岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

新宿コンチェルト10

2022年04月25日 21時59分29秒 | 新宿コンチェルト/とれいん

 川越警察署に到着すると入口付近に車を停車する。百合子を車の中で待たせ、俺一人で中へ向かう。途中で警官とすれ違ったので声を掛ける。
「おまわりさんー」
「はい?」
「夜中に家の前、停めといたらやられちゃったけど、これきった奴、出してくんないかな?」
「すいません、それでしたら署内の方でお願いできますか」
「はいはい」
 素っ気ない対応の警察官。別にはなっから期待してないので苛立ちはしない。でもこの件に関しては納得いくまで警察にとことん噛付いてやる。俺なりの方法で……。
 静かに入口へ向かう。
 署内へ入るとまだ八時前なので、警官の数もまばらだ。近くにいる警官に声を掛ける。
「おまわりさん、駐禁きられたんだけど」
「すいません、そちらの交通課の方で聞いて下さい」
「はいはい」
 入って右手に交通課があったので近付く。中には二名しか警官がいなかった。
「おう、駐禁の支払いで一万五千円持ってきてやったぞ。早く外せよ」
 出来る限りガラ悪く怒りを込めて言った。

「車は?」
 偉そうな態度と言い方の背の高い警官が応対する。
「表にあるよ」
 あごで百合子の車の方向を指す。
「すぐに外すから」
 一緒に外に出て車に向かう。俺と警官の姿を見て、百合子が車から出てきた。
「この車はあなた名義ので?」
「違うけど。俺の女のだ。昨日俺が借りた時に駐禁きられたからさ」
「車両証明書は?」
「あるよ。嘘なんかいちいちつかねえって、ほれ」
 警官の態度のでかさにイライラしてくる。書類を確認すると、背の高い警官はワッカを外しに掛かる。今度は百合子も一緒について来て署内へ入る。
「じゃあ、こちらに座って。あ、一人だけでいいから」
 百合子が行こうとしたので、手で制して俺が椅子に腰掛けた。
「金も点数もくれてやる。だからこれをきった奴出せ」
「今は出勤してないから。はい、この書類に名前とか書いて」
「書いてやるから、きった奴に連絡しろよ」
 名前、住所、電話番号を記入し、警官に突っ返す。財布を取り出して一万五千円抜いて、テーブルの上に放り投げる。
「これで文句ねーだろ? 早く連絡つけろよ」
「だから出勤してないし、お金もここじゃ受け付けてないから」
「ずいぶんと横柄な態度とる奴だな。いいか? こっちは代金を払いに来てやった客なんだよ。勘違いして殿様商売みてえな口、利いてんじゃねえよ。ムカついてんだよ。ここじゃ受け付けない? じゃあ、どうすんだよ?」
「この用紙を持っていって、銀行か郵便局で振込みするようになってるから」
「コンビニじゃできないのか?」
「そう、できない。銀行か郵便局だけだから」
「笑わせてくれるよな」
「何がだ?」
「よく罰金を支払わないなんて偉そうにおまえら言ってるけど、金をもらうのに支払う窓口が限定され過ぎてる。みんな、あんたらみたいに暇人ばっかじゃないんだぜ? 仕事抜け出してワザワザ金払いに行くんだ。コンビにとかでも支払いできるのなら、まだ負担掛からないけど、現状の警察の対応だとちょっと横柄過ぎるだろ。少しはそっちも改善する余地あんだろ? 自分たちの要求ばっか偉そうに言って、受付口は狭い。ふざけんなって。それよりワッカつけた奴は? 何課にいるんだよ?」
「いや、本署の人間じゃないから」
「じゃあ、どこだよ?」
「交番の人間だ」
「交通課でも何でもねーじゃねえか。舐めてんな。どこの交番よ?」
「神明町交番だ」
「名前は?」
「ここに書いてあるだろ」
 切符を見ると鹿倉正義と書いてある。こいつが…。怒りで体が震える。
「あー、あとねー」
「何だよ、まだ何かあんのか?」
「ここに職業欄が記入してないから書いて」
「色々やってんだよ。何、書けばいい?」
「一つでいいから書いてくれ」
 一つでいい…。さすがに『ガールズコレクション』なんてここで書いたら格好悪過ぎる。今、俺は小説を書いているから小説家と言っても嘘にはならないだろう。ここはちょっと苛めてやるか。
「実は小説も書いてんだよ。金も払うしゴールド間近だったけど点数もくれてやる。この事をノンフィクションの小説として書いても面白いよな。あんたの名前も実名で、その横柄な態度もすべてそのまま書くだけなら楽でいいや。な?」
「そ、それは好きにして構わないけど、罰金は期日までにちゃんと払って下さい」
「あれ? 急に口の利き方が変わったじゃん」
「そ、そんな事はない」
「まー、いいや。もうあんただけじゃネタにならないから。とりあえずその神明町交番の連絡先を教えてくれ。一万五千円も払ったんだから、ネタを作りに行かないとな」
