2024/11/20 wed
前回の章
鹿島神宮から戻った俺は、土日が岩上整体、また月曜から池袋のSE業務が始まる。
憂鬱だ。
働けるよう頼んだのはこちら。
なのでできれば綺麗には辞めたい。
『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』決定まで約一ヶ月。
まずあの副業をどうにかしないとな……。
暗い話題ばかりではないか。
『新宿クレッシェンド』は最終選考通過中。
『忌み嫌わらし子』も一次選考通過中。
泣きたいと怖いのダブル授賞だってあるのだ。
そうなったら、中々の偉業ではないのか?
あ、でも副業をダラダラ続けていたら、ニュースで『作家の岩上智一郎容疑者が、出会い系サイトの詐欺疑惑により逮捕されました』なんて報道されたら、かなりヤバいだろ……。
理想はなるべく早く揉めずに綺麗に辞める事。
どうでもいいけど、患者来ないな……。
鹿島神宮効果何も無いじゃん。
いや、昨日の今日だ。
落胆するには気が早過ぎる。
ドアが開く。
森昇のお袋さんだ。
「ほら、岩上君」
お袋さんはそう言ってパックに入った肉を渡してくる。
「えーと…、これは……?」
「あんた、この間肉が好きだって言ってたでしょ? 小説のほうも何かいいところいってるんでしょ? お祝いも兼ねてね、肉買ってきたの」
グラム千円以上する上質の牛肉。
「すみません、お母さん…。今日施術代結構ですから」
「馬鹿言ってんじゃないよ。これは私からのただのお祝い。あんたに身体やってもらうのとは、別の話なんだから」
まともな母親って、こういう人なんだろうな……。
温かく常に見守ってくれ、それでいて締めなきやいけないところは厳しい意見も言う。
同級生の森田昇次郎が、素直に羨ましかった。
土曜日は森昇のお袋さんを皮切りに、何だかんだ患者が繋がってくれた。
これが毎日安定すれば、副業だって本業の整体が忙しくてと、簡単に辞められるのにな。
頑張ったあとは、自分へのご褒美が必要だ。
俺は食事休憩の札を出して、仲町にあるビストロ岡田へ向かう。
あそこのお任せランチのデミグラスソースのロールキャベツとサーモンクリームコロッケは格別だ。
そして豚肉衣焼きのエスカロップ、これも外せない。
徒歩五分程度の距離なので、すぐビストロ岡田へ到着。
「あれ、智ちゃんじゃない」
「あ、お久しぶりです……」
幼少期俺ら三兄弟を置いて出て行ったお袋の三姉妹の真ん中の姉の家族である安田家がいた。
先日山田弘也の紹介で来たヤクザの組長がいる事務所を借りている安田ビルの持ち主。
旦那のひろしさんに、お袋の姉であるせっちゃん。
一緒にいる若い子は、礼子ちゃんだよな?
あともう一人いるけど、誰だろう……。
俺が最後に会ったのも、小学生低学年の頃。
礼ちゃんがまだ幼稚園にも入っていない時期なので、ひょっとしたら妹があのあと生まれたのかな。
「何だか智ちゃん、小説が凄いらしいじゃない」
ビストロ岡田のおばさんが笑顔で声を掛けながらテーブルへ水を置く。
「まだ最終選考ですからね。あと一つ取れば、グランプリです」
「いやいや、中々そこまで行かないわよ。智ちゃんの本が全国に出たら凄いじゃない」
「ここまで来たら俺が決める訳じゃないけど、やっぱり賞を取りたいですね」
地元の顔見知り同士だからできる和気藹々とした会話。
「あんたね! そんな調子いい事ばかり言ってんじゃないよ!」
そこへせっちゃんが、いきなり怒鳴りつけてきた。
え、何が不快にさせる会話をしたと言うのだ?
