校正作業が終わって本になったらの話だ。
その前に…、この腐ったゴリの話を別に書き直そう。
この非道っぷり、屑っぷりは中々いない。
そうだ、タイトルはゴッホなど誤魔化さず、ゴリをそのまま使い…、この馬鹿の数々のどうでもいい伝説を綴った作品『ゴリ伝説』を絶対に書いてやる。
まあ完成させたところで、絶対こんなものが世に出る事は無いだろう。
何故なら世間はこんなゴリなど微塵も興味無いし、俺のただ単に愚痴を書いただけの駄作となるのだろうから。
結局ぼだい樹の会計は、先輩の吉岡さんが全員の分をご馳走してくれた。
吉岡さんは仕事が朝早い為、ぼだい樹で離脱。
残りは俺ら同級生軍団のみとなった。
バーやら居酒屋やらを梯子して、一旦本川越駅前にある岩上整体の前まで来る。
「これからどうする?」
早めの時間帯から飲んでいるせいか、俺やゴリはともかく飯野君と熊倉は結構酔っていた。
そろそろお開きにしようかな。
裏にあるJAZZBARスイートキャデラックの階段から、誰か降りてくる。
バーの常連客である水野と日野だった。
外にいる俺の顔を見るなり、水野が嬉しそうに近寄ってくる。
「岩上さん、聞いたよ! おめでとう! さ、祝おう、祝おう!」
こちらに知人がいるのに、まったく気に掛けず水野はその辺を走るタクシーを止めた。
「さ、岩上さん! 飲みに行こう。飲みに」
強引な水野はタクシーへ乗り込みながら、俺の腕を掴む。
俺は飯野君たちの方向を見た。
「あ、岩ヤン、せっかく祝ってくれると言うんだから、楽しんできたらどうですか」
確かにこの流れじゃ、そう答えるしかないよな……。
巨漢の日野までタクシーへ乗り込んでくる。
「ごめんね、飯野君、熊倉」
あえてゴリの名前は出さなかった。
「ゆっくり楽しんできて」
俺を乗せたタクシーは発進する。
「最近いい寿司屋を見つけてね」
水野は妙に上機嫌。
以前俺が弾いたピアノを絶賛しておきながら、ザナルカンドというゲームの曲と説明した瞬間、手の平を返し卑下した事は未だ忘れていない。
あの店で、クレッシェンドを執筆中ああでもないこうでもないと邪魔をされた事もある。
日野に関しては整体の初診千円に対し、気に入らなかったら逆に千円あげますにしたらどうですかと、意味不明な事を言ってきたくらいだから、まあいいか……。
曲者五十代オヤジに挟まれたまま、川越日高線へ曲がり、月吉陸橋の手前を左折。
原寿司の前で、タクシーは停車した。
トンカツひろむがあった頃、ここの原さんはよく来ていたので顔見知りだった。
以前ここへひろむのおばさんが食べに来たところ、俺のお袋、二階堂さんと偶然会った寿司屋でもある。
以来お袋は家の隣のトンカツひろむへ堂々と来る事になり、岡部さんとおばさんを相当悩ませた。
あれから十年くらい経つのか……。
水野を先頭に、原寿司の暖簾を潜る。
「へい、らっしゃい!」
原さんの威勢のいい声が聞こえる。
「原さん、お久しぶりです」
「おー、智一郎じゃねえか。マグロしか食えねえのによく俺んとこ来たな、ワハハ」
水野と日野は、顔を見合わせて驚いている。
俺を真ん中にする形で、第二次宴が始まる。
「へい、何握りやしょ」
「私は白身がいいかな……」
「私は貝類を」
水野と日野は好きなものを注文しては、モグモグ食べている。
目の前にマグロがズラリと並べられた。
「智一郎は赤身だろ」
原さんがニヤリと笑う。
俺はウイスキーとマグロの赤身のみ。
水野は高価な日本酒を飲みながら、一人陽気に騒いでいる。
日野はボソボソと貝類やウニ、イクラをつまむ。
「じゃあマスターおあいそ」
「へい、しめて一万九千円」
当然ここは年上二人の奢りだろう。
すると日野は下を俯き、小声で「持ち合わせが……」とかブツブツ呟く。
はあ?