 心理戦で段々俺のほうが有利な状況になってきた。さっきまでのイライラが消えていく。
 背の高い警官に電話番号を聞くと、川越警察本署を出て行く事にした。途中すれ違う警官に声を掛ける。
「おまわりさん」
「はい?」
「面白い小説ができそうですよ」
「は?」
 通りすがりの警官は不思議そうな顔をしていた。車の中で百合子に話し掛ける。
「百合子、見ててちょっとはスキッとしたか?」
「うん」
「同じ罰金を払うにしても、ここまで苛められれば警察も少しは考えるだろ。まだ実際にやった鹿倉正義って奴をこらしめるようだけどな」
 すべての警察官が嫌いという訳ではないが、理不尽な奴が多過ぎる。以前お世話になった巣鴨署の溝口さんみたいないい人もいるが、そんなのは稀だ。

 百合子と家に帰って、早速神明町交番に電話をする。五回ほど鳴ってから回線が切り替わった音がして、ようやく甲高い女性の声が聞こえた。
「はい、こちら川越警察です」
 神明町交番に連絡したのに転送で本署に繋がった。ずいぶんとふざけたシステムだ。
「もしもし」
「あれ、川越の本署だよね?」
「はい」
「神明町交番に電話したんだけど」
「この時間、誰も電話に出られない状況だと、こちらに転送される事になってますが……」
「へー、ずいぶんと面白い事、言ってくれるじゃないか」
「え?」
「え、じゃないって。付近の地域を二十四時間体制で街の治安を守るのが交番の役目だろ?何かおかしい事言ってるか?」
「いえ、おっしゃるとおりです」
「それが今現在朝の八時。その時間で電話に出ないから本署に繋がる…。おかしいんじゃないか? 夜の十一時とかはわざわざ近所でもない俺の家のほうまで出てきて駐禁とかしてるくせに、本来警官がいなければいけない場所には誰もいない。誰が聞いてもおかしいよな? 今こういう電話だからいいけど、もしその交番付近で殺人事件や強盗あったらどう対処するの? 教えて下さい」
「しょ…、少々お待ちになって下さい」
 どう考えても俺の意見は正論だ。確かに駐車禁止の場所へ車を停めたのだから、駐禁をとられたのはまだ理解する。でも交番の人間がわざわざ近所からの苦情もないのに、夜中に家まで来て駐禁をきるという行為がおかしい。挙句の果てにこの時間、電話にも出ないなんて何の為に交番があるのか? そんな事しかできないのなら交番なんていらないし、税金の無駄だ。そんな事しかできない奴に税金で給料を払うぐらいなら、警官の数なんて減らせばいい。

 待たされている間、どうやって攻撃してやろうか色々考える。
「すみません、お待たせしました。神明町交番に変わります」
「はあ?」
「今から神明町交番に繋ぎますので」
「はい、了解」
 何か特殊な回線でも使って連絡でもしたのだろうか。
「もしもしー」
 男性の声が聞こえる。声の感じから年配のようだ。
「あんたが鹿倉さんかい?」
「ええ」
「そうかい。俺が誰だか分かるかい?」
「い、いいえ……」
「昨日の夜中にあんたがわざわざ駐禁をきってくれた者だよ」
 一瞬会話がとまる。
「それについてはですね……」
「うるせえよ、自分の家の前できられたんだ。わざわざ神明町からはるばる来てご苦労な事だな。法律で決まってる以上、理不尽だが金も点数もくれてやるよ。それが義務だからな」
「私は法律に従って、間違った事はしていません」
「ああ、法的には間違ってないんだろうよ。ただな、あんたの身内が同じ事しても、俺にやったように同じ台詞吐けるんだな?」
「はい、私は法律にもとづいて行動したまででして……」
「法律法律ってうるせえよ。そんなに法律が好きなら警官なんぞやらずに、弁護士でも検事でも裁判官にでもなりゃえいいだろ?」
「今はそういう事を話している訳ではありません」
「そうくるか。じゃあ本題言う前に一つ質問だ。何で今の世の中がおかしくなってるか分かるか?」
「え……」
「質問に答えて下さい。お願いします」
「え、あの……」
「はい、時間切れ。答えの一つに、みんなが義務も果たさないで、権利ばっかり主張してるようになったからじゃないでしょうか?」
「そ、そうですね」
「権利なんてもんは義務を果たして初めて生まれるもんだ。それをみんな、権利って言えば全部物事がスムーズにいくと思ってる。みんな、楽したいからな」
「ええ」
「今回の件で言えば、俺は罰金も払うし点数も削られる。それが与えられた義務だもんな」
「そうです」
 本当に馬鹿だな、コイツ。引っ掛かった。
「じゃあ、義務果たしたらこっちの権利を言うよ。黙ってやって卑怯な奴に見られるのも嫌だからな」
「な、何ですか?」
「鹿倉正義。正義の味方の正義で、まさよしって読むんだろ?」
「そうです」