「いや、調子いい事でなく、現状を言ってるだけで……」
「だから調子のいい事ばかり抜かすなって言ってんの!」
俺が喋っているのを遮り、また怒鳴りだす。
血筋だけあって、こういうヒステリックな部分は本当にお袋と似ている。
何かスイッチが入ると、猪突猛進に相手へ攻撃する性格。
店内はシーンとした嫌な空気に包まれる。
「あのですね…、そちらには関係無い事ですが? それにインターネットで俺の名前を調べて見て下さい。嘘じゃないの分かりますから」
「ふん、私はネットなんて見ないから知らないよ!」
だったら口を挟んでくるんじゃねえと怒鳴りつけたい気持ちを必死に抑えた。
ビストロ岡田や他の客の不快になるような事は避けたい。
何故旦那のひろしさんは、せっちゃんを止めようとしないのか不思議だ。
「あ、お任せランチとエスカロップ下さい」
俺はおばさんへ注文し、何事も無かったよう振る舞う。
少しして安田家が店を出て行く。
娘の礼ちゃんは申し訳なさそうな表情で、俺に向かって軽く一礼する。
本当お袋の家系は……。
複雑な気分のまま会計を伝えると、ビストロのおばさんが「智ちゃんの分、ひろしさんが全部払っていったよ」と言う。
甥っ子へご馳走してくれる気持ちは、ありがたい。
しかしせめて自分の妻の暴走をあの時止めて欲しかった。
元気で明るい人妻きょうちんが岩上整体へやって来た。
「私、結構先生の事をミクシーで書いちゃってますよ。これから一気に有名人になるかもしれないし」
確かにきょうちん絡みで来た女性患者も数名いる。
そういえば何を書かれているのか?
俺は彼女に高周波を当て、その間ミクシーで見てみた。
一通り説明して まずなんかデカいズボンみたいなのに入ってエアー……。
その後電気を通しながら 先生の治療。
普段の整体のところでは結構優しい感じなので、それを想定していた私ですが……。
かなりの荒療治。
しかも私かなり首が悪いみたいで
凄い痛いんです。
そして腰もやってもらうんですが またツボに入ってこれも凄い痛いー。
本当悲鳴を上げました……。
でも初診千円でした。
あれに耐えれる人は行ってください……。
この先生かなり面白くて、やってもらってる間もずっと喋ってました。
でも目はくりくりしていて、面白かった。
また半月したら行こうかな?
何だ、この記事は?
荒治療荒治療って何回この言葉を使っているんだ?
マッチョで目がクリクリ?
褒められているのか、貶されているのかよく分からない記事だ。
まあそれでも岩上整体へ来てくれているのから、気に入ってもらってはいるのか……。
次の記事も見てみよう。
何を書かれているか気になる。
本当は先週整体に行こうと思っていたんだけど、生理が来てしまい 昨日になる始末。
母にわたさんを預け先日の荒療治の整体に行くことにしました。
肩がだいぶ来てるというのです。
…で、荒療治かと思っていたんだけど私が慣れていたのか。
結構耐えられました……。
ちなみに そこの先生にこの間の話を日記に書きましたー。
…と言ったところ「俺もミクシィやってます」と言われ、すぐにマイミクになってもらいました。
治療も終わってすっきり。
でも本当偏頭痛あのチカチカしちゃうのは辛い。
思ったより痛さに耐えられることが分かった一日でした。
ちなみに 「岩上整体」というところです。
良かったら行ってみて下さい。
前回よりはマシに書かれている……。
きょうちんは気持ち良さそうに、目をつぶって寝ている。
次も見るか……。
午後は……。
まずは整体。
…と整体の先生を訪ねると……。
「なんか打ち合わせでもしてきたんですか?」って……?
何で?
「今からもぐマグさん来ます」だって。
えー。
びっくり。
じゃあ、肩だけでもお願いします
と……。
そこに本当にもぐマグちゃん登場!
最近久々に見るマイミクさん。
先生の治療してる間も喋ってました。
先生すいません。
久々のお喋りはすごく楽しかったー。
もぐマグちゃん、どうだったかな?
ここで彼女がきょうちんの記事見て来た時か。
主婦層患者、侮れないな……。
親切に接しておいて本当に良かった。
次は……。
そして今日は日勤で帰ってきた旦那にわたを任せて、これまた久々の整体。
今日も、ばっちりやってもらい身体も軽くなりました。
先生ありがとう。
…が、旦那が二時間経っても帰ってこないーと、お怒りさんモードだったようで、旦那の頭の中には二日続けてパチンコ?と勘違い?
浮気?とか勝手に馬鹿モード入っておりました。
そんな訳無いじゃんねー。
…が、彼はあまりの空腹に耐えられ無かったようで、何とかわたをなだめながら、たまねぎ無しの肉も違うのを使ったけど、カレーを作ってくれました。
たまねぎ無くても美味しいんだな。
カレーって。
きょうちんが俺と浮気疑惑?
