岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

7 でっぱり

2019年07月14日 11時48分00秒 | でっぱり/膝蹴り

 

 

6 でっぱり - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

123456789どのくらい俺は眠っていたのだろうか……。何回か目を覚ましたが、意識が朦朧としていた。二日酔いも手伝いすぐに目を閉じる。ホテルのテレビを付ける...

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 仕事を終えてから行く宛てもなく、歌舞伎町の街をうろつく。
 正月二日目の朝だから、さすがに人通りも少ない。
 靖史はまだ寝ているかな。
 仕事がいつも終わるのは朝十時だから、靖史がダークネスで働いていた頃の時間帯とまるっきり逆だった。今、靖史はのんびりしているから起きているかもしれない。だけど、僕はカプセルホテルに向かった。これ以上、靖史に迷惑は掛けられない。
 そういえば、今日の夜から新人が一人入ってくる予定だ。いい感じの新人だったら、仕事終わったら、ご飯でも連れてってあげようかな。
 どうせ行くならあの東通りの変な喫茶店がいい。そういえば正月はやっているのだろうか? 歩く進路を変え、東通りに向かう。
「おにーさんー」
 ポン引きが近付いて来るが、無視して先を進む。
 いつもは人混みで賑わう歌舞伎町も、正月で人がいないからかポン引きも必死で数少ない通行人に声を掛けている。
 僕はコマ劇場の横を過ぎ、東通りにぶつかる。
 右を見ると、あの例の喫茶店は正月も関係なしに営業していた。
 ガラス越しにあの太った女の店員が働いている姿が見える。その光景を見て僕は思わずニヤけてしまう。太った店員は相変わらず乱暴に、水をテーブルに置いていた。よく見ると、水がテーブルにこぼれている。
 今後もあの接客態度は変わってほしくないと願ってしまう。ワザとじゃなくて、素でやっているから面白い。明日、仕事が終わってからが楽しみだ。
 カプセルホテルに着き、チェックインを済ませる。ここのカプセルの風呂場はジャグジーがあるから好きだった。
 荷物をコインロッカーに入れ、そのまま風呂場へ直行する。
 風呂場の入り口でアカ擦りと、剃刀をとって中に進む。頭を洗い、髭を剃る。アカ擦りで体を綺麗に洗ってシャワーを浴びる。ここのシャワーは水圧が強いせいか、お湯の勢いが非常に強く浴びていて気持ちがいい。
 基本的にゲーム屋は立ち仕事なので、疲れが体に残る。仕事後の疲れた体をジャグジーに入り癒す。この環境が整っているからカプセルホテルへたまに行くのが、癖になっているのかもしれない。ジャグジーの泡が気持ちいい。気の済むまでジャグジーの中にいてから、風呂場をあとにした。
 僕が寝る二段ベッド場所は下だったので、頭を低くしてカプセルの中に入る。小さなカーテンみたいなものをおろした。

 本当はサウナに泊まったほうが値段的にも安く済み、経済的なんだけど、カプセルみたいに個室じゃないのが難点だ。寝る場所がみんな同じところでザコ寝なので、落ち着かない。
 以前サウナに入って寝ていたら、ホモに遭った事があった。
 くすぐったいような変な感じがして起きたら、僕の股の辺りをゴソゴソ弄っていた男がいた。あの時は思わず悲鳴をあげてしまった。
 それ以来僕は泊まる時、絶対に割高でもカプセルホテルを選ぶようになった。
 この街での思い出なんてロクなものがない。いや、そんな事ないだろう。むつきと出会ったのは、歌舞伎町の道端だ。
 そのあとで靖史と共同で住んでいたマンションで会い…、ん、待てよ……。
 エレベーターで偶然一緒に乗り合わせた時のむつきの台詞を思い出す。
「すいませんでした…。はぁ、はぁ…あのー、はぁ…十二階で、おねが…! あっ!」
 そうだ!
 エレベーターに駆け込んできた時、むつきは確かに十二階でと言っていた。
 僕の推理が正しければ、あのマンションの十二階にむつきは住んでいる。そうじゃなければ僕が強引に部屋に連れて行ったあと、長い時間一緒にいたのはおかしい。
 もし友達のところに遊びに来たのなら、僕の部屋から出たあと、すぐに十二階へ行くか、常識的に連絡ぐらいは友達にしているはずだ。
 あの時約一日一緒にいて、むつきは誰にも連絡をしていなかった。
 一度でいいからむつきちゃんの顔が見たい。
 マンションに行って、もし鳴戸に出くわしたら嫌だけど、それ以上にむつきちゃんに会いたい。
 あの時マンションで会ったのは、確かお昼ぐらいの時間だった。今行けば、ひょっとしたら会えるんじゃないか?
 自分の想いがどんどん膨れ上がる。駄目だ…、こんなところでジッとなんかしていられない。
 急いでカプセルホテルから出て、この間まで住んいでたマンションへ向かう事にした。