「実は小説を今、書いているんだよ。そこでノンフィクション小説として、あなたのやった事すべてを実名で登場させ、細かいところまでリアルに書いてやるよ。覚悟しな」
「それはやめて下さい!」
 急に鹿倉の声色が変わる。効果バッチリあったな。手ごたえありだ。
「やめて下さいだ? ふざけんな! 今までおまえら警察が何かしようとして、みんなそう言っても、規則は規則だからって全部ゴリ押ししてきたんだろ? 自分の時だけそんな都合よくいくなんて思うなよ」
「プライバシーの侵害です」
「へー、そんな言葉知ってたんだ? じゃあ、こっちは言論の自由だ。嘘を書く訳じゃない。真実を追究して世の中に問いたいだけだ」
「やめて下さい。お願いします……」
「やめねえよ。おまえらだってそうしてきたんだ。俺もさっき、それで駐禁を食らったんだ。あんたにな…。それでフィフティーフィフティーってもんだ」
「名前を載せるなんて、お断りします」
「だって法律をって正義を追求して堂々とやった事なんでしょ?」
「は、はあ……」
「じゃあ、そんな正義の鏡のような警官がいるんじゃ、俺も応援したくなるでしょ?」
「結構です」
「知ってました? 職務中の公務員って、実名さらされても写真撮られてテレビに映されても、まったく問題ないんだよ?」
「……」
 だんだんと楽しくなってきた。どの辺まで苛めるか、それは俺の心境次第でどうにでもなる。
「何だよ、黙っちゃって…。分かったよ。百歩譲って、正義の味方の正義の正を精子の精で精義ってしよう。どう読むかは読者に任せればいいんだからな。それなら、あんたじゃないから何も問題ない」
「やめて下さい」
「都合いい事ばっかり言ってんじゃねえよ。俺は義務をちゃんと果たして、権利を追求するんだ。何が間違っている? あんたの大好きな法的にだって、何も間違った事はしてないはずだろ?」
「……」
「俺は前向きに一万五千円払って、いいネタを仕入れたと思うようにしたんだ。駐禁になったって、落ち込んでてもしょうがないからな」
「あの…、あなたのお名前は?」
「神威だ、神威龍一だ! よーく覚えておきやがれ!」
「神威さん、あなたが大変常識的で、正義感が強いのはお話を聞いてよく分かりました。大変地位もある方だと思いますし……」
「は? 俺なんか家の前で駐禁食らうような小者だって」
「いえ、話していて分かります」
「へー、今度はよいしょか?」
「違います。ですから社会にその思いを役立てて欲しいのです」
「話の筋道を変えないでくれ。俺が言いたいのは法的とかそんなんじゃなくて、道徳心の問題を言ってんだ。自分の家の前で車をたかだか一時間ちょい停めて違反にされたら、ムカつくだろ? 引越しとかで一時間停めて違反とられるのか? 真昼間にT字路のど真ん中に停めて、明らかに迷惑な駐車をする奴だっているだろ? そういう車、昼間に散々見てきてるけど、何故すぐ駐禁に来ないんだ? 鹿倉さん、あんたのやってる事は法的に間違ってないかもしれないけど、はたから見たらおかしいんだよ」
「確かにそう言われますと……」
「じゃあ、俺に謝れ」
「え?」
「実名で書かれるの、嫌なんだろ? だったら俺に誠意を持って謝れ。そうすれば実名で書くのはやめてやる」
「すいませんでした……」
「分かったよ。じゃあ、実名ではやめてやる。これでこっちもスッキリしたから、もういいや。じゃーね」
 自分勝手に話を終えて電話を切る。だいぶスッキリできた。百合子も俺を見てニコリと微笑んでいる。
「ちょっとはスッキリしたか?」
「うん」
「とりあえず言いたい事は言えたし、駐禁はしょうがないよな」
「警察官も少しはこれで懲りてくれればいいけどね」
「どうだかな。鹿倉一人だけじゃないからな、警察は……」
 あとは出勤する前に郵便局に行って、金を警察に振り込んで終わりだ。
 この調子で一気に西武新宿の件も片付けてやりたいところだった。有馬記念がああいう当たり方をした事といい、変な運気が私に向いてきたのを感じる。

 仕事で新宿へ向かっている間も、頭の中で今後の事を整理してみた。
 自分の理論というか、屁理屈とも言われそうではあるが、一部の国家権力にも通じた。罰金と点数をとられたのは痛かったが、警官を謝らせたという自己満足が心地良かった。
 師走も終わり時というのに相変わらず客の来ない『ガールズコレクション』。坂本はサクラをつければいいぐらいに思っている。じわりじわり目減りする店の金。もう半分ぐらい水の中に沈没中ってところだな。
 今日のサクラは以前『ワールド』時代、頭突きをしてクビにした大山をつけた。サクラとしてじゃなくても、しょっちゅう店の中に来ては「コーヒー下さい」と気軽にやってくる。