思わず吹き出した。
「あれ、先生どうしたんですか?」
「いや…、きょうちんさんのミクシー見ていて……」
「私嘘つきませんよって、言ったじゃないですか。茄子持っていったら三千円になった日記は、ちゃんと消してますからね!」
「いや、ちゃんと信じてますって」
俺はこうした患者の思いやりで支えられているのだなと、心から感謝をする。
牧田順子と古木英大カップルが、岩上整体へやって来た。
彼らからすれば、乙女座の俺は恋のキューピッド。
なので二人とも笑顔が絶えない。
ゆっくり話を聞きたかったが、こういう時に限って患者は続く。
「岩上さん、忙しそうなんで、うちらはぼだい樹行ってきますよ」
「ごめんなさいね、古木君」
古木カップルが帰ると、トヨタ主幹の中原さんは「すみません、何か変なタイミングで来てしまって」と謝ってきた。
「何を仰るんですか。中原さんには、いつも感謝しかないですよ」
そのあと小料理屋こしじの岩沢さん、続いて美人美容師の小輪瀬さんと繋がる。
少し間が空いて銀行員の信さん登場。
「先生、いつも漬物もらって悪いから、これ……」と、牛肉を渡してきた。
何か肉プレゼントが続くな……。
冷凍庫に入れておく。
肉を今度どうするか考える必要が出てきた。
岩上整体協力店のチラシを見て来た四十代新規患者も来る。
丁重に施術を終え、代金五千円を頂く。
この人は一度出てから、再び戻ってきた。
「あれ…、どこか調子悪くなりましたか?」
「いや、先生……」
そう言いながらセブンスターを一カートン手渡してくる。
「え、これは?」
「あんな丁重にやってもらってね。これ、俺からの気持ちだから受け取って」と去っていく。
何だかとてもありがたいなあ……。
俺は患者を見送りながら、しばらく頭を下げたままだった。
夜になり、少し落ち着く。
俺は自分の似顔絵を新しくするかと、フォトショップを起動。
マウスを使って様々な絵を描いてみる。
正面を向くバージョン。
これにしよう。ドアが開く。
後輩である『めし処のぶた』の大野信成夫妻。
娘さんまで一緒だ。
順番に施術をし、小さい子が来た時用に置いてあるお菓子を渡す。
「しぇんせー、ありがと」
笑顔で入口まで見送る。
この時大野信成はこの様子を隠し撮り、あとになってミクシー経由で画像を送ってきた。
いい奴ではあるが、とんでもない奴でもあるのだ。
また時間作って彼の店へ行こう。
この二日間、この整体を開業して本当に良かったと思える時間を過ごせた。
ドアが開く。
おいおい、まだ続くのか?
入口を見ると、ゴリが立っていた。
「やあ、いっちゃん」
幸せな気分がいきなりどんよりになる。
「何だ、ゴリかよ……」
「そんな言い方すんなよ。…で、どうよ?」
「昨日今日と中々好調だよ」
「違う違う! 岩上の整体の事なんて、どうでもいいよ。飲み屋の子だよ」
このクソ野郎……。
考えてみたら、コイツ潰れて会計だって俺が全部出していたんだ。
思い返すと苛立ちが沸いてくる。
「ああ、あの結菜ね……」
「そうそう。見極めてくれって言ってたじゃん」
「やめとけ」
「何でだよ!」
「あの子はあんまり癖が良くない」
「何の癖だよ!」
こりゃあ結菜が俺にキスしてきたなんて正直に言ったら、面倒臭くなるだけだな……。
「俺たちの席離れて他のテーブル行ったろ?」
「ああ」
「その時俺からの方向からしか見えなかったんだけど、カウンターの下で手を繋ぎ、いついつプライベートで会おうって約束しているような子だぞ? 飲み屋の女になんて、幻想を持つな」
黙るゴリ。
見極めろと言ったのは彼だから仕方がない。
「結菜がなー、人気あるのは知ってるよ! 結菜だけじゃなくて、あの店の子たちみんな人気あるんだよ!」
突然何を抜かしているのだ、この馬鹿は……。
若い女という人気だけで高い酒を売っているのだ。
それを知っているなら、わざわざ俺を巻き込むな。