何抜かしているんだ、このオヤジ……。
さっきまでスイートキャデラックで飲んでいたじゃねえか。
金を持っていないのに来たのか。
「俺も少し出しますよ」
さすがに水野一人に出させるのも悪いので、俺は財布から七千円取り出しテーブルの上へ置いた。
赤身とウイスキーしか頼んでないし、これでも多いくらいだ。
「あ、あれ…、金が…、金が……」
水野は鞄をゴソゴソしながら、一向に金を出す気配がない。
五十過ぎて何なんだ、コイツら?
一緒に来た俺が馬鹿だったのだ。
知り合いの原さんのところで、無銭飲食など、さすがにできない。
俺は一万九千円の金を払い、店を出た。
背後から水野が声を掛けてくるが、無視して帰る。
金はまだいい。
ただ記念すべき貴重な日に、こんな気持ち悪い事をされたのが許せない。
岩上整体とスイートキャデラックの距離は徒歩二十歩程度。
先の話になるが、半年経ってもこの二人はバーへ飲みには行くが、俺のところへ金を置きに来る様子は微塵も無かった。
五十過ぎて二十歳くらい年下の人間にたかるオヤジ二人。
片方は角川書店下請け企業の専務。
もう一人は大学教授。
本当に呆れた。
この表現が一番適切だった。
この事は、生涯忘れる事は無いだろう。
池袋の副業の日がやって来る。
グランプリを取った俺は、嫌でも注目を浴びてしまう。
親会社が出会い系サイトのサクラ詐欺のところなんて、もう行きたくない。
電話をして書いていた小説が賞を取り、また自分の整体が多忙になった為行けなくなったと伝える。
急に辞めるのは業務違反だとしつこいので、最低でも一週間は行けないと伝え、電話を切った。
また一週間経ったら同じ事を言えばいいや。
そのまま自然とフェイドアウトになればいいだろう。
俺の初のブログ『新宿の部屋』。
初期の頃から応援してくれたらんさん。
彼女は目の調子がおかしくなり、ブログを休止したままだ。
俺は彼女の為に『新宿クレッシェンド』を印刷し、世界で一冊しかないオリジナルの本を作ろうと思った。
扉絵もらんさん寄贈用にデザインし、心を込めて作る。
できた本を眺めながら、肝心な事に気付く。
俺、らんさんの住所知らないじゃん……。
慌ててグランプリ授賞の報告も兼ねてメールを送った。
当時、彼女の言葉にどれほど勇気づけられ、また感謝をしただろうか。
顔も年齢も知らない。
それでもらんさんへの感謝を忘れた事はなかった。
幸いらんさんからすぐ返信があり、住所と電話番号を教えてもらう。
俺は早速彼女へ電話をしてみた。
大阪弁で恥ずかしそうに話すらんさん。
俺はこれまでの感謝を伝え、心からお礼を伝える。
そして手作りの本を贈った。
携帯電話が鳴る。
出るとすでに切れていた。
着信履歴を見る。
自費出版作家の山嵐乃兎から。
電話代をケチるのは分かるが、こういうやり方をされるのは迷惑だった。
しかも彼の母親の携帯電話なのだ。
言い方悪いが、携帯電話一つ持てないのなら、グダグダ言わずに働けばいいのにと思う。
何かの障害を持ち、本人は働けないと言う。
しかし彼の行動を見ていると、それはただの甘えではないかと勘ぐってしまう自分がいる。
まず常に暇を持て余しているところ。
ユーチューブに自分のチャンネルを設置し、カラオケで歌を唄う映像をアップ。
しかし再生数は、ほとんど無いに等しい。
金が無いから図書館へ入り浸り。
自身の著者『真壁蝨』は自費出版とはいえ、アマゾンなどインターネットを通じて買えるようになっている。
前に買って読んでほしいとしつこく言われ購入したはいいが、あまりにもつまらなく十二頁で読むのを止めた。
また携帯電話が鳴り、ワンコールで切れる。
山嵐乃兎から電話しろの合図。
仕方なく電話を掛けた。
「あ、岩上君、グランプリおめでとう!」
「ありがとうございます」
「いやー、岩上君には先を越されちゃったなあ」
え、今何て言ったんだ?
先を越された?
何が?
自費出版で先に世に出したのを俺よりリードしているつもりだったのか?