 赤崎はあれからどうなったのだろう。
 鳴戸に抜きがバレ、まだそんな日にちが経ってないのに、しばらく会ってないような気がした。
 新堂に電話して、さり気なく聞いてみるか。何かしら情報があるかもしれない。携帯を手に取り、新堂に電話する。
「もしもし……」
「あけましておめでとうございます。岩崎です」
「何だー、岩崎さんかー。知らない番号だから、出るの躊躇いましたよ」
「すいません、鳴戸から電話くるから番号変えたんですよ」
「それじゃあ、変えたくなりますよね…。俺もあれからは、まだゆっくりしていて仕事をしてないんですよ。岩崎さんはどうなんです?」
 こっちが聞きたかった話題を向こうから振ってくれた。
「自分も一緒ですよ。そういえば田中君や赤崎さんはどうしてんですか?」
「田中は渋谷のゲーム屋にいったみたいです。赤崎はあれから連絡とってないですね。今頃、何をしてんだか」
 田中なんてどうでもよかった。肝心の赤崎が分からないんじゃ、何の意味もない。
「今度、みんなに連絡とって、たまには飲みましょうよ」
「そうですね」
「俺のマンション、未だに鳴戸の奴がたまにチェックに来るから、あそこは解約して別のマンション探すんで、今忙しいんですよ。良かったら新堂さん、みんなに連絡するのお願いしちゃってもいいですか?」
「いいですよ。じゃあ暇あったら田中や赤崎の携帯に掛けますね」
 よし、こういう形なら自然だ。赤崎も来る可能性がある。
 待てよ…、いい案をもっと考えろ……。
「新堂さん、あの二人には、自分は連絡とれなかったって感じにしときませんか」
「何でまた?」
「鳴戸に抜きがバレて自分やられたの、特に赤崎さんなんか目の前で見てるから、俺が来るって知ってたら、怖がって敬遠して来ないって事もありそうなので」
「そんな事ないですよ。みんな同情はしても、敬遠なんてしないですって」
「あとビックリさせたいっていうのもあるんです。岩崎あれからどうなったんだろうって思っているところへ、ちょっと遅れて登場というのも面白くないですか?」
「それは面白いですね。じゃあ、うまい具合に二人へ、声掛けておきますよ」
 うまく新堂は乗ってくれた。あとは実際に集まる時どうやって、赤崎と二人きりになるかだが、それはあとで考えればいいだろう。
「すいませんね、それではまた今度という事で」
 電話を切って、ブランデーを飲みだす。
 脳裏にむつきの肉体がちらつく。
 頭を振り、アルコールを胃袋に流し込む。赤崎の事を考えてみる。新堂がうまく連れ出して来られたら……。
 酒だ。まず酒を飲ませて通常の意識をなくさせてしまえば、充分に自分の欲望を叶えるチャンスはある。
 以前飲んだ感じでは、赤崎は酒があまり強くない。あの時、もう少し飲ませておけばと未だに悔やむ俺。
 新堂が赤崎と田中を集める事ができたら、今回はミスをせずキッチリやらないと……。

 どのくらい時間経ったのだろう。時計を見ると、もう夜の九時を回っていた。そろそろ店に向かわないといけない時間だ。
 新大久保のマンションに行き、むつきが来ないかずっと待っていた。鳴戸が来たらどうしようと怖いが、むつきに会いたいという気持ちのほうが強かった。
 さすがに八時間ほど待ち続けて何の収穫もないと、心が挫けそうになる。
 僕の推理は単なる勘違いだったのだろうか……。
 でも彼女に関する手掛かりは、ここで待つ以外方法もない。待っている間はとても時が経つのを遅く感じる。
 仕方なしに今日は諦め、重い足取りで店へと向かう事にした。
 今日から新人が入ってくるんだよな。大久保から新宿は、歩いて充分にいける距離だが、徹夜の状態だととても辛かった。
 もしむつきが今、マンションに帰ってきたら……。