 大山は『ミミ』で抜き終わったあとでも店の中でくつろいでいた。駐禁の話題をしようすると、倉下が顔を出してくる。倉下と大山は久しぶりの再会。『ワールド』の早番チビコンビのプチ復活だ。
 今朝の駐禁の話をすると、倉下は怒った顔で口を開く。
「自分も以前、酷い形で駐禁やられた事、あったんですよ。だから話を聞いててスカッとしますよ」
「実際警察って理不尽な事かなり多いじゃん。歌舞伎町浄化作戦なんて、どっかの馬鹿な都知事が謳ってるけど、実際は自分の都合いいようにしたいだけじゃん」
「都合いいって言いますと?」
「簡単に言うと、俺は歌舞伎町に長い間いるし、ある程度の街の状況も分かる。俺の知り合いは六月ぐらいから本格的に始まった浄化作戦で八割方、警察に捕まってほとんどが今、執行猶予で三年から四年になっている。世間でよくいう前科一犯ってやつだ」
「ぜ、前科ですか?」
「そう言うと聞こえが悪いだろ?」
「はぁ…。すごい悪人って感じがします」
「そうだ。前科一犯って聞くと、ほとんどの人が悪いようにとる。でもさ、その執行猶予になった連中がどんな事して、前科一犯になったと思うよ?」
「人を刺したとかですか?」
「馬鹿、俺の知り合いの八割が、そんなに人を刺したら大変な騒ぎになるだけだろ?」
「それはそうですね。じゃあ、何で?」
「例えば今じゃずいぶんと少なくなったが、歌舞伎町には裏ビデオ屋ってあんだろ?」
「ええ、知ってますよ。自分、競馬当たるとよく買いに行きますから。でも今はビデオよりもDVDですけどね」
「それを売ってる奴って悪い奴か?」
「うーん、難しい質問ですけど、自分のよく行く店の人は結構気さくでいい人ですよ。これが自分の好みに合うんじゃないって、よくアドバイスもしてくれるし、自分的には悪い奴とは思えないですよね」
「だろ? そういう裏ビデオの売ってる人が法的に違反はしてるかもしれないけど、前科一犯になってるんだ」
「罰金とか注意ぐらいでいいと思いますけどね」
「おまえらだって、いつ前科者になるか分からないぞ?」
 俺の台詞にギョッとする二人。
「何でですか?」
「だってゲーム屋の場合、名義人がってところかもしれないけどさ。店が完全に捕まったら、おまえらだって留置所に入れられるんだぜ? 運がよければこの間の俺みたいに罰金で出てこれるけど、一歩間違ってみ。ムチャクチャ妙に張り切っている検事なんかが担当になったら、分からないぞ?」
「うわー」
「ひでー」
 倉下と大山は悲鳴を上げる。
「でもそれが簡単に言うと歌舞伎町浄化作戦なんだ。あとは風俗とか…、ソープは違うけど店舗型のヘルスとかも結構やられた。あとはゲーム屋とかね」
「酷いですよ。だって歌舞伎町って男が金を使って遊びに来る歓楽街じゃないですか?」
「その通りだ。浄化作戦を考えた奴に言ってやりたいよ。この街をそうまでしてまで、カジノを作りたいんですかってね。だいたいこの国はおかしいよ。不況だ何だって言いながら、最近じゃ政府は何をした?」
「え?」
「新札を作ったろ? 二千円札」
「はい」
「今、新しい札を作って何の意味がある?」
「さあ? 俺にそんなの分かるはずないじゃないですか」
「おまえ、新しい二千円札見た事あるか?」
「いえ、千円と一万円札なら見た事ありますけど……」
「これが新しい二千札ですって出されてみ? 初めて見るんじゃそうですかってなるでしょ?」
「ええ」
「タバコ屋やっているおばあちゃんなんて、もし偽札を出されたって分かると思う?」
「分からないでしょうね……」
「普通に考えて不況って事は、全体的に金がない事だよな?」
「ええ」
「みんながまだ見た事ない新札を偽造して、金儲けしようって奴がたくさんいたっておかしくないだろう?」
「そりゃそうですね。自分も神威さんぐらいパソコン使いこなせたら、偽札ぐらい作って金儲けしてみたいですよ」
「馬鹿、そんな事したら人として最低だ。それに俺にそんな技術なんてねえよ。まあ、それは置いといて、偽札のニュースが最近頻繁に流れるだろ? あれだって馬鹿な愉快犯をあおってるだけだ」
「はぁ……」
「それで国の対応はというと、もしどんな形であれ、偽札を持っていたら没収してお終いだろ。てめーらで巻き起こした事を罪もない国民にケツを拭かせているだけだ」
「そうですよね。俺、だんだん何かムカついてきました」
「俺もイライラしてきました」
「当然の感情だ。当たり前だよ。今の日本人は平和ボケで頭が茹だっている奴が多過ぎるんだ。浄化作戦だってそうだ。確かに法的に違反している商売が、歌舞伎町は多いかもしれない。でも…、だからこそ歌舞伎町は日本一の歓楽街って言われるんだろ?」
「そうですねー」
「確かに裏ビデオやヘルスで捕まって罪を償うのはいいけど、明らかにやり過ぎなんだ。街のバランスがおかしくなってしまった」