「え?」
「いやー、岩上君に先を越されてしまったなあと思ってね」
人に電話を掛けさせておき、第一声がこれか……。
ゴリやチャブーに近い何かを感じた。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
おじいちゃんから言われた言葉を思い出す。
稲の穂は実を付けると重くなり、垂れ下がる。
その様子を例えたもの。
知識や徳を積んだ人こそ、謙虚にならなきゃ駄目って事だよね、おじいちゃん。
「いえ、まだまだ山嵐さんの背中は遠いですよ」
「そんな謙遜しちゃって」
「先に本を出したのは、山嵐さんですからね」
「いやー、それを言われちゃうと嬉しいなー。それにな、ワイは岩上君から山嵐さんと呼ばれるの、何か嬉しいんや。先日もな、図書館行って、ワイのファンやと言う館員がいるんや。あ、もちろん女性やで」
「山嵐さん、モテモテじゃないですか」
「それからのー、本を読んだって手紙もらったんや。内容はまあ…、言い方恥ずかしいやけど、ラブレターやな」
ねえ、おじいちゃん。
実るほど頭を垂れたら、何か相手を図に乗らせて電話代だけどんどん加算されていくよ?
「岩上君はその女性、ワイに対してどう思うよ?」
「いや、見た事も無いので、俺からは何も言えませんよ」
「本の感想の最後に好きですなんて、書いてあるんやで? それについて、どう思うんや、岩上君としては」
何だ、コイツ……。
頭に蛆虫でも湧いているのか?
おじいちゃん、いつまで俺は頭を垂れればいいんだよー。
面倒だからよいしょしちゃえ。
「きっと山嵐さんに、その女性は抱かれたがっているんですよ」
「またまたー、まだラブレターの最後に好きですって書いてあるだけやで? そんなん言われたら、ワイも本気にしてしまうがな」
「いや、きっと相手もそう思っているはずですよ。山嵐さんはその女性を抱きたいとか無いんですか?」
「ズバリ核心を突くのう! そりゃワイも男か女かと言えば、男やで。やりたいに決まっとるやがな」
この人本当に障害持ちで働けないのか?
タバコは吸う。
パソコンも持ち、色々な楽器も所有している。
何で俺に、毎度毎度わざわざ電話掛けさせるの?
電話代が気になる。
こんな無駄話を聞きながら、俺が電話代を払う。
新手の地獄じゃないか。
俺は話しながら整体のドアを自分で開けて「あ、患者さん来ちゃいました」と強引に電話を切った。
世間の自分の評価はどうなのか?
やっぱりどうしても気になってしまう。
まだグランプリが決まる前に、ニチャンネル掲示板というものを見てみた。
『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ 最終選考通過者』
こんな題名で俺の名前が勝手に書かれ、顔も名も知らない人間たちから好き勝手な意見を書かれていた。
あまりに見るに堪えない状況だったので、俺は岩上智一郎と名乗った上で意見を書く。
『どこの誰だか知らねえけど、俺の目の前で同じ事抜かしてみろ、このチンカスが 岩上智一郎』
そう書くと、二チャンネルは荒れた。
『こんな奴が物書きの端くれになれる訳が無い』
『ガラの悪さを前面に押し出してどうするつもりだ、低能』
結局コイツらは、顔も名前も隠して安全なところから他人を中傷したいだけなのだ。
電信柱に隠れながら、小石をぶつけるような人種。
ドラゴンクエストで例えるなら、集まってキングスライムにすらなれないただのスライム。
潰したところで経験値低過ぎて相手にするのも時間の無駄。
そういう集まりが多いのが二チャンネルという認識だった。
それでも賞を取った今、何が書かれているのか気になる。
小説家になろうのサイトについて、書かれているものを見つける。
小説いえになろうでは、有名な作家はいない。
プロデビューした人物。
岩上智一郎(新宿クレッシェンド)。
へえ、あのサイトって、俺しかいないのか。
まあ何をもってプロと定義するかだが、小説で食えていない俺はプロでは無い。
二チャンネルでは何故小説家になろうの管理人が、初のプロ作家が出たのにお祭り騒ぎをしないのだというコメントを残す人もいた。
確かに小説家になろうなんてサイト名を謳っているのに、何がしたいのだろう?
ここに作品を載せている人間が賞を取り、これから全国出版で本が出るんだぞ?
管理人の意図がまるで分からない。
小説家を目指す人間が集まればいいだけ?
ただの素人の集まりサイトでいいのか?