 交差点を渡り歩いたぐらいでマンションを振り返って見た。
「ゲッ!」
 ちょうどその時、マンションの入り口に白いコートの男が入っていくのが見えた。一気に冷や汗が吹き出す。あれは遠目から見ても、鳴戸だった。
 あの場所から離れるのがちょっとでも遅かったら危ないところだった。
 まだ正月なのに、鳴戸は靖史を探しにチェックをしに来ている。蛇のような執念深さだ。
 靖史がマンションを出て、新宿プリンスホテルに一時、避難したのが分かる。
 あのマンションのエレベーターでぶつかった僕の顔など覚えてないかもしれないが、もう絶対に関わりたくない。
 街で会って、つい触ってしまった鳴戸の後頭部……。
 恐ろしいほどでっぱっている後頭部。鳴戸のでっぱりを触った時の感触が右手に蘇り、僕は鳥肌を立てながら新宿へ逃げるようにして向かった。
 外の空気はまだまだ冷たい。むつきと腕組んで一緒に歩けたら、幸せで寒さなんて吹っ飛んでしまうんだろうな。現実にありえない想像をして、虚しくなる。
 歌舞伎町のエリアに入ると、イソベ焼きを売っている屋台が見えた。辺りいっぱいに醤油の焦げた香ばしい香りが充満している。
 僕は堪らなくなり屋台に向かう。
 珍しく屋台には働く人が二人もいた。見るとメガネを掛けた四十代ぐらいの親方みたいな人と、オドオドしながら餅を焼いているまだ若い見習いの小僧の組み合わせだった。
 ネジりハチマキを巻いたらとても似合いそうな小僧が一生懸命餅をひっくり返している。親方は口うるさく横であれこれ指導していた。
「す、すいません、ひ、一つ下さい」
 百円玉を渡しながらイソベ焼きを一つ注文する。親方がお金を受け取り、横にいる見習いの小僧は餅を醤油にひたしていた。それを見た親方が、突然怒鳴りだした。
「おいっ! それじゃ、餅は柔らかくなんねーんだよ。お客さんに失礼だろ。霧吹きが最初だろっ! 同じ事、何度も言わせんなよ。分かってんのかよ」
「は、はい、すいません」
「謝る前に、早く霧吹きだよ。ここのタイミングで、餅がここで柔らかくなる瞬間なんだよ。早く、霧吹き、霧吹き!」
 小僧の頭を親方が引っ叩く。餅の焼き方一つですごい情熱のある屋台だ。親方と小僧の気持ちの籠もったイソベ焼きを口に入れる。トロッと口に入れた瞬間とろける様な餅だった。作り手のこだわりが感じられ、僕の舌は感動を覚える。
「ありがとうございます」
 小僧が僕にお礼を言うと、親方はまた小僧の頭を引っ叩く。
「馬鹿野郎。そんなんじゃ気持ち籠もってねーんだよ。いいか、餅を渡して料金を頂戴したら、腹の底から毎度ーっ…ってありったけの感情を込めて客に言うんだ。分かったか?やってみろ」
「毎度ーっ!」
「い、いえ…。ど、どう致しまして……」
 小僧の目に涙を溜めながら言われる礼に、僕は圧倒されまくりだ。ここまでこだわるイソベ焼きの屋台は歌舞伎町…、いや、日本一だと言えよう。
 十時十分前に店に着くと、やはり正月のせいか客も少ししかいない。
 職場のスタッフに挨拶をして店のユニフォームに着替えようとすると、背後からいきなり声を掛けられた。
「どうも初めまして、今日から遅番で働く赤崎と言います。よろしくお願いします」
 どこかで最近見たような顔だな? ちょっと思い出せないが、礼儀のしっかりしたいい新人という印象は受ける。
「は、初めまして。ゲ、ゲーム屋の経験はあるの?」
「はい、一ヶ月ぐらいですけど…。頑張りますのでよろしくお願いします」
「い、いえいえこちらこそ」
 今日仕事が終わったら、早速この赤崎という新人をあのすごい喫茶店に連れてってあげようじゃないか。
 新年早々なかなかいい感じの新人が入ってきたものだ。