「へー、今もですか?」
「今がだよ。こんな殺風景な歌舞伎町は初めて見たよ。普通の商売、例えばおそば屋さんとかうなぎ屋とかが、どんどん潰れてんだぜ」
「何でですか?」
「おまえ、仕事してて腹減ったらどうするよ?」
「まあ、出前頼みますけど」
「昔はみんな、そうだったんだよ。それがこれだけ色々パクられてみろよ。それで商売が成り立ってた飲食店はどうなる? 食い物屋だけじゃない。ダスキンの人やヤクルトおばちゃんだって、みんなブーブー言ってる。商売にならないだからな」
 歌舞伎町の裏ビデオ屋にヤクルトのおばちゃんはつきものである。ヤクルトが冷蔵庫を無料で店に貸す代わり、定価でジュースを買ってもらうのだ。ほとんどの店が丼勘定だから、成り立つ訳だが。それを警察が捕まえに来る時は、そういった冷蔵庫のガラスですら構わず割ってしまう。ヤクルトは泣き寝入り。ダスキンだって同じだ。
「はー」
「そんな現実を俺はこの目で嫌ってほど見てきたんだよ。俺から言わせれば、歌舞伎町浄化作戦なんて、単なる正義を語ったパフォーマンスにしか見えない」
「正義を語ったパフォーマンスですか?」
「ああ、俺の家って川越だろ?」
「はい、遠いですよね」
「西武新宿線の端と端だからな。だから地元の人間なんてほとんどこの街には来ない」
「それはそうですよ」
「来ないって事は、この街に金を落とさないって事だ」
「まあ、そうなりますね」
「だから自分には関係ないからこそ、好き勝手な台詞を言える」
「例えば?」
「近所のおばさんと道でバッタリ会った時の事だけど、俺が新宿に働きに行ってるの知ってるから、歌舞伎町すごいのって聞かれたんだ。当然すごいというか酷いって言ったけどな。そしたら税金も払わない悪い奴らはどんどん捕まえたほうがいいって言うんだ」
 この話、実は近所のおばさんではなく俺のおばさんのユーちゃんの話だった。テレビでよく放送される浄化作戦をちょうど見ていたから、俺はどれだけ酷いかを伝えた。するとユーちゃんは「税金も払わない悪い連中が捕まるのは当然だ」と簡単に言う。では、普通の商売がそれで潰れたらと聞くと、「そんなのそんな連中相手に商売をするのがおかしい」と言った。
「確かに歌舞伎町の現状を知らなきゃ、普通はそう思いますよ」
「ああ、自分には関係ないからな。でも、さっき言ったように飲食店とかが潰れてると言ったろ?」
「はい」
「正論かもしれないが、もし、それがもし家族だったり、仲のいい親友がそういう目に遭っても同じように簡単に言えるのか? そんな自分は無関係だから、どんどんやっちゃえなんて言えるか? ただ歌舞伎町でそば屋やとんかつ屋を経営してたって人にだよ?」
「そんなの言えないですよ。言える訳ないじゃないですか」
「倉下がいつも行く裏ビデオ屋がもし、やられたら?」
「モザイク入りのAVなんてもう見れないですよ。どうやって買うか考えちゃいますよ。俺、実はヘルスで『モーニング抜きっ子』って言う店の『むつき』ちゃんていう子を指名してんですけど、もしそこが警察にやられたら、かなりムカつきますね。」
「そうだろ? 男にしか分からない事かもしれないけど、ヘルスなんて金を払って女に抜いてもらう場所だろ? 言い方は悪いけど。そこで働く子も客も金で割り切る事で成り立っている商売だ」
「そうですね。でも『むつき』ちゃんって、ちょっと年いってるけど、すごいいいんですよ。この間も……」
「ちょっと待て、今は違う話題をしてんだから聞け。それで婦女暴行とか減ってる面もあると思うんだ。必要悪だとしてね」
「俺はそんな事しないですよ」
「誰がおまえがやったなんて言ったよ。例えばの話を話してるだけだ」
「はぁ……」
「女にモテない奴でも性欲はある」
「俺は別にモテないって訳じゃ……」
 倉下が口を尖がらせながら不満そうに言う。
「だからおまえの事じゃないって。例え話だよ。それでそのもてない奴がヘルスとかに行って、性欲を満たしてもらう。それのどこが悪い?」
「別に悪くないじゃないですか」
「そうだろ? でもこれは男にしか分からない話かもしれないけど、正論なんだよ。そういう奴を卑下してもいいけど、その代わりに抱かせてくれる女を紹介でもしてくれるのか? 誰もそんな事できないだろ? だったら自分の金で欲望を満たしてんだから、ほっといてやれよと俺は言いたい」
「そうですよね」
「そんな場所とかまで手当たり次第パクってどうなる? 婦女暴行や痴漢とかが増える一方だと思うぜ」
「奥が深い話ですねー」
 その時オーナーの村川が店に入ってきた。
「まあ、また今度機会があったら続きは話そう。そろそろ俺はデータを作らなきゃ……」
 俺はさりげなくパソコンのキーボードを適当に叩いて、仕事しているフリをした。