「でもな…、少しずつだけど、徐々に距離はちゃんと縮まっているんだよ!」
「あっそう……」
「そうだよ!」
黙れ、馬鹿。
偉そうにほざくな。
「じゃあ今から距離を縮めに行かなきゃね」
「そんなの分かってるよ! 今から行くついでに岩上のところ寄っただけだ」
ついでとは何だ、この馬鹿。
「はいはい、いってらっしゃい。頑張ってね」
ゴリが出て行くと、俺は食卓用の食塩を左手の平へ振り掛け塩をある程度溜める。
ドアの外へ思い切りぶち撒けた。
人生初の塩を撒く。
あのような邪気を持った輩には、きっと有効だろう。
池袋の副業。
出社した途端、面倒な作業を言い渡される。
黙々とエクセルへデータを打ち込まないと、今日中に間に合いそうもない。
結局辞めたいというタイミングを逃したまま、仕事の時間が終わる。
早くこんなところ辞めないといけないのに……。
まあ次でいいか。
整体へ戻り、患者が来る可能性を考え、夜の八時から看板を出す。
整体だけで生活が賄えるなら、それが最適だ。
俺は少しでも努力しなけばいけない。
ドアが開く。
ほら、俺の信念をちゃんと分かってくれる人はいるのだ。
入口へ向かうと、入ってきた人物を見て声を失う。
ゴリお気に入りの飲み屋女の結菜。
「へへ、一人で来ちゃった」
「何をしに?」
「またダイエットしたいなあと思って」
「ゴリと一緒じゃないから、金は取るよ」
「えー、だって今日の昼間来たら岩上さんところやってないし、しょうがないじゃない」
コイツ、日本語通じないのか?
昼間だろうが、夜来ようが一人なら金をちゃんと取るわ。
「月水金は昼間ちょっと頼まれて池袋まで仕事行ってるからね。夜にならないと、ここにはいないんだ」
「えー、整体を経営しているのに、何で別の仕事もするのー?」
「知人に頼まれているからだよ」
本当はこの整体の運営が苦しいからなんて本音を言ったら、何を言い触らされるか分かったもんじゃない。
「何の仕事?」
「SEだよ」
「何それ?」
「システムエンジニア」
「え、すごーい。パソコンもプロフェッショナルなのね」
結菜が抱きついてくる。
結構この女、胸あるな……。
「離れろ!」
確かに妙な色気があるのは認める。
だが毅然としていたい。
ゴリの為にも……。
ちょっと待てよ?
何であんな馬鹿の事で、俺がこうまで格好つける必要があるんだ?
多分やろうと思えば、この女を俺は抱けるだろう。
だが何だ、この引っ掛かるような気持ち悪さは……。
三沢光晴さんたちほどでないにしろ、俺にはジャンボ鶴田師匠のエキスが流れている……。
同級生が惚れた女を横取りなんて、下衆な生き方なんてするな。
もう亡くなってしまったあの人を汚す行為はやめろ。
何一つ恩など返していないじゃないか。
「結菜……」
「なーに、岩上さん」
「ゴリがおまえを好きなの自覚しているよな?」
「うーん」
「いいか? あいつにその気がまるで無いのなら、その気にさせるような真似は止めろ!」
真剣に伝えると、結菜は口元をニヤリと歪めた。
ゴリは馬鹿でどうしょうもない奴だけど、俺の同級生でもあり友達だ。
「帰れ」
「え?」
キョトンとする結菜。
「帰れ」
「何で?」
自分の魅力に相当自信があるのだろう。
ゴリと無関係だったら、俺も危なかった。
ただ俺はいつか師匠とまた会った時、心から笑って会いたいんだよ。
タバコに火をつけ、カルテをまとめ始める。
結菜が横で何か言っているが、一切無視して仕事へ没頭した。
少しして結菜は、岩上整体を出て行った。
看板をしまい、ショットグラスへグレンリベットを注ぐ。
酒を飲みたい気分だった。
チェイサーも作り、横へ置く。
冷蔵庫からクリームチーズを取り出し、クラコットを取り出す。
その上にチーズを塗り、ちょっとしたつまみを作る。
一番好きな飲み方だ。
ウイスキーをストレートで飲み、口内に残るピート香を水で胃袋へ流し込む。