 テレビをボーッと眺めながら時間を過ごす。何もしたい事がない。
 ずっと忙しかった時には一週間連続で休みをとれたら、温泉に行ったりとか旅行へ行ったりと想像だけしていた。実際にこうなると現実はこんなものだ。
 金はあっても、くだらない使い方しかできていない。
 俺の存在意義は何なのだろう? せっかく時間があるのにどう暇つぶしをして過ごそうかとか、そんな事ばかり考えている。あんなに欲しかった休みが、今は息苦しい。
 タバコを吸おうとテーブルへ手を伸ばそうとすると、携帯が鳴った。
 誰だろう。今のところ俺の新しい番号を知っているのは勝男と新堂ぐらいだ。着信画面を見ると新堂だった。
「はい、どうしたんですか、新堂さん」
「あ、どーも岩崎さん。田中は日にちを言ってくれれば構わないって言ったんですけど、赤崎はもう仕事始めるそうなんで、ちょっと無理みたいですね」
 いきなり頭を殴られたぐらいの衝撃を受ける。赤崎は来れない……。
「今、赤崎さんはどこで仕事してるんですか?」
「いやあその辺は聞いてないです。じゃあ、どうします? 俺と岩崎さんと田中の三人で、今度飲みますか?」
 そんなんじゃ意味ねーんだよと、怒鳴りつけたいのを必死に抑えた。
「うーん…、きっと赤崎さんも落ち着いたら来たいでしょう。だからそれまでは、時間空けて待ってあげてもいいんじゃないですか」
 イライラするな。今は新堂だけが俺と赤崎を繋げてくれる人間なのだ。
「そうですね。じゃあまた連絡しますよ」
「はい、お疲れさまです」
 電話を切ってソファーに投げつける。
「けっ、新堂の野郎。ほんと使えねえ奴だ」
 携帯を睨みながら、聞こえるはずもない新堂に向かって呟く。赤崎が来ないならそんな飲み会に行ったって意味がねえんだ。
 イライラがずっと頭の中に付きまとう。このイライラを消せるのは、むつき、あの女しかいない……。
 本能的に俺はあの女を求めていた。
 また明日になったらむつきの店に行き、抱くとするか。今度は二回目になるからスムーズに俺を受け入れるだろう。もし嫌がったって金を与えれば、あの女は何でもする。
 俺はベッドに寝転がりむつきの体を想像した。すればすれほど抱きたいという性欲が増殖していく。
 目をつぶると、勝男が寂しそうな表情で俺を見ていた。罪悪感が湧き出る。しかし罪悪感ではこのイライラは消せない。分からなきゃいいんだ……。
 むつきを抱く事を考えると、イライラが少しだけ収まったような気がした。