ここに載せた俺の作品、すべて削除しようかな……。
まあ、とりあえず本が出るまで放っておくか。
整体のドアが開く。
「よいしょっ、ふー、あー重かったー」
入口を見ると岩沢さんが汗を拭きながら立っている。
「あれ、どうかしましたか?」
足元にはビニール袋に入ったグレンリベットが二袋も置いてある。
「先生、このお酒が好きって言っていたの覚えていたので、買って来たんですよ。でも凄い重かったー……」
グレンリベット十二年のボトルが全部で六本も……。
本数もそうだが、まず岩沢さんの気持ちが本当に嬉しかった。
冷房を全開にして中へ招く。
「とりあえず涼んで下さい。何か色々と気を使わせてしまい、申し訳ありませんでした。それと本当にありがとうございます!」
深くお辞儀をして、心からお礼を伝えた。
始めは気功整体と驚き、黙って祝詞を唱えながらやると何かしたか気付き、自分で小料理屋こしじを運営している。
そしてまだ出会って数ヶ月の俺に対し、このような気遣い。
本当に素晴らしい女性だなと思う。
こういう方ばかりなら、絶対戦争なんて起きないんだろうな。
今この瞬間の感動…、そして感謝を俺は一生忘れる事はないだろう。
この人の温かさ、そして優しさ、人の良さを俺は見本にしよう。
そしてこのグレンリベットは
本当に大切に頂こう。
居酒屋みっちゃんの紹介で来た泉が、岩上整体へ顔を出した。
「おお、泉ちゃん。久しぶりだね。肩でも凝ったかい?」
「何度か外から覗いたんですけど、いつも先生のところ人がお祝いに来てて、中々入れなかったんです」
「それはごめんね」
「それで先生、これ」
泉は酒のボトルが二本入った袋を渡してくる。
「え、これって?」
「小説おめでとうございます」
ビーフィーターのジンに、ウイスキーのグレンフィディックだった。
「ありがとね、泉ちゃん」
「先生、ウイスキー好きって言ってたから」
まだ二十歳そこそこの子からも、こんな風に祝ってもらえるなんて感慨無量だ。
ちょっとだけ残念なのはグレンリベットが好きなのであって、フィディックではないが、そこは野暮なので黙っておく。
「泉ちゃん、肩は?」
「実を言うと結構辛くて……」
「じゃあそこに座って」
俺は肩口と背中へ高周波を取り付ける。
「ちょっとだけ買い物してくるから、このまま待っててくれる? もし患者さん来たら、すぐ戻ってくるからと待たせておいて」
「え、どこに?」
「買い物だって。すぐ戻ってくるよ」
俺は目の前の駅ビルの地下へ走って向かう。
確かリカーショップあったよな?
ブルーキュラソーに、グレナデンシロップ。
あったあった。
俺はそれを購入すると、岩上整体へ戻る。
「あれ、先生。本当に早い」
泉の身体の施術を終わらせる。
三枚の平らな皿を用意して、それぞれ赤いグレナデンシロップ、青のブルーキュラソー、最後に砂糖を準備した。
俺は逆三角形のカクテルグラスの縁へ、半分だけグレナデンシロップを少量つける。
そこに砂糖をつけ、残り半分の縁にはブルーキュラソーを。
これでグラスは完成。
シェーカーへジン、そしてグレープフルーツジュースを注ぎ、氷を入れ、泉ちゃんの目の前でシェイクした。
「凄い、先生。カクテルも作れるの?」
「元々浅草ビューホテルでバーテンダーやってたからね」
グラスへ注ぎ、次にブルーキュラソー、最後にグレナデンシロップをソーッと注いで完成。
岩上智一郎オリジナルカクテル、ミューテーション。
「はい、泉ちゃんお酒好きでしょ?」
「え、先生凄い!」
「ジンはさっき泉ちゃんからもらったジンを使わせてもらったよ」
つまみに焼肉でも焼こうかな。
冷凍庫を開けてから、またここで焼肉をやると、上の炙りやのおばさんが降りてきて怒られると思い止めておく。
毎日のように訪れて祝福してくれる人たちに囲まれながら、ここまで幸せで楽しい時間を共有できた事に感謝する。
出版社から連絡が来て、小説の授賞式は九月十三日に行われる事となった。