 今朝の神明町の交番にいる鹿倉と駐禁論争から始まった一日。今の俺には変な勢いがある。今日辺り西武新宿の一件で自分から動いたら、何かしらいい方向に行くかもしれない。
 西武新宿駅に着くと、そのまま駅員待機室へ寄り「峰駅長はいます?」と尋ねる。
「峰駅長なら小江戸号のほうに行っています」
 やっぱり今日は何だか流れがある。三交代制でいきなりいるなんて。峰の奴、あれから何のリアクションもないが、時間が経てば自然に俺の怒りが治まると思っていたら大間違いだ。今日こそ峰に思い知らせてやる。
「ありがとう」
 俺は最高級の笑顔で駅員にお礼を言った。
 小江戸号を待つ乗客たちはいつも通り、長い列を作って並んでいる。車内清掃が終われば、この人の列は電車に吸い込まれるように入っていく。
 あえて列に並ばず、常に最後尾にいるようにした。列の先頭のほうに駅長の峰が忙しそうに切符をチェックしている。
 俺は乗客が全員乗り終わるのを待ち、携帯電話で動画を撮れるように準備しておいた。ようやく手の空いた峰に近づく。
「先日はどうも」
 俺が近付くと、峰はギョッとしたように身構える。さりげなく携帯電話を操作して、そっと動画を開始するボタンを押す。
「あれから何もないですけど、あなたはあれで終わったと思っているんですか?」
「いえ」
「でもあれ以来何も連絡すらないじゃないですか? あのまんまの状態で、もう関係ないやって思ってんですか?」
 今、この話し合いがいずれいい証拠になるだろう。峰は携帯電話でこの状況を撮られているのを何も気付いていない感じだ。
「いや、関係ないとかそういう事ではなくてですね……」
「じゃあ、何で連絡一本ないんです? おかしいじゃないですか。放っておけばいいだろうぐらいに思ってるんじゃないですか?」
「そんな事は思いません。ただ関係ないとかいう事ではなく、我々こちらとしても謝ってそれぐらいしかお話はできないと言うことです」
「あれがちゃんとした謝罪ですか? どこがですか? あれが西武新宿総意の謝罪という訳ですね。それがそちらの言い分と受け取ります」
「言い分ですか?」
「言い換えれば、言いたい事って意味です」
「言いたい事って私が言いたい事ではなくて……」
「だからー、俺はあれだけ赤っ恥かかせられて、俺からわざわざ駅まで出向いてあの対応で…、それがそちらの謝罪だと言う事ですね。あんなもんで誠意を見せたと……」
「いえ、それは……」
「ですから、あれが謝罪なんですね。あれで西武としては充分謝罪したって事ですね」
「はい、そうです」
 よし、いい言質が撮れたぞ……。
「もう何も話す事はないという事ですね」
「はい」
 あえて相手を感情的にさせて、言葉を滑らせるようにもっていけた。卑怯なやり方かもしれないが、それだけ早くこんなどうでもいい件を片付けたかった。
「分かった。このつもりなら西武新宿全部を巻き込んでやるよ」
 俺は携帯電話をさりげなくしまい、無言のままこちらを見ている峰をあとにして小江戸号に乗り込んだ。
 さて、この映像をどう料理するか。
 本川越駅に着くまでゆっくり考えればいい。どっちにしても解決は近いと感じた。百合子にメールを打つ。
《とりあえず西武新宿全部を巻き込む事にした。舐めやがって…。ま、とりあえずおまえは心配するな。うまい具合に持っていくから安心しな。 神威龍一》

 電車に乗っている間、西武新宿の件を一から整理してみた。
 まずメガネの女との席を巡るトラブル。
 駅員を呼んだが、その時対応した助役の朝比奈の行動。
 続いて駅長の峰の言動が今回の原因だ。
 その時の車掌だった石川さん。そして本川越駅駅長の村西さん、西武新宿駅長の間壁さんと助役の福島さん。この人たちがいたから大事にならずに済んだ。みんな自分のせいでもないのに、必死に駅としての対応の落ち度を反省し、俺に頭を下げて謝ってくれた。こちらの心が苦しくなるぐらいに……。
 何日かしてようやく助役の朝比奈から電話があった。俺は電話じゃ済まさない。直に駅へ行って話すと、二日後に会う約束をした。
 実際に会って話し合うと、朝比奈は頭を下げて謝罪し、峰は見苦しい言い訳が多く、結局俺が怒って話し合いにならなかった。
 それから現在まで峰のほうから何も連絡はなく、さっきの状況に至った訳だ。
 俺は何に納得いかないのか? 答えは明白である。
 峰や朝比奈が原因でこうなって、峰以外の駅員がみんな頭を下げている。自分のせいで周りが迷惑を被っているのに、何故あいつはあんな態度でいられるんだという事だ。
 一度でいいから、ちゃんと謝ればすべて解決できるのに……。
 携帯電話で撮った先ほどの映像を繰り返し見てみる。