 仕事が終わり着替えをしている時、新人の赤崎に声を掛けてみた。
「あ、赤崎君。きょ、今日仕事初日だから疲れたでしょ?」
「いえいえ、幸いにお店が暇だったみたいですし、本当にお店の人たちも親切に接してくれているので助かりますよ」
 行動もキビキビして客受けもいい。本当にいい新人が入ってきてくれたものだ。
「お、お腹減ってない? ち、近くに面白いお店あるから良かったら行かない?」
「そうですね。構わないですよ。でもその前に一つ質問があるんですけど、よろしいでしょうか?」
「な、何?」
「あの自分、まだお名前伺ってないんですよ。良かったらこれからも一緒に仕事する訳ですし、教えてもらいますか」
「あ、ああ、ご、ごめんね。ぼ、僕は鈴木勝男。よ、よく考えてみたら名前言ってなかったよね。み、みんな勝男って呼ぶから勝男でいいよ。シ、シンプルな名前でしょう」
「そんな事ないですよ。勝男さんですね。あっ、自分の名前をフルネームで言うと、赤崎隼人と言います。これからもよろしくお願いします」
「へー、は、隼人って言うんだ。か、格好いい名前だよね」
「そんな事ないですよ」
 非常に高感度の高い新人だ。普通こういうゲーム屋の業界に来る新人なんて、どんな奴か分からず、平気で店を飛んだり裏切ったりするケースが多い。この赤崎は見て話した感じ違う。不思議と信用を置ける人間である。
 店を出て、赤崎と二人で東通りに向かう。今日はもう一月の三日。あの喫茶店は昨日も営業していたから今日もやっているだろう。
「こ、これから行く店ってすごいんだよ」
 思わず思い出し笑いをしてしまう。赤崎はキョトンとした顔で僕を見ている。僕は自然とニヤけてくる。
「すごいって?」
「い、行けば、わ、分かるから」
 目前に例の喫茶店が見える。僕は赤崎をうながして店に入った。
 まだ朝の十時過ぎなので、モーニングメニューも置いてあった。適当に空いている席を探し座る。
「あ、赤崎君は何にする?」
「自分、ハンバーグ大好きなんです。もう迷わずこのハンバーグセットですね。あと、恥ずかしい話ですけど、クリームソーダのアイス抜きが好きなんですよ」
「メ、メロンソーダの事? ソ、ソーダ水とも言うけど」
「そうです。本当は甘いの嫌いなんですけど、そのメロンソーダだけは大好きなんですよ。何か男のロマンを感じますよね。本物のメロンは嫌いなんですけど…。メロンソーダって言うよりも、ソーダ水って言い方のほうが格好いいですね」
 礼儀正しく真面目な雰囲気からは、想像もつかないユニークさを持っている。独特の言いまわしを聞いていて、素直に面白かった。
 遠くから例の太った女の店員が近付いてくる。また今日も何かしでかしてくれるだろう。
「そ、そういえば、赤崎君は彼女とかいるの?」
「え? ええ、まぁ…。勝男さんはどうなんですか?」
 むつきの事を思い出す……。
 一日一緒にいただけじゃ、彼女とは呼べないだろう。彼女は金の匂いを感じ取り、僕と一日一緒にいただけなんだ。そう考えると虚しくなる。
「どうかしました?」
 赤崎が心配そうに僕を見ている。
「い、いや…。ぼ、僕はこの間、フラれたばかりなんだ……」
「すいませんでした。変な事聞いてしまい……」
 初対面なのに赤崎はいい奴だ。
「ぼ、僕が最初に聞いたのが悪いだけで、ぜ、全然気にしないでよ」
 精一杯の作り笑顔を見せた。
「いらっしゃいっ!」
 ドンッ! ドンッ!
 店員がいつもと同じようにテーブルに水を乱暴に置く。相変わらず、すごい音だ。
 二人分の水を乱暴に置いた衝撃でこぼれ、テーブルは濡れている。赤崎にはインパクトが強過ぎたのか、目の前で起きた光景を見て唖然としていた。
 水を出すだけという行為だけでここまで客を唖然とさせる喫茶店は、日本広しと言えどもここぐらいだろう。
「勝男さんの言っていたすごいって意味が分かりました…。ウェイトレスが日本人じゃないんですね。以前に何かしたんですか?」
「す、すごいでしょ? ふ、普通のスタンスでこういう店なんだ」
 得意そうな顔をして赤崎を見た。彼の表情を見ていると、連れて来た甲斐があったと、ちょっとした快感に変わる。そういえば、僕も早くメニューを決めないと……。
 モーニングメニューを見てみる。
【A トースト ゆで卵 サラダ コーヒー 六百八十円】
【B ジャム付きトースト ベーコンエッグ コンソメスープ 七百三十円】
【C ピザトースト サラダ コーヒー 六百八十円】
【D フレンチトースト ゆで卵 コンソメスープ 七百三十円】
 以上の四つのモーニングセットメニューがあった。結構迷ったが、無難にAを選ぶ。これだけじゃ足りないので、ミートソースも頼む事にする。
「勝男さん、決まりましたか?」
「う、うん。モ、モーニングのAと…、ミ、ミートソースにするよ」
「じゃー、頼みますよ」
「う、うん」
「すいませーん。注文いいですかー」
 赤崎が大きな声で店員を呼ぶ。あの店員はこちらを振り向こうともしない。
「あれ、聞こえないんですかね? すいませ~ん!」
 動かざる事、山の如し。
 彼女のでーんとした様子を見て、武田信玄の言葉を思い出した。
「すいませーん! 店員さ~ん」
 しばらくして、例の店員がノソノソと歩いて来た。僕にはこっちに向かってくる女店員が、大きな山のように見えた。
「や、山が動いた……」
「はあ、山? 何の事ですか、勝男さん」
 赤崎が不思議そうな表情で離し掛けてきた。その間にも山は、どんどん近付いてくる。
「何する」
 赤崎は驚いたように振り返る。彼女は大地に足の根が張り付き、堂々と山のようにそびえ立ち、上から彼を見下ろしていた。
「何する」
 続けて店員は、以前とまったく変わらないトーンで繰り返し注文を聞く。
「え、えーと…。ハンバーグセットとミートソースとモーニングのAをお願いします。そ、それとソーダ水一つ」
 赤崎は明らかに圧倒されながら注文を言った。巨大な山脈は返事もせずに、ノソノソと奥へ消えて行く。
「何なんですか、あれは?」
 赤崎はちょっとムッとしているようだ。ここはもうちょっと大人になって、この状況を楽しまなければいけない。それがこの店で楽しむ為のルールでもある。