パソコンで『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』のこれまでの軌跡を眺めた。
一次選考通過者『新宿クレッシェンド 岩上智一郎』。
ここで違和感を覚えた事がある。
通過者の中で同じ作者が二作品あったのだ。
一つのコンテストに多数の作品を出せるなら、出せば出すほど有利に働く。
俺は『第一回世界で一番怖いグランプリ』の際、『ブランコで首を吊った男』と『忌み嫌われし子』のどちらにしようと迷った。
だから主催者側であるサイマリンガルへ連絡をした事がある。
回答は一つの作品のみ有効だった。
サイマリンガルの意味不明な選考基準。
だから俺は登場『新宿の部屋』で仲良くしていたうめちんに、作品を選んでもらったのだ。
泣きたいは複数作品応募が良くて、怖いは駄目。
公明正大に審査はやってほしい。
現時点の最終選考で、二作品応募者は選考から漏れているので問題になっていないだけ。
俺はブログ『智一郎の部屋』にこの件についての記事を書いた。
もし自分の言っている事が気に食わないなら、最終選考から弾けばいいとも書く。
それだけ公明正大さを持ってやってほしいと希望を訴える。
翌日になり、見た人間の反応は凄かった。
俺側の人間からは何故そんな不利になるような事をこのタイミングで記事にしたのかと責められる。
それは俺も賞を取り、世に出たい。
しかし公平さに欠ける出版社側の対応が、何故か許せなかったのだ。
少し酒が入っていたからかもしれない。
それでも間違った事はしていないという強い信念はあった。
「おい、智一郎!」
整体のドアが勢いよく開き、三歳年上の吉岡さんが入ってくる。
「おまえ、馬鹿かよ! あんな事書いて、出版社の人間に見られたら、すべて今までの台無しになるぞ?」
言い分は至極真っ当。
だけど俺はその記事を消さなかった。
もしそれが原因で選考を落とされるなら、俺の小説はそこまでの価値しかないという事。
逆に俺がもしグランプリを授賞したなら、公平さを証明する形になると思う。
応援している多くの人は、俺の思想に反対だった。
同級生の飯野君だけは整体までやって来て「僕は岩ヤンの生真面目さはいいと思いますよ」と言ってくれた。
以前山崎ちえみと揉めた原因の記事、アクセスランキングは、『小説家になろう』というサイトへ自身の作品を載せていた事から発生した。
俺はどんな手段でもいいから、世に出たかったのである。
自分の店『とよき』を経営する先輩の岡部さんは、『新宿クレッシェンド』の第三弾『新宿プレリュード』を読み、「また読むと思う。ただ泣いちゃって読めないかな」というコメントを書いてくれた。
処女作のクレッシェンドの主人公である赤﨑隼人は、作者である俺ではないかというコメントが多かった。
それは違う。
ただパソコンのスキルを伝授してくれた先輩の坊主さん曰く「あれは昔の智だよな」と言われた。
俺はあんなに弱い性格ではない。
俺自身を神威龍一に代え、クレッシェンドの設定で歌舞伎町へ行った実話が『新宿プレリュード』なのである。
作品の最後に岡部さんモデルの長谷部さんと、今は亡き野原さんが出てくる。
岡部さんはこの作品を読む度、亡くなった野原さんを思い出すのだろう。
俺は岩上整体をやりつつ、空いた時間のほとんどを執筆へ費やす。
池袋の副業は、中々辞めるタイミングが見つからないほどの仕事量を押し付けられている。
ドアが開く。
ちゃちがひょこっと顔を出す。
初めて会った時以来だ。
この子はいつも突然現れる。
『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』へ導いた人間。
俺は食事休憩の札を出し、ちゃちを川越で有名な蔵造りの街並みへ案内する。
普段なら絶対に入らない蔵造り資料館にも入った。
目的は人気の無い場所で、ちゃちとキスをしたかったからだ。
ちゃちには一緒に住む男性と子供がいる。