「だからー、俺はあれだけ赤っ恥かかせられて、俺からわざわざ駅まで出向いてあの対応で…、それがそちらの謝罪だと言う事ですね。あんなもんで誠意を見せたと……」
「いえ、それは……」
「ですから、あれが謝罪なんですね。あれで西武としては充分謝罪したって事ですね」
「はい、そうです」
「もう何も話す事はないという事ですね」
「はい」
 周囲の駅構内の雑音が入ってかなり声が聞き取り辛いが、携帯電話はちゃんと俺たちの会話を拾ってくれていた。世の中本当に便利になったものだ。
 頭の中で本川越駅に着いてからのシュミレーションを思い浮かべてみた。

 西武新宿線最終駅の本川越に小江戸号は到着し、ゆっくりと俺は電車を降りる。改札横の駅員待機室に向かい、中に入ると一人の駅員がいた。
「駅長の村西さんいます?」
 何かの作業をしてた駅員は俺が声を掛けると怪訝そうな表情でこちらを見る。
 すみませんも何も言わず、失礼な言い方をしているのは百も承知だ。簡単に言えば、ワザとつっ掛かり喧嘩を売っているのだ。
「何の用ですか?」
「そんな事はどうでもいいから、村西さん呼んで下さい」
 口調は丁寧だが、おまえなんぞどうでもいいという舐めた話し方をした。窓口の駅員の顔が歪む。
「ですから用件を伝えて頂かないと……」
「いいかい? こっちはおたくの西武新宿の件で感情的になってんだ。俺が呼べって大人しく言ってんのに、そんな訳分かんねえ態度で口利いてるとどうなってもしらねえぞ」
「……」
 俺の口撃に駅員は黙ってしまった。まだ何か言ってやらないと気が済まない。その時、百合子からメールが届いた。
《分かりました。龍が西武鉄道全部巻き込む事にしたって言うのはよっぽどの事だと思うよ。龍がそう思うなら応援するね。明日龍が仕事終わったら食事でも行かない? 細かい話も色々聞きたいし。でもあまり無理はしないでね。 百合子》
 メールを見て、怒るタイミングがズレた。駅員はどうしていいのか分からないような困った表情をしている。
「すみません、どうか致しましたか?」
 ドアが開き、別の駅員が俺たちの元にやってきた。見た感じまだ若い。俺とそう年齢は変わらないぐらいだ。
「俺は村西駅長はいますかって聞いてるだけです」
 若い駅員に言いながらさりげなく名札をチェックする。『助役 小谷野』と書いてあった。助役と言えば、俺が西武新宿線で知る限り、福島さんに朝比奈さんの二名。その二名と比較すると、この若さで助役という役職を与えられてるという事に驚きを覚える。
 小谷野は冷静に、しかし口調は優しそうな柔らかい感じで話し掛けてきた。
「本日、村西はお休みでこちらにはいません。さしつかえなければ、私がお話をお聞き致しますが」
「ちょっと待って下さいね」
 俺は携帯電話を取り出して百合子へ簡単な返事を返す。頭の中で素早く作戦を組み立てる。まずはどう切り出すか……。
「小谷野さん…、で、よろしいんですね?」
「はい」
「分かりました。以前、村西さんには直接話した事はあるんですが、小江戸号のトラブルの件はご存知ですか?」
「ええ、ある程度は聞いています」
「あれから結構な時間が経っているのにもかかわらず、何も話が進んでないんですよ。西武新宿の峰駅長。今日、彼に会ったんでさっきこちらに帰る前に話をしてきたんです」
「はい」
「まず、これを見てもらえますか?」
 そう言いながら、先ほどの峰との会話の携帯で撮った映像を見せた。
「周囲の雑音がうるさくて聞き取り辛いですけど、どう見ても峰駅長の態度が反省しているようには見えないですよね?」
「はぁ……」
「もし、これがハッキリ聞こえなくて分からないと言うなら、音声だけスッパ抜いてCDで聞けるように作ってきましょうか?」
「いえ、ちゃんと聞こえています。お客さまに大変失礼な真似をして、本当に申し訳ありませんでした。」
「今まで村西さん始めとして、西武の間壁さんや福島さん。色々な人の顔を立てようとして黙っていましたけど、この件の本人がこんなじゃもうしょうがないですよね?」
「と、とりあえず中でお話しませんか? お時間のほうは大丈夫ですか?」
「ちょっと待って下さい」
 ワザと手帳を取り出して、予定をチェックするフリをした。嫌なやり方だったが今までと同じ形で応対していては何も先に進まない。
「分かりました。行きましょう」
「どうぞこちらへ」
 小谷野はドアを開けて、俺を中に招いた。以前、村西駅長と話をした部屋に通される。
「どうぞお掛け下さい」
「失礼します」
 ソファに腰掛けひと息ついてから、相手を見据える。どう転んでも俺に有利な状況。これをどう生かせるか。すべては自分次第だった。
 プライベート用の名刺を取り出して、小谷野に手渡す。
「私、神威と申します。これはプライベート用の名刺です」
「あ、申し訳ないです」