「こ、こういうお店なんだよ」
「でもあの店員の態度、ちょっと酷くないですか?」
「で、でも次にあの店員が来た時に、ど、どんなリアクションをするか楽しみじゃない?し、視点変えて見ると面白いもんだよ」
「うーん…、ですね…。そういえば、コマ劇場の中にある定食屋は、味もそこそこうまいし、そこにいるおばあちゃんもメチャクチャ味があるんですよ」
「へー…。じゃ、じゃあ今度そこにも行ってみようか。こ、ここも、りょ、料理の味だけは、な、何故か結構いけるんだよね」
「でも、自分を満足させるハンバーグを出す店ってなかなかないんですよ。自分の地元だったら、美味しいハンバーグを出すお店があるんですけどね」
「そ、そんなに何故、ハ、ハンバーグが好きなの?」
 僕が尋ねると、赤崎は下を向いてしまい黙ってしまった。どうやら言いたくない辛い過去がきっと彼にはあるのだろう。とても寂しそうな顔をしていた。
「すいません…、急に……」
「き、気にしないでよ。ご、ごめんね…、へ、変な事、き、聞いてしまったみたいで…。ご、ごめんね」
 ハンバーグにとてもこだわり堂々と好きだと言えるのに、理由を聞くと塞ぎ込む赤崎の姿を見て、人間臭さがちょっとだけ垣間見えたような感じがする。
 僕は何故か分からないけど、この赤崎という人間に好感を覚えていた。
「いえ、自分のほうこそ場の空気壊してしまいまして…。あっ…、あの店員が料理持って来てますよ」
 振り向くと、あの店員が僕たちの席に料理を運んでくるところだった。両手に持っているのは何だろう? この位置からじゃよく見えない。
 店員はテーブルの前まで来ると、料理を置こうとした。
 カシャーンッ。
 料理を置く前に、何かがテーブルの上に落ちてくる。
 反射的に、僕も赤崎もビックリして体を仰け反った。何がいきなり落ちてきたんだ?よく見てみるとそれはフォークだった。店員が置く前に滑らせ落としたのだろう……。
「あ、ごめん」
 客の目の前でフォークを落とすという粗相をしながら、その店員はたった「あ、ごめん」のひと言で済ませてしまった。想像を絶する応対。僕も赤崎も目前で起こった光景に対し、何も言えずに固まっている。
 ドンッ! ドンッ!
 続け様に店員は、ハンバーグとミートソースをいつものように派手な音を立てながらテーブルへ置く。
 綺麗に盛りつけてあったはずの料理は、その衝撃で見事に崩れている。
 料理を並べ終ると、彼女は奥へ引っ込んでしまった。粗相をして普通なら客に怒鳴られてもしょうがない事をあの店員は堂々とした態度で封殺してしまう。すごい肝っ玉の持ち主だ。でも女だから肝っ玉ついてないか? 何と言ったらいいか分からないが、とにかくすごい事には変わらない。
「勝男さん、ちょっとおかしくないですか?」
「ま、まー、あ、あの店員は……」
「違いますよ。出てくる料理の順番が、おかしいと思いません?」
「な、何で?」
「だって普通、モーニングメニューって言ったらすぐ作れるように、ある程度の仕込みはしてあるはずなんですよ。どこの店だって…。例えば勝男さんが頼んだモーニングメニューだと、トーストは切って焼くだけだからいいとして、ゆで卵はあらかじめ茹でて作っておく、サラダは使う野菜を刻んでおくとか、そのぐらいしてる訳じゃないですか?」
「う、うん」
「じゃあ、何で先にハンバーグやパスタが出てくるんだって思いませんか? どう考えてもトーストのほうが早く作れるはずですよね」
 確かに赤崎の言う通りだった。よくよく考えてみると、不自然な料理の出し方だ。
「た、確かにそうだよね」
「まあ、こんな事、言い合ってても、しょうがないですよね」
「さ、冷めない内に食べよう」
「そうですね」
 僕はミートソースを赤崎はハンバーグセットを食べ始める。
 結局食べ終わっても、モーニングは出てこない。
「勝男さん、ひょっとして…、あの店員が注文を忘れているだけかもしれないですね」
「う、うん……」
「ちょっと自分、あの店員に言いますよ」
「そ、そう」
「すいませーんっ!」
 赤崎が店員を呼んだ。店員が気付き、こちらに向かってきた。
「あのー、ソーダ水とモーニング頼んだの、まだ来てないんですけど……」
「なに」
 相変わらずすごい対応だった。注文したものが来てないと客が文句を言っているのに、この店員は「なに」のひと言で切り返している。
「いやー、あのー…、なにじゃなくてさー、モーニングがまだ来てないの」
 赤崎の言い方が荒っぽくなっている。身振り手振りでゼスチャーを加えながら、一生懸命に説明していた。
 店員はジッと赤崎を見ている。僕は二人の様子を交互に見守るだけだ。
「だからモーニングがまだなの!」
「Aかー、Bかー、Cかー、Dかー」
「はぁ?」
 僕も赤崎も声を揃えて口にする。一体、この店員は何なのだろうか? 意味不明な事を言い始めた。もはや理解できない……。
「Aかー、Bかー、Cかー、Dかー」
 繰り返し店員は、意味不明の言葉を言い続けた。向こうの言葉なのだろうか? AやBの意味がまったく分からない。赤崎の顔色がだんだん赤くなってきている。
「何だよ、そらー? トーストだよ。ト・オ・ス・トッ!」
「Aかー、Bかー、Cかー、Dかー」
 店員は相変わらず同じ台詞をいい続ける。表情もまるで変わらない。まさに動かざること山の如しだ……。
 多分ここまでAやBを言うって事は、何かしらの意味があるのだろう。
 僕はちょっと考えて閃く。
 そうだ。きっとモーニングメニューのAか、Bかって、聞いているんだ。
「て、店員さん、え、A」
 店員は僕がAと言うと、理解してくれたのか、そのまま回れ右をして奥に消えていった。
「勝男さん、今、あれをどうやって理解させたんですか?」
 赤崎が不思議そうな顔をして聞いてくる。
「い、いや、ただね…。か、彼女にしてみたら、メ、メニューのAセットなのか、ビ、Bセットなのかをき、聞いてきただけの事なんだよ」
「はぁ……」
 何となく今日入ったばかりの新人、赤崎とはうまくやっていけそうな気がした。