だからいつだって帰りの時間は早い。
彼女を駅まで送り、帰り道ゲームセンターでUFOキャッチャーで、キン肉マンとウォーズマンのマスクを見掛けた。
キン肉マンは一番好きな漫画だった。
俺は意固地になって金を使う。
一万円使ってもまるで取れなかったので、店員にキレた。
怒り狂う俺に対し、店員は鍵でガラスのドアを開けて俺にキン肉マンとウォーズマンのマスクをプレゼントしてくれる。
岩上整体へ帰り、早速被ってみた。
ちょうどチャブーが来たので、写真撮影を頼む。
白衣を着て後ろ姿のまま、キン肉マンのマスクをベッドの上に置いた写真。
「おう、いいね! 次行ってみよ」
白衣を脱いで黒のTシャツ姿になり、ウォーズマンのマスクを被った写真。
「いいよいいよ。照れは禁物だよ」
悪ノリして色々なポーズを取り、チャブーがそれをファイダーへ収める。
「はい、次は両腕を広げて……」
突然整体のドアが開く。
見た事の無い飛び込みの新規患者。
目の前にはウォーズマンのマスクを被ってポーズを取る俺。
新規患者はドアも閉めずに背を向ける。
「待って下さい! これは違うんです!」
必死に声を出しても、その患者はヤバいものを見たような感じで走って遠くへ消えた。
キン肉マン系のマスクを整体内で被るのは禁止。
俺は自分を戒めるルールを決めた。
ドアが開く。
うん、もう飛び込みで患者が来ようが、マスクを被っていなければ無敵さ。
「おう、やっぱ岩上じゃねえかよ」
何だ?
随分横柄な奴が入ってきたな。
「おお、うっちんじゃん」
内野正人、小学時代の同級生。
彼の噂を周りから聞いてはいたが、コテコテのヤクザになっていた。
「どうして分かったの?」
「川越で岩上なんて名乗るとこ、そんな無えだろ」
「何、身体?」
「ああ、腰が限界。朝までゆっくり熟睡できた試しがねえ」
以前来た組長同様、内野も様々な病院や接骨院などでちゃんと診てもらえない可哀想な人種だった。
「まあいいや、そこに寝て。ちょっと触診するから、痛いかどうか言って」
「ああ……」
右太腿外側を指で押す。
「ここは?」
「うぎゃあー」
「はいはい、痛いのね」
「こっちは?」
「痛っ! 岩上、痛えよ!」
「ヤクザなんだからこのくらい堪えろよ」
高周波をつけ、背中から施術を始めた。
「内野評判悪いぞ。いいか? 俺のところくれば、楽にはしてやる。だから同級生に街で会っても脅したり、恐喝したりするなよな」
「だってよー、俺の顔見ると、ほとんど逃げるようにするんだぜ?」
「当たり前だろ! そんなコテコテヤクザが近寄って来たら、みんな普通は逃げるわ」
「まあ、そうなんだけどよ……」
「まずはそのパンチパーマ止めて、七三分けにしな」
「ふざけんじゃねえよ! 七三分けのヤクザなんぞ、どこにいるんだよ! あ、痛っ!」
俺は高周波の電圧のつまみを上げた。
「俺にまで威圧的な態度したら、もっと痛くするぞ」
「分かった、分かったから、少し下げてくれ」
すぐ音を上げたので、真面目に施術してやる。
「どうよ、調子は?」
「岩上、オメー凄えな! また来ていいか?」
「来てもいいけど、看板しまい終わった夜な」
「何でだよ!」
「当たり前だろ! 少しは自分自身を自覚しろ。じゃないともう診てやらないからな」
「チッ…、分かったよ」
こうして八月下旬に岩上整体へ、コテコテヤクザ内野が、時間外患者として加わった。
同級生の増田清子が四人の子供を連れ、再来店した。
整体そっちのけで子供たちと戯れる俺。
「もうちょっとでグランプリ発表でしょ?」
「まあね、でも俺がこれ以上何かできる訳じゃないからね。あとは自然体だよ」
増田が帰ると、中学時代の同級生である熊田瑞樹が来た。
最近同級生ラッシュだな。
首の凝りが酷い熊田は、定期的にうちへ来る。
「設計の仕事だからって、ほとんど身体動かしていないんだろ?」
「あ、やっぱ分かる?」
「分かるよ。毎度毎度治しているのに、いつもガチガチになってから来るじゃん」