偶然だが、俺の三十六歳の誕生日でもある。
二千七年、俺にとって最良と年となりそうだ。
後輩の花屋の花鐵雄太と、患者でもあり美容室オーナーの橋口さんから、お祝いで観葉植物が届く。
以前始さん、松永さん、吉岡さんからもらった花束や、ちゃっちーからの花で俺は霧吹きを所有している。
もう花はさすがに枯れてしまったが、ちゃちからもらった花を捨てるのが名残惜しく、ドライフラワーにしてしばらく飾っていた。
大きな葉っぱが二枚斜め上に伸びた観葉植物を毎日プシュプシュと水を吹き掛け、大切に育てる。
随分時間も掛かったが、この植物は一枚一枚と徐々に葉を増やしていった。
美人美容師小輪瀬さんが整体を訪れる。
「先生、ちょっと時間掛かってしまったけど、グランプリおめでとうございます」
手渡されたのは、英語表記で『新宿クレッシェンド 岩上智一郎 コングラチュレーション』と書かれたオリジナルグラスで、彼女はこれをわざわざ発注して作ってくれたのだ。
「え、小輪瀬さん! こんな凄いものを」
「先生の小説が賞を取ったと聞いて、すぐに頼んだんですよ」
何て素敵な女性なんだ。
「ありがとうございます。俺、本当に嬉しいです……」
「喜んでくれて良かったです」
「大切に…、大切に使わせて頂きます……」
たくさんの患者さんからこんな風にされて、本当に幸せを感じる。
小学時代の同級生であるヤクザの内野正人が来店。
もちろん夜になり、岩上整体を一度閉めてからの時間帯になる。
こんなコテコテヤクザが昼間から入り浸っているなんて、真面目な患者たちに知られたら、岩上整体は破滅する。
「最近身体の調子はどうよ?」
「いや、相変わらずだよ。ずっと両足が足裏まで痺れがあって、寝てもすぐに起きちまう。ただよ、岩上のところでやってもらうとよ、不思議と朝までグッスリ眠れるんだよな」
小学一、二年梅組。
小学五、六年梅組と四年も同じクラスだった。
昔から太っていたが、ガキの頃はお互い鉛筆交換するような感じだったのにな。
「うっちんのはかなり酷い坐骨神経痛なんだよ。この辺までくると楽にはしてやれるけど、あとは医者行って手術とかそっちの領域だよな」
「医者は嫌いなんだよ」
「まあうちでいいんなら、夜ならおいで。同級生のよしみで施術代毎回半額にはしてやるから」
「わりーな、岩上」
「しょうがねえだろ。同じ年のタイミングで同じ小学校通ってしまった仲なんだから」
顔を見合わせて笑う。
「そういやあ船橋いるだろ?」
「舟ヤン?」
船橋一浩。
川越市長の息子であり、小学五、六年の時同じクラスの同級生。
そして今年二千七年の春、県会議員の選挙に出馬し、見事当選を果たした。
今じゃ県会議員だ。
「あいつ、この間の選挙受かったろ」
「県会議員の?」
「そう。あいつさ、道端で会っても無視しやがってよ」
「うーん、それはちょっとせつないね」
確かに同級生同士でも、かたや政治家で、かたやヤクザ。
それは敬遠したくはなるよな……。
「ああ。アイツはよ、親父さんが市長になってから変わっちまった」
船橋と言えば、自町内の通町の山車が出ない時、一度だけうちの連雀町へ来た事あったな。
もう十年くらい前の話か。
内野の考え過ぎだと諭し、当時の様子を伝える。
「うちらの代はよー、横の繋がりが薄いんだよ」
それは言えると思う。
俺自身振り返っても、全日本プロレスの時、今回の小説グランプリの件にしても、一部の同級生しか喜ばず、あとは知らんふりだ。
ザ・ヤクザの内野が同級生から敬遠されるのは当たり前だが、俺は違う。
同級生だけを見ると、他人事にしか取らない人間が多い。
横の繋がり…、同級生同士か。
「同級生の絆ってあるんだろ?」
「まあな……」
絆か……。
内野は内心淋しいのだろう。
まあ俺のところで少しでも癒されるなら、いつでも来な。
俺はその同級生の絆を重視し過ぎて、全日本プロレスを駄目にされた……。
何か世知辛い世の中になったよな。
俺はタバコに火をつけて、煙が昇っていく様子を黙って見つめた。