 俺は今、むつきの体を舐めまわしている。
 その度むつきは激しく感じ、体をくねらせる。
 昨日の新堂の電話を聞いて感じたイライラが、むつきに接しているとドンドン薄れていく。この女がビクンと体を動かす度に、俺のイライラの一つが消えていくようだった。
 むつきはビチョビチョに濡れている。俺はまた入れようとした。
「だ、駄目よっ!」
 むつきが拒みだす。俺にはその拒み方がギミックにしか映らない。構わずに腰を前に押し込む。むつきは前の時よりも抵抗をせずに、簡単に俺の侵入を許した。
 何とも表現のしようがない快感。あっという間に俺はいってしまう。
 むつきの腹の上に射精して崩れ落ち、体重を預ける。むつきの体はまだ痙攣していた。
「ねぇ、こんな間隔も開けないで来て、お金のほう大丈夫なの? 今日なんか三回も延長してるじゃないの。借金してまで来るところじゃないよ」
「そんな金ないような顔してるように見えるのか?」
 むつきはニコリと笑って起き上がった。形のいい胸が小気味良く揺れる。
「ふふ、偽善的な事を言ってみたかっただけ」
 俺も起き上がり、タバコを口にくわえた。むつきがすぐにライターで火を点けてくる。
「なかなか気が利くじゃねーか」
「エヘヘ……」
 天井を向き、煙をゆっくりと吐き出した。
「もう私の体なしじゃ、いらんなくなったんでしょ?」
 横目でむつきを見て、煙草の煙を吹きかける。むつきは大袈裟に咳き込んだ。
 これでまた、勝男の顔をしばらく見られないな……。
 欲望を吐き出すと、代わりに罪悪感がどこからが湧き出てくる。
 むつきは俺の顔をジッと見つめて、人差し指で鼻を押してきた。
「何しやがる?」
「ヘヘヘー」
 こいつは自分が女だという事を完全に理解し、どうしたらうまく生きていけるかを緻密に計算している。
 分かっていながら男共は、むつきの作り出す空間に引きずり込まれていく。俺もその中に引きずり込まれた一人なのかもしれない。
 また俺はこの『モーニングぬきっ子』に来て、モモを指名してしまうのだろう。この女の魅力、いや、魅力というよりも、むつきの体に夢中と言ったほうが正しい。
 勝男の気持ちを知りながら、俺はむつきの肉体にハマっている。
 むつきは俺と勝男が幼馴染で知り合いなのを知らない。
 勝男も俺とむつきがセックスしているのを知らない。
 俺だけがすべてを知っている。
「何、黙ってんの?」
「いや、俺って悪い奴だなと思って反省していた」
 実際に俺は勝男を裏切った事になる。あいつが、この現状を知ったらどう思うのだろう。
 しょせん俺も、クソ野郎だったという訳だ。赤崎に会う術がない今、今はむつきにすがるしかない。
 赤崎は金で転ばない……。
 むつきは金で転んでくれる……。
「そうよ、絶対に超悪者だ」
「けっ、酷い言い草だな」
「最初に来た時から、私の中に強引に入れてきちゃってさー。もしあの時、私が大声出したら、あなた怖い目に遭ってるのよ」
「怖い目って何だよ?」
「やっぱこういう商売している以上さ、絶対にケツモチっているじゃない?」
「ああ」
 当然そうだろう。『ダークネス』でもケツモチはいた。歌舞伎町のアンダーグラウンドな店で、ケツモチのついてない店など存在しない。それを出来る限り表に出さないで共存共栄していくのは、どの店だって当たり前にやっている。
「だったら私が大声出したら、どうなるかぐらい分かるでしょ?」
「けっ、おまえがそんな事をしないぐらい分かるさ」
「何でそう言い切れるの?」
「金をおまえは受け取っている」
「まだ今日の分はもらってないわ」
 俺は財布を取り出して一万円札を三枚取り出して渡す。むつきは受け取り札を数えると、俺を睨んできた。
「あと二枚足りない」
 がめつい女だ。平気で人から金をかっぱいでいく。あと二万ぐらい払ってやってもいいが、素直に言われて払うと言うのも癪に障るものだ。
「最初に払った額は俺からの気持ちだ。初めて入れた貫通料みたいなもんだ」
「ふざけないでよ。前より二万も値下げを勝手にして、すいぶん私を安く見るものね。じゃあ次来る時は、また二万値下げして私は一万円になる訳?」
「声がでかくなってるぜ。別に騒ぎが大きくなって店員が来てもいいが、すでにおまえだって前に五万、今で三万受け取っているんだぜ。俺もまずいが、おまえだって立場的にまずい事には変わりはないんじゃないのか?」
 むつきの顔が歪み無口になる。俺はタバコを口にくわえるが、今度は火を点けてくれなかった。心理状態が非常に分かりやすい女だ。
 自分で火を点けてゆっくりとタバコを吸う。煙をむつきに向かって吐きかけると、むつきは微動だにせず俺を睨んでいた。
 俺は財布から二万円取り出し、むつきに渡す。むつきは一瞬だけ戸惑ったが、素早く金を俺の手からむしり取った。
 しばらく怒った顔をしていたが、金をしまうと急に笑顔になっていた。
「ありがとう」
「そうそう、おまえにはそういう笑顔の方が似合ってる」
 俺はむつきの胸をつかみ、ゆっくり揉みだす。ほどよい大きさのピンクの乳首が、じわりじわり固くなる。
「何よ……」
「また、おまえを急に抱きたくなっただけだ」
「二回目は割り引いてあげるよ」
 まだ金を取るつもりなのか、この女……。
「いくらだ?」
 コリコリになった乳首を人差し指で、回転させるように弄ぶ。
「う~ん、二回目は、三万にしといてあげるね」
「ほんと金の掛かる女だ」
 俺は一万円札を三枚放り投げた。札が宙に舞う瞬間、向こうから勝男が寂しげな表情で俺を見ているような錯覚がした。
「また来たら三万でいいのか?」
「馬鹿ね、その時はまた五万でしょ」
「ち、がめつい女だ」
 そう言って俺は一物を差し込んだ。
「ひっ、ひぃ……」
 感じた声をあげながら、むつきは体をくねらす。