「でも岩上、もう少しだね」
「何が?」
「ほら、小説の賞の発表」
「まあね」
「岩上、国語だけは、私より成績良かったからなあ」
「うるせぇー」
どいつもこいつも俺の顔を見ると、グランプリの話題になる。
まあそれだけ俺に、期待してくれているのは嬉しいものだ。
帰り際熊田は「そうそう、私ね。顔は書くしているけど、ちょっとエロい服装で写真載せているホームページあるんだよ」とイジワルそうな表情で言ってくる。
そういえば熊田はぽっちゃりはしているが、胸もデカいし中々エロい身体をしていた。
「へへ、見たい?」
「それは俺も男だしね……」
「あとでミクシーのメールからURL送ってあげる」
本当に送ってきたのでホームページを見ると、中々エロい写真を載せていた。
ふん、どういうつもりか知らないが、機会があったらやっつけてやろう。
自費出版作家である山嵐之兎からチャットでメッセージをくれる事は多い。
文学というものについて、お互いの形を語り合う。
ただ整体で患者を施術中にメッセージを送られても、すぐ気付く訳がない。
山嵐は何かの障害を持ち、国から障害手当てをもらって日々地味に生きているようだ。
困った事が一つ。
彼は携帯電話を持っていないので、自分の母親のものを利用する。
俺の携帯電話がワンコールだけ鳴るので、出ると切れる。
番号を見て折り返すと、母親の携帯電話を使った山嵐だった。
稼ぎが無いのは仕方ないが、フィリピンパブのフィリピン人のように、電話代を払いたくないからワンコールだけ鳴らすのは止めて欲しかった。
「ワイは働かないんやなくて、障害で働けないんや」が口癖。
ただ彼の生活ぶり聞く限り、働けないと言うのは甘えのような気がした。
共通するのは自分の小説を世に出したいという点。
山嵐は自費出版という形で、世に出してはいるが。
俺は本当の意味で、世に出るかどうかの判決が近付いている。
ここまで来たら、何一つできる事など無い。
飯野君がお袋さんを連れて岩上整体へやって来た。
日本舞踊をやるお袋さんは、最近足に痛みを感じるようになったと言う。
年齢的なものによる筋肉の低下。
まずはエアーコンセラーで足腰の血行を空圧で圧縮し良くする。
俺が彼と出会った中学生の頃から、母子家庭として生きてきたのだ。
絆のある親子の縮図。
何としても楽に…、そしてより健康にさせてみせる。
高周波をつけ微量の電圧を流す。
俺ね、中学生の頃息子さんから、あなたの作った生姜焼きと卵焼きをもらって食べた事あるんですよ。
心の中で呟いた。
岩上流三点療法を駆使しながら、筋肉が凝り固まった部分を徐々にほぐしていく。
祝詞も使っておこう。
三式よりも五式、いや七式。
もしも飯野君のお母さんに霊障なんてものが本当に憑いているのなら、俺のこの手で吹き飛ばしてくれる。
思い付く事、考え付く事すべて施術に使う。
神様が本当に俺へついていると言うのなら、今でいい、力を貸せ。
指先で感じろ、温かくなる部分を……。
微塵も悪い部分を残すな。
誠心誠意、心を込めて。
一人でも多くの人を治すんだろ?
気が出ているのなら、それでもいい。
祝詞が効くなら、それでもいい。
俺の手技で治るのなら、尚更いい。
「痛んでいた箇所、どうでしょうか?」
「うん、お陰様で随分楽になりました。ありがとうね、岩上君」
「岩ヤン、本当にありがとう」
「また悪くなるようでしたら、いつでも来て下さい」
「おいくらでしょうか、岩ヤン」
「五千円頂きます。あと、飯野君今度うちの整体に牛肉溜まり過ぎているので、一緒にそれを片付けて下さい」
「ははは、分かりました」
飯野君親子の後姿を見送る。
今度ミニプレート買って、整体へ置いておかないとな。
目の前の駅ビルペペで買い物をしていると、千円ちょっとでミニプレートが売っているのを発見。
悪ノリして本当にミニプレートを購入した。
何故そんなものを買ったのか?