「ハッキリ自分の言い分を言いますね」
「はい」
「話を大事にしたくなかったけど、こうなったらとことん戦おうと思っています」
 シーンとした何とも言えない空気が部屋を覆い被さる。
「本当に申し訳なかったです」
 小谷野が最初に口を開いてきた。
「そんな、小谷野さんが謝らないで下さい。俺は別に西武新宿自体を攻撃したい訳じゃない。駅長の峰を個人攻撃したいだけなんです」
「個人攻撃ですか?」
「ええ、簡単に言えば、提訴するだけです。峰駅長個人を……」
「ちょっと待って下さい。お気持ちは分かりますが……」
「自分の言ってる事が小谷野さんを始めとして、他の人たちにも迷惑掛けているのは重々承知です。でも峰駅長本人があんな態度じゃ何の意味もないんですよ」
「ええ、お客さまのおっしゃる通りです。お気持ちも大変分かります。ただ西武側も提訴すると言われるのは困ります」
「俺だって小谷野さんに頭下げさせて、本当は心苦しいですよ。でもこの状況では何も変わらないじゃないですか?」
「ええ」
「難しい事なんて俺は言ってないんですよ。ただ、峰駅長自身が事を大きくしたんだから、ちゃんと素直に謝ってくれって言ってるだけなんです」
「分かりました。ごもっともな意見です。神威様には大変失礼な真似をしてしまったので、西武新宿の組織、総意で駅長の峰に対し説得させます。そしてキチンとした形で謝罪させます」
 あれからから今まで…、座席を巡る小さなトラブルからここまで大きくなった。しかし、それもようやく終わりそうな感じがした。
「分かりました。小谷野さんの言葉、信じます」
 そう言って少しだけ微笑んだ。小谷野も私を見て笑顔を見せる。
「何で俺がこうも極端な行動をしてるか分かりますか?」
「いえ……」
「村西さんや間壁さんには言ってありますけど、実はこの件をもとに小説を書いているんですよ」
「え、小説ですか?」
「ええ、たた西武鉄道を中傷するような内容で書いている訳じゃありません。読んだ人がみんな、良かったと思えるようなものを書きたいんです。だから自分からこう面白くなるように行動したんです。出来る限り事実に近く書きたいじゃないですか。それで小谷野さん……」
 そんな事よりもこの件から始まってしまい、おろした子供の為にけじめをつけたかった。でも、それはあくまでも私怨である。西武新宿とは関係ない。だからせめて小説という中で、その存在を忘れぬよう俺は忠実に堂々と生きていかなきゃいけない。
「はい?」
「小谷野さんは小説の中での名前、何がいいですか?」
「え…。自分もですか?」
「ええ、村西さんも間壁さんもみんな、名前は当然いじって登場してますよ」
「はぁ……」
「ま、こっちで適当に名前、考えときますよ。小説できたら持ってきますね」
「はい、楽しみにしてます」
「それとですね」
「はい?」
「トラブルの原因になったあの女。あれだけは許せないんで、今度見つけたら、西武新宿総動員で捕まえてもらいますよ。俺がけじめつけさせますから」
「いや、あの…。お気持ちは分かりますが、それだけは勘弁してもらえないですか?」
「確かに会社的にはそんな事できないですよね。小谷野さんがそう言うなら分かりました。素直に顔を立てますよ」
「すみません」
「でもこれで小谷野さんには貸しができましたね?」
「え?」
「冗談ですよ。まだこれからも西武新宿は利用させてもらうんですから、お互い仲良くやっていきましょう」
「ありがとうございます」
「小説が完成したらちゃんと持ってきますよ。読んで本当に面白いって感じてくれたら、西武鉄道でぜひ応援して下さい」
「分かりました。上の執行部にも話は伝えておきます」
 助役の小谷野。自分とそう年も変わらないだろうけど、礼儀正しく応対も良い駅員だ。話をしただけで人間性が滲み出ている。この件で知り合えて良かったと思う。
 まだ決着がついてないとはいえ、久しぶりにスッキリできた。
《もう寝ちゃったかな? 今まで本川越の駅に寄っていて、助役の小谷野と例の件で話してました。返事遅くなってごめんな。明日、多分だけど西武新宿の件が決着つきそうなんだ。だからそのあとでなら食事行けるけどどうする? 神威龍一》
 小説『とれいん』を早く完成させたい。自分の中で変な使命感みたいものが大きくなっているのを感じる。
 今の俺に何ができるんだろう。とりあえずあの子の為に生き様は変えたくなかった。今は明日あたりで西武の件を終わらせて、小説をできるだけ早く完成させよう。ひょんな事からベストセラーにまで発展したら面白い。んな訳ないか。
 これは俺と百合子の間にできた我が子を償う為の作品なのだから……。

 
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