 やっと運ばれてきたモーニングメニューのAを食べ終わる。さっきミートソースを食べてから大分時間経っていたので胃袋も膨らみ、食べるのに苦労した。
「あっ、店員さーん」
 赤崎は急に何か思い出したように、店員を呼ぶ。例の店員が近付いてくる。
「なに」
「なにじゃないよ。俺のソーダ水まだ? 忘れてるでしょ」
「Aかー、Bかー、Cかー、Dかー」
「違うって! ソーダ水。モーニングじゃないよ。ソーダ水がまだ来てないでしょ?」
 店員は、一気に捲くし立てる赤崎の言葉を微動だにせず平然と受け流している。どうやら話している内容を何も理解していないようだ。
「だーかーらー…、クリームソーダってあるでしょ? あれのアイス抜きをちょうだいって言ってんだよ」
「あい」
 やっと分かってくれたみたいで、店員は頷いて奥に下がって行った。
「何でソーダ水一つ頼むのに、こんな苦労しないといけないんですかね?」
 赤崎はプリプリ怒っていた。僕はとりあえずなだめた。ようやく落ち着きを取り戻してきた矢先に、店員の姿が見えた。お盆にソーダ水を乗せているのが分かるが、よく見ると、ソーダ水の上に白い物が浮かんでいる。
「お待ち」
 ドンッ!
 店員がテーブルに置いた瞬間、赤崎の顔がみるみる赤くなっていくのが分かる。
「ちょ、ちょっとこれ、クリームソーダじゃんかよ! ソーダ水って言ったでしょ? ソーダ水。アイスがいらな……」
 店員はクリームソーダを置くと、赤崎が文句を言っているのにもかかわらず、その場を立ち去ってしまう。僕と赤崎はしばし呆然として、その後ろ姿を見つめるしかなかった。
「も、もうそろそろ出よう」
「はぁ……」
 赤崎はよっぽどクリームソーダが出てきたのがショックだったのだろう。間違って出されたクリームソーダには一口も手をつけなかった。ソーダ水を男のロマンとまで、こだわった男だ。さぞかしやりきれない気分だろう。
 この店はあの太った店員以外に、ウェイトレスがいないのだろうか? 店内を見回すと奥にレジのカウンターがある。遠目で見てもあのウェイトレスとは別の女の子が二人、カウンターの中で仲良くくっついて座っていた。
 よく見てみると、二人ともかなり可愛いい子だ。何故この子たちはウェイトレスの仕事をやらないのか? 普通に考えて綺麗な子が接客したほうがいいと思うんだけど。
 あの山のような店員は見ていて面白い事には面白いが、ウェイトレスとして態度の悪さといい、言葉遣いなど見ても、とても向いていない。
 カウンターのレジの子のどちらでもいいから、ウェイトレスをやったほうが客の立場からしても店側からしてもいいと思うのだが……。
 カウンターを見ていると、ちょっとした違和感を覚えた。
「ね、ねぇ、赤崎君、あ、あのカウンター見て、ちょ、ちょっと変だと感じない?」
「カウンターですか?」
「み、見てみ」
 赤崎もカウンターの方を振り返って見だす。
「うーん…。あっ、何か変ですよね」
「な、何か違和感覚えるでしょ?」
「ええ……」
「な、何かまったく動きがないと言うか……」
「勝男さん…。あの女二人とも、さっきから右上の方をずっと瞬きもせずに、同じ方向を一心に見つめているからですよ」
 カウンターの中にいる女二人は、さっきから同じ体勢で変わらずある一点だけを見ていた。奇妙なのは二人の視線が、同じ方向にずっと向いている点だ。僕が感じた違和感はそのせいだった。
「あの二人とも顔とか結構可愛い顔しているのに、何か変な感じですよね」
「う、うん…。と、とりあえず出ようか」
 席を立って会計を済ませにカウンターのレジへ向かう。会計を済ませようと近付いているのに、レジのところにいる二人の女は相変わらず一点を凝視していて、僕たちに気付く様子もない。
「あ、あのー……」
 二人とも僕たちを無視しているんじゃないかってぐらい一点を凝視している。不思議に思い、その視線の先を見るとテレビがあった。これほどまでテレビを食い入るように見る人間を僕は初めて見た。
 赤崎が後ろで見ていて、歯痒さそうにしている。
「おねーさん、チェックして。おーい、おねーさん」
 赤崎が何度も繰り返し呼び掛けると、やっと一人だけこちらを向いた。
「二千七百八十円」
 テレビを見るのを邪魔されて機嫌悪いのか、その女は面倒臭そうに口を開く。
「えっ?」
 それにしたって仮にも僕たちは客だ。こんな対応されるとビックリしてしまう。
「二千七百八十円」
 せめて、「です」ぐらいつけられないのだろうか……。
 あまりの酷い対応に文句を言いたかったが、疲れたので素直に金を払う。
 会計を済ませる間、もう一人の女は瞬きもせず、ずっとテレビを見ていた。これだけ真剣にテレビを見てくれる奴がいると知ったら、きっとテレビ局も嬉しいだろう。
 入り口に向かおうとして、あの太った店員が前を横切る。あの店員の後ろ姿を見ていて、ああいう人間のでっぱり具合は、一体どうなっているのか気になりだした。
 ヤバイ…、欲望が頭の中でざわめきだす。
「デブオンナノ、デッパリキニナンダロ。サワッチマエ。サワレッ!」
 僕の視界は狭まり、右手が意思とは関係なしに太った女の後頭部へ伸びて行く。
「……!」
 何だ、この女……。
 でっぱりがまったくない……。
 人間は普通、後頭部の後ろを触るとちょっとぐらいのでっぱりがある。そのでっぱり具合でこいつは人を裏切るとか、騙す奴だとかある程度の本質が分かった。でもこの店員は、でっぱりが全然なかった。
「何する」
 いきなり店員に横っ面を引っ叩かれた。でっぱりが気になり、無意識の内に勝手に触るといつもこうだ。まあ、僕がいけない訳だからしょうがないんだけど。
「勝男さん、最後にギャグかましてくれましたねー。あそこでまさかあの店員も平手打ちしてくるとは思いませんでしたけど、勝男さんのギャグ見て、笑っちゃいましたよ」
 店を出ると笑いながら赤崎が話し掛けてくる。別に笑いをとった訳じゃないんだけど、赤崎的には面白かったらしい。かなりツボに入っている様子だ。
 途中まで一緒に歩き、別れ道まで来た。
「本当、今日は面白かったです。ご馳走さまでした。では、失礼しますね」
「ま、また今日、み、店でね」
 赤崎は西武新宿駅の方向へ向かって、人混みに消えていった。
「あっ!」
 消えていく後ろ姿を見て、記憶が蘇る。
 以前、鳴戸と一緒に歩いていた男……。
 どこかで見覚えがと思ったが、あの時鳴戸といた男が赤崎だったんだ。靖史は鳴戸の店で働いていた。
 彼も以前ゲーム屋の経験があると言っていたが、靖史と同じ店だったんじゃないだろうか? ひょっとすると靖史の事を知っているかもしれない。今日の夜、店で会ったら赤崎に「岩崎靖史って知っている?」と、聞いてみよう。

 

 

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