あまりにも患者たちからの差し入れで、肉が多いからだ。
いつまでも冷凍庫へストックしとく訳にもいかない。
俺は飯野君を呼び、岩上整体内で焼肉を開始する。
最近よく絡んでくる三つ上の吉岡金物店の若旦那である吉岡さん。
彼に電話を掛けてみる。
「今ですね、岩上整体でかわごえれっずさんと焼肉をしているんですが、某金物屋さんも来ないかななんて……」
飯野君はネット上でかわごえれっずと名乗っていた。
熱烈なJリーグの浦和レッズファンで、九州で開催する試合を観に行って観光もせず、そのまま帰ってくるほど。
川越出身の浦和レッズファンで、かわごえれっず。
ミクシーなどで、平仮名表記なのはおそらく彼の照れ隠しからなのだろう。
「はあ、整体で焼肉? おまえら頭おかしいだろ。俺は無理だよ、まだ仕事残っている」
確かに本川越駅前のガラスドアの整体の中で、焼肉を食べている俺たちを見た通行人たちは、狂人たちの集まりと思うかもしれない。
ただ俺の整体に、肉を持って来る人が複数名いるからいけないのだ。
俺はその肉を無駄にしないようにしたまで。
だいたい玉ねぎ段ボールごととか、茄子を三本差し入れ、糠床提供とか振り返ると変な事が多い。
患者も夜の部だと、ヤクザとかいるし……。
ドアが勢いよく開く。
「あ、吉岡さんだ! 来ないと言っていたのに」
某金物屋の若旦那の登場。
俺はすかさず先輩の姿を映像に収める。
サッカーのユニフォームらしきものを持参してきた謎の行動。
何やら一人でブツブツ言っている。
あとでユーチューブにアップして晒してやろう。
「まあまあ、吉岡さん。駆け付け一杯! ほら、肉も焼けてますよ」
楽しい宴は続く。
途中飛び込みで患者が来るも、酒が入っているし店内肉の匂いが充満しているので、整体など無理に決まっているから丁重に断った。
またドアが開く。
上の焼肉屋炙りやのおばさんだった。
「あ、アブリーのおばさんだ! まあまあ駆け付け一杯どうぞ」
「いらないわよ! あんたね…、うちが二階で焼肉屋やってんのに、こんな事で何をやってんのよ」
「うわー、焼肉してたら焼肉屋からのクレームだー」
阿鼻叫喚の地獄絵図?
いや、全然表現が違う。
酒池肉林?
それも違う。
こんな地味で無愛想なおばさんがいたんじゃ、全然適切な表現ではない。
「ほらほらおばさんも、いい肉あるから食べな」
「ちょっとあんたたちねー!」
俺はアブリーのおばさんを宥めつつ外へ出た。
ん、誰かこっちを見ているな。
「あ、修! おまえもこっち来て肉食え!」
後輩の金子修一が少し離れたところでこちらを見ていたが、俺が存在に気付き声を掛けると、凄い勢いで走って逃げだした。
何だ、あいつ…、両親が元八百屋だけあってベジタリアンなのか?
翌日になり炙りやのおばさんから、俺はこっ酷く怒られた。
よく見ると、おばさんの鼻はいつもより二倍近く膨れていた。
二千七年八月三十一日。
今日は泣いても笑っても『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』が決定の日。
岩上整体の中にいると色々俺の顔を見に来る人が多く、今の心境を聞かれる。
取れればいいが、落ちていたら格好もつかない。
俺は食事休憩の札を出して、気分転換も兼ね外をブラブラした。
整体からクレアモールの方向へ真っ直ぐ進み、通りを右へ曲がる。
患者の長澤さんの所有するビルが視界に入った。
そういえばここって、まだ顔出してなかったよな?
俺は長澤ビル地下一階にある床屋へ入って行く。
美人美容師小輪瀬さんのところは、次回髪の毛をやってもらおう。
「あら、先生! いらっしゃい」
「今日はこちらで髪の毛を切ってもらおうと思いまして」
長澤さんの息子さんに髪を切ってもらいながら世間話をする。
「こんな感じでいいでしょうか?」
正面の大きな鏡を見る。
「ええ、問題ないですよ」
そういえばグランプリの結果って、そろそろだよな……。
俺は携帯電話でメールを見る。
『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリは、岩上様の新宿クレッシェンドに決定致しました。追って詳細をお知らせ致します。 サイマリンガル樽谷』
「え……」
長澤さんの息子さんが心配そうな顔で覗き込む。
「取れた……」
「あ、あの…、髪型変なところありましたか?」
「いや、そうじゃなくて、俺取りましたよ!」
俺は会計を済ませ、一目散に家へ向かう。
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